06 目玉焼き。ソースじゃなくて醤油だろ
「付近の皆様は十分に注意してください」
アラーム代わりに広報アナウンスで目が覚めた。朝から一体、なんなんだ。
枕元の時計を見ると午前八時。二度寝する気にもなれず、ベッドから身を起こした。寝汗のベトつきが不快感を煽る。
首筋の呪印を探すと、確かに指先へバツの字の感触が。夢じゃなかった。
朝霧が消え、久城も戦闘不能。切り札だったシャドウの力も失い、残るは俺とオタクだけ。戦力は激減だ。
カーテンを開け、外の景色を眺める。いつもなら、近隣の屋根の先へ大海原が広がり、遠くの山を見渡す風景を楽しめるはずが、眼下に到底不似合いな物が。
「なにかあったのか?」
それはパトカーだ。巡回するように徐行しているが、さっきの広報といい、良くないことが起こっている気がする。
顔を洗おうと、Tシャツに短パン姿で洗面所へ向かった。
☆☆☆
「和也。おはよう」
「おはよう」
洗顔を終え、リビングを覗き込むと、母さんがキッチンから話しかけてきた。
「朝御飯、食べるでしょ? 座って」
ダイニング・テーブルの上座には、いつものように新聞を読みふける父の姿。
今更ながら今日が土曜日だということを思い出し、途端にげんなりする。さっさと食事を済ませて逃げるしかない。
すると、リビングに珍しくアニキの姿を見つけた。俺たち具現者の力で取り戻したいつもの日常がそこに集約されていた。朝霧も必ず助ける。
「はい。お待たせ」
目の前に、トーストの乗った皿が置かれた。半熟の目玉焼きとウインナー、生野菜が添えられた定番の朝セット。
マーガリンをたっぷり塗ったトーストへ、醤油をかけた目玉焼きを乗せてかぶりつく。これがたまらない。
「和也。今日は外出予定はあるのか?」
「なんで?」
父さんがこんなことを聞いてくるのは珍しい。勉強しろ、という以外の会話をようやく学習したらしい。
「起きたばかりで分からないか。事件があったらしく、朝から外が騒がしい。みんなも外出時には気をつけるんだぞ」
「なに? 何があったの?」
トーストにかぶりつきながら、母さんへ視線を向ける。
「さっき、お隣の奥さんから聞いたの。なんでも刑務所の犯罪者が脱走したらしくて、まだ見つからないみたいなの」
「脱走?」
刑務所と聞いて、昨晩の朝霧の姿が思い浮かんだ。まさかあいつが。
「朝からパトカーがウロウロしているしね。この分だと、今日の家庭教師のバイト、中止かなぁ……」
アニキはコレクションである骨董品の壺を磨き、外をぼんやりと眺めている。
「秀一。こんな事件の夜に出歩くなんて危ないわ。止めてちょうだい」
母さんは怖々とした表情をしながら、アイスコーヒーを差し出してきた。
これは早めにアジトへ向かって、情報を集めた方が良さそうだ。
朝食を終え、リビングでテレビを見ていた時だった。インターホンのチャイムが鳴り、母さんが応対するも、すぐさまリビングへ戻ってくる。
「和也。啓吾君と悠君が来てるわよ」
「え? なんで? ぐはっ!!」
思い出した。もうすぐ期末テストだからと、俺の家で勉強する約束をしていたんだった。おまけに我が家には、大学生で家庭教師のバイトをするアニキがいる。一石二鳥という算段だ。
「母さん、ゴメン! うちで、テスト勉強する約束してたんだ!!」
慌てて玄関へ向かい、二人を俺の部屋へと押し込む。ちと狭いが仕方ない。
八帖ほどの洋室に男三人。むさ苦しい。とりあえず、部屋の真ん中に置いてあるテーブルを囲みながら車座で腰掛ける。
「わりぃ。忘れてた……」
「そんなことだろうと思ったよ。まぁいいけど。突撃、神崎家!」
突如、デジタル・カメラを取り出し、俺の部屋を激写する啓吾。
「こんな部屋撮って、どうすんだよ?」
「光栄新聞のネタに困ったら、何かに使えないかと思って」
「人の部屋を勝手にさらすんじゃねぇ」
