表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/21

02・笑顔の子どもたち




 しとしとと降り続けた雨が止み、初夏の強い日差しが王都の朝を告げる。

 公園では新緑の木々が日を浴びて輝き、雨上がりの爽やかな空気が満ちて、美しい景色が広がっていた。

 だが、聞こえてくるのは鳥の声ばかりで、人の姿は見当たらない。

 いつも早朝にやって来る貴族の子供たちは、ぬかるんだ地面を嫌った大人たちによって、家の中に閉じ込められているのだろう。

 けれども、そんな公園にわざわざやってきた者がいた。


 公爵令嬢のローズは珍しく駄々をこね、公園にやってきた。

 二つ上の兄は服が汚れるからと家にいる為、自分ひとりのために乳母を連れ出すのは大変だった。

 だが、今年、六歳になった彼女はいつも聞き分けよく、天使のように微笑んで皆に愛でられる存在だ。そんな日頃の行いのおかげで、彼女の珍しい我儘わがままだからと乳母が折れてくれたのだ。

 あんなに行きたいと騒いだ公園に着いたものの、ローズの足取りは徐々に重くなり、乳母の影に隠れるようにして奥へと進む。

 乳母がいつもどおりベンチに腰掛けると、ローズは一人、公園内を散歩するふりをしつつ、キョロキョロと視線を動かした。

 先程から心臓がうるさく、手は汗で湿っていて、何度も握ったり開いたりを繰り返している。

 頭のなかでは、考えてきたセリフを何度も繰り返していた。喉のつかえを感じ、それらの言葉を早く吐き出してしまいたくてたまらないのだ。


 ――昨日の今日で、また、この公園に来るかしら?


 昨日の泣いていた姿を思い出せば、不安に心がぐらぐら揺れる。

 しかも、雨上がりで地面がぬかるむ中、わざわざやって来るだろうか? 今日、ローズが粘ったのは全て無意味だったのかもしれない。


 ――彼女に会えないなら、謝罪できなくても仕方がないわ。


 そう思い、ほっと息をついたローズだったが、”安堵した自分”に気がついて、ぎくりとした。

 心の何処かで、謝らないで済めばいいと思っている自分がいる。そう気づいたローズは狼狽うろたえ、視線をさまよわせ――森を思わせるような、鮮やかなグリーンの瞳と目が合った。

 赤毛を二本の三つ編みにした少女は、肉食獣と目があったかのように硬直した。

 対するローズも、ぎしりと、石のように硬直する。

 二人は無言で見つめ合った。


 赤毛の少女、シェリエは恐怖に立ちすくんでいた。

 また、酷いことを言われるかもしれないのだ。大急ぎで背を向け、ここから走り去りたくてたまらない。それなのに身体はピクリとも動かず、目は恐怖の対象であるローズに釘付けだ。

 まさに、蛇に睨まれた蛙のようだった。

 対して、ローズはバクバクとうるさい心臓に負けまいと、心の中で必死に自分を鼓舞していた。


 ――さぁ、行きなさい! 言うのよ!


 まるで初めての戦いで敵を前にした新兵のように、ローズは恐怖で硬直してしまっていた。

 何度も自分を鼓舞するものの、手がいっそう強く握りしめられるばかり。ガチガチに固まった身体は、一歩を踏み出してはくれないようだ。

 朝の爽やかな公園で、二人の幼い少女が石のように固まっていると、木々がざわめく音と共に少年の声が届いた。


「君たち、何をしてるの?」


 不思議そうな、のんびりとした声。

 その声のぬしに心当たりがあった二人の少女は、すごい勢いで顔を横に向けた。二人とも笑みは見せなかったものの、表情はぱっと明るくなり、どこか期待に満ちた顔をしている。

