15 決め付けた。僅かな距離が運命を
新聞部の部室を飛び出し、全速力でミステリー研究部の部室へ走る。
体の奥底を流れるゼノの霊力を捕らえ、それを取り込むイメージを完成させた。
「限界突破!」
腹の底が熱くなり、全身へ力がみなぎる。
★★★
時刻は僅かに遡る。
サヤカからの通信を受け、搬送される水島とミナを迎え入れるため、カミラは再び自らの診察室で待機していた。
黒い網タイツに覆われた足を組み、机に頬杖を突いた姿勢で暇を持て余す。
「まさかミナが戦闘不能とはね。想定外だけど、まだゲームはここから……」
そして、悪意に満ちた笑みを浮かべる。
「セイギもまさかの敵陣突進。無事に戻って来られればいいけど、正直、厳しいかなぁ」
まるで他人事のように言い放ち、赤紫の唇をもたげ心底楽しそうに微笑んだ。
★★★
セイギは不意に意識を取り戻した。その目に映る世界は崩壊を迎えたように、幾筋もの亀裂を刻んでいた。だが、それがサングラスに刻まれたものだと気付き、一人苦笑する。
ぼんやりと定まらない視線を調整するように、頭を二度、三度と振る。手首に感じる違和感に視線を向けると、両手は万歳をするように頭上へ固定されていた。
記憶を辿ったセイギは、院長室へ入る直前に魔空間へ引き込まれ、熊の悪魔の攻撃で気を失ったことを思い出したのだった。
「なんなんだ、ここは?」
壁際へ吊されたセイギ。彼の目に映ったのは、全裸で横たわる数十人の女性。二十代から三十代といったところだろうか。正確には全裸ではなく、首に見覚えのあるネックレスを下げていた。悪霊に憑依されたミナの祖母が販売していたそれだ。
「全員、失踪事件の被害者か?」
その答えを待っていたように唯一の出入り口であるドアが開き、飾り気のないこの白い部屋へ一人の男が入ってきた。
年は五十代といったところか。禿げ上がった頭部に丸眼鏡。狸の置物のような腹部を揺らし、緩慢な動作で歩く。白衣を羽織っていることから医師に違いないだろうが、その下は全裸という品性の欠片もない姿。その右手には、一人の全裸女性を引きずっていた。
「ふいぃぃぃ……」
黄ばんだ歯を見せ息を吐き、女性をゴミのように放る。倒れた彼女は死んだように動かないが、彼女だけではない。この部屋にいる全ての女性が、生気の抜けた人形のよう。
「次は誰にするかなぁ?」
大きな腹をさすり女性を見回すその顔に、セイギの記憶が徐々に鮮明さを取り戻した。
「貴様、院長の郷田だな?」
「ん? おぉ。意識が戻ったか?」
興味もないのだろう。女性を品定めしながら、セイギには顔を向けようともしない。
「まさか、貴様自ら悪魔に手を貸していたとはな……人類の恥さらしめ!」
「これはビジネスだ。場所と実験体を提供してやる代わりに、素敵な玩具を手に入れた」
郷田は間近に座る女性の隣へしゃがみ、その黒髪をすくい上げ鼻を埋める。
「たまらんよ。まさにハーレムだ。おまえのような子供には分かるまい」
「最低な豚だな……」
「口の利き方に気を付けろ。殺すなという命令で、仕方なしに吊しているんだ。それに、これが無ければただの高校生。違うか?」
肩を揺らして笑う郷田。その指がつまんでいるのは指輪。セイギの霊撃輪だ。
「いつの間に!?」
焦るセイギへ、勝ち誇って微笑む。
「情報通りだ。おまえさんが来ることも。この指輪が鍵だということも。しっかし、男なんぞさっさと始末すればいいものを……」
「どんなものにも利用価値を見出す。それが“あの方”のやり方ですから」
「これはバジーム殿。いつからそこに?」
部屋の入口へ、チンパンジーの顔を持つ悪魔が。紙の束を脇に抱え、郷田へ歩み寄る。しかし、その顔は嫌悪に歪んでいた。
「お盛んなのは結構ですが、適合者にはくれぐれも避妊を徹底して頂きたい」
「がっはっはっ。心配なさらずとも、そこはきちんとやっておりますわい」
頭部をさすり、豪快な笑い声を上げる郷田を、セイギが険しい視線で睨む。
「おい! 情報通りとはどういうことだ? まさか内通者がいるのか!?」
「やかましいヤツだな? せっかくの気分が台無しだ。口直しでもするか……」
鬱陶しそうに言い放ち、セイギへ背中を向ける郷田。すると、バジームと呼んだ悪魔から紙の束を受け取った。
「バジーム殿。めぼしい者はおりましたか?」
「写真だけでは何とも……ですが一人、目を引く女性はいました」
悪魔は一番上に置かれた紙を指差している。よくよく見れば、それは患者のカルテだ。
「おぉ。彼女ですか! 半年に一度、検査入院を繰り返しておるんですが、最近、めっぽう綺麗になって……食べ頃かもしれませんな」
