33 この俺が限界突破で鬼無双!?
ミナの側へしゃがみ続けるシャドウ。彼女の引き裂かれたブラウスを見て、いたわるような視線を向けた。乱れた着衣をそっと整え、彼女の頬へ手を添える。
その目には、いつもの荒々しさは微塵も感じられない。大切な物を慈しむような、優しく柔らかな眼差しだけがあった。
「少し我慢しろ。すぐに終わらせる」
唇を真一文字にきつく結び、敵を見据えて立ち上がった。その全身には闘気が満ちて。
蛇顔悪魔のネイスはそんな彼を見て、嘲るような笑みを漏らす。
「あれあれぇ? なんだかやる気になっちゃったの? 面倒だねぇ」
「随分と好き勝手に暴れてくれたじゃねーか。覚悟はできてんだろーな」
耐え難い怒りに体を震わせ、一歩ずつ歩みを進めるシャドウ。手にした剣を左手から右手へ持ち替える彼を見て、蛇の口は大きく歪み赤い舌を覗かせる。
「覚悟? おまえを殺す覚悟ってこと?」
両脇へ抱えていた秀一と恭子の体を傍らへ投げ捨て、両手を大きく広げる悪魔。
その憎き相手へ憎悪の視線を向けるシャドウ。歪められた口から舌打ちが漏れる。
「カスが粋がるんじゃねーよ! よくもあの女を傷付けてくれたな。あいつは俺のもんだ。タダで済むと思うなよ!」
悪魔を睨むシャドウが、正眼に構えていた剣を頭上へ大きく振り上げる。
「イレイズ・キャノン!」
圧縮された霊力が刀身を包む。振り下ろした軌跡に沿って、それは三日月型の霊力刃となって悪魔へ飛んだ。
敵は完全に油断していた。それはカズヤが扱うものとはまったくの別物。
飛ぶ斬撃と化したそれは空気抵抗も軽減され、霊力球とは比較にならない速度で、敵の肩から太ももまでを斜めに切り裂いた。
「があっ!」
声にならない声を上げる悪魔。傷口から瘴気と呼ばれる黒い気体を溢れさせ、よろめきながら数歩後ずさる。
「ヒャッハツ! 霊力球には、こういう使い方もあるんだぜ。ちなみに今のは、あの女がやられた分のお返しだ!」
シャドウは瞬く間に悪魔の眼前へ迫っていた。それを追うネイスの顔は驚きと恐怖に彩られてゆくが、当の本人はそんなことに気付く余裕すら許されない。
「こんのガキぃっ!」
怒りに任せ、鋭い爪を持った悪魔の右手がシャドウを狙って突き出される。
だが彼は、薄気味悪いほどの笑みを浮かべながら身を翻して容易に避ける。それどころか切り返しに繰り出した一閃で、敵の二の腕を深々と切り裂いたのだった。
「ふんぬぅっ!!」
矢継ぎ早に振り下ろされるネイスの左手。それをサイド・ステップで避けながら、敵の脇腹へ強烈な中段蹴りを見舞う。
「がっ……」
苦悶の声と共に背中を丸めるネイス。二メートルを超える巨体が、今では驚くほど小さく映っていた。
「汚ねぇ顔を近づけるんじゃねー!」
肩口へ迫った悪魔の顔に、嫌悪感を露わにしたシャドウ。
しかめっ面で相手の頭頂を押さえ込み、顎を目掛けての膝蹴り。続け様、その右手へ霊力が収束してゆく。
「イレイズ・キャノン!」
頭頂へ霊力球の直撃を受けたネイス。その体勢が大きく崩れ、顔から飛び込むように地面へ倒れ込んだのだった。
その無様な姿は、とても先程までの悪魔と同一だとは思えない。だが裏を返せば、それほどまでにシャドウの力が圧倒的だということの現れだった。
「ヒャッハッ! 蛇は蛇らしく、そうやって這いつくばってるのがお似合いだぜ。身の程を知れよ。このカスが!」
シャドウの右脚が悪魔の背を踏み付ける。それを追うように振り下ろされた剣が、敵の腰へ深々と突き刺さったのだった。
「ぐがあぁっ!!」
頭を振り乱すネイスを見下ろし、冷徹な眼差しを向けるシャドウの口元が大きく歪む。それはまさしく、眼下の怪物が持つ悪意が彼へ乗り移ってしまったかのように。
「楽に消滅できると思うなよ。てめーには、とことん恐怖を植え付けてやるよ」
その左手が眼前へ持ち上がり、人差し指と中指は天へ向かって伸びている。
「霊界漂う数多の精霊よ。攻の創主に変わって命ず。我に力を与えまたへ」
