17 大切な仲間
柔らかな風が駆け抜け、二人の間を沈黙が支配した。一瞬のはずなのに、時間が凍り付いてしまったような錯覚がする。
息が苦しい。先輩の腕を掴んだまま、次の行動が見付からない。
俺を見つめていたはずの先輩の視線が足下を漂い、その仕草に言いしれぬ不安が胸を過ぎった。
先輩の答えを知りたいはずなのに、何も聞きたくない。耳を塞いでこの場を逃げ去り、無かったことにしたい。
全てを失うような恐怖が襲う。調子に乗って告白なんてするんじゃなかった。俺はなんてバカなんだ。
「神崎君の気持ちは嬉しいんだけど……そんな風に想ってくれてたなんて全然気が付かなかった。なんだか、仲の良い弟みたいに思ってたんだ……」
「弟?」
「ごめん、ごめん。怒らないで。でも本当に、今は誰かと恋愛をするとか、そういうこと考えられないんだ。具現者として、がむしゃらに走ってきたから」
「でも、俺たちが引き継ぐんスから、もうすぐ引退っスよ。だったら考えを変える気になりませんか?」
「ゴメンね……」
かけるべき言葉が見付からない。でも、何か突破口があるはずだ。
「彼氏はいないって聞いてたんスけど、もしかして気になる人がいるとか? それとも、朝霧に気を遣ってるとか?」
言葉は空しく吹き流されて。先輩はうつむいたまま、顔を上げようともしない。
「なにか言ってくださいよ……」
「君のことは本当に大切な仲間だと思ってるんだよ。でも、それ以上でも、それ以下でもないの……」
大きく息を吐き出し、気持ちを落ち着けながら先輩の腕をそっと放した。そしてこの瞬間、俺たちの繋がりも途端に断ち切れたんだと実感した。
「それが先輩の選択ってことっスね。でも、俺の運命の歯車は回り始めてる。絶対にあきらめません。先輩が引退した後、必ず新しい選択肢に、俺と付き合うっていう項目を加えてみせますから」
今はここまでを伝えるのが精一杯だ。それに、これ以上先輩を困らせるようなことはしたくない。
「私も自分の気持ちときちんと向き合ってみるよ。正直、君と過ごすのもまだ二日目なんだよ。自分の中でも恋愛感情まで昇華できてないと思うんだ」
「そうっスね。勝手に片想いして、先輩のことを分かったつもりでいただけなのかも……まずは友達からってことで」
クレアのことを言える立場じゃない。
「友達じゃなくて、仲間。でしょ?」
「はい……」
無理に微笑んでみせたが、そんなことはお見通しだろう。心臓をナイフで抉られたように胸が苦しい。気が狂いそうだ。
今ここで、先輩を押し倒してでも手に入れたいという破滅的な衝動が襲う。
だがその時、そんな感情に待ったをかけるように、通信機へ赤いライトが灯った。受信を知らせる信号だ。
重苦しい空気に耐えられなかった俺には、まさに天からの救いだ。何のためらいもなく通信ボタンを押す。これが、完全崩壊へのスイッチとも知らずに。
「カズヤです」
『まだ近くにいる?』
切羽詰まったセレナさんの声。
「どうしたんスか? もうすぐ駅に着くところっスけど」
『ミナが勝手にアジトを抜け出して、自宅へ向かったそうなの。追って!』
「いや。話がサッパリ見えないんスけど」
『リーダー、あたしだけど!』
突然、久城に切り替わった。
『検診が終わった後、二人で生命維持装置を覗いたの。そしたら、鬼島さんと一緒に運ばれてきた女の人、ミナちゃんの家のお手伝いさんだったんだよ!』
「は!? どういうことだよ?」
ダメだ。訳が分からない。それに今の精神状態じゃ、まともな判断もできない。
『ミナちゃん、慌てて飛び出して行っちゃったの。あたしもこんなだし、霊能戦士のみんなも余計な霊力を消耗できないから、状況を見てからじゃないと動けないって言うし。どうしたらいいの!?』
「落ち着けって! 俺が行くから、あいつの家の住所をメールで送ってくれ!」
思わず舌打ちが漏れる。やはりまだ終わっていないということなのか。でも、どうして朝霧ばかりが狙われるんだ。
「私も一緒に行くわ」
「いえ。一人で大丈夫っスから」
心配そうな顔をする先輩を留める。正直、これ以上一緒にいるのは苦痛だ。今は一人にして欲しい。
駅前のロータリーでタクシーに乗り込み、朝霧の自宅の住所を告げる。隣の駅だ。ここからなら十五分程度だろう。
シートに深くもたれながら大きく息を吐いた。ようやく人心地ついた気がする。
今更ながら、取り返しの付かないことをしてしまった後悔が込み上げてきた。告白なんてしなければ、これまで通りでいられたはずなのに。大切な物を自分自身で壊してしまった。
「でもこれが、俺の選んだ選択……」
(随分、辛気臭せぇ顔してんなぁ)
突然の声に驚き、思わず辺りを見回してしまった。この声はまさか。
(シャドウなのか!?)
