18 崩壊のモノクロ世界で涙する
モノクロの歪んだ世界。セレブ女は最高のショーを目の当たりにして、興奮気味に目を見開いて笑っている。
朝霧の体を抜け出した悪霊は、次にこの女性をターゲットにしたということか。
「あははは! 最高! そう、それだよ。私が見たかったのは! 絶望に打ちひしがれた、お兄ちゃんの顔!」
腹を抱え、瞳に溢れた涙を拭っている。
なにがそんなに楽しいんだ。笑いたければ勝手に笑っていればいい。
「もっともっと苦しめばいいんだ! お兄ちゃんを徹底的に追い詰めてあげる!」
「それだけ笑えば満足か? てめぇだけは絶対に許さねぇ!」
強く握った拳へ霊力を収束させる。
「おっと。今はその顔を見たかっただけなの。第四ステージの準備が整ったみたい。気付いてた? 次のゲームはもう始まってるんだよ。今は、第四ステージでのお兄ちゃんのペアを決める抽選会……」
セレブ女が持ち上げた右腕、そこから何かが無数に飛び出し、モノクロと化した視界を覆い尽くした。
顔を守っていた両腕を降ろすと、既に敵の姿は無い。地面には無数の鳥の羽根。
「孔雀の羽根? なんなんだ?」
目の前で、その羽根は砂細工のように綺麗に崩れ去ってゆく。
静寂を取り戻した庭園。心にぽっかりと大きな穴が空き、夕日が目にしみる。
「ミナ……」
見たくない。受け入れたくない。だが俺には、それを見届ける責任がある。
桐島先輩だけじゃなく朝霧まで。この一日で大切な物を次々と失ってしまった。
この選択、他にどんな答えがあったというんだろうか。
それを避けたいと思う心とは裏腹に、足はゆっくりとだが確実に、横たわる彼女の元へ近付いていた。
膝から崩れるようにへたり込み、無言で横たわるその体を見つめると、最後の会話が脳裏を過ぎった。
「ごめん。助けられなかった……」
助けを求めてきた朝霧を救うことができなかった。どうして、最後の会話の相手に選んだのが俺だったんだ。
まだ温もりを残すその体に触れた時、通信機に灯る赤ランプが目に付いた。
なんて言えばいい。助けられずに死なせてしまったとでも伝えればいいんだろうか。俺の責任だ。もう少し早く、ここへ辿り着くことができていれば。
涙が溢れてきた。この涙が失恋の痛みなのか朝霧を失ったことへの悲しみなのかは分からない。ただ、この苦しみを全て吐き出してしまいたい。
声を上げて思いきり泣いた。
『カズヤ。どういうこと!?』
数分後、通信機からセレナさんの声が漏れる。どうやら霊眼が到着したようだ。
通信ボタンで応答できない場合の措置で、霊眼を通じて強制通信できるという余計な機能を搭載しているらしい。
「俺のせいで、ミナが……」
『違うの! カズヤの目の前にいるのは複製よ! さっき、複製からの信号が途絶えたのをこちらで確認したわ。ミナの通信機の反応は自宅の中から。SOULの数値も安定。彼女は無事よ!』
弾かれるように顔を上げ、右手に見える平屋の家屋を確認した。モノクロだった世界が途端に色を取り戻してゆく。
早く無事を確認したい。涙を拭うことも忘れ、一目散に玄関へ走った。
引き戸を開けて玄関へ飛び込むと、その先の板の間へ、手足を縛られ口を塞がれた朝霧が横たわっていた。その傍らには、霊撃輪と携帯電話が転がっている。
震える手をもどかしく思いながら縄を解き、朝霧の体を抱き起こした。
「しっかりしろ……」
その顔を覗くとうっすらと瞼が開き、口元がわずかに微笑んだ。
「来てくれたんだ……」
「遅くなって悪い。でも無事でよかった」
言葉では言い表せないほどの喜びと安堵が胸を満たしていた。最悪の事態を免れたことが素直に嬉しい。抱きしめたい衝動を必死に押さえ込んだ。
そして、涙を拭うことすら忘れていたことに今更気付いた。朝霧の力ない手が伸び、それをやさしく拭い取る。
「祖母がいないの……それに、私を襲ったのは母。あの口調、私に取り憑いていた悪霊に憑依されたのね……」
「とにかく、今日はゆっくり休んだ方がいい。俺も限界なんだ……」