「それは、精霊召喚言!?」
シャドウのつぶやきを耳にしたネイスが、腹ばいになったまま驚愕の声を上げた。
すると、シャドウの指先へ霊力の青白い光が収束。それをネイスへと向けたのだった。
「氷の攻霊術、絶対零度!!」
悪魔の体が淡い光に包まれる。それは大気中の水分を瞬時に吸い寄せ、厚い氷となって首から下を凍り付かせていた。
「人間が、氷の上位霊術だとぉ!?」
衝撃の展開に混乱したネイスは、思わず間抜けな声を上げていた。
倒れた姿勢のまま凍り漬けにされた悪魔は、完全に身動きが取れなくなっている。
「こいつの霊力がもう保たねー。悪りぃけど、ちょいと場所を変えるぜ」
シャドウは再び左手で印を結ぶ。
「神隠し!」
二人の周囲へ深い霧が立ち込め、視界が遮られてゆく。その霧は徐々に濃さを増し、周囲の景色を純白に染め変えた。
ネイスはこの異様な光景に焦りを感じながら、慌てて少年へ目を向ける。
声もなく静かに笑う彼を目にして、悪魔は思わず身震いした。それが恐怖という感情であるとも気付かずに。
「どういうことぉ? まるで魔空間だよコレ。おまえ、ほんとに何者なの!?」
「この術は俺のオリジナルだ。俺は、てめーらを消し去るために復活したんだ」
「復活?」
呆気に取られる悪魔を余所に、剣の切っ先を突きつけるシャドウ。
「さぁ、覚悟しな」
首から下を氷漬けにされた悪魔を見ながら、シャドウは胸の内にふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じていた。
知らず知らずのうちに、ワイシャツの胸元を強く握りしめる。
「こいつの怒りが伝わってくる。てめーに大事なものを奪われた怒りが。てめーを消滅させたところで収まる気がしねー」
蛇の中位悪魔であるネイスは、冷ややかな目でそれを静観していた。
「ボクちんには、おまえが何を言ってるのかサッパリ分かんないねぇ」
「だろーな。こいつの代わりに、俺が倍返ししてやるよ」
シャドウの右手から剣が消滅する。
「てめーには、俺のとっておきをくらわせてやる。そんな余裕を見せてられんのも、今のうちだけだぜ」
★★★
その頃アジトでは、再びオペレーターから怪訝そうな声が上がっていた。
「カズヤと悪魔ネイスの霊力が消失。恐らく、魔空間に入ったと思われます」
「魔空間!? カズヤ一人で!? サヤカの合流までどのくらい?」
「戦闘地点まで、およそ五分」
オペレーターの返答を受け、セレナの整った顔が苦しみに歪む。
「サヤカが到着次第、すぐに霊力を感知させて魔空間を破らせて!」
悲鳴のような声を上げたセレナは、最悪の事態を覚悟して瞳を堅く閉じるのだった。
★★★
シャドウは両拳を軽く握り、顔の前でバツの字に組み合わせた。腰をわずかに落として両足をしっかりと踏ん張る。
悪魔にもそれがはっきりと分かった。目の前の少年を取り巻く霊力が更に密度を増し、その力は青白い光となって彼の体を包む。今やその全身が淡い輝きを放っていた。
「おまえ、ホントに人間なのか!?」
ネイスにとっても信じがたい光景だった。その少年がまとう力は、霊能戦士や自分たち悪魔にほど近いものだったのだから。
そんな悪魔の問いかけを無視して、シャドウの唇は一つの言葉を紡ぎ出す。
「神の左手。悪魔の右手。覇王の両目を抱きし魔竜。深淵漂う力を結び、闇を滅する刃と成さん」
それはまさに、そこにいる者を地獄へ誘う滅びの呪文。辺りの様子が一変し、魂さえも凍り付かせようかというほどの重く寒々しい空気に包まれる。
印を組み続ける少年。不意に、彼の眼前の空間に変化が起こった。
陽炎のようにそこだけが奇妙に歪んだかと思った矢先、腰の位置へ握り拳ほどの黒い球体が出現。それは周囲の空間を食らうように大きさを増し、瞬く間に少年の胸元まで膨れ上がっていた。
「それはまさか、門か!?」
次々と起こる予想外の出来事に、ネイスは驚きと混乱を隠せずにいた。




