13 負の連鎖。そして世界は崩壊へ
「三階かよ!? 行こうぜ」
「待つんだ!」
慌てて上階へ進もうとする酒賀美先輩を、風見先輩が即座に呼び止めた。
「陽動かもしれない。上と見せかけて実は」
さすがだ。こんな時でも冷静に状況を見定める姿は、やはりリーダーの器。だが、虎顔の悪魔は心外だと言わんばかりに口を歪める。
「せっかくの助言を無視するつもりか? 俺はそこの狂戦士に用がある。部外者は失せろ」
三日月刀の刃を揺らし、先輩たちを追い払うような仕草をする悪魔。狂戦士、といぶかしげにつぶやいたのは風見先輩だ。
「仕方ない。作戦通りに行こう!」
すると、風見先輩と酒賀美先輩は三階へ。なぜかタイちゃんは、隣で手甲を構えたのだ。
「どういうことだよ!?」
「悪いな。カズが外している間に決めたんだ。俺が同行することでみんな納得してくれたよ」
「なんで勝手に!?」
「カズ。真面目で頑固な所は相変わらずなんだな……A-MIN開放!」
淡い水色の瞳と、紺色へ変色する角刈りの髪を見ながら憤りが込み上げた。これではゼノの力を使えない。同時に、みんなから裏切られたような失望感に包まれていた。
やり場のない怒り。だが今はそれを戦うための力に変える。目の前の悪魔を蹴散らし、俺の力を証明してみせる。
「そっちの大男は先に消えてもらおうか」
上体を下げ、殺意を伴い駆け出す悪魔。その動きを目で追いながら、体の奥底を流れるゼノの霊力を瞬間的に捕らえた。それをつかみ取り、自分の中へ取り込むイメージを作る。
(限界突破!)
念じた直後、腹の底から力が溢れた。
★★★
タイガの心臓を狙う刃の突き。だが、割り込んだカズヤの一閃がそれを跳ね上げた。
がら空きになった敵の腹部を二人が狙う。
「イレイズ・キャノン!」
「朱雀!」
バスケット・ボール大の青白い霊力球と、紅蓮の炎で作られた鳥が悪魔を急襲。
「黒乱脚!」
繰り出された回し蹴りがそれらを瞬殺。だが、その間にもカズヤが斬り込んでいる。
横凪ぎに振るわれた一撃を悪魔は余裕の仕草で受け止め、数歩後退。
「狂戦士。昨日の勢いはどうした?」
「うるせぇ!」
尚も斬撃を繰り出すカズヤ。そして反対方向へ回り込み、拳を突き出すタイガ。
三日月刀と足を使い、それらを容易にさばく悪魔。力の差は歴然だ。
直後、通信機へ再び受信サインが灯る。
『総員へ同時通信。クレアを含む女性四人の霊力が消失。恐らく魔空間』
漏れ出した報告に愕然とするカズヤ。攻撃の手が鈍り、悪魔が不敵に微笑む。
「そうだ。言い忘れた。わざわざ助言をやったのはなんでだと思う?」
悪魔はタイガの拳を受け流し、笑いを堪えながらカズヤの顔を覗き込む。
「俺はおまえと戦うために、面倒なことを“他の奴等”に押しつけたのさ」
「まさか!?」
カズヤの脳裏へ浮かぶ昨晩の光景。横手から受けた謎の衝撃。その瞬間、彼の世界は音を立てて崩れ始めた。
★★★
三階へ駆け込んだシュンとリョウ。静まり返った校舎の中で、二人へ聞こえてくる声が。
「お願い。助けて……」
恐怖に引きつる女性の声。逃げ惑っているのか、机にぶつかる衝突音とそれを追う靴音。
誘われるように二人は走る。
「許さない。同じように助けを求めたお姉ちゃんを蔑んだ目で見て、笑ってたんでしょ?」
「お姉ちゃん? 忍じゃないの!?」
逃げ惑う女生徒の背中がドアへ激突し、今にも外れそうに軋みを上げる。それを聞きつけた二人は、進路指導室に人影を見つけた。
「私は妹の朱です。でも、お姉ちゃんは私に憑依してる。この苦しみを思い知らせてあげますよ。他の四人みたいに」
「やめて……助けて……」
嗚咽を漏らし、その場に座り込む女生徒。
「俺が見た奴じゃん!」
「リョウ君。行こう!」
二人が室内へ踏み込むと同時に、辺りは色彩を失い、モノクロの世界へ変貌していた。
「ゲヒッ! 盗み聞きたぁ、あんまり良い趣味とは言えねぇなぁ」
女生徒二人との間へ割って入るように、彼等の前には狼の顔をした悪魔が。
「天照!」
悪魔の姿に戸惑いながらも、シュンが放った光線。敵は背後の机へ飛び移りそれを回避。だが、隙を伺っていたリョウが仕掛ける。
「七つの大罪!」
悪魔を頭上から取り囲むように、中空へ七本の黒い刃が具現化。リョウが掲げた左手を握ると同時に、刃は悪魔を目掛け降り注ぐ。
「餓狼閃!」
刃が襲うより早く、悪魔は驚異的な速度で二人へ加速。駆け抜け様に振るわれた両手の爪が、彼等の腹部を切り裂いた。
★★★
「螺旋円舞、業火!」
炎の中位霊術を纏い、独楽のように激しく回転するクレア。その眼前に立つのは、黒豹の顔を持つ女性悪魔だ。
