19 現実か? 悪夢であると願いたい
こんな時でも、その秘密めいた行為に胸が高鳴る。イタズラを仕掛ける子供の気分に戻り、思わず口元も緩んでしまう。
武道に疎い俺には分からないが、オタクはなにかの構えを取り、次に備えている。対して、グレイも右手へ霊力の刃を構え、オタクを睨んだまま動かない。
二人を見ながら芝生へ腹ばいになり、樹木に隠れてゆっくりと移動する。
「まさか居所が知れてしまうとは……」
女が自嘲めいた笑みを浮かべた。
「おまえには消えて貰わねば」
「その言葉、そっくり返してやろう。貴様が私に勝てないことは実証済みだ」
「その生意気な口、掻き切ってやるわ!」
怒声と共に駆け出す女。その動きに合わせて木陰から飛び出した。
「イレイズ・キャノン!」
敵の背中を狙った右手。そこに力が伝い、霊力球が吹っ飛んだ。
短い悲鳴を上げ、女の体がオタク目掛けて大きく傾く。そのチャンスを見逃すあいつじゃない。
「ハッ!」
身のこなしも軽やかな回し蹴りが、敵の左アゴを的確に捉えていた。
体をくの字に歪めた女が芝生へ倒れる。巻き添えを受けた花々が、悲鳴を上げるように花びらを散らした。
「なぜ貴様がここにいる!? 助けを頼んだ覚えはないぞ!」
早口でまくし立てるオタクを片手で制し、素早く剣を構えた。
「話は後だ。とりあえず、こいつを消し去る方が先だろ。この剣で急所を狙えば、いくらなんでも消滅するだろ」
剣を逆手に持ち替え、両手で柄を強く握りしめる。そのまま、倒れている女の心臓部へ狙いを定めた。
「私の獲物を横取りするつもりか?」
肩に手が置かれ、強く引き戻される。
「ったく。そんなこと気にしてんじゃねぇ! だったら、勝手にやれ!」
思わず感情的に言い返してしまったが、オタクはそれを流した。両手を頭上に掲げ、祈るように組み合わせる。
その両手へ霊力が収束し、青白い光が拳を包み込んだ。さながら、霊力のハンマーといったところか。
「とくと味わえ、正義の拳……セイギマン・オメガ……」
その時だ。体中の熱を根こそぎ持っていかるような極寒の強烈な殺意。全身が総毛立ち、身動きが出来なくなる。
視界の端では、オタクも動きを止めていた。俺は恐怖に身震いする体を誤魔化し、殺意の出所を素早く探る。
「なにか来るぞ!!」
叫ぶと同時に、邪悪な意思を持った霊力が周囲に渦巻く。それは強力な一陣の風のうねりと化し、俺たちの体は軽々と吹っ飛ばされていたんだ。
気が付いた時には、地面へ横たわっていた。どこかにぶつけたのか背中が酷く痛む。先程の風は止んでいるが、それと引き替えるように信じられない光景が。
それはまさに、先日の奇妙な夢の続きだ。顔を上げた先にいたのは、蝙蝠の顔を持つ人型のバケモノだった。
隆々と盛り上がった筋肉質の肉体を黒い体毛が覆い、背中には一対の羽根が。
「なんなんだよ?」
体の痛みも忘れ、意識はその生物へ釘付けになっていた。
今、目の前で起こっていることは本当に現実なのか。それともまた、悪夢でも見ているか。夢であると願いたい。
視界の端でオタクが立ち上がる。ヒーロー・スーツのせいで反応は読み取れないが、同じ気持ちなんだろうか。
「まさか、こんな所で“悪魔”に出くわすとは以外だったな。丁度いい。久しぶりに骨のある奴と戦えそうだ」
驚くどころか楽しむような素振りすら見せ、ムダのない動きで身構えた。
「こいつが、悪魔?」
思考は更に混乱していた。なにがどうなっているのか。俺に与えられている情報はあまりにも少なすぎる。
これが悪魔だと言うのなら、俺が見ていたのは夢なんかじゃない。
すると、蝙蝠顔の怪物はオタクへ向き直り、手にした短剣を構えた。
その瞬間、再び激しい頭痛に襲われた。頭の中を鈍器で殴られるような激痛と共に、胸が燃えるように熱くなる。
