06 無情なる蹂躙
殺意と狂気を纏った虎の悪魔が、カズヤを目掛け一直線に走り込む。
敵を目掛け咄嗟に右腕を突き出すカズヤ。その手の平へ霊力が収束。
「イレイズ・キャノン!!」
バスケット・ボール大の霊力球が飛ぶ。悪魔はそれを見やると、足下を蹴り付け跳躍。
直進に性能限定された霊力球は空を切る。そして壁を蹴った反動を利用し、悪魔が襲う。
「ちっ!」
上段から、頭部を狙って振り下ろされた三日月刀。それを辛うじて受け止めるカズヤ。
彼の体より二回り近く大きい体躯だというのに身のこなしは軽やかだ。それは虎の能力の恩恵による所が大きい。
鍔競り合いを続けながら、カズヤの心にも焦りが生まれる。想像以上に厄介な相手だと確信。加えて、目の前の悪魔が魔空間を発動させていないという事実。そんなものを使う必要もないという自信の現れに違いなかった。
カズヤの手元で赤い光が点灯。通信機へ受信を知らせるサインだ。
『校舎を取り巻く霊力で発見が遅れたわ。他の四人へ連絡済。間もなく支援に来るわ』
カズヤの脇を駆け抜け、クレアが切り込む。悪魔は驚いたように目を見開くと同時に、それを楽しむように微笑んだ。
円月刀で彼女の連撃を受け流し後退。その僅かな隙を突き、カズヤは通信機を口元へ。
「支援はいらねぇ! みんなには離れるように伝えてください! 相手は上位悪魔だ!!」
一旦、引くしかない。それが彼の下した決断。状況を打破するにはゼノの力が必要不可欠だというのに、彼自身がそれを拒んでいる。到底勝ち目のない戦いであることは明らかだ。
剣を構え、敵の背後へ回り込みながら、カズヤは思案を巡らせた。
(一瞬でいい。あいつの隙を突ければ)
意を決し、敵の背中へ斬りかかる。だが、悪魔は踊るように身を翻し、クレアの斬撃を弾くと同時にカズヤを正面に捕らえたのだ。
「この虎野郎!」
袈裟掛けに振り下ろしたカズヤの渾身の一撃。悪魔は軽やかな身のこなしで、それをあっさりと避けて見せた。
体制を引き戻せないカズヤ。そこに生まれた隙と焦り。目の前が暗くなり、死神の鎌が振り下ろされたような絶望感に襲われていた。
「まずは一人目」
カズヤの胸を狙って突き出された三日月刀。その光景に少年の口元がほころぶ。
「シールド!」
右手に生まれた霊力壁。防御力を最大まで高めるために範囲を縮小し、霊力を凝縮させたものだ。大皿程度のそれへ、敵の突き出した三日月刀が深々と突き刺さった。
そして、その隙を見逃すクレアではない。
「螺旋円舞、業火!」
炎の中位霊術を刃へ宿し、風の霊術を纏い高速回転を仕掛ける。
慌てて武器を引き戻そうとする悪魔だが、渾身の力を込めた霊力壁がそれを咥えて離さない。次の瞬間、荒れ狂う炎の渦が悪魔を襲い、胸から喉を激しく何度も切り裂いた。
「ぐぅおぉぉぉぉぉ!」
だが悪魔も倒れない。傷跡から炎をくすぶらせ、仰け反りながら数歩後退するのみ。だが今はそれで充分だった。
敵が体制を立て直すより早く、カズヤがその眼前へ飛びかかる。
「くらえ!」
突き出す右手。そこへ握られていたペンライトのように細く小さなものは、各自に手渡されていた信号弾だ。
スイッチを押すと、先端から飛び出した花火のような発光体が、虎の瞳を直撃した。
「ぐおぉっ!!」
両目を押さえた悪魔が呻く。
「クレア!」
カズヤが狙った通りの展開。絶好の好機を手に入れ、死神から逃れようと、階段を目掛けて一目散に走る。そこへ彼女も続く。
「逃がすかあぁっ!」
どうあっても逃がすまいと、半ば闇雲に振るわれた悪魔の三日月刀。それが運悪く、逃げるクレアの背を切り付けた。
「あぁっ!」
小さな悲鳴と共に、クレアの体がうつ伏せに倒れる。その音に驚き振り返ったカズヤは、再び悪魔と対峙する。
「私はいいから、逃げてくださいっ!」
「だから、ムリだって言ってんだろ!」
起死回生に見えた突破口は塞がれた。絶望的なこの状況で立ち止まっている暇はない。カズヤは剣を手に無我夢中で悪魔へ駆ける。
相手の視力が戻る前に何としても致命的な一撃を加える必要がある。右手へ再び霊力を収束させるカズヤ。
「イレイズ・キャノン!」
相手の懐まで二メートル。そこから突き出した右拳。だが、なにも出てこない。
混乱した彼の足が、その場で止まる。
『カズヤ。MIND残量5! 撤退して!』
通信機からの絶望的な知らせ。それは、手元の剣を維持するのが精一杯の数字。
「どうした? ガス欠か?」