郷田の背中越しにカルテを目にしたセイギは言葉を失った。そして絶望という名の漆黒が、彼の視界を覆い尽くす。
★★★
「なんで繋がらねぇんだ!」
写真部のある別棟廊下を駆けながら、カズヤは通信機へ怒鳴った。中庭で待機しているはずのシュンへ通信を試みたが反応しない。胸騒ぎを感じ、アジトのオペレーターを呼ぶ。
『こちら司令室です』
「カズヤです! シュン先輩たちが今、どこにいるか分かりますか?」
別棟の階段を駆け下り、中庭へ急ぐ。
『校舎の二階で階段を昇っています』
「今すぐ止めてくれ! 頼みます!」
下駄箱へ走りながら、啓吾の言葉が蘇る。
サヤカの伝言を聞き終えた彼は再び呼び戻され、衝撃の言葉を聞かされていたのだった。
★★★
その頃、他のメンバーは、サヤカの推理が導いたミステリー研究部のある三階を目指していた。シュンの提案で、前衛はリョウ、タイガ、クレア。後衛にシュンとレイカ。
「カズヤ君を待たなくて良かったの?」
「レイカさんの言う通りですよ。シュンさんが急かすので、仕方なくきましたけど……」
シュンの勢いに押され、ここまで来てしまったことを後悔するクレア。その胸中には不安と恐怖が渦巻いていた。
「事態は一刻を争うんだ。カズヤ君ならすぐに追い付く。警戒を怠らないように」
純白の刀を持つシュンの言葉に頷き、前衛の三人が三階へ足を踏み入れた瞬間だった。
危機を察する勘と言おうか、僅かな距離が運命を分けた。咄嗟にレイカの腕を引いたシュンの前で、前衛三人が忽然と消えたのだ。
「魔空間だ……」
それは彼等も知る所だが、魔空間は発動時に範囲内へ存在する者を引きずり込む。裏を返せば、効果範囲外にいる者は取り込めない。
「どうしよう。みんなが……」
「時間が無い。今は先へ進もう!」
★★★
中庭へ出たカズヤ。焦りが冷静さを奪う。
“黒川は屋上から飛び降りたんだって。即死だったらしいよ。病室でもずっと、錯乱状態が続いてたんだって。白い部屋はイヤだって喚き散らしながら……”
下駄箱が視界に入る。階段は近い。
“天使ちゃんの話だと、こう言っていたらしいよ。殺し合いをさせられた。あいつが言ったんだ。最後に残った一人を出してやるって。え? あいつ? それが変な話なんだよ……”
★★★
「朱君だね? やっと見つけたよ」
ミステリー研究部の部室内。そこへ踏み込んだシュンとレイカの前には、三つ編みに眼鏡姿の朱の姿があった。その足下には直径三メートル程の魔法陣が描かれ、中心に一人の男子生徒が倒れている。
「どうしてあなたたちが? あいつらは何をしてるのよ!?」
ヒステリックに怒鳴る彼女とは対照的に、落ち着き払ったシュンがそれを見つめる。
「もう止めるんだ。君は悪魔にそそのかされているんだ。復讐は果たしただろう? 魔法陣を起動させてはいけない」
「うるさい! これを使えば、あいつらの魂は地獄へ堕ちるって聞いたんだ! この男共々、苦しめばいいんだわ!」
「彼が、生け贄というわけかい?」
朱は狂気じみた笑みを作る。
「ええ。イジメを受けていた姉が相談しても、何の力にもならなかったダメ男。生け贄程度しか使い道がないんですよ」
「朱君。残念だけど時間がないみたいだ。悪いけど、こちらの先手で始めるよ」
言い終わらぬ内に、シュンの肩口から一頭の大蛇が具現化。それが彼女の首へと絡み、締め付ける。手にした純白の刀が唸り、鋭い突きがその腹部を貫いた。
「どうして……」
驚愕に目を見開いた彼女は、涙を浮かべながら床へ崩れた。
★★★
階段を駆け上がるカズヤ。目指す場所は間近に迫っている。
“襲ってきたのは高校生くらいの男の子なんだって。一対六で負ける?”
啓吾は楽しそうに笑いながら続ける。
“でも、正直な所、あの不良グループが壊滅してホッとしてる人も多いんじゃないかな? 案外、風見先輩もその一人だったりしてね? あれ? まだ話してなかったっけ?”
目を丸くしてカズヤを見つめる。
“風見先輩、小さいときにお母さんを亡くしてるんだよね。先輩が中学生の時に、お父さんが再婚したらしいんだけど、相手には娘さんがいてね。美咲っていう一つ下の女の子。まさにドラマだよ。禁断の恋……”
そこから神妙な顔付きへ豹変する。
“でも、妹さん亡くなったんだ。噂では不良グループに暴行されて、それを苦に自ら……本当なら、相当な恨みがあるはずだよね? でも聖人と言われるあの人に限ってね……”
三階へ辿り着いたカズヤは、死に物狂いで一室へ駆け込む。そこで見たのは驚愕の光景。
「レイカ先輩!?」
それは、刀を構え朱と向き合うシュンの背中と、彼の足下へ仰向けに倒れるレイカだった。




