09 覚悟しろ。手加減なんてできねぇぞ
「レベルってなに? おいしいの?」
朝霧は小馬鹿にしたように微笑む。
「残念だけど、第一ステージは私じゃないんだよ。ジョン、おいで〜!」
不気味な三重奏が庭へ響き渡る。一体、なにが出てくるっていうんだ。
油断無く剣を構えた時だった。屋敷の裏手から飛び出してきた一つの影。
「犬?」
それは、ドーベルマンの亡霊だった。白目を剥き、鋭い牙を露わに走る。
その目には、大きな三つの肉塊でも見えているんだろうか。口元には盛大な涎までまき散らして。
オタクが横を素早く駆け抜け、迫り来る亡霊へ突進していた。
飛びかかる犬の動きを冷静かつ正確に見抜き、右のハイキックを頭部に見舞う。
犬は悲鳴を上げ、地面に叩き付けられると痙攣したまま動かなくなった。
「ふん! 話しにならないな」
この程度、オタクなら余裕だろう。
「あ〜ぁ。やっぱりダメかぁ。第一ステージ、簡単に突破されちゃったぁ……」
落胆の息をつきながら、肩にかかった黒髪を指へ巻き付け弄んでいる。
「さっさとヤツを捕まえるぞ」
オタクはさも面倒そうに言い放ち、一足先に玄関ドアへ向かう。
「ねぇ、ねぇ」
突然、桐島先輩に呼び止められた。
「どうしたんスか?」
「妙に簡単過ぎない? こういう時は、もう少し警戒した方がいいわよ」
不安を滲ませた顔で周囲を見回す先輩。力一杯抱きしめて、安心させてあげたい。
「大丈夫っスよ。オタクだって、下位悪魔を一人で片付けるほどの奴っスよ」
そんな不安を笑い飛ばし、玄関に立ったオタクへ視線を向けた時だった。
突如、玄関扉が内側から破られた。もの凄い勢いで飛び出してきた何かが、オタクの体を軽々と吹っ飛ばしたのだ。
言葉を失う俺の眼前を赤い姿が通り過ぎ、石畳を激しく転がってゆく。
そして、玄関の側には大きな影が。
「虎!?」
そこには全身から殺気を放つ一頭の虎がいた。俺の胸元まであろうかという大きな体躯に恐怖が滲んでくる。
「きゃはははは! ひっかかった! すっごい飛んだよ! 最高!」
頭上から、狂ったような笑い声。
「じゃ〜ん。こっちが本物のジョンです。仲良く遊んでね」
「くそっ!」
完全に油断した。なにがジョンだ。これはもう、番犬なんてレベルじゃねぇ。
焦りと苛立ちが徐々に脳内を蝕んでくる。すぐそこに見える朝霧の姿。そして、間近に迫りつつある死の宣告。全てをここで終わらせるんだ。
「さっさと終わらせてやるよ!」
喉を鳴らして威嚇する虎の亡霊を睨み据え、剣を持つ手に力を込めた。
「私の獲物を横取りするな」
肩を回しながら、吹っ飛ばされたはずのオタクが歩み寄ってきた。
「貴様らは、あの女を連れ戻せ。こいつと遊んでいた方がおもしろそうだ」
「待てよ。戦力を分散させるより、まとまった方が効率がいい」
シャドウの力が使えない今、つい弱気になってしまう。イヤな奴だが、悔しいことにこいつの強さは本物だ。
「ふん。ここへ来て怖じ気づいたか?」
言いながら、虎へ向かって突進するオタク。やはり言うだけムダか。
「先輩。先に進みましょう」
「いいの?」
俺たちの関係性を知らない桐島先輩は、不思議そうな顔をしている。
「大丈夫です。そういう奴なんスよ」
戦いのジャマにならないよう足早に駆け抜け、再びホールへ突入した。
敵の正体もはっきりしていない。ここにはまだ、俺の知らない秘密がある。
「とりあえず二階っスね」
正面に位置するカーブを描いた階段。その先で間違いないはずだ。
朝霧はまだ何かを仕掛けてくるつもりだろうか。さっきは第一ステージと言っていたはずだ。油断はできない。それにあいつが扱うのは銃。階段を昇る隙に、頭上から狙撃されればひとたまりもない。
ホールを進み、頭上を警戒しながら階段を中程まで昇った時だった。
