05 エロいです。あなた一体、誰ですか
辺りは完全な暗闇に覆われ、何も見えない。ここはどこだろうか。
記憶はわずかに巻き戻り、一つの映像を呼び起こす。こめかみに突きつけられた銃口。身震いするほどに不快な三重奏。
あいつに打たれて死んだのか。なんて呆気ない最後だったんだろう。
その時、突然視界に何かが飛び込んだ。こちらへ伸ばされた何者かの手。
俺の手より一回り小さく、細く白い指先が何かを掴もうとするようにもがく。
「助けて!」
それは間違いなく朝霧のもの。助けを求めるそれへ、慌てて手を伸ばす。
「ミナっ!」
叫びと共に伸ばした指先が何かを掴んだ。水風船を握ったような、柔らかくそれでいて程良い弾力。
謎の感触に、二度、三度と指先を動かしてみる。何かおかしい。思っていた感触と違うばかりか、指先へ触れる弾力とは別に、手のひらへ謎の突起物が当たる。
「あんっ! もぅ。いきなり襲いかかるなんて大胆ね……嫌いじゃないけど……」
鼻にかかったような愉悦に満ちた女性の声。意識は完全に覚醒していた。
目を開けると、見知らぬ美女が顔を覗き込んでいるんだが。
「お目覚めかしら。気分はどう? そろそろ胸から手をどけて欲しいんだけど……それとも、続きがしたいの?」
挑発するような笑みを浮かべ、赤紫のルージュが引かれた唇を舐める。
「ぐはっ! すみませんっ!」
左手が、吸い付くように彼女の胸を掴み続けていた。慌てて払いのけるが、どうリアクションしていいか分からない。
「うふふっ。可愛いボウヤ。顔も悪くないし、この調子だと、あの子はきっと夢中ね。なんだか惜しくなっちゃった……」
誘い込まれるような妖艶な魅力を残し、彼女はベッドから離れてゆく。
肩まで伸びるソバージュのかかった紺色の髪。切れ長の目元と高い鼻。ぽってりとしたやわらかそうな唇。全てのパーツがエロく、女の魅力が溢れ出している。
身長は俺と同じくらいか。身に纏うのはセレナさんに似た、袖のない膝までの長衣。チャイナ・ドレスに似たその服は光沢のある赤色。胸元に向かって深いV字の切れ込みが入り、胸の部分へ見たこともない模様が刺繍されている。
残念ながら、悪友の啓吾が持つ最新型とは違い、俺の旧型神眼では胸囲を計り知ることはできない。でも、さっきの感触からするとそれなりにある。
大きくスリットの入った足下は、黒の網タイツに真っ赤なハイヒール。
どうやらアジトのメディカル・ルームのようだが、なんなんですか、この人は。
「あの……オーレンさんは?」
いつもの医師。口と顎へ蓄えたヒゲと、人なつこい笑みが特徴的な、優しい町医者的存在を目で捜した。
「なに? 私じゃ不満? あれだけ人の体を弄んで。ひどいわ!」
両手で顔を覆い俯くその姿。なんか、めんどくせぇ。それに、この人に合わせていられるようなテンションじゃない。
なぜか睨むように俺を見ている。
「なによ、その顔は? 疲れた顔をしてるから、リラックスさせてあげようっていうこの優しさ? 分かんないかなぁ……」
髪を掻き上げ、盛大な溜め息を漏らす。
「まぁいいわ。私はカミラ。補の霊術の導師。つまり、セレナと同じランクよ。今日から地上へ研修に来たの。しばらく厄介になるからよろしくね。ボウヤ」
「補の霊術。五系統の一つっスよね。確か、医療と教育関係がメインの……」
「あら。活動一ヶ月の新人の割には詳しいのね」
セレナさんからざっと聞いている情報だ。攻霊術、守霊術、補霊術、空霊術、造霊術と呼ばれる五系統。霊界でもそれぞれに役割があり、ボスやセレナさんを筆頭とする造霊術は、製造業や建築関係に精通している。俺の填めている霊撃輪も、造霊術に精通しているからこそ発明できたんだとか。
カミラさんは入口の扉へ視線を向けた。
「セレナを呼んで来るわね」
彼女が歩く度、その引き締まったヒップが左へ右へと押し上がる。
エロ尻から視線を逸らした時、自分自身の違和感に気がついた。