 二人の想像したとおり、そこには二人と同い年ぐらいに見える、焦げ茶の髪に濃いグレーの瞳の少年が立っていた。

 そしてシェリエが笑み崩れたのに対し、ローズの表情は一変して強張った。


「ハウエルッ!」

「べ、別に、私はいじわるなんて、してませんわ!」


 突然の発言に、シェリエは驚いて視線をローズに向ける。昨日の地味な少年、ハウエルの方は目を瞬くと不思議そうに首を傾げた。


「別に、そんなこと思っていないけど?」


 その落ち着いた、まっすぐな濃いグレーの瞳に見つめられ、ローズは言葉に詰まった。

 素直に、嬉しいと思った。誤解されずに済んだとほっとして、なんだか、少し恥ずかしくて。口元がゆるみそうになるのを、必死で口を引き結んでこらえる。

 そして、そんな顔を見られたくなくて、うつむくとポツリとつぶやいた。


「……なら、良いのですけど」


 こほん、と一つ咳払いをし、深呼吸。そして覚悟を決め、顔をあげたローズはシェリエと向き直った。


「貴方に、用がありましたの!」


 緊張から手を握りしめると、硬い声が出た。

 その声の響きと、強い眼差しに怯え、シェリエは助けを求めるように、ハウエルへと視線をちらちらとやっている。

 一方、ローズはそんなシェリエに気づく様子もなく、昨日から考え、練習したセリフをそのまま一気に言い放った。


「昨日のことで、謝罪しに来ましたの」


 聞き間違いかと、シェリエがきょとんとする。


「勘違いしないでくださいね! 貴方が田舎者臭いのは事実で、わたくし、間違っていません。けど、ひどい言い方をしたのも事実です。だから、お詫びするわ!」


 ローズは、かなり高圧的に言い切った。


 ――やったわ、言い切ったわ!


 ローズは達成感と、ちゃんと謝罪できたことにほっとして、軽く笑みを浮かべてシェリエを見て――そして、狼狽うろたえた。


 シェリエは悲しそうな顔をし、昨日のようにうつむいていた。何度もまばたきしているのは、もしかして、泣いているのだろうか?

 ローズなりに譲歩し、考えに考え抜いたセリフではあった。けれども、シェリエから見たら、どう見えるのか。

 昨日、自分を馬鹿にした人間がわざわざ目の前にやってきて、謝罪をするという。

 何を言うのかと思えば、上から目線で自分を馬鹿にしつつ、最後に取ってつけたように謝罪を口にする。

 これでは、昨日の聞こえよがしの嫌味と変わらない。当然、シェリエは嫌味を言われ、嘲笑されたのだと思っていた。


「……田舎者、くさい」


 悲しそうな、かすれるような声がつぶやく。連日、向けられる侮蔑ぶべつに泣きそうになるのを、シェリエは必死にこらえていた。


 ――失敗したわ! ど、どうすれば……。


 ローズはたじろぎ、助けを求めるようにハウエルへと目をやり、シェリエに視線を戻し、と繰り返す。

 そして、ぐっ、と身を守るために心を武装した。


 ――私、わざわざ謝りに来たのに、なんで泣くのよ。そもそも、私が謝りに来る必要なんてなかったのに!


 公爵令嬢の自分が、ファータテールの田舎貴族に頭を下げるなんて、屈辱的だ。

 両親が見たら卒倒するに違いない。両親だって、使用人たちだって、ファータテールを馬鹿にしていた。自分は間違ってなどいないのに、なぜ、謝罪する必要があるというのか。

 意地とプライドが頭をもたげ、胸の中で、ドロドロと汚い感情が熱を持ってくすぶり始める。


 ――ちゃんと、謝らなくちゃ。

 ――ふざけないで、なんで私が!