「ぐあぁぁぁぁ……」
全身を破壊されそうな程の痛みに、声を上げることでしか抵抗の術は残されていなかった。
胸元が更に熱さを増し、無我夢中で掴んだのは祖父から貰ったお守り。
痛みに悶える最中、その声だけが妙に鮮明に脳裏へこだました。
(力を解放しろ……覚醒するんだ……全てを解き放ち、悪魔を滅しろ……)
芝生に横たわる俺の眼前で、手にしたお守りが淡い光に包まれた。それは心音を刻むように明滅を繰り返す。
それが繰り返すごとに、怪物に対する敵意と破壊衝動が体の奥底から溢れ出し、次第に高まってくる。
押さえきれない謎の意志は濁流となって暴れだし、理性のダムを決壊させようと怒濤のごとく押し寄せる。
その流れに飲み込まれるように、意識は闇へと落ちていた。
☆☆☆
夢を見ていた。闇夜を颯爽と舞う夢を。
まるで鳥にでも生まれ変わったかのように、地上を遥か下に見下ろしている。
天空に輝く月がいつもより近い。民家に灯る明かりがホタルのように、淡く優しいぬくもりを投げかけている。
そこは見慣れた神津市の町並みだ。帰り道を急ぐかのように、馴染み深い場所へぐんぐん近付いていく。
「この辺りから強い霊力を感じるのだが」
どこからか謎の声が聞こえた。
意識をそちらへと向けると、そこには今朝の夢に出てきたペガサスが。
月光に照らされたその姿は、月並みだが美しいという言葉以外にない。ゆったりと上下する翼は光を受け、黄金色から黒、黒から黄金色へと変化を繰り返す。
側に鎧の戦士の姿はない。空を駆けるように悠然と羽ばたくペガサスは、徐々に俺の家へ近付いていく。
だがそこで、ようやく異変に気付いた。
見慣れた場所は何かが決定的に違う。全てが古い。タイムスリップしたように、なぜか昔の町並みが広がっている。
羽ばたくペガサスは、ついに神崎家の玄関へ降り立った。そして、ゆっくりと足を踏み出し玄関扉をすり抜けた。
信じられないことばかりだが、黙って見ていることしか出来ない。
深夜の廊下を音もなく滑るように進み、一つの部屋の前で立ち止まった。
この部屋は俺も知らない。今の家とは間取りが違い、まるで他人の家のように見える。確か、祖父が亡くなった時に改築工事をしたと聞いたことがあるが。
その室内で寝ているのは紛れもなく祖父。俺が小学校低学年の頃に他界したが、その顔は今でも脳裏に焼き付いている。
だが、記憶の顔より数段若く、まるで父を見ているような錯覚に襲われた。
ペガサスは口にくわえていた何かを、祖父の枕元へそっと置く。
「これをおまえに授ける。魔を退ける力を持った護符だと思い、大事にするのだぞ。いつか時が満ちるまで……」
黒い小さな物体がキラリと輝いた。
眠る祖父には目もくれず、ペガサスはおもむろに翼を広げ、天井をすり抜けた。
「戦士よ、約束は果たした。私は幻獣界へ戻る。もう二度と会うことはあるまい」
☆☆☆
どれだけ気を失っていたのか、不意に意識が戻った。激痛は消え、目の前でオタクと怪物が戦いを続けている。
「寝てる場合じゃねぇ……」
肘を使って上体を起こした時、緩んだお守りの口から何かがこぼれ落ちた。
拾い上げると、貝殻に似た黒い物体。どこか見覚えのあるそれは、ついさっき見た一枚の鱗に酷似している。
「やっぱり、ただの夢じゃなかったのか」
それは淡い光に包まれ、心音を刻むように明滅を始める。同時に、頭の中へ呪文のような言葉が繰り返される。
『力を解放しろ……力を解放しろ……』
体が勝手に動く。その物体を握りしめ、そっと瞳を閉じた。脳裏へ一つの言葉が浮かび、口から自然と紡がれる。
「時は満ちた。今こそ盟約の果たされる時。いざ、黄泉の扉は開かれん」
体の奥底から霊力が溢れ出し、黒い物体へ吸い込まれていく。同時に大きな虚脱感を感じ、意識が再び遠のいていった。