24 歯車が二人の運命、振り乱す
運命の歯車はカズヤとレイカを激しく弄び、振り回し、時に交錯させる。終末を告げる足音は静かに、だが確かに近付いていた。
「来ないでって言ってるでしょ!」
怯えるレイカをなぶるように、醜悪な笑みでにじり寄る院長の郷田。その頃、カズヤにもサイの中位悪魔ライガンが迫っていた。
左肩を突き出すようにして、ライガンのタックルがカズヤの腹部を狙う。
一歩を踏み込むごとに大地を揺さぶるような衝撃が。床石は粘土で作られているようにその足跡を刻み込まれ悲鳴を上げた。
まるで大型車が迫ってくるような錯覚を覚え、カズヤは身構える。
戦いの場は院内を再現した魔空間。人がすれ違えるだけの幅はあるものの、手狭な感じは否めない。ましてその直撃を受けたなら、背後の壁に挟まれ即死に繋がりかねない。
だが、カズヤの双眼は確実に相手の動きを掴んでいた。一刻も早くレイカの下へ。その強い気持ちだけが彼を突き動かし、想像以上の力を引き起こしていた。
「クソ野郎!」
青い輝きをまとった右拳。アッパーを打つように繰り出されたそれが、腹部へ迫ったライガンの顔面をまともに捉えた。
★★★
にじり寄る郷田に不快感を露わにし、レイカはベッドとは反対の壁際へ急いだ。
脇腹の痛みなど、恐怖と嫌悪感を前に消し飛んでいた。この窮地をいかにして脱するか、今はそれしか頭にない。
★★★
「だらあっ!」
仰向けに倒れた悪魔の心臓を目掛け、剣を突き出すカズヤ。しかし、悪魔も予期していたように素早く身を翻した。
横転と同時に振るわれた戦斧が剣の切っ先と激突。甲高い音を上げ、突きは弾かれた。
「ちっ!」
体制を崩しながらもカズヤは止まらない。それはまさに咄嗟の思い付き。立ち上がろうとするライガンへ蹴りを繰り出していた。
「イレイズ・キャノン!」
「がはあぁっ!」
バスケットボール程もある霊力球が彼の足を包み、悪魔の腹部を直撃した。
★★★
「えいっ!」
ベッドの向かいに置かれていた大きな木製の本棚。並ぶ書籍を荒々しく掴み、郷田の顔へ次々に投げ付けてゆく。
「やめろ! 貴重な資料が混ざっているんだ」
郷田は、困惑と焦りと喜悦の入り交じった奇妙な表情を作る。
顔を守るために持ち上げた右腕を中心に、レイカの投げた本が次々と命中。しかし、彼の前進は止まらない。目の前の少女を思いのままにするべく、この状況を楽しみながら欲望にまみれた心を剥き出して足を進める。
無我夢中で本を投げるレイカ。その手が無作為に掴んだのは三千ページを超える一冊。
それが放物線を描き、郷田の脳天を直撃。呻きと共に顔を押さえてうずくまった。
その隙を突きレイカは走った。中央の寝台を再び横切り、右手にあった机に手を突き、出入り口のドアへ急ぐ。
★★★
カズヤは再び剣を構え、うずくまるライガンを見下ろした。
「ずっと不思議だった。今まで戦った悪魔や悪霊。追い詰められると逃げるんだ」
彼は、ゼノの説明を思い返していた。
悪魔や悪霊は肉体を失ったことにより喪失感や虚無感を抱えている。それが恐怖となって本能にすり込まれ、命の危機を感じると逃走本能が働くのだという。
「二度目はねぇ。ここで消してやるよ」
★★★
出入り口へ走るレイカ。その目に飛び込んだのはピンクのパジャマを着た車椅子の女性。
「ねぇ。あなたも逃げて!」
呼びかけるも、うなだれたまま反応がない。そしてレイカは、彼女の首に下げられたシルバー・ネックレスに気付く。
魔染具であることは知っていた。憎らしげにそれを引き千切り、床へ投げ捨てる。
とにかくこの女性も連れて行こうと決心したレイカ。すぐさまドアへ手をかけると、そこには0から9の数字が並ぶ電卓のようなものが取り付けられていた。
「解除コード……」
分かるはずもない。ただ闇雲に、祈るように数字を押してゆく。
「開いて。開いて! 早くっ!!」
がむしゃらに、押す。押す。押す。
「残念。時間切れだよ。違うか?」
声は、彼女の真後ろから聞こえた。
★★★
ライガンを追い詰めるカズヤ。しかし、悪魔もうずくまりながら次の手を画策。
「チャージ・スピア!!」
ライガンの頭部へ生えた角。それを中心に霊力の青白い膜が体を覆い、巨大な円錐型の光と化した。
