17 ゼノと虎。気付けば俺は蚊帳の外
狂戦士と化したカズヤが魔空間へ入ると同時に、そこから飛び出たのは黒豹のシーナ。
一方、ミステリー研究部の室内では、戦いが大詰めを迎えていた。八頭の大蛇を操るシュンが朱を圧倒し、壁際へと追い詰める。
「忍君。成仏して妹さんを解放するんだ。一人じゃ寂しいのなら、一緒に逝くといい」
シュンの中性的で整った顔立ち。光栄高校の女生徒たちを虜にしてしまうその顔も、今は悪意と狂気に満ちている。
薔薇の花を持たせればさぞかし絵になるであろう細くしなやかな指先。今は純白の刀を力強く掴み、背中にうごめく八頭の大蛇と共に九本の刃を彼女へ突き立てた。
額、首筋、肩、心臓、肺、腹部、脇腹。串刺しにされた朱の体。レイカが意識を保っていれば、その異常に気付いたはずだった。シュンの無慈悲な一撃が、姉の霊体だけでなく妹の命をも奪ったという事実。霊撃輪を持たない者には攻撃できないという概念を覆す、異常な事態が起こっているということに。
瞳を見開き絶命した朱。その体が力なく床へ横たわったその時だ。背後へ膨らむ殺気に、大蛇の半数をそちらへ向けるシュン。
直後、唸りを上げて襲い来る鞭が、大蛇の数頭をまとめて絡め取る。
「やっぱり来たね。でも惜しかったよ。僕の方が一歩早かった……」
背後の黒豹を振り返り、勝ち誇った顔で微笑む。その瞳へ邪悪な色が揺らめいた。
「よくもやってくれたね。許さないよ」
黒豹が鞭を引くと同時に、縛られていた四匹の大蛇が消滅。霊力を削り取られたシュンの顔が苦痛に歪む。
「さすがに上位悪魔が相手では、このままでは勝ち目はないようだね……」
相手を警戒しながらも、床に倒れたままのレイカへ視線を向けた。彼女は先程の刀傷が深く、SOULは時間と共に削り取られている。今は意識を失い、動くことさえ出来ない。
するとその時、再び繰り出された鞭が彼女の体を絡め取り、左脇へ抱える黒豹。
「この娘は貰うよ。使い道があるんだ」
「奇遇だね。僕も渡すつもりはないよ」
余裕を崩さないシュンを不審に思い、いぶかしげに見つめる黒豹。
「へぇ。あたしに勝つつもりかい?」
「あいにく、戦うのは僕じゃない。こちらは切り札を使わせて貰うよ」
言うが早いか、室内が色彩を失いモノクロの景色へ急変。シュンと黒豹の悪魔は魔空間へ飲み込まれていた。
「どうなってるんだい!?」
驚く黒豹とは対照的に、シュンは余裕を崩さない。隣へ現れた大きな気配を見上げる。
「遅かったじゃないか。危うく作戦が失敗するところだったよ」
「んあ? 寝てた。病院の男、弱すぎ」
そこに現れたのはヒグマの顔を持つ巨漢。二メートルを優に超える長身と黒い体毛に覆われた筋肉質の体。肩に担いでいるのは戦鎚だ。
その悪魔を目にして、黒豹は狼狽する。
「ヒグマのベアル……闇導師の眷属であるあんたが、どうしてここに?」
「ベアル。あいつの相手は頼むよ。ただし、あの女性だけは傷付けないようにね」
「んあ? 分かった」
シュンは不敵な笑みで黒豹を見る。
「残念だけど、君たちの動きは闇導師へ筒抜けさ。そろそろ消えてもらうよ」
熊の悪魔が黒豹を目掛け突進した。
★★★
もう一つの魔空間に、激しい衝突音が響き渡った。ゼノの振るった剣とティガの三日月刀がせめぎ合い、何度目かの鍔迫り合いが。
「ようやく分かったぜ。てめーらは戦神の眷属だな? ってことは、あの魔法陣で戦神を召喚する気か? あんな霊力じゃ、中位悪魔の召喚が精一杯だろーが」
ゼノの剣が押し切り、敵は僅かに後退する。
「それで充分ということだ!」
虎が放った霊力球を、剣を凪いで弾くゼノ。球は壁へ激突し、鈍い音を響かせ爆散した。
「てめーらは女王が産んだ新世代だろ? 戦神の眷属が、闇導師の味方かよっ!?」
振るった剣先から三日月型に湾曲した霊力刃が発生。虎の悪魔は横へ飛ぶが、そこには既に、剣を構えたゼノが突進していた。
「イレイズ・キャノン!」
「ぐはあっ!」
拳から飛び出した霊力球が敵の脇腹を直撃。苦痛に顔を歪めた悪魔が、背中を丸めたまま背後へ大きく吹き飛んだ。
「逃がすか!」
更に追撃を仕掛けるゼノ。だが、その眼前で虎は背後の壁を蹴って大きく跳躍。背中を狙い、頭上から三発もの霊力球を連射。
「シールド!」
振り向きざまに展開した霊力壁が、それらをことごとく受け止める。それに守られているゼノの体は衝撃で僅かに揺さぶられた程度。
虎は悔しがるでもなく、当然の結果を確認したように離れた位置へ着地する。