 良心がささやくたびに意地とプライドが逆撫さかなでされ、怒りが込み上げる。

 こんな自分が嫌でたまらないのに。人に優しくできる自分でいたいのに。自分の感情をコントロールできない。


「なによ、昨日も今日も、いちいち泣いて。バカみたい」


 泣かせてしまった、どうしよう。

 そう、焦れば焦るほど、自分を正当化しようとしてしまう。

 シェリエがぐずぐずと泣き始めたが、泣きたいのはローズも同じだ。

 やましい気持ちになって、そんな自分を守るため、ますます片意地を張ってしまう。自分への嫌悪感が募れば、さらに苛立って、今にも酷いことを言ってしまいそうだ。

 もう、どうしたら良いのか分からない。


「こら」


 突然、額に軽い衝撃がきて顔がのけぞり、頭が真っ白になる。

 ローズが痛くもない額を両手で抑え、前を見れば人差し指を突き出したハウエルがいた。

 どうやら指で小突かれたようで、ローズは目をぱちぱちとさせた。


「謝りに来たんだよね?」


 冷静なグレーの瞳が彼女を見つめている。ローズは言葉に詰まった。


「あれは、謝っているって言わないからね?」


 ――うっ。


 痛いところを突かれて、ローズは反抗した。


「知らないっ! 私、間違ってなんかいません!」

「間違いかどうかは知らないけれど、後悔したから、ここに来たんだよね?」


 意地を張ったローズに苛立つでもなく、ハウエルが問いかける。

 図星を指され、ローズは何も言えずに黙り込む。


「ほら、言いたいことがあるんだろう?」

「知らないっ!」

「……悪いことをしたら、どうするのかな?」

「っっっ!」


 乳母が自分の我儘な孫を諭すときのような物言いで、ハウエルが問いかけてくる。

 ローズは屈辱と悔しさに顔を赤らめて、言葉に詰まった。唇をかみしめ、宝石のような青い目をうるませて、ハウエルを睨みつける。

 ハウエルはと言えば、相変わらずの落ち着いた表情で、ひるみもしない。


「……わかりましたわっ! 謝ればいいのでしょう!」


 ――そう、彼がうるさいから謝るの。彼が口うるさいから、仕方がなく謝るのよ。


 ローズは自分に言い訳をしつつ、シェリエに改めて向き直った。


「昨日はひどい物言いをしました。謝罪するわ」


 結局、顔をそむけて、渋々というポーズをとってしまう。


「それで、謝ってるつもりなのかな?」

「わかってますわっ! もうっ!」


 ローズは顔をあげ、今度はしっかりと目を合わせる。シェリエのグリーンのくりっとした可愛らしい瞳は涙がにじみ、赤らんでいた。

 目をそらすのを止めれば、自分が彼女の心を傷つけてっしまったのだという事実と、真正面から向き合うしかない。


「あ、あの。昨日は意地悪な事を言ってしまって、その、……ごめんなさい!」


 胸が苦しくなって、ローズの頭は自然と下る。

 シェリエには、その言葉を信じる理由は一つもないはずだ。先程までの態度だって、人に言われて嫌々、しょうがなく言った言葉だと思って当然だった。……そのはず、だったのだけれど。


 シェリエを真っ直ぐに見つめた宝石のような青い瞳は、嘘も、嘲りも、苛立ちもなく、真摯しんしさと罪悪感をたたえていた。

 幼いシェリエは、その瞳に浮かぶ想いがなんなのか、しっかりと理解できたわけではなかった。ただ、直感的に嘘ではないと感じた。信じられると思った。

 それに、理由はもう一つある。昨日はローズの年に見合わない完璧なマナーと仕草、人形の様に整った容姿が、自分とは違う、南部の、クロヌテールの貴族の子どもなのだと、怖くて仕方がなかった。

 けれども、ハウエルの前で今日、彼女が見せた表情は違った。意地を張って、駄々をこねて。

 しかも、自分に注意をする少年に権力をかざしたり、見下すわけでもなく、渋々でも注意されたことに従っている。

 そんな姿なら、シェリエだって見慣れている。

 ファータテールの故郷に帰れば、一族の子どもたちが、年長の子たちや大人に叱られて謝る姿、そのままだ。

 なんだか可笑おかしくなって、シェリエはくすりと笑った。


「うん、大丈夫。ありがとう!」


 先程までの悲しそうな表情かおが嘘のような、朗らかな笑顔を見せるシェリエに、ローズは不意をつかれた。


 ――昨日、ハウエルに見せてた笑顔と同じ……


  信じられない思いでハウエルへと目をやると、彼も軽くうなずき、小さな笑みを浮かべてくれる。ローズは、またも予想外の反応をされて驚き、下を向いてしまった。


 ――ぅわ、うわぁ……。


 この気持はなんだろうか。嬉しいはずなのに、なんだか恥ずかしくて、頬が赤らむ。

 心は温もりを感じて緩み、フワフワと広がって、なんだか覚束おぼつかない。

 先程まで意固地になって、固く縮こまっていたのが嘘のようだ。

 ローズがそっと顔を上げれば、シェリエは優しく微笑んでいる。


 ふと、昨日の場景が頭をよぎった。

 傷ついたシェリエと、無表情のハウエル。

 笑い合う二人と、それを外から見ている自分。――けれども、今、ローズは笑顔の二人と共にいる。

 その事実に胸が熱くなり、ふにゃり、と口元がゆるむ。そして、そのままゆるゆると笑み崩れた。

 その幸せそうで、輝くような笑顔にシェリエとハウエルは驚き、彼らもまた、胸に温もりを感じて微笑んだ。




 公爵家の長女、ローズ。

 伯爵家の三男、ハウエル。

 北部貴族、伯爵家の長女、シェリエ。

 彼らはその年の社交シーズンの間、度々、公園で一緒に過ごした。

 けれども、その友情は唐突に終わりを告げることになる。

 彼らはすっかり忘れていたのだ。

 大人たちは、自分たちが定めたルールに反する者を、決して許しはしないということを。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