15 眠り姫。おまえの居場所はここにある
横たわる朝霧の首の下へ腕を差し入れ、その上半身を抱き起こした。
自分でもどうしたらいいのかよく分からないが、このままにはできない。
「ミナ。戻ってこい……」
無意識の内に、その体を力一杯抱きしめていた。そうでもしなければ、こいつが壊れて消えてしまいそうな気がして。
朝霧の苦しみの一端を知ってしまった今、これまでの全てが彼女なりの精一杯の強がりだったんだと認めざるを得ない。
自分の居場所を求めてあがく。存在価値を探す俺と何も変わらない。俺たちは、同じ場所を目指しているのかも。
「カ……ズヤ……」
その口から、か細い声が漏れ、驚きと共に整った顔を覗き込んだ。
焦点の定まらない虚ろな瞳だが、そこには確かな光が見える。
「あなたの声……確かに聞こえたわ……私の心に染み込んだ……」
「おかえり……」
腕の中の眠り姫へ微笑みかけると、瞳の光が次第に強さを取り戻してゆく。
ゆっくりと持ち上がったその手が、命綱を求めるように俺の腕を掴んでいた。
「私は、ここに居ていいの?」
「あたりまえだろ」
愚問だ。何を今更そんなことを。その澄んだ瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
「私の……居場所……」
彼女の頬を大粒の涙が伝い落ちる。
「俺も同じだ。アジトのみんなは俺たちの力を、存在を必要だって言ってくれる。その一言に希望を見いだしたんだ」
朝霧の目が俺を見据えていた。
「カズヤ……あなたの言葉を聞いてない。あなたは私を必要と……」
心の奥へ踏み込まれ、心臓が大きく脈打った。これ以上踏み込まれるとどうしていいのか分からない。それと同時に、頭を過ぎる桐島先輩の顔。
そうだ。先輩のことが完全に頭から抜けていた。そちらへ視線を向けると同時に、部屋を満たす邪悪な霊力に気付いた。
「しつこい奴だな……待ってろ。すぐに終わらせる」
朝霧の体を静かに横たえ、部屋の中央に感じる力へ目を凝らした。
砕けた花片が螺旋を描いて収束し、そこへ黒い影が絡みつく。瞬く間に、子供の姿をした黒いシルエットを形作った。
やはり全ての原因は行方不明の孫娘、亜里沙の仕業なんだろう。でも、影のように黒いこの姿はなんだ。
「まさか、お姉ちゃんから弾き出されるなんてね。とことんジャマをするお兄ちゃんを絶対に許さないんだから……」
そんな言葉に苛立ちだけが募る。
「絶対に許さない? こっちのセリフだ! 大事な仲間を次々とやられて、俺も我慢の限界なんだ!」
右腕を突き出し、黒い影へ狙いを定めた。この一撃で全てを終わらせる。
俺の怒りへ呼応するように、右手へ膨大な量の霊力が収束。まるで拳が青白く燃えているかのような淡い光が灯る。
「イレイズ・キャノン!!」
光は一抱えもある大きさの霊力球となり、強烈な風圧を伴って吹っ飛びながら黒い影を直撃した。
俺の怒りと、残された霊力を込めた強烈な一撃。後には何も残っていなかった。
辺りは静まり、敵の霊力も消えている。
「倒したのか?」
ハッキリとした確証は持てない。手応えに欠けるといったところだが、さすがにあの一撃を受けて無事なはずがない。
ひとまず戦いのことは忘れよう。今は先輩の無事を確認するのが先だ。
壁に衝突した際、鏡に血痕が付着していた。傷の具合が心配だ。
床に倒れたままの先輩の傍らへしゃがみ込む。脇腹に二カ所、ブラウスの裂けた場所が赤く染まっている。
気を失っているのか目を閉じたまま動かない。あの棘の大きさからして、傷はかなり深いはずだ。このままだと危ない。
咄嗟に朝霧を見たが、とても動ける状態じゃない。思わず舌打ちが漏れる。
せめて先輩に意識があれば、朝霧の技をコピーして回復することができるのに。
「そうだ。シャドウなら……」
霊術を扱うシャドウなら、癒やしの術くらい使えるはずだ。あの悪霊を倒した今なら、力が使えるかも。
(シャドウ、聞こえるか?)
