09 コスプレか? 奇妙な夢の正体は?
それは既視感のある光景だった。
辺りは凄まじい騒音に満ち、花火大会を思わせるような人だかり。
花火見物にはほど遠い純白の洋風鎧を纏い、それぞれの手には剣や戦斧といった武器。花火大会じゃなく、コスプレ会場らしい。
そんな彼等が対峙するのは、動物や昆虫の頭部を持ちながら体は人間という、二本足で直立歩行する奇妙な怪物たち。
そう。これは夢だ。俺は昨晩、これと同じものを確かに見ている。
木々もまばらな草原。見覚えのありそうな風景は、学校の周辺に似ている。
そこに響く金属音、爆発、そして悲鳴。これは戦闘だ。RPGなんかじゃなく、本当の生と死を賭けた戦い。
俺も真っ只中で剣を振るっていた。それは、俺の胴体と変わらない太さがある象牙色の大剣。これも昨晩に見たあの剣だ。
一体、また一体と、直立歩行の奇妙な怪物をいとも容易く切り伏せていく。
怪物が弱いんじゃない。俺が強すぎるんだ。敵を遙かに凌駕する素早い動作で、一撃で確実に怪物どもを薙ぎ払ってゆく。
“ヒャッハッ!”
自分のものとは思えない甲高い声。
なぜか心は歓喜に彩られている。戦うことの高揚感。相手を切り伏せる優越感。より強い相手を求める興奮。これは俺の奥底に秘められた破壊衝動なのか。
狂った奇声を上げ、カッターで紙を切る単純作業のように次々と敵を薙ぐ。
だが、少しばかり調子に乗り過ぎた。死角から怪物が飛びかかり、純白の鎧から露出していた左上腕を切り裂かれた。
それを気にしている間もなく、短剣を手にした怪物が、再びその刃を繰り出す。
直後、俺が反応するより早く、一本の矢が怪物の頭部を即座に貫いていた。
獲物を横取りされた怒りと、窮地を救われてしまった恥辱を織り交ぜ、背後を振り返る。
そこにいたのは一人の女性だ。背中まで伸びる紺色の長髪。切れ長の目と薄い唇が相まって、なぜか朝霧の姿を彷彿とさせた。色白の体は無駄なく引き締まり、手には大型の弓。
初めて見たはずなのに、なぜか彼女を良く知っている。名前はティアだ。
“もう。すぐ調子に乗るんだから!”
いつもの小言攻撃に気分が台無しだ。
“おめーはイチイチうっせーんだよ!”
“あなたが子供だからよ。油断は禁物”
“わかってるよ!”
話を打ちきると、大地が激しく震えた。
体制を崩した俺と同様、辺りにいる戦士や怪物も、争いを忘れて騒然とする。
突如、影が覆い、前方へビルが出現した。いや、そんな生やさしいものじゃない。全身から邪気を放つ醜悪な怪物だ。
巨大な影が太陽の光を喰らうようにそびえ立ち、そこを暗闇へ変貌させた。
だが、光を飲み込むだけでは飽き足らず、戦士たちの心までも蝕んだ。ある者は武器を取り落とし、ある者は恐怖に逃げ出し、ある者は呆然と立ちすくむ。
“グオォォォォォォォォォ……”
鼓膜が破れそうな雄叫びと共に大気が震え、嵐のような突風が吹き付けた。間近にいた戦士や怪物は容易く吹っ飛ぶ。
“出やがったな”
二十メートルはあるその姿を見上げた。
圧巻としか言いようのないその怪物もまた、昨晩の夢で目にしている。それはまさに、恐竜の王と言われるあいつにそっくりで……
☆☆☆
弾かれるように飛び起きたそこは、見慣れた自分の部屋だった。
「夢、だったのか?」
状況を把握するのに時間を要した。あまりにリアル過ぎたその映像は、夢と済ませられるようなシロモノじゃない。
枕元の時計を見と、時刻は午前三時。
頬を汗が伝う。寝汗で、シャツはグッショリ濡れている。暑さのせいじゃなく、現実感を伴った奇妙な夢のせいだ。
「変な頭痛といい、なんなんだよ……具現者なんて力を手に入れたせいなのか?」
たまらずベッドを出る。さすがにこんな寝汗まみれのシャツは着ていられない。それを脱ぐと、胸元でお守りが静かに揺れた。
霊感も遺伝するんだろうか。両親やアニキにそんなものはなく、俺にだけ症状が色濃く現れた。同じように霊感の強かった祖父が、この御守りをくれたわけだが。
シャツを着替えていると、机上のパソコンが視界へ飛び込んできた。
