08 月の満ちる夜に
光栄高校の三階を映し出していた司令室の巨大ディスプレイは、カズヤの到着と同時に激しい砂嵐へ変わっていた。
「レイカのMINDが0表示ですが、反対にカズヤは60まで回復。どういうことですか?」
状況を理解できない男性オペレーターが、セレナに向かって怪訝そうな声を上げた。
「分からない? レイカが使うリンク能力。あれが今、誰と繋がっているか?」
「確か、ミナでしたよね?」
彼の隣に座る女性オペレーターの声。
「そう。ミナが扱う、弾丸の属性を変化させる力。それを使って、霊力を受け渡したの」
セレナは力強い眼差しで、砂嵐のディスプレイへ視線を巡らせた。
「大丈夫。カズヤはきっとやってくれる」
★★★
「限界突破の狂戦士だと? さっきまでは本気でなかった、というわけか?」
虎の悪魔は胸の傷を指先でなぞる。
「こっちは色々と訳ありなんだ」
カズヤを庇ったクレアが壁へ叩き付けられ、ゼノは怒りに身を震わせていた。同調しようと思念を試みた彼だったが、力を使い果たしたカズヤへそれが届くことはなかったのだ。
「てめーはさっさと消滅しろ!」
素早くかざした左手。そこから放出された霊力球が悪魔の胸元を直撃。苦悶の声と共に、背中を丸めた悪魔が廊下の奥へと吹き飛んだ。
追撃を狙いその姿を追うゼノ。足下には倒れる三人。狙い通りに敵を引き離していた。
剣を構えて疾駆する先へ、両足を踏ん張り体制を立て直す悪魔。怯えの色を漂わせながらも愉しむ素振りを伺わせ、左手は顔の前へ。人差し指と中指を突き立てるその仕草は。
「させるかよ!」
振るった剣の軌跡に沿って飛ぶ三日月型の霊力刃。それが悪魔の胸元と左腕を傷付ける。
「くそっ!」
傷口から黒い気体を撒き散らし、怒りに牙を剥き出す悪魔。ゼノは素早く剣を引き戻し、敵の肩口を目掛け振り下ろす。
ゼノの剣と悪魔の刀が激突。学校に不似合いな衝突音が響き、鍔迫り合いが始まる。
「魔空間なんて使わせるかよ」
「なかなか詳しいようだな」
虎の顔を見据えながら、ゼノの中にも焦りが生まれる。限界突破を使ったカズヤに予想以上の霊力を持ち去られ、神隠しを使う力も残っていない。レイカが与えた霊力はカズヤへ注がれ、ゼノに行き渡っていないのだ。
「黒乱脚!」
鍔迫り合いの均衡を崩そうと、悪魔が右足からの蹴りを繰り出した。
「シールド!」
左肘を起点とし、咄嗟に霊力壁を展開するゼノ。蹴りの威力に体が弾かれ、僅かにバランスを崩したその時だ。
彼の左手へ設けられていた窓。そこから差し込む柔らかな月光と共に何かが飛び込んだ。
体制を崩していた彼は大きく弾かれ、右手にあった階段を激しく転がり落ちる。二階とを繋ぐ踊り場へ落下すると、頭上から虎の悪魔の声が降り注いだ。
「全力のおまえと戦いたい。猶予は後一日ある。おまえも一晩休めば霊力は戻るんだろう? 俺の名はティガだ。覚えておけ」
「待て! カス悪魔!!」
痛む体を引きずり身を起こした時、既に悪魔の姿は消えていた。舌打ちと共に、所在を無くした剣を激しく振り乱す。
☆☆☆
俺はどうしてこんな状況にいるんだ。
沈黙に耐えきれず、会話の糸口を探しながらも頭の中はパニック寸前だ。思わず隣を歩く桐島先輩を盗み見てしまう。
虎の悪魔を取り逃がした後、移動車がようやく到着。クレアと十九代目の三人を医療スタッフが保護。しかし、二人もスタッフを乗せてきたことで、残るは助手席のみ。
私は歩いて戻るから神崎君が乗って、などと言われても、受け入れられるはずがない。先輩一人を夜道に歩かせるなんて無理だ。
歩くこと数分。沈黙を破ったのは先輩だ。
「ねぇ、ねぇ。君に聞きたいことがあるんだ。他のみんなには言いづらくて……」
「なんスか?」
頼ってくれるのは素直に嬉しい。振られたことで接しづらく思っていたが取り越し苦労だろうか。ただ、大事な仲間と言われていることが一線を画されているようでつらい。
先輩は足を止め、黙って月を見上げた。
「最近、アジトを含めたメンバーで、様子のおかしい人がいるって思わない?」
「え? 様子のおかしい人っスか?」
「うん。月が欠けていくように、悪い方向へ浸食されてるみたいで怖いんだ……」
「誰なんスか?」
先輩は困ったように微笑む。
「ごめん。やっぱり忘れて、忘れて。私の思い過ごしかもしれないし、君までそういう目で見るようになったら困るもの」
「先輩の言葉なら信じますよ」
「ありがとう……君はいつでも真っ直ぐでいいよね。羨ましい。私もそんな風に、全力でぶつかれたらね……」