至近距離からの全力突進。悪魔は勝利を確信していた。
「忘れたのか?」
伸ばされたカズヤの右手は、迫る円錐を真正面に捉えていた。
「シールド!」
前面へ傘のような半円の霊力壁を展開。球面にいなされ軌道をねじ曲げられた円錐が、勢いよく壁へ突き刺さった。
「俺に、その技は効かねぇよ」
★★★
「観念したらどうだ。鬼ごっこは終わりだよ」
首筋にかかる郷田の息に、不快感を露わにしたレイカ。その整った顔が嫌悪と恐怖に染まってゆく。
彼女の華奢な体を覆うように、背後から勢いよく郷田が抱きついた。
「やっと捕まえた」
腕の中の感触に高揚感を押さえきれない郷田。その鼻息が荒くなる。
「そうかしら?」
一転。冷たく突き放すような声。
「ぎいっ!」
同時に響く呻き声。それは間違いなく郷田の上げたものだった。
慌ててレイカから離れ、自身に何が起きたのかを確認する。
うずく太もも。そこに広がる赤いシミ。そして、目の前の少女が手にした一本の鉛筆。
郷田は気付く。その鉛筆は彼の愛用する机に置かれていたものだということに。
「もう一度私に触れたら、次はその喉へ突き刺すわよ!」
怒気荒く言い放つ少女を前に、郷田は余裕の笑みを崩さない。
「そんな震える手で脅されても説得力のカケラもない。やれるものならやってみるといい」
全く怯むことの無い郷田に、レイカの心が折れそうになる。自己防衛とはいえ、他人を傷つけるなど初めてのことだった。加えて相手の流血を目の当たりにして、先程までとは違う種類の恐怖が彼女の体を支配していた。
相手から目を背けるように、ベッドの方向へ目を向けたレイカ。するとその視界へ、もう一つの新たなドアが映り込んだのだった。
祈るような思いで、そのドアを目掛けて走った。車イスの女性も気になっていたが、今の彼女は自分の身を守ることで精一杯。心の中で深く詫びながら足を進める。
「待て! そのドアは違うんだ!」
背後から郷田の鋭い声が飛んだ。
★★★
「うらあっ!」
カズヤは構えた剣を両腕と脇腹で固定し、倒れるライガンの頭部へ突き立てた。
「イレイズ・キャノン!」
剣先から放たれた霊力球が敵の頭部を破壊。辺りに黒い瘴気が舞い散る。
悪魔の体が崩れ去ると同時に魔空間が崩壊。カズヤは病院の廊下へと戻っていた。
「レイカ先輩……」
早く彼女を探したい。だが、その気持ちとは裏腹に、一つの足枷が動きを鈍らせて。
セイギとの約束。彼が救いたいと願う女性を助けられるよう、絶対に守ると約束したのだ。それが仲間の絆だと。
「くそっ!」
はやる気持ちを抑え、髪を激しく掻き乱すカズヤ。怒りのやり場も無いまま、近くに存在する魔空間の気配を探った。
「そこか!!」
背後の空間へ向かい剣を一閃。ガラスの割れるような澄んだ音を響かせ、目の前の空間が大きくひび割れた。
そこを蹴りつけ、人一人が余裕で通れるだけの穴を作る。中へ広がるのは、モノクロに変貌したもう一つの地下通路。
「なんだよ。これ……」
踏み込んだカズヤはその光景に絶句。
中には、一心不乱に双剣を振るうクレアと、セイギを守りながら、二人が収まる大きな霊力壁を展開するタイガ。そして、そんな三人を取り囲む悪魔の軍勢。その数およそ二十体。
絶望の影がカズヤの体へ纏わり付くが、ここで立ち止まってはいられない。
「ゼノ、準備はいいか? 限界突破! モード狂戦士!」
★★★
ここを抜ければ助かる。それだけを信じ、レイカはドアノブへ飛びついた。先程のコード・ロックと違い、つまみを捻るだけで解除できる旧式の施錠。
解錠された音と共に、心へ安堵が広がった。
「誰?」
満面の笑みはすぐに曇った。そこは先程までの部屋と同じく無機質な空間。鼻を突いたのは、獣じみたような男性の体臭。
臭いの主は部屋の中央。簡易ベッドへ腰掛け、レイカを正面から見据えていた。
「なんだか騒々しいと思ったら、ガキが駆け回ってやがったのか」
大きな体を揺らし、無精髭を生やした男が立ち上がる。工事現場が似合いそうな屈強な体。その服装が余計にそう思わせるのかも知れない。レイカもテレビ・ドラマで目にしたことのあるグレーで簡素な服。それは紛れもなく囚人服だ。
「次はおまえを犯せばいいのか?」
鋭い眼光がレイカの心を砕いた。