体から一切の痛みが消えている。それどころか、あれだけの銃撃を受けたにも関わらず、傷口も全て塞がっているとは。
「どうなってんだ?」
「カズ君、気がついたの!?」
車イスに腰掛ける久城を押しながら、セレナさんが入ってきた。
「無茶ばっかりするんだから」
頬を包み込むように押さえられ、瞳には涙まで。その様子に、とてつもない罪悪感を感じてしまった。
「すみませんでした……」
「あたしからも一言、言わせてください」
セレナさんを押しのけ、久城が睨むように見ている。きっと、朝霧を助けられなかったことを怒っているんだろう。
「久城、ごめん。約束、守れなかった……」
「そんなことはいいんだよ!」
俺の言葉をかき消すほどの大きな声。
「もっと自分を大事にして! 死んでも助けてなんて誰も頼んでないから! 一人で傷だらけになって……通信を車の中で聞いてて、不安で、怖くて……」
「ごめん。心配かけて悪い……でも、どうしても負けられない戦いだったんだ」
顔を伏せて泣き出す久城を見ながら、俺自身、今更ながら恐怖が湧いてきた。確かにギリギリの戦いだった。
でも、ここで改めて疑問が浮かんだ。
「セレナさん。俺の傷は誰が? それに、呪印を刻まれた久城は、どうして意識を失わずにいるんスか?」
「カズ君の傷を治したのは、ミナちゃん。というか悪霊ね。最後に悪霊が放った、ホワイト・シュート。あれは、属性変化による治癒効果を持った弾丸なの」
「あいつが俺の傷を?」
「悪霊はデス・ゲームと言っていたそうね。恐らく、カズ君をここでリタイアさせるわけにいかなかったんでしょうね」
「ふざけやがって……」
完全に敵の手のひらで踊らされている。
「サヤちゃんが無事なのは、霊力が高いお陰なの。具現者ともなると、呪印に対して多少の耐性があることが分かっているわ。それでも、死に至る呪いであることに代わりないけれど」
セレナさんは不安げに久城を見ている。
「ミナもサヤカも俺が絶対に助けます!」
こいつらは絶対に守ってみせる。決意を新たにすると、溜め息が聞こえた。
「カズ君。気負いすぎない。まだ二十一時だし、今日はカルトに車で送らせるから、帰ってリフレッシュすること。いい?」
「分かりました」
「セレナ。あのことは言わないの?」
後ろで黙ってやり取りを見ていたエロ姉さんが不意に声を上げた。
「あんたが言いづらいなら私が言ってあげるわ。ボウヤ、良く聞きなさいね」
カミラさんは、ベットに身を起こす俺の正面へ立った。
「実は、ボウヤの首筋にも、悪霊に仕掛けられた呪印が見つかったの」
「は?」
「さっきの戦闘といい、なぜボウヤの体に影響がないのかは不明。セレナから聞いた謎の力といい、特別な理由があるのかも……知りたい。実に興味深いわぁ」
珍獣でも見るような好奇心満載の瞳。捕まったら解剖されそうだ。
恐る恐る首筋にふれると、ミミズ腫れのようにバツの字が刻まれている。相手の生命力を奪うというこの呪い。シャドウの気配がなくなったのは、これが原因なんじゃないだろうか。
死刑宣告を受けたようで、恐怖が全身を蝕む。期限内に呪印を解除できなければ、俺も久城もあの世行きだ。
「今はこんな状態だし、カズ君さえ平気なら引き続き悪霊を追って欲しいの。やってもらえる?」
「セレナさん。愚問っスよ。やるしかないじゃないっスか。俺だって死にたくなんてありませんから」
シャドウが身代わりになってくれたということだろう。こうなったら、自力で何とかするしかない。
帰り支度のために起き上がると、枕元にはご丁寧に着替え用の制服が用意されていた。確かに今着ているものは血にまみれて使い物にならない。
俺たちが私服で活動をしない一番の理由がこれだ。アジトには光栄高校の制服が常備され、汚れや破損があってもすぐに対応できるようになっている。
安静が必要だという久城を残し、俺は一時帰宅した。だが、この時の俺は知りもしなかった。この間にも、崩壊へのカウントダウンは着実に進んでいたことに。




