15 目の前の五つの命を助けたい
「これで五人目なんスか……」
放課後を迎え、昨晩襲われた女性が気になり、セレナさんと共に医療スペースへ設けられた集中治療室を尋ねていた。
教室ほどの部屋へ、液体が満たされたカプセルが十機ずつ二列に並んでいる。
「生命維持装置があるとはいえ、最初に襲われた彼女は保ってあと四、五日ね」
セレナさんの悲痛な面持ちに、俺は足下へ横たわるその装置を見下ろした。
左から順に被害者が寝かされている。身に纏ったバスローブのような無地の着物は、まさしく入院患者が纏うそれだ。酸素マスクと、栄養供給のために腕へ繋がれたチューブが何とも痛々しい。
カプセルに満ちた液体は呪印によるエナジー・ドレインを抑制し、死を引き延ばすことが出来るのだという。
「エナジー・ドレインって何なんスか?」
深刻な顔のセレナさんを見る。
「生命力を取り込み、自分の力を増幅させているようね」
腹の底から込み上げる怒りと共に、グレイの見下すような瞳と笑みが蘇える。
被害にあった女性たちにもそれぞれの生活と人生があるはずだ。彼女を想う家族や恋人もいるはずだ。それを考えると、いたたまれない気持ちになってくる。
「この人たちが死ぬと、存在まで消されちゃうんスよね?」
「そうよ」
肯定の一言が重く響く。
悪霊に襲われて命を落とした者は、ボスの力によって存在を抹消され、人々の記憶からも失われてしまうのだという。
存在を抹消される理由は、悪霊の存在を隠蔽するため。そんなものの存在が公になれば、人々がパニックを起こしてしまうという配慮からだ。
「もし、この女性がこのまま死んだら、彼女の住まいはどうなるんスか?」
「全ての家財道具が処分されて、もぬけの空になるはずよ。それを見た親兄弟は、なぜそこを空き部屋のまま放置していたのか疑問に思うでしょうけれどね」
「そんなの悲し過ぎるじゃないっスか」
当人の苦しみを分かってやることは出来ないが、同情せずにいられない。
自分自身が消えて無くなってしまうというのはどんなものなのだろうか。誰の記憶に留めてもらうことも出来ず、失われてゆく悲しみというのは計り知れない。
誰にでも最後の時は訪れるがまだ早い。遠い先の話で充分だ。今、目の前にある五つの命はまだ失われていない。そして俺には、それを救うための力がある。
「負けるな。絶対に助けてみせる……」
カプセルへ手を付き、彼女の意志の強さに訴えた。呪印の力に屈してほしくない。生きることにすがりついて欲しい。
「随分、たくましくなってきたわね」
セレナさんにとっては何気ない褒め言葉だったのだろうが胸に痛い。
「実際、口だけっスよ。あの女には負け越しっスから。この事件だって、結局はオタクの担当でしょ。俺はアニキの一件を片付けることさえ出来るかどうか……」
悔しさを押し殺し、笑顔で取り繕う。俺にもオタクほどの力があればと思う。
謎の声は契約がどうのと言っていたが、何の変化もない。やはり空耳だったのか。
「焦らなくても大丈夫よ。その想いがある限り、必ず力は付いてくるから」
「今は一日でも早く、その力が欲しい」
不甲斐なさに拳を握りしめた時、入口の扉が開いた。どうやら看護担当の女性スタッフがやってきたようだ。
彼女はセレナさんの姿を認めると恭しく頭を下げた。
「セレナ導師、カズヤさん。検診の時間ですのでご退出を願います。会議室では、既にラナーク賢者がお待ちです。他のお三方も間もなく到着する予定です」
「え! みんなもうすぐ来るんスか!?」
マズイ。非常にマズイ。
「セレナさん。急ぎましょう」
「どうしたのよ?」
「オタクとミナに先を越されたら、なんて言われるか分かんないっスよ。また厄介ごとが増えちまう」
「あらあら。リーダーも大変ねぇ」
