19 自己顕示欲
虎の悪魔ティガの消滅により、廊下へ仕掛けられていた魔空間が消滅。しかし、ミステリー研究部内のもう一つの空間では、神格を開放した黒豹と熊の激しい攻防が続いていた。
部室内の壁の一辺は既に崩壊。悪魔たちは階段を突き抜け、家庭科室へなだれ込んだ。そこから生じる物音と振動が空間を揺さぶる。
スピード対パワー。手数と機動力で攻める黒豹と対照的に、その攻撃をじっと耐え忍び、一撃必殺の機会を伺うヒグマ。序列と呼ばれる称号を与えられた精鋭の上位悪魔による一騎打ち。決着の時は刻一刻と近づいていた。
そして今、その空間に響いた別の破砕音。ガラスが割れるような音を立て、ミステリー研究部の入口扉が崩壊。そして、この現実離れした世界へためらいもなく踏み込んでくる一人の少年。だが彼は、部屋へ入るなり目にした光景に思わず足を止めていた。
受け入れがたい現実に見開かれた瞳。驚きに半開きの口。そして飲み下した唾液が喉元で音を立てる。何も考えることができなくなり硬直したその様は、精巧なマネキンのようだ。彼の心臓が早鐘のように激しく脈打つと同時に、その意識へ響く思念。
(カズヤ、落ち着け! 集中しねーと同調が)
その警告も空しく、平静を失ったカズヤはゼノの霊力を捉えることすらできなくなっていた。そして今、この窮地で限界突破の力は繋がりを絶たれたのだった。
☆☆☆
「どういうことっスか?」
喉の奥が張り付いたように声が出てこない。目の前の光景を信じたくないし、信じられない。これはきっと魔空間が見せている幻だ。
「やっぱり来たね。僕の予想通りだ」
柔和な微笑みはいつも見ているそれだ。しかし、その目は対象を射殺すような鋭さを持ち、冷たく、暗く淀んでいる。
俺が入ってきたのは前面入り口。その反対にある後部扉の側で、モノクロのイスに足を組んで腰掛けている。その足下には、仰向けに横たわる桐島先輩が。
「上位悪魔から狂戦士と呼ばれるだけのことはあるね。彼も序列持ちだったんだろう? 君の力は底が知れないな」
風見先輩が笑うと、背に具現化した大蛇まで揺れ動く。八頭の口からはそれぞれに刃が伸び、全ての頭が桐島先輩を狙っている。
「座りなよ。ちょっと騒々しいけれど、ゆっくり話したいんだ……」
互いの中間地点へイスが置かれている。俺が来ることを見越していたのか。
「冗談キツイっスね……俺と話したいだけで、レイカ先輩に刃とか……」
「冗談だと思うかい? 剣を解除してそこへ座るんだ。君と交渉がしたい」
悪い冗談であって欲しいが、桐島先輩が危険に晒されているのは紛れもない事実だ。
「妙な素振りを見せれば、レイカ君へ刃を突き立てるよ。楽観視しない方がいい。僕は相手の命を奪うことができる。たとえそれが、霊撃輪を持たない一般人でもね……」
「え?」
イスの背もたれを持ったまま硬直してしまう。そして、頭の中で情報が組み合わされる。
「まさか、黒川たち不良グループを潰したのは風見先輩なんスか?」
「その通り。彼が自殺するとは思ってもいなかったけれどね。もっと苦しめて、相応しい死を用意したかったのに……」
その顔が見たこともないほどの険しい形相へ変貌した。これが本性なのか。
「どうやって、そんな力を……」
「憑依されたミナ君の攻撃で負傷したよね? そこに着想を受けて、戸埜浦邸へ同行した際、孔雀の悪魔に頼んで幹部へ取り入った」
幹部。その言葉に悪寒が走った。
「まさか、闇導師?」
「そこまで知っているとはね。でも、それなら話は早い。レイカ君も僕の変化に気づいていたようだから、遅かれ早かれ手を打つ必要があったんだけれどね……」
どうして気付かなかったんだ。昨晩、先輩が言っていた様子のおかしい人。それは紛れもなく風見先輩のことだ。
「回りくどいのは嫌いだから単刀直入に言おう。僕と組み、闇導師を倒して欲しい」
「は?」
「僕は力を得る代わりに、呪いのような制約を受けたんだ。闇導師を消滅させることが、呪いを解く唯一の方法なんだよ」
その言いぐさに怒りが込み上げる。
「何を勝手なこと言ってんスか!? これだけ引っかき回しておいて、今更、助けて欲しいって言うんスか!?」
「僕には次の目的がある。闇導師に良いように使われるつもりはないんだよ。それに、君にとっても悪い話じゃないだろう? 地上に僕らの理想郷を築こう」
「理想郷?」
