31 決着だ。これで全てを終わらせる
泥を跳ね上げ、仰向けに倒れた悪魔の体。それを呆然と眺めていたが、不意に我へ返った。
念には念を。用心に超したことはない。
「ゴースト・イレイザー!」
手の中へ愛用の剣が具現化。それを逆手に持ち、刃先は足下へ。左手で柄を握り、右手は柄頭を上から押さえ込む形に。
「とどめだ……」
そうして刃の先端を敵の心臓部へ添える。そのまま、悪魔の体へ倒れるように全体重を乗せた。
「くそっ! ふざけんなぁっ!!」
ゴムに刃を突き立てたような、押し返されるほどの弾力が。しかし、勢いで押し切ると、刃の先は敵の体へ食い込んだ。
「つらぬけえぇぇぇ!」
これでもかと全ての力を振り絞り、剣を更に押し込んだ。その末、刃は根本まで完全に突き刺さったのだった。
肩で荒い息をしながら、その体を呆然と眺めていた。頭の中が真っ白だ。
「やったわね……」
背中に手が置かれ、かすかな温もりが伝わってくる。それに呼応するように、この状況が徐々に飲み込めてきた。
「勝ったのか?」
背後の朝霧を振り返り、満面の笑みで勝利を確認しあった。
横たわる蛇頭の体。胸元に突き刺さったままの剣を引き抜くと、傷口から煙のような黒い気体がゆらゆらと立ち上った。瘴気と呼ばれるそれが抜けて行くと共に、悪魔の体が砂のように崩れ始める。
「マジで勝ったんだよな……」
つぶやきに応えるように、朝霧の通信機からオペレーターの声が。
『悪魔ネイスのSOUL低下を確認。現在20。尚も低下中……』
「そうよ。勝ったのよ、私たちが!」
朝霧に断言されても、なんだか実感が湧かない。あまりに一瞬だったせいかもしれないが拍子抜けだ。しかし、あの突然の合図にまだ動悸が収まらない。
「それにしても、俺がサインに気付かなかったらどうするつもりだったんだ? 無茶苦茶だろ……」
「賭けだったけれど、結果オーライよね」
晴れやかに笑う朝霧。本気で性格の悪さが悔やまれる。いや、待て。俺は桐島先輩一筋。なんでこいつが気になるんだ。
まぁ、あれだ。こいつの見た目が、完全に俺の好みというだけだ。それ以上の深い意味なんて全くない……はずだ。
朝霧は顔に張り付いた髪の毛を払う。
お互い雨に打たれ、服までずぶ濡れだ。そのブラウス越しに下着が透け、イヤでも視線が向いてしまう。啓吾に言えば、間違いなく大スクープだと騒ぐだろう。
「早くお風呂に入りたいけれど、その前にやることがあるわよね……」
そう言って、防空壕の側に横たわるアニキとグレイへ視線を向ける。だが、二人とも死んでしまったように動かない。
「恭子さんを保護するわ。封印の腕輪を填めるから、一応、彼女を押さえて」
朝霧は、ポーチから銀製の細い腕輪を取り出した。表面へ筆記体のような文字が書かれているが判読はできない。それをグレイに填めれば異世の力を封じ込めるはずだ。あとはアジトへ連れ帰り、浄霊をしてやればいい。
ようやく終わる。激しい疲労を感じるが最後まで気は抜けない。小学校の担任は言っていた。家に帰るまでが遠足だと。
グレイの傍らへしゃがみ、顔を覗き込んだ瞬間、驚きに尻餅をついてしまった。
「なに? どうしたの!?」
「こいつ、目を覚ましてやがる!」
腰を上げ、慌てて剣を拾い上げる。
すると、グレイはゆっくりと身を起こす。うつろな目で俺たちを見たが、身じろぎ一つせず足下へ視線を落とした。
「異世さん。最後に言い残すことは? なければ霊界へ送り返して終了よ?」
「好きにするがいい。生き返ることができないと分かった今、何の未練もない。私が仕掛けた呪印も解いた」
完全に戦意を失っている。その表情に、やりきれない気持ちだけが残った。
「結局、悪魔に騙されたってワケか。その交換条件が生き返ることだったのか?」
「そうさ。私の鏡に細工をして、霊力と生命力を蓄積できるようにしたんだ。そこへ指定するだけの量が溜まったら、体を蘇生してやるとあいつが言ったんだ」
