01・出会いは最悪
「君って、傲慢で、冷酷だよね」
少年が悪意もなく、さらりと言う。
彼の前に立つのは、気の強そうな、明るい色のドレスをまとった幼い少女。
対して少年は、魔法使いのような濃紺のローブを羽織っており、いつも本を抱えた大人しそうな子どもだった。
だが、少女に怯えた様子もなく、かといって憤るでもなく、蔑んでいる訳でもない。
ただ、目を合わせ、淡々と、事実を告げただけ、といった彼の態度に少女、ローズは怯んだ。
人間は、大きく二つに分けられるだろう。
一つは、自分はそこそこ良い人間だ、と思っている人間。
もう一つは、自分は嫌な奴だ、悪人だ、と思っている人間。
いつだって例外はいるが、基本はこの二つだろう。
因みに、ローズは前者だ。
自分を聖人とは思っていないが、自分の事を悪人だと思ったこともない。
それは人として、当然のことでもあるのだろう。
なぜなら、基本的に人は自分の中に善悪の尺度を作り、それに従って生きているのだから。
そして、怠惰と”理想の善”との間で揺らぐ、自分と他人を評価しながら生きている。千差万別、それぞれの尺度で測りながら。
そして今、ローズの自己評価は、目の前の少年に否定されてしまった。
――傲慢で、冷酷
ローズはショックを受けた。
突然、根拠もなく罵倒されたのだと、傷ついた。
「冷酷で、傲慢」な人間になど、箱入り娘の彼女は出会ったことがない。
そんな人物は、物語の中だけでしか知らない。強く優しい主人公の敵に回る、嫌な人間の事を指す言葉のはずだ。
ローズの顔は恥辱で、また、徐々にわきあがってきた怒りで真っ赤になった。何か言い返してやりたいのに何も言葉が見つからず、彼をキッと睨みつける。
ここは王都の公園。
朝も早く、貴族の大人たちはまだ現れない。この時間帯は、家庭教師や乳母たちと、彼らに連れられた子供たちがほとんどだ。
彼女の乳母は、父の乳母でもあった人で高齢だ。ベンチに座って、彼女たち兄弟が走り回るのを静かに見つめている。
少年の家庭教師は比較的若い男性だが、知り合いなのか、他の家庭教師と話し込んでいる。手のかからない大人しい少年には、時折、目をやるだけだ。
「あんな風に、聞こえよがしに悪口を言う必要なんてあった?」
少年の視線が動き、ローズの視線もつられて動く。
その先にいるのは落ち込んでうつむいた、赤毛の少女。
そばかすが浮かぶ白い肌といい、新緑のようなグリーンの瞳といい、北のファータテールの出身のようだ。顔は影になって見えないが、何度も手でこすられた目は真っ赤になっているに違いない。
――あんな真っ赤で、派手な髪色、品がないわ。しかも、あのそばかすを見て。淑女であるなら、あんなものができるほど外にいるべきではないわ。田舎者は、そんな事もわからないのね
先程まで一緒にいた他の貴族の子供たちと、聞こえよがしに嘲笑った赤毛の子。一瞬、ローズはやましい気持ちになったものの、嫌悪感も露わに言い放った。
「淑女として、みっともない格好でそのまま出てくるのがいけないのよ! 身だしなみを整えるのは、人に嫌悪感を与えないための、最低限のマナーだわ。これで懲りただろうから、次からは気をつけるでしょ」
ローズは艶やかな、太陽の陽射しのような濃いブロンドの髪を払い、晴れ渡った空のような青い瞳で少年を睨みつけた。赤毛の子こそ悪人で、自分はそれを裁いた正義なのだ、と言わんばかりの態度だ。
少年はそんな彼女を観察するように眺めると言った。
「君って、容姿は美しいけど、表情はものすごく醜悪だね。美醜は相対するものだと思っていたけど、共存できるものなんだと初めて知ったよ」
彼は興味深い、とばかりに大きくうなずく。
「しゅーあく? びしゅー? あいた……?」
なんとなく、褒め言葉ではなく、貶されていることを察しつつ、眉をひそめて聞き返す。