「きゃあっ!」
突然、後ろから聞こえた悲鳴。驚いて振り向くと、背後から甲冑に羽交い締めにされる先輩の姿が。
階段脇にあった、あの悪趣味な鎧。それがなぜ先輩を。頭上にばかり気を取られ、背後が完全におろそかだった。
焦りと苛立ち、自分への怒りが一気に沸騰する。
「イレイズ・キャノン!」
右拳から霊力球が飛ぶ。だが、甲冑も手にした槍を振るって応戦してきた。
横薙ぎに振るわれた一閃が霊力球を叩き割る。その衝撃で生まれた風が、屋敷に堆積した埃を巻き上げた。
甲冑は先輩を捕らえたまま、ホールへ引きずり戻した。長弓が床へ倒れる。
「うえっへっへっ! 女。女だっ!」
甲冑は素早く兜を脱ぎ捨てる。そこから現れたのは、なんと生身の人間だった。
清潔感とは程遠い、白髪交じりでボサボサの髪をした、五十近い男性。
「てめぇ! 先輩を離しやがれ!」
慌てて階段を駆け下りた瞬間。右方向からの強烈な衝撃を受け、床に転倒した。
「くっ!」
右足の痛みを堪えて素早く身を起こすと、そこにはレストランで見るような給仕用のワゴン車が。
「侵入者は排除します」
奥の通路から、黒いワンピースに白いエプロン姿の女性がやってくる。
こちらは若い。二十代後半から三十といったところか。整った顔をしているが、そこに感情は微塵も感じられない。生気も抜け、その目はどこか遠くを見ている。
「くそっ! なんなんだ、てめぇら!」
恐らく二人とも悪霊に憑依されている。油断無く剣を構えると、頭上から笑い声が響き渡った。
すると、階段上には朝霧の姿が。
「びっくりした? 私のパパとママです。鬼ごっこは昨日終わっちゃったから、今日はおままごとにしたんだよ。さぁ。第二ステージのはじまり。はじまり」
「ふざけんじゃねぇ!」
今はもう、怒りしか湧いてこない。甲冑とエプロン女を交互に睨み付ける。
「今の俺は手加減できねぇぞ。ザコがいくら来ようが、ムダだってことを思い知らせてやるよ。オッサン。てめぇは特に覚悟しろよ。いつまでも先輩にしがみつきやがって。身の程を知れ!」
先輩と素早くアイコンタクトを交わす。まずはエプロン女を片付ける。
剣を構えて通路へ駆け込むと、女の左手が持ち上がるのが見えた。
「シールド!」
前方に、傘のような半円形の霊力壁を展開。俺に当たるはずだった衝撃波はいなされ、かすかな衝突音だけが耳に届く。
「イレイズ・キャノン!」
圧縮された霊力が刀身を包む。それは振り下ろした剣の軌跡に沿って三日月型の霊力刃となって飛び、女の右肩から左脇を斜めに切り裂いた。
「ふっ!」
気合いの息と共に、剣の刃を心臓部へ繰り出す。押し戻されるようなわずかな抵抗力を感じたが、それも一瞬。刃は飲み込まれるようにその胸元を貫通した。
刃を引き抜くと共に、女の体が崩れるように倒れた。
「あとは甲冑だけだ」
ホールを振り向いたその時だった。
「裁きの雷!」
完璧な意思疎通。先輩は羽交い締めにされながらもその手を甲冑へと向け、久城の技を繰り出したようだ。
相手との距離によって威力が増減するという衝撃波。あの至近距離では、ひとたまりもないだろう。
ホールの中央に男の体が投げ出され、先輩の指が横たわる男を捕らえた。
「シューティング・スター!」
指先から、レーザーのような圧縮された光線が飛び、男の胸元を貫通。敵はそのまま動かなくなった。
この辺りは経験の差というところだろう。敵に羽交い締めされても取り乱すことなく隙を伺っていたというわけだ。
「カズヤ君も終わったみたいね」
何事もなかったようにあっけらかんとしている。大した人だ。
「やっぱり付け焼き刃の憑依だと、この程度の強さが限界かぁ……第二ステージもあっさりクリア。今日はここまでだね」
からかうような声と共に、朝霧の気配は一瞬の内に消え去った。