吐き捨てるように言いながら、恨みを込めた目で悪魔の遺体を睨む。
「おまえたちの存在は予想していなかったがな。あいつから力を分け与えてもらったが、それでもこのザマだ」
消え入りそうな弱々しい笑みを作る。
悪魔たちの狙いが何だったのか。今となってはそれを知る術もない。
「私のせいで才蔵様が命を絶ったこと、悔やんでも悔やみきれなかった。もう一度蘇り、せめてこの墓石を見守って暮らすことが出来たらと……」
「てめぇの言い分なんて知るか! これで終わりにしてやるよ」
「待ってくれ」
声のした方を見ると、なんとアニキが体を起こしてこちらを見ていた。
「気がついたのか!?」
「待って。彼は才蔵さんよ」
朝霧の制止の声で、途端にテンションが下がる。ようやく救えたと思ったのに。
「こんな私を見ないでください……」
異世は顔を隠すようにうつむいた。
「ようやくおまえと話ができる。全てを終わらせて、共にあの世へ行こう。何がお前をそこまで追い詰めた?」
才蔵は体をひきずるように、力のない足取りでこちらへ近付いてきた。
「才蔵様。あなたにはきっと分からない。私が唯一誇れるのはこの器量の良さだけ。それがなくなってしまえば、私は何を支えに生きてゆけばいいのか。あなたの心が離れていってしまうのが怖かった……」
アニキの体を借りた才蔵が、恭子の体を黙って抱き寄せた。
「そんな愚かな悩みで、あんな化け物じみたことをしでかしたのか? 安心しろ。ワシの心は常におまえを想っている」
「愚かな悩み? 女心が分かっていないのね。それほど、あなたを想う気持ちが強かったということよ」
すかさず擁護する朝霧。女同士で通じるところがあるんだろう。
二人の体から霊体が抜け出し、アニキと恭子の体は抜け殻のように倒れる。
一人は、まげを結わえた割腹のいい男性。無精髭を生やした厳つい顔からは、圧倒的な威圧感すら漂っている。着物から露出した肌には刀傷が残り、歴戦の猛者といった貫禄を感じる。
もう一人は着物姿の女性だ。思わず見とれる端正な顔立ちはまさに大和撫子。結い上げられた黒髪と、そこに覗くうなじが妙に生々しく、大人の色気を感じる。
仲むつまじく寄り添う彼らこそ、生前の才蔵と異世に違いない。
「お主たちにも迷惑をかけた。蘇った異世を止めるためとはいえ、彼の者の体まで奪い、すまぬことをした」
「そう思うなら、今度こそ異世さんを離さないでくださいよ。それだけ約束してもらえれば、もう何もありません」
「分かった。たとえ生まれ変わっても、必ず異世を見つけてみせる」
才蔵は傍らに立つ彼女の肩を抱き寄せ、柔らかな笑みで応えてくれた。
気付けば雨も上がり、綺麗な満月が雲の切れ間から顔を覗かせている。
「浄霊の必要もなくなったわね。これで無事解決ということね……」
隣に並んだ朝霧は、中空に浮かぶ二人の霊体を見上げている。その瞳は憧れを含み、うれしそうに微笑んで。
月光に照らされた横顔の美しさに、ついつい目を奪われてしまった。不意に視線が混じり合い、慌てて別の方向を見る。
「なんか、昼メロみてぇな展開だな。脚本家の顔が見てみたいぜ……」
見ているこっちが恥ずかしくなり、思わず後頭部を掻きむしった。
結局、異世のもの凄く個人的な理由に、全員が振り回されたという結末だ。
『近くに霊力反応!』
朝霧の通信機から声が漏れたのと同時だった。目の前を白い何かが瞬時に横切り、そこにいたはずの才蔵と異世の霊体は一瞬の内に姿を消していた。
何が起こったのか分からず呆然と立ちつくしていたが、ふと、先程の白い何かが気になり、そちらへ視線を向ける。
そこには、巨大な白蛇が舌を覗かせて笑っていた。見覚えのある蛇が。
「どういうこと?」
朝霧の震える声が背中越しに聞こえる。
「ゲヒヒヒヒ……どういうこと? こういうこと。ボクちん、脱皮能力があるんです。どう? 驚いた?」
まさに悪夢だ。目の前で白蛇に両手足が生え、筋肉質の体が再生されてゆく。
戦いは、まだ終わっていない。