10 平行線
「朝霧が消えた……」
二階を見上げてみたものの、何の気配も感じない。静寂だけが辺りを包み、俺たちが訪れる前の状態を取り戻している。
「ふん。逃げられたのか?」
玄関扉の側には、いつの間にかオタクの姿が。どうやら虎も片付いたようだ。
「この二人、悪霊に憑依されている以外に呪印まで……ミナも追跡できないし、アジトへ戻って浄霊を進めるしかないわね」
先輩は表へ出ると、通信機で移動車の手配を進める。さすがに手際が良い。
その横顔に見とれていた時だ。
「ちょっといいか?」
オタクが声を掛けてくるなんて珍しい。
「どうした?」
「あんなガキの遊びに付き合うのは時間のムダだ。今の戦いで分かっただろう。貴様らだけで対処できるレベルだ」
「は? なに言ってんだよ?」
「懸賞金がどれだけかも分からない。これ以上は無意味だと言っているんだ」
ヒーロー・スーツを解除し、カツラとサングラスで変装したいつもの姿へ戻る。
「無意味だと? ミナだけじゃねぇ! サヤカと俺の命にも関わるんだぞ」
「勝手に吼えていろ。そもそも、自分たちの不注意と力不足が招いた結果だ。それをもっと自覚したらどうだ? ケツを拭かされる、こっちの身にもなってみろ」
相変わらず頭にくる奴だが、言っていることには筋が通っている。
「力不足が分かってるから、協力を頼んでるんだ。それが仲間じゃねぇのかよ?」
サングラスを指で押し上げ、鼻で笑う。
「都合の良いようにその言葉を使うんだな。リーダーの権限か? そういうのをパワー・ハラスメントと言うんだろう?」
「なんだと?」
「なに? なに? どうしたの?」
通信を終えて戻ってきた先輩は、俺たちの間に漂う不穏な空気を感じて怪訝そうな顔をしている。
「なんでもありません」
だが、オタクは止まらない。
「どうしてもと言うなら、貴様らの賞金を分けろ。協力を考えてやってもいい」
どこまでも腐ったヤツだ。
「そんなに金が大事か!?」
「金は裏切らないからな」
こんな奴に頼っていたなんて情けない。もっとマシな男だと思っていたのに。
俺はある決意を秘めてオタクを見た。
「アジトに戻ったら勝負しろ。俺が勝ったら、言うことを聞いてもらうからな」
「ほぅ。負けたらどうする?」
「俺が負けたら、今後おまえのやり方に一切口出ししねぇ。どうだ!?」
「いいだろう。受けて立とう」
オタクはそれだけ言い残し屋敷を出る。
「カズヤ君。本当にそれでいいの?」
「これしかねぇ。あいつの目を覚ます」
「このチームのリーダーは君だし、その決定に異論を唱えたくはないけど、これが君の考えたベストな選択なんだよね? 他に選択はなかったの?」
「他の選択?」
怒りの勢いで仕掛けてしまったが、他の選択など今の俺にはない。みんなの懸賞金を動かす権限などないし、金で人の気持ちを釣るなんて納得がいかない。
「これでいいんです」
「そう。分かった」
先輩はそれ以上、何も言わなかった。
程なくして迎えの車が到着し、俺たちはアジトへ帰還した。
☆☆☆
館で保護した二人を任せ、オタクと共に訓練場へ向かった。
桐島先輩の他に、セレナさん、カミラさん、久城の姿もある。ここにいる全員が立会人だ。絶対に負けられない。
みんなの視線を感じながら、ガラスで隔てられた先の別室へ入った。
見慣れたこの部屋は、戦闘訓練用の個室だ。辺り一面を覆う暗闇に、空間を形作る光のフレームが幾筋も走っている。
普段はプログラムされた立体映像と戦闘を行うのだが、今日は特別にこの部屋を使わせてもらえることになった。
ネオンライトのような光のフレームに照らされたオタクの姿を目にして、前に言われた言葉が思い起こされた。
「オタク。俺に言ったよな? 力だけが全てという絶対正義は揺るがないって」
「言ったが、それがどうかしたのか?」
込み上げる怒りに拳を強く握る。やはりこいつとはどこまで行っても平行線だ。決して交わることはない。
