23 夢を追う人、現実を生きる人
「どうしてって、カズ君へ具現者の任務をお願いするのも、精々一年から一年半というところかしら。そんな限られた時間に価値を見出して欲しくないの。きっと、もっと大事なことがあるわ。あなたはまだ若い。焦らなくても、おのずと答えは見えてくるはずよ」
その言葉は胸の上を滑るように弾かれ、虚しく消えてゆくだけ。
「恐いんスよ。女と恋をして、子供を作って、人間って生物を地球に繋ぎ止めるための、駒でしかないんじゃないかって」
「それは違うと思うわ!」
セレナさんの強い口調に驚いた。
「恋って素晴らしいことよ。カズ君も誰かに必要とされたいんでしょう? 恋をすればその感情を味わうことができるわ」
「自分の存在価値を見つけたいんスよ。世界中の全ての人が、恋をするために生まれてくるワケじゃないっスよね」
「分かったわ。カズ君のモヤの正体が! 夢、夢よ! カズ君の夢は!?」
それは心の中へ小さな波紋を呼んだ。
俺には明確な夢がない。存在価値という目的が見えれば、夢はおのずと見えてくるんじゃないかと漠然と考えていた。実は、その答えの求め方が逆だったのかもしれない。夢に向かうからこそ、そこへ存在価値が生まれるということか。
「夢か……特にないかも……」
「目標も?」
「今の目標は、悪魔にも負けない強さを手に入れること。自分の身近な人たちだけでも、この手で守りたい……」
握りしめた拳に爪が食い込み、鈍い痛みが走る。それが決意を強くする。
「呆れるほど真っ直ぐなのね。限られた時間に価値を見出さないでと言ったばかりなのに……ここからは私が先生として授業をしてあげるから、良く聞きなさい」
「え? 授業!?」
セレナさんは口に手を当て一つ咳払いをすると、背筋を真っ直ぐに正した。
「これはあくまで私の持論だけれど……」
様子をうかがうように上目遣いで俺を見る。その仕草に戸惑い、顔が熱くなる。女性の上目遣いってヤツは苦手だ。
「人には二種類の生き方があると思うの」
「二種類?」
「そう。“夢を追う人”と、それをあきらめ妥協して“現実を生きる人”。カズ君はまさしく、夢を追う人になりたいと足掻いているのよ」
父さんの顔が過ぎる。紛れもなく現実を生きる人だ。家族を養うために諦めた夢とは何だったんだろう。そんなことを知りたいと思ったこともなかった。
「現実を生きる人か……妥協して生きるような人生に、価値なんてあるんスか?」
「価値は人それぞれよ。自分の命が尽きる時、悔いのない人生だったと満足できればそれが一番よ。それに、夢をつかむことの出来る人なんてほんの一握り。人の欲望は果てしないわ。一度満たされても更に大きな欲望を生む。夢が叶うことなんて永遠にないのかもしれないわね」
そう言って自分の両腕を抱きしめる。霊界で、人のおぞましい部分をイヤというほど見てきたに違いない。
でも、セレナさんがそんな仕草をしているせいで、今日も爆様が苦しそうに変形している。解放してあげたい。
「まずは、カズ君も夢を持つことね」
「え!? あ、あぁ。夢っスよね!」
「私の話、ちゃんと聞いてた?」
「もちろんっスよ!」
爆乳に釘付けだったなど言えない。
でも、セレナさんの言う通りだ。将来に不安を感じていたが、自分がどうありたいかなど真剣に考えたことがなかった。
「セレナさんの夢って、何なんスか?」
「え! 私!?」
まさか自分が聞かれるとは思っていなかったんだろう。辺りを警戒するように素早く見回し、口元に手を添える。
「絶対に秘密よ。いい?」
「分かりました」
「私の目標は、ボスの後を継いで、造の賢者になること。霊界の人々を正しい方向に導き、造の霊術を後世に伝えていくの」
「造の霊術?」
霊術。セレナさんや医師のオーレンさんが言う魔法のような力のことだろうが、造の霊術というのは聞いたことがない。
「霊術というのは五つの系統があるの。機会があったら詳しく説明してあげるわ」