「事情に詳しいようだが、本当に何者だ? あいにく戦いを楽しみたいだけなんだ。知りたいことがあれば、俺を負かしてみるんだな」
「ヒャッハッ! てめーは生粋の戦闘バカか? まぁ、こっちも時間がねーんだ。さっさと倒されてくれよ」
ゼノは剣を握り直しながら、内心の焦りを気取られないよう平静を保った。カズヤの抱える混乱が胸の中をざわつかせ、集中力を阻害されているのだ。
シュンとレイカを残したまま駆け付けたことで、カズヤの焦りが次第に強くなっている。その不協和音は同調を乱し、ゼノの力を維持することが困難になってしまう。戦いが長引くほど不利。それが分かっているからこそ、尚更に決着を焦っていた。
だが、眼前の悪魔からできるだけ情報を引き出したという思いもあった。眷属同士の結びつきは強固な物だ。付き従う長を変えるなど、ゼノの知る限り有り得ないことだった。
焦りを抱える彼の眼前で、虎の悪魔は不敵な笑みを浮かべた。
「狂戦士。おまえの強さは本物だ。俺も本気で行くとしよう」
「ヒャッハッ! 今までが本気だったんだろーが。悪魔も冗談言うのかよっ!?」
ボーリングの球を転がすように、下からすくい上げて放った霊力球。それが悪魔の顔へ当たる寸前、そびえ立った霊力壁に阻まれた。
虎の悪魔は大きく両腕を広げた矢先、その右爪を自らの心臓へ突き立てた。傷跡から黒い気体が溢れ、瞬く間に悪魔の全身を覆う。
「まさか……」
驚きと疑念がゼノを襲う。だが、この空間を支配する敵の霊力が明らかに濃く強くなっているのを感じていた。
「イレイズ・キャノン!」
二度目の霊力球もやはり霊力壁に遮られる。円柱状に張り巡らされた壁内は、黒い気体で満たされた。
「神格!」
霊力壁が弾け、内部を満たしていた気体と共に周囲へ散った。ゼノの体も風圧に耐えきれず、吹き飛ばされながら床を転がった。
「くそっ!」
痛みを堪え慌てて体を起こし、眼前に漂う黒い塊を睨み据えた。
「ちっ! てめー、序列持ちかよ……」
「俺の序列は四位。一緒にいた黒豹のシーナは五位だ……絶望したか?」
ゼノの眼前で、悪魔の体が倍の大きさへ大きく膨れ上がった。両手を床へ突き、四つん這いになったその姿はまさに巨大な虎。口元の牙は長く鋭く伸び、サーベル・タイガーさながらの姿へ変貌する。
「そっちがその気なら遠慮しねーぜ」
ゼノは両拳を握り、顔の前でバツの字に組むと、腰をわずかに落とし両足を踏ん張った。すると彼を取り巻く霊力が更に密度を増し、その力は青白い光となって全身を包む。
「神の左手。悪魔の右手。覇王の両目を抱きし魔竜。深淵漂う力を結び、闇を滅する刃と成さん」
そこにいる者を地獄へ誘う滅びの呪文が完成し、辺りの様子が一変した。魂さえも凍り付かせようかというほどの重く寒々しい空気が周囲を包む。
印を組み続けるゼノ。不意に、彼の眼前の空間に変化が起こった。陽炎のようにそこだけが奇妙に歪んだかと思った矢先、腰の位置へ握り拳ほどの黒い球体が出現。それは周囲の空間を食らうように大きさを増し、瞬く間に彼の胸元まで膨れあがった。
禍々しい力が周囲に渦巻き、それはただならぬ力を放出し続ける。異質な存在であることは誰の目にも明らかだ。
「門か?」
変身を終え、臨戦態勢に入った虎がいぶかしげにその渦を眺める。その姿は大型トラックに匹敵するほどに膨れ上がっていた。
「ヒャッハッ! そこでぼんやり眺めてたのが、てめーの敗因だ!」
ゼノは残忍な笑みを浮かべると、おもむろに球体へ右手を突っ込み素早く引き抜いた。最初に覗いたのは、その手に握られた象牙色の細いもの。彼は数歩後ずさりながらそれを引き出してゆく。
現れたのは、彼の身長を優に超える一抱えの大剣。石から削り出したように無骨で荒々しく飾りっ気もないそれだが、近付いただけでその身を切り裂かれそうな猛々しい力強さを遺憾なく放っている。そして、象牙色の握りからは想像もできない深紅の刃が不気味さを際立たせる。
「そうか、斬魔剣か。おまえの正体がようやく分かった。始まりの魔人、ゼロ」
「そういうこった。カス虎には、さっさと消えてもらおーか!」
大剣を肩へ担いだゼノ。勝ち誇ったように笑う彼を、虎が真正面から睨み据えた。
「面白い。魔人ゼロ、まさかおまえが蘇っていたとはな。戦神様に良い土産ができたぞ」
「ヒャッハッ! 冥土の土産だろーが!?」
ゼノの嘲りと悪魔の雄叫び。巨大虎の咆吼が魔空間を揺さぶり、死闘の始まりを告げる。