今は何も考えられそうにない。今日一日で色々なことがあり過ぎた。
だが、襲撃を受けたこの家へ朝霧を残していくわけにはいかない。
「アジトに戻ろう。車を呼ぶから」
「待って。祖母が戻ってくるかもしれないし、ここを離れるなんてできないわ」
「じゃあ、どうするんだよ? おまえだけ置いていくわけにいかねぇだろ!」
どうしていいのか分からず朝霧を見ると、潤んだ瞳が俺を見つめていた。
背中に手が回され、肩へ額が置かれる。
長い黒髪が頬に触れた。アジトで入浴を済ませたんだろう。シャンプーと石鹸の爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。
「お願い……側にいてよ……」
理性が崩壊しそうな衝撃的な言葉。大きく脈打った心音を聞かれなかっただろうかと余計なことを考えてしまった。
「いや。いくらなんでもそれは……」
さすがにそれは無理だ。しかも一つ屋根の下で二人きり。失恋直後の俺自身、何もないとは言い切れない。
「って、聞いてんのか!?」
俺に体を預けたまま気を失っている。さすがに朝霧も限界だったようだ。
仕方なく、お姫様だっこで抱え上げ、室内へと上がり込む。
平屋といってもお手伝いさんを雇うくらいだ。中はそれなりに広い。いくつかの部屋を回った後、朝霧の部屋とおぼしき場所を見つけ、ベッドへ寝かせた。
なぜかその右手は俺のポロシャツを強く掴んだまま離そうとしない。仕方なく、ベッドにもたれて腰を下ろしたのだった。
アジトへ通信を返し、気を失った朝霧へ付き添う旨を伝えると、複製を回収するついでに、カルトさんが食事を運んでくれることになった。
☆☆☆
カルトさんもアジトへ戻り、ベッドへ寄りかかったまま食事を終えた後、いつの間にか俺まで眠ってしまったらしい。気が付くと暗い部屋の中で目を覚ました。
風呂に入りたい。戦いと暑さで汗をかき、体臭が無性に気になってきた。
「ねぇ。起きてる?」
「気が付いたのか?」
ようやくこの状態から解放される。正直、体の節々が痛い。
「ありがとう。ずっと側にいてくれたのね……」
「まぁ、離してもらえなかったし、ここにいるしかなかったんだよ」
「ごめんなさい。気が付かなかった」
「いいよ。それより、腹減ってないか? カルトさんが晩御飯を用意してくれたんだ。って、今、何時か分かんねぇけど」
携帯を取り出して確認すると、既に二十一時を過ぎている。
「食欲がないから遠慮するわ。それより、お風呂に入ってサッパリしたいわ……」
「それ、俺も乗った。体中ベトついて気持ち悪いんだ」
タオルを借り、朝霧の案内でバスルームへ通された。
汗も、汚れも、涙も、悲しみも、心に積もったモヤモヤの全てを流し去る。
でも、心に残った失恋の傷跡までは拭い去ることはできない。シャワーの水音で誤魔化し、もう一度だけ泣いた。
父親のものだというパジャマを借りた後、居間でぼんやりとテレビを見ていた朝霧と交代した。
そこには布団が用意されており、朝霧が見た目によらず気配りが細かいことに驚いた。決して口にはできないが。
居間の先に縁側があり、広い庭園を一望できる特等席が広がっていた。
そこへ腰掛けた時、やわらかな月明かりが目に飛び込んできた。見上げた空には綺麗な満月が浮かんでいる。
桐島先輩の言葉を思い出してしまう。彼女も今頃、この月を見ているだろうか。
どれだけそうしていたのか分からない。不意に背後へ気配を感じた。
振り向いた先には、黒のキャミソールと短パン姿の朝霧が。
目のやり場に困り、慌てて庭へ視線を戻した。すると、朝霧は黙って隣に腰掛け、膝を抱えた姿勢で月を見上げた。
「ねぇ、神崎……私、あなたにどうしても聞きたいことがあったの……」
「聞きたいこと?」
顔を向けた先には、月明かりに照らされた朝霧の横顔があった。
その美しさに思わずドキリとしながら、質問の内容がなんなのかということだけが頭を埋め尽くしていた。




