05 二人きり。俺がおまえに何をする?
ポーチから取り出した霊光結界を発動し、薄暗くなった校舎の廊下を進む。
夏休み中でも部活動は盛んだ。文化部の生徒も残っているだろうが、結界は防音効果を生む。加えて、周囲から無関係な人間を遠ざけるガスを発生させるため、早々に帰宅、もしくは部室へ缶詰め状態になっているはずだ。
それにしても夜の校舎というのは不気味だ。幸いこの学校に七不思議なんてものはないけれど、なんだか落ち着かない。
「カズ。後でな。気を付けろよ」
「タイちゃんも気を付けて。リョウ先輩も怪我してますし、無理は禁物っスよ」
心配は鼻で笑い飛ばされた。
「平気だって。何事も控えめに、ってのが俺の性分じゃん? いざとなったら真っ先に逃げるって。それより……」
リョウ先輩の視線が、俺の背後に立つクレアへ向けられる。
「こんな薄暗い場所に二人きりだからって、変な考え起こすなよ?」
「全くありませんから。ご心配なく」
「リョウ先輩。読心術が使えるんですか!? どうしよう。心が読まれてるぅ」
当の先輩は笑っているが、クレアの反応に対して引いてしまった俺がいる。
「君、面白いじゃん。まぁ、お互い気を付けようってことで。信号弾はあるよな?」
「大丈夫っスよ」
気を取り直し、腰へ下げたポーチを叩く。
「何かあったらすぐに知らせろよ。タイガが飛んで行くと思うから」
二人と別れ三階への階段を昇る。隣に並ぶクレアの存在がいささか余計だが、ここから先は今まで以上に警戒が必要だ。意識を集中し、思念を飛ばす。
(ゼノ。もう一度、限界突破だ。もしもの時は狂戦士モードで行くからな)
(同調するなら、隣の嬢ちゃんをどうにか振り切るんだな。それが無理なら、あきらめて限界突破で乗り切れ。今のおめーなら中位悪魔でも蹴散らせるだろーが)
予想通りの答えだ。
(そう言うと思ったよ。でも、どうしておまえの正体がバレるとダメなのか、理由をちゃんと説明してくれよ)
(余計な詮索するんじゃねー。力を貸してやってるだけでも有り難く思え)
相変わらず腹の立つ奴だ。
(ムカつくってか? おめーなんて、俺の力がなけりゃ、セイギにだって敵わねーだろーが。あぁ。それどころか、あのお嬢ちゃんにも敵わねーよな)
ミナの顔が過ぎる。正直、あいつがA-MINに覚醒した今、まともに勝負をすれば勝ち目はない。なんだか、あの二人にどんどん差を付けられている気がして余計に焦る。先日の戦いのようにゼノの力を封じられてしまえば、俺の戦闘力なんてたかが知れている。
吐息と共にそんな悩みを振り払う。呼吸を整え、体の奥底を流れるゼノの霊力を再び探る。それをつかみ取り、自分の中へ取り込むイメージを完成させた。
(限界突破!!)
心の中で唱えると同時に、腹の底から力がみなぎってくるのを感じた。
★★★
『カミラさん。そんなくだらない話なら切りますよ。こっちは非常事態なんスから、もっと緊張感を持ってくださいよ……』
カズヤの呆れたような声で移動車からの通信が切断される。それを聞いたカミラは苦笑を漏らし、隣に立つセレナへ視線を向けた。
「ちょっと。酷くない? この私が、ボウヤの無事を祈ってあげてるっていうのに」
「からかっているようにしか見えません……」
微笑むセレナの口元が引きつる。
「あら? あなたまでそんなこと言うの? まぁいいわ。私は診察室へ戻るから、医療チームが来たら後はお願いね」
「大丈夫です。ミナはカミラさんの部屋へ運ぶよう指示を出してあります」
「ありがとう。それじゃ、よろしくね」
カミラが司令室を出たのが数刻前。間もなく、カルトの運転する車がアジトへ到着するという頃、彼女は自身にあてがわれた診察室の椅子へ腰を降ろしていた。そして、机の上に広げられた“ある書類”を黙読している。
それは彼女が秘密裏に霊界へ解析を依頼していたもの。その結果が書面として、彼女の元へ送り返されてきたのだ。
机の正面に設置された発光ディスプレイへ二枚の写真を貼り付ける。到底レントゲン写真に見えないそれには、血痕の付着したワイシャツと、見覚えのある一本の棒付きキャンディが写り込んでいる。
「血液検査、以上なし」
血痕の付着したワイシャツ。それは仲間の攻撃で負傷した“彼”が、ここへ運び込まれた際に回収しておいたもの。
「唾液からも特に異常なし」
棒付きキャンディ。こちらは作戦会議中に“彼”の口を塞ぐフリをして、唾液のサンプルを付着させたものだ。
落胆したカミラは、溜め息とともに報告書類を机に放った。乾いた音を立てたそれが、散り散りに机の上を滑る。