(おうよ。数日ぶりだな。おめーがあのお嬢ちゃんから悪霊を払ってくれたお陰で、呪印の力が軽減されたんだ。ようやく会話ができるほどには回復したぜ)
(軽減? ってことはやっぱり、呪印は消えてないんだな?)
(そういうこった。まだ終わりじゃねー。女に振られたからって、落ち込んでる場合じゃねーんだよ)
(それを言うなって……)
(あのお嬢ちゃんでいいじゃねーか。俺はあいつの方が断然好みだぜ)
(おまえの意見は聞いてねぇ)
こいつは朝霧が好みだと前から言っている。ああいう気の強い女を屈服させて、自分色に染めるのが最高なんだと。
(お嬢ちゃんと付き合ってくれりゃあ、俺もおめーの体を借りて一発できるってもんだろ? なぁ。そうしろよ)
(ざけんな! 誰がそんなことするか!)
勝手なことばっかり言いやがって。
(ヒャッハッ! 体を借りるっていやぁ、呪印が消えるまで同調できねーからな。おめーの力だけでなんとかしろ。セイギの小僧にまで負けるなら、呪印の肩代わりなんてしなきゃ良かったぜ)
(一応、状況は分かってるんだな?)
(ったりめーだろ。会話できねーってだけだ。アジトには入ってねーけどな)
だが、一つ引っかかる。
(さっきの戦いの最中、おまえの霊力を感じたんだ。あの時確かに、同調と同じ感覚を味わったんだけどな)
(俺も驚いたぜ。逆同調ってところか? 俺の力を無理矢理取り込みやがったな。まぁ、呪印で力を押さえられてるし、せいぜい二割程度の力しか出せねーけどな)
(そんな方法があるなら早く言えよ!)
(俺も知らなかったんだ! まさか、おめーがそんなことまでできるなんてな。でもそんなこと言ってっけど、おめーが自分の力で乗り越えなきゃ意味がねーんだろ? 分かってんだぜ。)
全てお見通しというわけか。
(でも、セイギは一筋縄じゃいかねーだろうな。あいつは俺と同じ臭いがする)
(どういう意味だよ?)
(まぁ、いずれ分かるだろーよ)
突然、ポケットの中の携帯が振動した。慌てて取り出しディスプレイを確認するが、なんとそこには朝霧の名前が。
胸騒ぎを覚えながら通話ボタンを押す。
「どうした!?」
長い沈黙。車の走行音だけがいやに大きく聞こえる。
「おい、朝霧! 聞いてんのか!?」
「カズヤ。助けて……」
弱々しい息づかいと短い言葉だけを残し、通話は突然に途絶えた。
一体、何が起こってるっていうんだ。
☆☆☆
程なくして、窓の外へ延々と伸びる垣根が現れた。
タクシーは徐々に速度を落とし、古風な木製の門扉の前で停車する。
「着きましたよ」
「え?」
思わず声が裏返る。そこはまさしく純和風の大豪邸だ。表札には確かに朝霧と書かれているのが見える。
支払を終えて門扉の前へ立つと、開け放たれたままになっていた。玉砂利へ等間隔に置かれた敷石の上を進んでいくと、日没迫る夕日に照らされた荘厳な日本庭園が眼前に広がった。
「なんなんだよ……」
駆け込んだ俺を待っていたのは、とても信じられないほどの壮絶な光景だった。
そして、完全崩壊の瞬間は訪れる。