「そこまで聞いたら気になりますよ。せめて系統だけでも教えてくださいよ」
話の主旨が変わってしまったが、知りたいものは知りたい。
「真剣な目に負けたわ……系統を駆け足で説明するわね。攻撃が主体の攻霊術、守りが主体の守霊術、癒しが主体の補霊術、移動が主体の空霊術、造形が主体の造霊術の五つよ」
無用な混乱を避けるためと、これ以上の説明は遮られてしまった。
先日セレナさんに聞いた話によれば、賢者の下位である導師は、賢者の片腕として仕えているらしい。五つの系統があるということは、それぞれに賢者と導師が存在するということだろう。
セレナさんも賢者になるという大きな夢がある。負けていられない。
「俺も探してみますよ。自分の夢を。存在価値を見いだせるような大きな夢を!」
「そう! その意気よ!」
長い間沈殿した憤りという堆積物が綺麗に洗い流され、すっきりとした気分になったものの、どうしても取り払えない一本の棘が心に残されていた。
「今日は休みなさい。後のことは明日、みんなで話し合いましょう」
「わかりました」
体がだるい。無理矢理に覚醒させていた体は限界を迎えているが、この不安が大人しく眠らせてくれそうにない。
そう。悪魔という謎の存在は見えない刺となって心へ突き刺さり、根を張るようにじわりじわりと侵食を始めていた。
俺の心へ恐怖という病巣を張り巡らせるのに、そう時間はかからないはずだ。
☆☆☆
目隠しされたような完全な暗闇。数日前にも同じようなものを見た気がする。
視線を左右へ向けたところで何かが映るわけでもない。俺の未来を映し出しているようで、言いしれぬ不安が広がる。
直後、背後で衝突音。金属質で重量のある何かがぶつかり、甲高い音が響いた。
視覚を塞がれた不安に加えて聴覚までも刺激され、恐怖が否応なく増幅される。
背後には奇妙な光景があった。暗闇の中、なぜかそれだけがくっきりと肉眼で捉えられる。まるで、それを写真に撮って背景を黒で塗り潰したかのように。
「鬼斬丸……なんでこんな所に?」
それを手に取ろうと、一歩踏み出した時、刀の更に奥へ力なく横たわる人影が。
「アニキ!?」
倒れているのは間違いなく本人だが、そこには何もなかったはずだ。テレビの電源を入れたように突然に現れた。
慌ててアニキの下へ駆け出すと、視界の端で何かが動いた。
目を凝らした先には白い物体。遠くから徐々に迫ってくるそれは、かなりの大きさであることが分かる。
「電車?」
違う。そんな生易しいもんじゃない。真っ白な大蛇。いや、電車のようなそれは、大蛇どころか巨大蛇だ。気色悪くうねり、とてつもない速度で迫ってくる。
気色悪さに思わず仰け反り、嫌悪感に口元が歪む。そいつを追い払いたい一心で、殴りつけるように左拳を突き出した。
「イレイズ・キャノン!!」
だが、叫びは暗闇へ吸い込まれた。
おかしい。霊力球が出ない。
慌てて引いた拳を再び突き出す。
「イレイズ・キャノン!!」
言葉が空しく響く。端から見れば滑稽だろう。中二病の高校生が、子供のごっこ遊びをしているようにしか見えない。
「くそっ!! どうなってんだよ!?」
白い巨大蛇は目前に迫っている。慌ててその場を飛び退くと、蛇は突然に進路を変えた。二本の鋭い牙が覗く大きな口を開け、鬼斬丸と、横たわるアニキの体を一飲みにしていた。
巨大蛇はそこで停止すると、体制を整えるようにとぐろを巻いた。その鋭い眼光を向け、真っ赤な舌を覗かせる。
鬼斬丸を初めて見た日の悪夢が蘇る。だが、今の俺にはこいつと戦う力がある。霊力球が出せないなら叩き切るだけだ。
「ゴースト・イレイザー!!」
あるはずの剣がない。何も出てこない。
「なんなんだよ!!」
右手を見て愕然とした。剣が出ないんじゃない。霊撃輪がない。
ズボンの左右のポケットを上から叩く。いや、ケツのポケット。ここにもない。それならワイシャツの胸ポケット。ここにもない。どこにもない。