「平均的な十代男性の数値か。内的要因でないとすれば外的な何か……例えば、セイギの纏うスーツのような。でも、そんな素振りもない。だとすれば、憑依のようなもの?」
偶然とは言え、彼女の推測は限りなく正解に近いところを突いていた。だが彼女自身がその可能性をあきらめ、思考の更に深いところへと迷い込んでしまった。
気合いを入れるように両頬を叩き、デスクの引き出しから何かを取り出した。
それはガラス製のフレームに保護された写真立てだった。若干、色あせたその写真には、幸せそうに微笑む彼女。隣には寄り添うように立つ一人の青年の姿。
「こうなったら、何としてもあのサンプルを手に入れてみせるわ。マルス、もう少しだけ待って。“輪廻”の力、必ず手に入れるから」
当時を思い出しているのか、愛おしそうに写真立てをなぞる細い指先。余程大事な物なのだろう、傷付けぬようそっと引き出しへ。
写真に写る青年の視線が消えた途端、その目付きが険しくなり、何事かを画策する凶悪じみた顔へと変貌する。
「それにしても、思ったより早くチャンスが巡ってきたものね。天が私に味方しているということかしら?」
背後に置かれた寝台へ視線を移し、一人ほくそ笑む。ここまではおおよそ彼女の思惑通りに進んでいるようだった。それが何を意味しているのかは、彼女以外に知る者はない。
そして、彼女のデスク上へ散り散りになった書類。そこからはみ出した検査対象者の氏名を記した用紙。そこには紛れもなく、カズヤの名が記されていた。
★★★
三階へ足を踏み入れたカズヤとクレア。二人はほぼ同時に、その異変を感じていた。
押し返されるような圧迫感と息苦しさ。足取りは重くなり、嘔吐を伴うような不快感が胃を刺激する。二人の額を流れる汗は暑さによるものか、それとも別の要因によるものか。
「カズヤさん。私のわがままを一つだけ聞いて貰っていいですか?」
「なんだよ?」
互いの顔を見ることはない。前方の暗闇へ必死に目を凝らし、見えない何かと対峙しながら、独り言のように話し続ける。
次の瞬間、クレアが素早く動いた。隣に立つカズヤの腕を掴む。
「空霊術、疾!」
二人の体が空霊術の青白い光に包まれる。クレアはバック・ステップしながら、カズヤの体を背後へ大きく放る。
「逃げてください! 私が時間を稼ぎます!」
身構えた彼女の両手に一対の短刀が具現化。愛用の双剣、炎龍と氷龍だ。
「ふざけんな! おまえを置いていけるか!」
滑るように背後へ流されるカズヤの体。両足を踏ん張りどうにか勢いを殺すと同時に、その頭上を黒い影が横切った。
カズヤの全身を悪寒が包む。それはまさに死神の影。圧倒的で暴力的な殺意と威圧感を引き連れ、新たな獲物を求めてこの場へ迷い込んだような。
「くっ!」
咄嗟に、手にした剣を眼前へ構える。直後、そこに生まれる衝撃。両腕の痺れに顔を歪めたカズヤが数歩後ずさる。
だが、執拗に追う連撃。喉と胸を狙って繰り出されるそれをどうにか凌ぐ。
「炎の攻霊術、業火!」
背後から放たれた炎の中位霊術。威力を極限まで高めるため球型へと圧縮されたそれが、死神の影へと迫る。
カズヤを狙い続けていた影は咄嗟に身を引き、火球を避けると距離を取った。
「虎……」
カズヤは震える声でつぶやいた。
火球が照らし出したのは、虎の顔を持つ男性悪魔。体にも虎を模した縞模様が刻まれ、右手には三日月刀が握られている。カズヤの命を執拗に狙っていたのはこれだ。
そして、絶望的とも言える事実がある。先程から二人が感じていた圧迫感。それが目の前の悪魔から放たれているものだということ。
(ゼノ。これってまさか……)
(あぁ。そのまさかだな。上位悪魔のお出ましってワケか。面白くなってきたじゃねーか)
(楽しんでる場合か!)
思念を打ち切り、目の前の敵へ集中。気を抜けばあっという間に命を奪われかねない。今までの敵とは次元が違うということをカズヤは肌で感じていた。
唾を飲み下すカズヤの目の前で、虎の口元が笑みへと変わる。
「そっちの女は霊能戦士か? さっきの奴と違って楽しめそうだな」
その一言がカズヤの心にさざ波を立て、怒りを引き寄せた。闘争心を剥き出しにして、目の前の悪魔を睨む。
「リョウ先輩を襲ったのはてめぇか!?」
「ん? 名前なんぞ知るか。目の前にいたから斬ったんだ。俺に斬られるってことは弱い。俺より弱いそいつが悪い」
悪魔の薄ら笑いがカズヤの怒りを煽る。
「へぇ。最近の虎は随分と饒舌なんだな。その舌を斬って、頭を虎刈りにしてやろうか?」
「やれるものならやってみろ。久しぶりの戦闘だ。せいぜい楽しませろ!」
殺意と狂気を纏った虎の悪魔。カズヤを目掛け一直線に走り込む。