寂しそうに微笑むその視線の先には。
「風見先輩に、っスか?」
「え?」
澄んだ瞳が大きく見開かれる。
「たはは。お見通しか……私、最低だよね。君にあんな言い訳なんかして……」
困ったように視線を落としている。
「でも、彼と私は運命の歯車の対極にいるんだ。きっと追い付けない」
言葉を紡ぎながら俺の背後へ回る。
「時々思うの。愛することと愛されること。どっちが幸せなんだろうって……」
話の意図が掴めない。だけど、この言葉の意味するところはもしかして。
振られたのにあきらめきれない。この胸に刻まれた失恋の傷跡が消えることもない。それでも何かを期待してしまうのはなぜなのか。理屈じゃない。傷を恐れて踏みとどまるのも一つだが、待っていても何も変わらない。
見上げる空。そこには美しい満月。そこから投げかけられる柔らかな光は、先輩といる時の心地よさに似ている。
知らず知らず、唇は想いを紡ぎ出す。
「月が輝いて見えるのは太陽のお陰なんスよね? 闇夜でも綺麗に輝く月が先輩だとしたら、俺じゃあ先輩の太陽になれませんか?」
激しい動悸と締め付けるような胸の苦しみ。心臓が爆発しようと膨張を始めているんじゃないだろうか。
起爆スイッチを押すように、背中へ何かがぶつかる感触。
「相変わらずストレートだなぁ……でも、それが一番グラッと来ちゃうよね……君のことを好きになれたらいいのに……」
背中に触れたのは先輩の額だ。発せられた言葉が振動となって、微かな温もりを伴って直に伝わってくる。
「私、自分でも酷いこと言ってるって分かってる……可能性をチラつかせて、君の気持ちを縛り付けようとしてる」
「多かれ少なかれ、誰でもそういう欲望はあるんじゃないっスか? それも含めて、普通の女子ってことなんスよね?」
そう言う俺でさえ、先輩と朝霧の間で心が揺れ続けているんだ。
「もう……からかわないで」
「いいっスよ、それでも。わずかでも可能性があるなら待ちますから」
自分の言葉に思わず戸惑った。脳裏に過ぎったのは、あの朝に見た朝霧の顔。罪悪感に胸の奥が小さく疼く。
「もう少し、このままでいさせて……」
先輩の微かな温もりを背に、俺は黙って月を見上げていた。
☆☆☆
アジトへ戻り、ロビーの噴水前へやってきた俺たち。この時に見た朝霧の悲痛な顔は、きっと忘れることはできない。
見てはいけないものを見てしまったように目を見開き、背を向け駆け出す朝霧。
言葉を失い呆然と立ちつくしていると、背中を桐島先輩に強く押されていた。
「何しるの? すぐに追って!」
「でも……」
「私のことはいいから。今行かないと、美奈の心に追い付けなくなるよ!」
弾かれるように走り出していた。正直、自分でもどうしたいのか分からないけれど、朝霧のことを放って置けない。
きっと、朝霧には本心を打ち明けて、分かってもらわなければならない。俺はやっぱり桐島先輩のことが。
ロビーを過ぎ、奥まった通路の角に佇む朝霧の姿を見つけた。震える体へ両腕を回し、抱きすくめるようにしながら足下を見ている。
こんな時、どう言葉をかければいいのか。俺には正しい答えが分からない。
「朝霧……」
彼女の名をつぶやくと同時に、涙を浮かべた切れ長の瞳が見つめ返してくる。
長いまつげを伝い、一滴の涙が零れる。でも、震えるその体を抱きしめてやれるのは、きっと俺じゃない。
桜色の唇が震えながらも言葉を紡ぐ。
「違うの。誤解しないで……あなたが玲華さんをあきらめていないことは分かってる。私が逃げたのは怖くなったから……」
「怖い? 何が?」
話の意図が見えない。
「ねぇ、神崎。この先、私が道に迷ったら、あなたに手を引いて欲しいの」
「は? どういう……」
「あなたが側にいてくれたら、私は大丈夫だから。きっと大丈夫だから……」
「何があった?」
見えない何かに怯えるように体を震わせる朝霧。こんな彼女は見たことがない。
そういえば戸埜浦邸の任務後、久城も朝霧を気にしていた。桐島先輩の言う、様子のおかしい人というのは。
「ねぇ。側にいてくれるわよね?」
こんな状態の朝霧を突き放せない。
「仲間だろ? できる限りのことはするよ」
「ありがとう……」
今にも壊れそうな儚い微笑みを浮かべる朝霧へ不安が募る。何かがおかしい。
俺の運命の歯車が、その一部を失ったように噛み合わせを歪めているのか。捻れた未来へ向けて動き出しているような胸騒ぎに襲われていた。