反応がない。どういうことだ。呪印を解いたばかりで力が戻っていないのか。
「くそっ! どうすりゃいいんだ」
焦りと怒りに後頭部を掻きむしる。
落ち着け。冷静になって考えろ。
そういえばつい先日も同じ事を言っていたはずだ。あの時は久城が一緒だった。
「久城……間に合うか?」
ツタの一撃が壁を抉っていた事を思い出す。案の定、外まで貫通したその穴から夕日が差し込んでいた。
通信機を外して握りしめ、その手を穴に押し通した。通信ボタンを押し、声を張り上げる。
「聞こえますか?」
『聞こえます。どうぞ』
やった。通信が繋がった。これで一縷の望みも繋がる。
「レイカ先輩が怪我をしてる。すぐに手当をしないと危ねぇんだ! 大至急、久城を連れてきてもらえませんか!?」
『それなら問題ないわ。もうすぐそっちへ到着するはずよ』
「セレナさん? 到着するってなにが?」
その時、背後の扉が大きな音を立てた。
「悪霊はどこだぁ!!」
耳が痛くなるほどの大声と共に、剣を手にした少年が飛び込んできた。
その後ろに、槍を持つ少年と、両手へ逆手に短剣を握った少女が続いてくる。
霊能戦士であることは一目瞭然だった。赤い長衣を着ているということは、彼等がカミラさんの言っていた三人なのか。
とにかく今は先輩の手当だ。
「悪霊は俺たちが倒した。そこに倒れている先輩の手当てを頼む」
「もう終わっちまったのかよ。地上でのデビュー戦に燃えてたってのに……」
先頭の少年はガックリとうな垂れ、槍を手にした少年を振り返る。
よく見れば二人とも同じ顔。短髪の逆立った髪と長髪という違いを除けば見分けが付かない。
「アスティ。治療は頼んだぜ」
「任せて」
槍を手にした少年が先輩の傍らへしゃがみ、傷口へ手をかざした。
「霊界漂う数多の精霊よ。補の創主に変わって命ず。我に力を与えたまへ……癒やしの光」
すると、傷口を中心に青白い光が広がり、先輩の全身を包んでいく。
本当に大丈夫なんだろうか。思わず心配になり、近くに寄って覗き見た。
「あいつに任せておけば問題なし。癒やしの霊術の腕前はかなりのもんだ」
短髪の少年は、歯を剥き出した満面の笑みで俺の肩を叩いてきた。
その手に持っていた剣が光の粒子となり、指輪へ吸い込まれて消える。
やはり彼等も霊撃輪を使うらしい。
「あなたたちが、カミラさんの言ってた霊能戦士っスか?」
「そういうこと。おっと。まだ名乗ってなかったな。俺はアッシュ。そっちが双子の弟、アスティ。んで、こっちが……」
アッシュと名乗った短髪を押しのけ、少女が割り込んでくる。
「みんなのアイドル、クレアです!」
肩まで伸びる紺色のツインテールを揺らし、額の上でピース・サインを作る。
俺の肩ほどの身長。他の二人もそれなりに高いため、彼女だけがとりわけ小さく見える。だが、それとは対照的に突き出した胸が、激しく自己主張している。
やばい。変な所に注目してしまった。
「う〜ん」
クリッとした大きな瞳で俺を見上げ、何やらうなり始めると、人の顔を右から左から眺め回し、大きく頷いている。
一体、何を確認しているのやら。
「うん。やっぱり実物は違いますね。モニターで見るより断然カッコイイです!」
胸の前で手を組んで瞳を輝かせているんだが、一体こいつはなんなんだ。
「あの……何の話っスか?」
「決めました! 私、カズヤさんの彼女に立候補します!」
『はぁ!?』
俺とアッシュの声が重なると同時に、アスティの手にしていた槍が倒れ、乾いた音を響かせたのだった。
まぶしいほどの満面な微笑みを浮かべ、俺をじっと見つめる少女。
生まれて初めての告白体験に脳ミソが大混乱を起こしていた。なんだか面倒なことになりそうだ。