「てめぇの言う力ってのは、自分の強さを誇示するためだけのものか!? そんなもん絶対に認めねぇ!」
「だったら自分の力で証明してみせろ」
オタクが腰を落として身構える。
「ゴースト・イレイザー!」
「変身!」
剣を手にすると同時に、オタクの体もヒーロー・スーツに包まれた。
こいつを負かして、俺の抱く力の定義ってヤツを証明してみせる。
剣を眼前に構え、そのままの体制でオタク目掛けて走る。だが、接近戦で勝てる見込みは薄い。中距離から不意を突く。
「イレイズ・キャノン!」
突き出した剣先から霊力球が飛ぶ。
これもシャドウから教わった戦法だ。指輪が媒介ということから手の平に限定して考えていたが、霊力さえ通わせれば、こういったことも可能だというのだ。
「オメガ・インパクト!」
オタクはグローブのように両拳へ霊力を纏わせた。左拳の光で霊力球を弾き飛ばし、こちらへ飛び込んできた。
その胸元を目掛けて剣を突き出した。だが、瞬時に横へ飛び退き、それを難なく裂けるオタク。
腰を低くして、身構えたのが見える。右拳の光が俺の腹部を狙っていた。
「シールド!」
ドーム型に展開した霊力壁がその拳をいなし、スリップしたオタクの体が大きくバランスを崩した。
「うおぉぉぉ!」
上段から振り下ろした俺の一撃は、オタクの背中に確かな手応えを残した。
勝利を確信したその瞬間、後頭部へ強烈な衝撃が。
「がっ!?」
何が起こった。視界が激しく揺れる。
数歩後ずさり床へ片膝を付くと同時に、前方ではオタクが背中から倒れていた。
こいつは斬られながらも、左足の踵を持ち上げて俺の後頭部を蹴ったんだ。恐ろしい程の身体能力。
だが、チャンスはここしかない。
「イレイズ・キャノン!」
再び、霊力球で倒れたオタクを狙う。
「オメガ・インパクト!」
足へ霊力を纏わせ、霊力球を蹴り上げた反動で素早く体を起こしている。だが、あいつが体勢を整える前に一気に押し切ってやる。
「ふんっ!!」
腹部を目掛けて横凪ぎに振るった渾身の一撃。しかしそれは、肘と膝に纏わせた霊力で、挟み込むように防がれた。
まるで時間が止まったように睨み合う。互いの息づかいだけがそこにはあった。
「中々、やるようになったが、まだ本気じゃないな。蝙蝠のバッツァと戦った時に見せた、あの力を出したらどうだ?」
「自分の力を誇示するだけのてめぇと一緒にするんじゃねぇ。俺の力は、大事な物を守るためのもんだ。この目に映る人たちだけでも助けたい。そのための力」
「ほざけ! 出し惜しみの力に価値はない。綺麗事だけで生き残れると思うな! 力こそが全てだと、なぜ分からない?」
「てめぇの考えは歪んでるんだよ!」
「貴様は虐げられた者の痛みを知らないからそんな事が言えるんだ。力こそが全て。強者が生き残り、支配権を得る!」
突然、胸ぐらを捕まれた。喉を締め上げられ呼吸が遮られる。
そのまま引き寄せられ、ヘルメットに顔を強く打ち付けた。
「自分の世界を変えられる力を持ちながら、なぜ有効に使わない? 貴様の考えこそ歪んでいると気付かないのか?」
「っ……ざっ……けんなっ!」
ささやくように言葉を発するオタクへ夢中で突き出した剣。それが胸部を貫くも、こいつは微動だにしない。
俺の胸ぐらを掴んだ左手を緩めないばかりか、右手へ霊力を収束させている。
「オメガ・インパクト!」
腹部を激痛が襲う。内蔵が口から飛び出してしまいそうな衝撃に意識が遠のく。
背中と後頭部にも衝撃が起こったが、腹部の痛みが強すぎて何も感じない。
朦朧とした意識の中で、見下ろしてくるオタクの姿だけがやけに鮮明に写る。
「貴様も虐げられてみるんだな。力なき正義など存在しない。この勝負にリーダーの座を懸けてもらおうと思ったが、面倒なケツ持ちなど御免だ。まして、仲間も必要ない。仲間など……」
オタクの姿が視界から消え、意識は闇へと落ちていった。




