14 ふざけんな! 誰が居場所を奪うって?
「なんなんだよ。この力は?」
朝霧の体へ蛇のように巻き付く黒い気体。それが半透明の黒薔薇を形作り、彼女を覆い隠した。更に、薔薇を守るように棘の付いたツルまでもが幾本も。
朝霧の体を飲み込んだ巨大な一輪の黒薔薇。これがあいつの闇なのか。
「ねぇ、ねぇ。これ、どういうこと!?」
隣へ、長弓を手にした桐島先輩が並ぶ。
「サヤカが言ってたんスよ。ミナの心の奥に闇があるって。きっとこれが……」
ようやくここまでこぎ着けたと思ったのに、この余りにも禍々しい力を目にして心が折れかかっている。
「私は誰……何のために生きてるの?」
それはいつもの三重奏などではなく、確かに朝霧本人の声となって響いた。
「誰も本当の私を見ていない。私を必要としない。居場所はどこにもない……」
重苦しい、心の底から響く声。
「ようやく掴みかけた具現者という私の居場所。特別な私にしかできない特別なこと……私は自分の力だけで、存在意義を証明しようとした……」
黒薔薇の中から、切れ長の目が射殺すように睨み付けてくる。
「それがどう? カズヤにセイギ。私の聖域に土足で踏み込んで、居場所を奪おうとする……許せない!」
「俺が、おまえの居場所を奪った?」
初めて聞く胸の内。俺の心を動揺という名の魔物が瞬く間に浸食してゆく。
俺は俺の目的のために進み続けていたはずだった。そのことが朝霧をこんなにも追い詰めていたなんて。
噛みしめられていた朝霧の口元が、不意に悪意に満ちた微笑みへ変わる。
「お願いだから、消えてよ」
綱ほどもあろうかというツルの一本が、言葉と同時に襲ってきた。
真正面から迫るそれを剣で払おうと振り抜くも、逆に体ごと横へ弾かれる。
なんて威力だ。直撃をうけようものならひとたまりもない。ツルには無数の棘も生えている。ドリルのように体を抉られでもしたら間違いなく致命傷だ。
それを裏付けるように、軌道を逸らされたツルが、部屋の壁を易々と貫通しながら中庭へ飛び出した。
「これじゃ近付けねぇ。どうすればいい」
シャドウがいてくれたら。あいつの力があれば、この状況を打破できるのに。
「カズヤ君。少し時間を稼げる? 切り札を出すしかないみたい」
「切り札?」
その間にも正面から二本のツルが襲ってくる。二人で左右に飛び退き一本をやり過ごしながら、先程と同じようにもう一本の軌道を剣撃でねじ負ける。
防戦に回るだけならどうにかなるものの、それでは状況は変わらない。
「ケガには気をつけてね。今の私に治癒能力は使えないから!」
「どういうことっスか?」
俺の声など聞かず、先輩は両手を突き出して身構えた。
「運命の歯車から弾き出されたあなたに未来はない。ここで引導を渡してあげる」
何をするつもりか分からないが、今は先輩を全力で守るしかない。
その隣へ並び、霊力壁を展開する。
「大蛇!」
先輩の背中。肩甲骨へ沿うように、四頭ずつ合計八頭の大蛇が具現化した。
一頭でもかなりの大きさだ。その胴体は、我が家の炊飯器ほどもありそうだ。
朝霧は攻撃を警戒したのか、全てのツルを束ねて棘の丸太を作っている。さすがにあれは霊力壁でも防げない。
「イレイズ・キャノン!」
霊力球を放つも、ツルの一本を引き千切るのが精一杯だ。棘の束が、俺たちを目掛けて繰り出される。
「行けっ! 天照、大蛇八式!!」
先輩の背へ具現化した八頭の大蛇。ぶつかりそうなほど顔を寄せ合い、大きく開いた口から霊力の砲撃を吐き出した。
八本の砲撃が混じり合い、棘の丸太を超える太く青白い光の柱となって、敵の攻撃を打ち砕く。
その勢いは止まらない。霊力の砲撃はツルを薙ぎ、黒薔薇の本体を直撃した。
黒薔薇は背後の鏡へ激突し、破砕音と共に飛び散る鏡の破片。霊力の青白い光と夕日の朱色を照り返し、光り輝く粒となって眼前を華麗に舞った。
そこへ黒が混ざった。砕けた薔薇の花片までもが欠片となって宙を舞う。