楽しむように、意地悪く微笑む。
「うわぁ。すっげぇ他人事だよ……置いていきますからね」
「ひっどぉい! ねぇ、聞いた?」
「はい。確かに」
セレナさんと看護スタッフの視線が突き刺さり、なぜか俺が一方的に悪者のような気持ちになってくる。
「ちょっと、ちょっと」
「うふふっ。冗談。さぁ、急がないとね」
セレナさんは出口へ向かいながら、看護スタッフへ視線を向けた。
「被害者たちのケアはお願いね」
「かしこまりました」
「俺からもよろしくお願いします」
彼女へ全てを託すように深々と頭を下げた。今の俺にできることはこれぐらいしかない。
もう一度、五つの生命維持装置を瞳に焼き付けると、固い決意を胸に秘め、医療スペースを後にした。
セレナさんと会議室へやってくると、入口で朝霧と久城に鉢合わせた。
「オッス! リーダー!」
満面の笑みで右手を掲げる久城へ、笑みで応える。見ているだけでこちらまで元気になるから不思議だ。
「集中治療室へ行って来たようね。どう? 厳しい現実と、命の重みは?」
和やかなムードを一瞬で消し去り、朝霧は険しい顔を向けてくる。
「俺たちが何とかするしかねぇだろ」
「あら。よく分かっているじゃない」
朝霧は顔にかかった艶やかな黒髪を片手で払い、会議室へ姿を消した。
今の俺に返す言葉はない。グレイを相手に連敗を喫している以上、結果で証明するしかない。
「リーダー。一緒にがんばろうね!」
久城の一言でわずかに救われた気持ちになる。飴と鞭のようなコンビだ。
「貴様ら、さっさと入れ。邪魔だ」
オタクだ。まるで、荷物かゴミでも扱うような口振りに怒りが込み上げる。
「おまえ、その言い方は……おい!」
俺たちの間へ強引に割って入り、話も聞かずに室内に消えてゆく。
「ったく、なんなんだよ。あいつは!」
怒り心頭だが、久城は平然としている。
「頭に来ないのかよ?」
「いつものことだから、慣れちゃった」
「大人だねぇ……」
肩をすくめて小さく微笑んだ久城も会議室へ入っていく。
中では、ボスはいつものように上座へ。向かって左へセレナさんが座り、それと向かい合うように朝霧と久城が。オタクは、セレナさんの背後の壁へ腕組みをしながらもたれかかっている。
相変わらず、変な奴。
面倒なので放っておくことに決め込み、セレナさんの隣へ腰掛けた。
「カズヤ君、セイギ君。昨日は大変だったな。被害は拡大してしまったが、二人が無事で何よりだ」
「すみませんでした」
ボスにまで優しい言葉をかけられ申し訳なくなる。いっそなじられた方が、いくらか気持ちも楽なのに。
「再び機会はくる。今度こそ逃すな」
「はい。がんばります!」
「口で言うのは簡単だな」
背後からつぶやきが漏れた。振り返らなくても声の主は分かる。オタクだ。
「二度目の命令違反で私の任務へ首を突っ込んだ上、再び霊力を奪われる失態。この責任は重大だ。まだリーダー気取りでいることが信じられん」
込み上げる怒りを抑えきれず、イスの背を強く握って背後を振り返った。
「偉そうなこと言ってんじゃねぇ! 敵に負けたのは、おまえも一緒だろうが」
「首を突っ込む覚悟を決めた以上、確実な成果を出せ。それが出来ないなら余計な手出しはするな。足手まといだ」
「足手まといだと!?」
「二人とも止めなさい!」
立ち上がり様、オタクの襟元へ伸ばした腕を、セレナさんに横から掴まれた。
「終わったことをとやかく言わない。カズ君も座りなさい!」
どうもこいつの言葉に感情をかき乱されてしまう。大きく息を吐いて、胸に込み上げた怒りを捨て去る。
イスへ座り直すと、ボスと目があった。
「落ち着いたかな? 昨日の調査報告を聞きたいんだが、いいかね?」
「はい。すみません」
気を取り直し、昨日、新聞部で見聞きした全てを手短に説明した。