兄の使い古しだが、今の俺を支える重要なアイテムだ。いつからか、このパソコンで日記を付けることが習慣になっていた。一日の出来事を形に残すことで“いつもの不安”を振り払い、自分の存在を実感できるから。
具現者の活動記録も、作り話として記録している。ボスやセレナさんに知られたら怒られそうだが、存在価値を求める俺にとって、切り離すことが出来なくなってしまったんだ。
着替えを終えると同時に猛烈な睡魔に襲われ、倒れるようにベッドへ転がった。
☆☆☆
夜中に目を覚ましてしまったこともあり、最悪の起床だ。全身がだるくて仕方ない。
昨日の惨敗も尾を引いているんだろう。情けなくて悔しくて、それがより一層、眠りを浅くしていたのは明らかだ。
あくびを噛み殺し、寝ぼけ眼のまま制服に着替えると、洗面所へ向かった。
「あら。ちょうどいい所へきたわね」
母さんはそう言いながら、ダイニング・テーブルへ朝食を用意する。
二枚のトーストが乗った皿。半熟の目玉焼きとウインナー、生野菜が添えられた定番の朝セットだ。
髪を後ろで束ねエプロンを纏う母の姿は、四十半ばを過ぎても若々しい。昔の写真からも分かるが、こんな美人が父のような頑固者と結婚するなんて不思議だ。
食卓に目を奪われていたが、テーブルの上座で黙々と新聞を読む父の姿を見つけ、途端に嫌悪感が込み上げてきた。
薄くなり始めた頭髪とは対照的に、ますます鋭くなる目が昔から苦手だ。世間では父親が大黒柱という定説は廃れているようだが、我が家では未だ健在だ。
四十半ばを過ぎた父の仕事はサラリーマン。平凡で地道な人生。それは、俺が今もっとも嫌っている生き様だ。
いつもの不安を抱くようになってから父とはうまくいかなくなり、心のどこかで境界線を引いてしまった自分がいる。円満家庭を守るため日夜頑張っている父に対して申し訳ないとは思うが、同じレールを辿りたくないのも事実なんだ。
黙って腰掛け、皿へ手を伸ばした。
「和也。勉強の方はどうだ?」
始まった。
「進路は決めたのか?」
「まだ」
耳にタコができるほど聞かされた言葉にうんざりする。人の顔を見れば、進路だ、勉強だ。少しは放って置いてほしい。
家庭への接点が薄い父親が子供との交流を求め、会話の糸口としてそんなおざなりな言葉を繰り返すのだろうか。まるでそれが挨拶代わりであるかのように。
「大学生で家庭教師のアルバイト。どうせ俺は、アニキみてぇにいかねぇよ」
「また悪いクセだ。秀一は秀一、おまえはおまえだろう。頼んでもいないのに、兄と比較するのはやめないか」
「出来のいいアニキを持つ弟は、いろいろと苦労が絶えねぇの」
「そういえば、秀ちゃんから連絡はあった?」
すかさず話題をすり替えてくれた母さんに感謝しながら、急いで朝食を頬張る。
「あれからは特にないよ」
アイス・コーヒーでトーストを流し込み、気のない返事をする。
アニキが失踪した翌日、両親には旅行へ行くという偽装メールを見せて納得させてある。なんとしても近日中にアニキを探し出さなければならない。
どこへ旅行に行っているのかと余計な詮索をする母さんを尻目に朝食を平らげ、逃げるように家を出たのだった。
「雨か。これだから梅雨ってヤツは……」
灰色に染まった空へつぶやき、傘を手に駅へ向かって歩き出した。
最寄駅までは徒歩で十五分程。いつものように人気のない海岸通りを歩いていると、潮の香りが鼻を突いた。
この町は海に面しており、普段は釣り人が訪れたり漁船が行き交う程度だ。しかし、本格的な夏になれば海水浴客たちが訪れ、この寂れた町を賑わせる。
そう。ここは都会と呼ぶにはほど遠い、のどかな町。最寄駅も一時間の間に五本程度の運行しか行われていない。
海や山に囲まれた豊かな土地だが、都会に憧れて出ていく人も少なくない。反対に都会からこちらへ流れ、療養を望む人もいるようだ。その業界では有名な、大手宝石会社ジュエリー・アサギリの会長夫人のように。
「よし! やってやるぞ!」
どんよりとした雲を吹っ飛ばすように、大海原へ全力で叫んだ。