だが、さすがに全てを破壊するのは無理だったようだ。朝霧の姿を確認することができる厚みを残し、砲撃は消滅した。
俺の霊力球とは違う持続型の放出。しかもあれだけの規模の攻撃だ。先輩のMINDは残っていないはず。それを裏付けるように、大蛇も消滅してしまった。
「チャンスはここしかないわ!」
「はいっ!」
額に汗を滲ませ肩で息をする先輩を横目に、剣を手にして走った。
黒薔薇の中に見える朝霧は、今の一撃を受けてうな垂れている。気を失ってくれていれば絶好のチャンスだが。
「だらあっ!」
黒薔薇へ剣を突き立てるも、外側の花片一枚を砕くのが精一杯だ。
「くそっ!」
絶対にあきらめねぇ。二度、三度と突き刺すが、そう易々と朝霧に会わせてくれそうもない。そして、四度目の攻撃で刃の先がわずかに食い込んだ。
「消えてって言ったわよね?」
うな垂れていた朝霧が不意に顔をもたげ、深い闇をたたえた瞳と目が合った。
直後、背筋を這い上がる悪寒。飲み込まれそうに深いその闇に体が動かない。
どこから現れたのか、一本のツルが右方向から襲いかかってきた。
慌てて剣を引くが、黒薔薇に突き刺さったままのそれはビクともしない。
「くそっ!」
間に合わない。咄嗟に右腕を上げ、顔の前へ持ってきた。片腕はくれてやる。
「シューティング・スター!」
そこに聞こえた女神の声。恐る恐る腕を降ろすと、目の前数十センチのところでツルの動きが止まっている。
見れば、先輩の放った光線は幾本かの糸と化し、ツルを見事に絡め取っていた。この技は分裂型の霊力糸だったのか。
「ジャマしないで!」
更に死角から現れた別のツル。それが狙い違わず先輩の左脇を打ち付けた。
目の前で先輩の体がツルに運ばれ、鈍い音を立てて壁際の鏡へ激突。その体が床へ崩れ、鏡には大きな亀裂と共に赤い物が付着する。
直後、暴れ出した心臓が大きく震えた。一瞬で全身の血液が沸騰したように体の芯が熱くなり、スローモーションのように周囲の動きが遅くなる。
背後に何かの気配がする。煩わしく思いながら虫を払うように左手を振るうと、千切れた一本のツルが宙を舞っていた。
心臓が大きく脈打った瞬間、それを確かに感じた。砂時計のくびれた場所を流れる砂のように、体の奥底へ微かに流れるもう一つの力を。
藁にもすがる想いでその微かな流れを感じ取り、神経を集中し、同調させた。
その一瞬は我ながらまさに神速。この一ヶ月の特訓の賜物だ。この力こそ、失ったと思っていたシャドウの力の欠片。
栓を抜いたように溢れる力。悪魔と戦った時の勢いはないが、今はこれで充分。
「消えろ! 消えろ! 消えろ!」
再生したツルが次々と襲いかかって来るが、こんなものは避けるまでもない。
目の前へ展開した霊力壁に衝突し、その場でことごとく朽ち果ててゆく。
悪あがきをするいたずらっ子を叱り付けるように、目の前の朝霧を見る。
「ムダだ。この程度の力で、俺を止められるなんて思うなよ」
右手で霊力壁を展開しながら剣を投げ捨て、左拳へありったけの力を込めた。
「ミナ。てめぇは大きな勘違いをしてる。居場所を奪うとか奪われるとか、どっちが上だの下だの、俺たちの間にそんなもん、あるわけねぇだろうがあっ!」
あいつの心に訴えながら、目の前の黒薔薇を思いきり殴りつけていた。
黒い破片が飛び散り、朝霧か悪霊のものか分からない苦悶の叫びが上がる。
黒薔薇の前面は崩壊。拳の先へ朝霧の上半身が剥き出しにされたまま、鏡の割れ落ちた壁へ激突する。
花片は粉々に砕け、床へ横たわる朝霧だけが残されていた。
一歩ずつ確かめるように近付きながら、横たわる朝霧の側へ膝を突いた。
眠ったように動かない朝霧。その頬へ手を伸ばし、包み込むように触れる。
「ミナ。おまえの居場所はここにある。俺たちはいつだっておまえの帰りを待ってるし、必要としてるんだ……」
きっと朝霧に届いている。そう信じて必死に訴えていた。