「永遠の遊び人、啓吾様を招き入れたのが運の尽き。マジメに勉強できるなんて思わない方がいいよ」
「だったら、何しに来たんだよ……」
なおも辺りを物色しているが、メガネの奥の瞳に落胆の色が浮かんでいる。
「巨乳アイドルポスターの一枚すらないんだね。同じ巨乳属性を持つ者として悲しいよ……そんなことでエロスを極められると思うの!? あぶない水着と聞いただけで興奮した、あの日のトキメキはどこに行ったの!? しかも、六万五千ゴールドって高いよ……」
「知るか! ネタ古いんだっての!」
バラモスやら四人パーティやら、妄想大王の思考には付いていけない。
「カズ。これ、お土産。啓吾とケーキ買ってきたから」
「おっ、サンキュー。さっすが世話焼き旦那。こういう心遣いもきめ細かい!」
悠の手から、ラッピングされた箱をそっと受け取った。
「それにしても、よく来る気になったな。なんか、外は大変なんだろ?」
待っていたように、啓吾が反応する。
「聞いてよ。脱走した殺人犯はなんと、鬼島阿揮羅。戸埜浦純一郎一家を殺害した犯人だって」
「戸埜浦純一郎?」
ケーキの箱を一端机に置き、そのままベッドヘ腰掛けた。
「知らないの? 有名なファッション・デザイナーだったんだけどなぁ。そうそう。ジュエリー・アサギリの宝石デザインも請け負っていたらしいから、朝霧さんなら知ってるかもね」
「朝霧が?」
もしかしたら昨晩は、その鬼島へ会うために刑務所へ行ったのかもしれない。
「お婆さんがこっちに趣味で出している支店のこと知ってる? 最近、新作が発表されたらしいけど、戸埜浦さんのデザインじゃなくなってからは、ファンが減っているみたいだしね」
朝霧の祖母は都会での会社経営に疲れ果て、娘である美奈の母へ経営権を譲って引退したという話は聞いている。療養を兼ねてこの街に移り住んだものの、やはり商売人気質が消えなかったんだろう。趣味を兼ねて小さな店舗を経営しているらしい。
「そもそも、朝霧さんのお婆さんがこの街に別荘を建てた理由だけど、戸埜浦さんの家があったからって噂だよ。禁断の恋の臭いがするよね」
相変わらずの情報網だ。
「別荘ってことは、朝霧の両親はどうしてるんだ?」
「都会の高層マンションに住んでいるらしいよ。両親とお姉さんがいるはずだけど。朝霧さんだけ中学卒業と同時に、この街へ越してきたみたいだね」
「朝霧だけ?」
以前、アニキを助ける際に朝霧と話した時のことだ。“俺の両親にしてみれば、アニキは絶対に助けろ。おまえはどっちでもいい、ってところだろうな”という俺の言葉に、ひどく共感していたっけ。
久城の言っていた、あいつが抱える心の闇、その原因の一端がそこにあるということだろうか。
あいつの方が、ずっと重い暗闇を彷徨っているのかもしれない。俺の求めていた存在価値。そんなものなど鼻で笑い飛ばすほどの暗闇を。
「ところで、カズって朝霧さんと知り合いだったっけ?」
悠が不思議そうに俺を見ている。
「いえ。あんな要塞さんは知りません」
迂闊だった。ついあいつの名前に反応してしまった。難攻不落の要塞と呼ばれている朝霧と知り合いなどと知れたら、面倒なことになりそうだ。
あいつは昨年、ミス光栄一年の部を受賞した経緯もあり、そのあだ名とツンツン性格に反してファンはかなり多い。
「なに? 熱愛発覚? カズがついに要塞を攻略したってワケ?」
「おいおい」
「桐島先輩も、朝霧さんも、カズ好みの顔だよね。胸だって二人とも大きいし。ちなみに桐島先輩の胸囲は……」
「啓吾! だから、それは言うなって!」
以前から話を振られるものの、興味はあるが知りたくない。なんだか、啓吾に汚されたような気がするから。
その後の勉強などもちろん頭に入るワケもなく、二人を見送るフリをしながらアジトへ急いだ。