「ふっ!」
悪魔は手にした鞭を振るう。柔よく剛を制するという言葉を体現するように、それが見事に炎の渦を絡め取る。
上空へ持ち上げると同時に逆回転をかけ、クレアの体を易々と弾き飛ばしたのだった。
「くっ!」
地面へ激突する寸前、咄嗟に体を捻り、両膝を付いてどうにか着地する。
完全に相性が悪い。クレアの中にやりきれない思いと絶望感が滲んでいた。目の前の悪魔から放たれる威圧感は、まさしく上位悪魔のそれだ。とても一人で対処できるものではない。しかし、後方で動けずにいる三人を絶対に守り抜かなければならないという意地だけが、今の彼女を辛うじて突き動かしていた。
「カズヤさん、ごめんなさい。抱きしめて貰う約束、果たせないかもしれません……」
死にたくないと叫ぶ心。だが、それをかき消すほどの圧倒的な威圧感と絶望感。生きたいと切に願い、ハサミで石を切り裂こうとあがく行為を愚かと笑える者がいるだろうか。
下唇を噛み、死を覚悟した少女が構える。
「クレアちゃんだけじゃ無理だよ!」
「私がやってみる」
悲痛な顔のサヤカを片手で制し、弓を手にしたレイカが決意の表情で踏み出した。
「あの鞭を押さえれば、クレアの攻撃が有効になるはずよね? ミナ。援護してくれる?」
しかしその直後、その顔を目にしたレイカはあまりの恐怖に息を飲む。
そこにいたのは、これまで目にしてきたミナとはまったく異質な何かだった。あえて例えるならば、敵意と憎悪の塊。
全てを否定し拒絶するような凶悪さを滲ませ、射殺さんばかりの鋭い視線を向けている。
「私に指図しないで……何様なの? あいつの心を掴んだからって、いい気にならないで」
そう。ミナの中に渦巻くもの。それは嫉妬から来る憎悪。自分の全てをさらけ出して尚、手に入れることのできない想い人の心。だが、目の前にいる女性こそがそれを掴んでいるという事実。越えられない壁と、自分には見せてくれたことのない優しい眼差しと微笑み。それは彼女の心を狂わせるのに充分なもの。
嫉妬という魔物に手招かれ、狂乱の渦へとその身を委ねてしまう。それはもう、逃れることのできない負への連鎖。
「ミナ?」
「私を救えるのは神崎だけなの……私には神崎しかいないの…… 」
うわごとのように彼の名を呼び続ける。すでに焦点の定まっていないその瞳には、何が見えているというのだろうか。
「“あの人”も言ってイタわ。神崎を絶対に離しちゃイケナイって。私を救エルのはアイツだけダッテ……」
崩壊したミナの世界に残るのはカズヤのみ。彼だけが唯一の救いであり、神に等しい絶対的な存在となっていた。
「ミナちゃん。どうしちゃったの!?」
豹変ぶりに取り乱すサヤカ。肩を掴んで激しく揺さぶるも、ミナにその声は届かない。
「ソウヨ。ここまで来タラ、もう一人や二人変わラナイ。神崎は私のモノ……」
ミナは右手に持った装飾銃を水平に持ちあげ、レイカを真っ向から睨む。
「A-MIN、開放」
殺意を秘めた瞳が淡い水色へ変わる。腰まで伸びる黒髪は、彼女の心までも塗り潰すように紺色へと変わる。
目の前に立ちはだかる全てを破壊し尽くさんと、更なる力を身に纏う。嫉妬の炎にその身を焼かれた魔女は、最初の獲物を前に壊れた微笑みを浮かべた。
「この衝動を抑えきれない……消えて……」
レイカを目掛け銃口を突きつけるミナ。その一部始終を耳で捕らえていた悪魔は、堪えきれずに笑いを漏らした。
「あんた、私と戦っている場合じゃないんじゃないの? あの子、死ぬわよ」
無我夢中で連撃を繰り出していたクレアの手が止まる。彼女は背後で繰り広げられていた光景に目を見開き、即座に三人の元へ急ぐ。
その左手が眼前へ持ち上がり、人差し指と中指が天へ向かって伸びる。
「補霊術、影縛!」
直後、ミナの影から伸びる幾本もの黒い腕。それらが、モデル並と言われている彼女の体へ絡み付き動きを封じる。
手首、二の腕、腰、太もも、ふくらはぎ。影に絡め取られたミナは逃れようと必死にもがく。だが、補霊術を主体とするクレアの技だ。格上の相手ならまだしも、易々と抜けられるはずがない。
「レイカさん! 離れてください!」
「あんたも野暮なマネするんじゃないよ」
死へと誘うその声は、すぐ隣から聞こえた。驚きと恐怖に見開かれた視線の先には、併走する豹顔の悪魔が。
「ちょっとだけ大人しくしてな」
「あぐうっ!」
クレアの体を鞭が絡め取り、その脇腹へ蹴りが食い込む。転倒した彼女を残し、武器を投げ捨てた黒豹が三人へ襲い掛かった。