「あぁ。汚い、醜いってことだよ」
「な、なんですってっ!!」
両親も、使用人たちも、皆が彼女を褒め称えてきた。
可愛い、美しい、天使のよう……。兄弟喧嘩でさえ、ブスなどと言われたことがない。
衝撃でローズは口をパクパクさせる。
少年はそんな彼女を置き去りにして、赤毛の少女の元へと向かって歩きだした。
が、途中で振り返る。
「僕は不快感を与えるかどうかよりも、人の心を傷つけるかどうかの方を気にするべきだと思うよ」
そう言うと、少年は今度こそ振り返りもせず立ち去った。
残されたのは、言い負かされて打ち震えるローズだけだ。
「……な、なによ! なんなのよぉっ!!」
人目を気にして叫び声は抑えるものの、口から言葉が溢れ出すのは止められない。
視線の先では、少年に話しかけられた赤毛の子が花がほころぶような笑顔をみせている。
その光景は彼女の良心を刺激し、心の中がモヤモヤとしたものでいっぱいになる。だが、次の瞬間目撃したものは、それ以上の衝撃を彼女に与えた。
少年の容姿ははっきり言えば地味だ。隣にローズの見目麗しい兄が立てば、霞んで消えそうな見た目で、いつもの彼女なら相手に気づきもしなかったに違いない。
ありふれたこげ茶色の髪。瞳は地味な灰色。そこそこ整っているものの、華やかさのない顔。服装も無難な色と形で、人混みに入れば一瞬で見失いそうだ。
そんな少年だったが、今、彼は目の前の少女の笑顔につられて小さく微笑んでいた。その表情はローズに向けた淡々としたものとは違って、優しさがにじんでいて……。
――いつも、みんなに優しく微笑んでもらえるのは私だったのに
ローズの胸にさまざまな想いがわきあがる。
少年の自分への評価が低いことが悔しい。
嫌な瞬間を見られてしまった事が恥ずかしい。
いや、彼が彼女の意見に同調すれば、恥をかかなくて済んだのだ。
自分を貶めるような注意をしてきた彼が腹立たしい。
あんな赤毛の田舎者と、地味な少年が、この、公爵令嬢の自分を馬鹿にするなんて、許せない。階級の上下によるマナーを、礼儀をわきまえない、非常識な無礼者たち。ここが、社交の場であれば、眉をひそめられるのは、彼らの方だ。
羞恥を感じ、傷ついた心を怒りが飲み込んでゆく。
だが……。怒りは燃え上がった瞬間に、勢いを失っていく。
本当は、分かっている。きっと、間違っているのは自分の方だと。
目の前に正解がある。
だが、どうしても、それを直視できない。
自分の間違いを認めたくなくて、でも、正しい事をしたくて。
このまま、うやむやにしてしまいたい。考えるのをやめてしまいたい。
――でも、そんなのは卑怯だし、間違いは認めないといけないわ
――私は間違ってなんかいない! 全部、彼らが悪いのよ。彼らのせいなんだから!
ローズが相反する想いに立ち尽くしていると、後ろから声がかかる。
「ローズお嬢様、もう帰りましょう」
乳母の声に振り返るとローズはうつむき、口を尖らせたまま、黙って頷いた。
拗ねたような、落ち込んだような彼女の顔を見て、乳母は優しく微笑んだが何も言わず、手を握って馬車へと歩き始めた。
優しい微笑みと声に、なんだか泣きたくなって。ローズは年老いた乳母の細くてかさついた、温かな手をぎゅっと握りしめた。
馬車に乗る瞬間、ローズは後ろを振り向いたが、二人の姿はもう見当たらなかった。
悲しいのか、悔しいのか、寂しいのか。よく分からない感情を抱えたまま、その日、彼女は公園を後にしたのだった。
※ 遅れている時は、一応、活動報告の方で生存報告をさせていただいております。また、進捗状況の報告、書き続ける意思の表明もしております。
死ぬか、精神を病まないかぎりは、音信不通にならないはずです。
エタるか心配になったら、活動報告をご確認いただければ、と思います。