暗転した視界。そこから現実へと引き戻す悪魔の一声。その口元は、カズヤを小馬鹿にするように醜く歪んで。
「あっ……」
言葉を失って後ずさるカズヤ。先程の、起死回生を狙う霊力壁の具現に必死で、MINDを使い切っていたことすら気付かずに。
あまりの恐怖に言葉も出ない。今の彼にできることは少な過ぎるのだ。逃げようにも、目の前に倒れ伏す彼女を見捨てることができない。どうしていいのか分からず、頭の中は完全に真っ白になっていた。
足がもつれ、その場へ尻餅をつく。剣が床へ当たり、乾いた悲鳴を響かせた。
「惨めだな。さっきの威勢はどこに行った? 俺の頭を虎刈りにするんじゃなかったか?」
完全に視力を取り戻した悪魔。鋭い牙と赤い瞳が闇で不気味に輝く。
「くっ、来るな!」
必死で持ち上げた左腕。そこへ握られた唯一の抵抗手段である剣は、彼の心を映し出すように恐怖で震えている。
カズヤは体を引きずりながら後退。それを追って、ゆっくりと前進する悪魔。
「つまらん。ここで消えてもらおうか」
戦意を失ったカズヤへ愛想を尽かし、不快な物でも見るような侮蔑の視線を向ける。その手に三日月刀を構えて。
「死ね」
カズヤへ飛びかかろうと身を低くする悪魔。直後その背中へ何かが飛びつき、両腕を捕らえて羽交い締めにする。
「クレア!?」
「早く逃げてくださいっ!」
先程まで倒れていたはずの少女は、彼の窮地に驚くほどの底力を発揮した。悪魔も、想定外の出来事に取り乱している。
だが、彼女の作り出したチャンスを活かすこともできず呆然とするカズヤ。
「離れろ。ゴミがあっ!」
楽しみを中断され怒りに牙を剥く悪魔。するとクレアを背負ったまま、廊下の壁へ背中から激突したのだ。
「あぐうっ!」
聞くに堪えない苦悶の声。耳を覆いたくなるような光景にカズヤの顔が歪む。
だがクレアはその手を離さない。悪魔はそれをどうにか振り解こうと再び壁へと体当たりを繰り返す。
「やめろ……」
カズヤの瞳から涙が伝い落ちる。その眼前で繰り返される悪魔の無情な蹂躙。
「やめてくれえぇっ!!」
涙を払うことも忘れ、無我夢中で立ち上がり全力で走る。
悪魔の背から滑り落ちたクレアの体が、力なく床へ崩れる。それを目の当たりにして、カズヤは自分の無力さを再び呪った。
大事なものを守るための力。口で言うのは簡単だが、自分にはまだ到底足りないのだと。
「うおぉぉぉぉぉぉ!」
上段へ剣を振り上げる。しかし、がら空きになった腹部へ悪魔の強烈な蹴りが炸裂。荒い息を吐き、カズヤの動きが止まる。
「終わりだ」
悪魔の裏拳を受け、力を失ったカズヤの体が床へ転がった。
三日月刀を両手で逆手に持ち換え、眼下へ横たわる少年の心臓を狙う。
「今度こそ死ね!」
振り下ろされる刃。それがカズヤの胸へ到達しようかという刹那、悪魔の体が横からの衝撃に大きく弾かれた。
「くっ!」
横転と共に片膝を付いて身を起こす悪魔。その赤い瞳が廊下の奥へ影を捕らえた。
「間一髪だったな」
「ってか、ヤバいんじゃね?」
力なく顔を上げたカズヤの視界に映った者。それはタイガとリョウの姿だった。
「どうして?」
到底信じられない光景に、驚きと焦りが入り乱れるカズヤ。この絶望的な状況に現れるなど、正気の沙汰とは思えなかったのだ。
「カズのピンチを放っておけるか。先輩として良いところを見せないとな」
「タイガ。俺、本気で後悔。やっぱ、おまえに任せとくべきだったわ」
苦笑を浮かべ頬を掻くリョウ。この二人の態度は、単なる開き直りとしか映らない。
「二人とも逃げてください!」
カズヤの悲痛な叫びも空しく、悪魔の姿がその眼前を横切って進んでいく。ゆっくりと重々しい足取りが一歩進むごとに、命を削られるような錯覚が襲う。
「タイガ。逃げろってさ。どうする?」
「やるしかないだろ?」
二人は顔を見合わせ身構える。そしてその口から同時に漏れる言葉。
『A-MIN、開放!!』
二人の瞳が淡い水色へ染まり、頭髪はペンキでも被ったように濃紺へ。体を覆っていた青白い光が体内へ吸い込まれ、内包する力が爆発的に高まる。
「二人がA-MINを!?」
思いも寄らない展開にカズヤは目を大きく見開いた。だが、期待より不安の方が何倍も大きい。上位悪魔を相手に、その力がどこまで通用するというのだろうか。
「カズ。まだ動けるな? その子を連れて、すぐにここを離れるんだ」
タイガが臨戦態勢で身構える。