「そうさ。こんな腐った世界なんて悪魔の力で壊せばいいんだよ。新世界を作るんだ。僕はそこで神になる!」
「話にならねぇ。あんた、狂ってるよ! 大事な人を失った報復のために、悪魔に魂を売ったって言うのかよ!?」
風見先輩はどこで選択を間違えたんだろう。最愛の義妹を失ったことが、彼をここまで歪めてしまったんだろうか。
「そうか。君には今の状態が一番理想的だよね? この世界ではスーパー・スターだ。周囲から注がれる羨望と憧れの眼差し。さぞかし良い気分だろうね」
その口元が醜い笑みを形作る。
「目の届く人々だけでも守りたい。そんなのは偽善さ。君は自己顕示欲を満たしたいだけなんだよ。そんな物は捨ててしまえばいい。理想郷の共には、君が望む人たちの命を保証しよう。レイカ君だって助けようじゃないか」
自己顕示欲という言葉に胸の奥が痛んだ。確かに俺の深層を突いているのかもしれない。でも、こんな狂った男に未来を委ねられない。
「俺の理想郷に必要ねぇのは、あんたと悪魔だよ。その妄想を潰してみせる!」
「おっと。レイカ君がどうなってもいいのかい? それに、もし僕が病院へ戻れないようなことがあれば、捕まっているセイギ君も死ぬことになるんだよ」
「てめぇ……」
押さえきれない怒りにイスを握りしめる。
クレアたちは既に避難させてしまった。ゼノも疲弊している今、逆転の手段はない。
「僕が逆転するには、君というカードが必要不可欠なんだよ。言ったよね? 自分が必要とされる場所で最大のパフォーマンスを発揮すればいいって。僕にとっては、それがここだったということさ」
返す言葉もない。こいつはもう、救いようがない所まで来ている。
その時だ。風見先輩の隣に位置する壁が砕け散り、巨大な黒豹が転がり込んできたのだ。
慌てて飛びすさった俺を見て、風見先輩は笑みを浮かべて立ち上がった。
「黒豹のシーナ。残念だけど、相棒の虎は彼が始末したよ。大人しく消滅するんだね」
「なんだと!?」
黒豹が驚きに見開いた目で睨み付けてきた。すると、それを追うように巨大な熊までも。
「くっ!」
全力で疾駆する黒豹。すると、俺が崩した魔空間の穴から勢いよく飛び出して行った。それを追撃しようと四つん這いになる熊。
「待つんだベアル! 君がここを離れたら僕の命が危険だ! 彼には到底敵わない」
風見先輩の声に従い、四足歩行で走り出した熊の巨体が隣で制止した。物凄い威圧感に、側へ立っているのもつらい。
「んあ? じゃあ、こいつ始末するか?」
見上げるほどの巨大熊。その丸太のような腕が俺に向けられている。
冗談じゃない。限界突破を使い、斬魔剣を召喚しなければ歯が立たない。恐怖を感じた途端、額を脂汗が伝い落ちた。
「残念だけれど、それは次の機会だね。彼はまだ必要なんだよ」
風見先輩の背に具現化した大蛇。その口から刃が消滅した矢先、その数体が桐島先輩へ絡み付き軽々と持ち上げた。
「カズヤ君。今夜一晩、どちらが利口か考えてごらん。明日、病院で決戦することになるだろうけれど、良い返事を期待しているよ」
「風見! 逃げるのか!?」
桐島先輩だけは絶対に助ける。
「じゃま!」
熊の存在を完全に忘れていた。その太い腕に顔面を打たれ、視界へ光が瞬いた。
「このままだと可哀想だから、セイギ君だけでも解放してあげよう。病院の前へ放り出しておくから迎えに行ってあげるといいよ」
「待て! 風見!」
伸ばしたその手が何かを掴むことはなかった。目の前で、桐島先輩を抱えた風見と熊は魔空間へ解けるように消えていた。
「くそっ! ちくしょうっ!!」
夕闇が支配する部室へ取り残され、やり場のない怒りを当てつけるようにイスを蹴る。
悲鳴のように軋んだ音を上げ、床を滑ったイスは中央に描かれた魔法陣の側で倒れた。
そこに倒れる魚海。部屋の隅には朱の姿。また、誰も助けることができなかった。それどころか、桐島先輩を連れ去られる始末。
「俺は誰も守れねぇ……」
自己顕示欲。その言葉が再び心を支配する。俺は存在価値を見出したいだけだ。誰かに必要とされていることを一番実感できるのが、この場所というだけのこと。
「レイカ先輩。必ず助けるから……」
一番認めて欲しい人。彼女の笑顔を守るためなら何だってやってみせる。相手が誰だろうとどこまでも追いかけて助ける。そう約束したのだから。
窓から除いた夕暮れ空には、今日も輝く月ひとつ。
俺は風見を絶対に許さない。




