29 失われた全ての命へ
目の前で繰り広げられる凄惨な光景に、呆然としながら涙を流すミナ。装飾銃を握りしめた両手は恐怖に震えていた。
「ごめんなさい……これしか方法がなかったんです……ごめんなさい……」
うわごとのように繰り返し、額を両手へ押しつけるミナ。だが、謝罪に応える者はない。
「ふしゅしゅしゅ……勝利だ! これで我が輩を脅かす存在は無くなった!」
足下にあるカズヤの体を蹂躙するように、足先をよじり抉る毒蜘蛛。全ての希望が潰えたかに思われたその時だった。
「幻獣王、滅咆吼!」
毒蜘蛛の背後を狙った黒い球体。それが、腹部から頭部までを一直線に貫いていた。
「バカな!? なぜだ!?」
残された五つの複眼で背後を振り返る毒蜘蛛。すると信じられないことに、そこには斬魔剣を構えて立つカズヤの姿が。
「残った目玉で、足下を良く見てみやがれ!」
言われるがまま、毒蜘蛛は足下に横たわるはずのカズヤの体を確認する。
「どういうことだ!?」
そこに倒れていたのは間違いなくカズヤのはずだった。しかし、よくよく見てみれば、ウエーブパーマをかけた茶色の頭髪に、シルバー・アクセサリーの数々。リョウだった。
「てめーが霊術を使った瞬間、お嬢ちゃんが俺たちの外見を入れかえたんだよ!」
横凪に振り抜いたゼノの一閃が、毒蜘蛛の後ろ足の一つを切り飛ばした。
「こしゃくなマネを!!」
毒蜘蛛の足先が霊力の青白い光を放ち、次々とゼノを目掛けて振り下ろされる。だが彼は、それらを容易にすり抜けた。
「また、あいつを泣かせちまった」
振り下ろされた前脚の一つを避けると同時に、それを一刀の下に切り飛ばす。
結果的に、リョウの命を奪う羽目になった。ミナの心にまた一つ、重い枷を填めてしまったという事実が、ゼノの心をも苦しめる。
「カス導師。てめーの死で償え!」
「死ぬのはおまえだ!!」
五つの複眼から打ち落とされる霊力球。だが、ゼノの振るった大剣の一凪がそれらをまとめて弾き飛ばした。
霊力球が爆ぜ、遠方で巻き起こる凄まじい爆発。それがゼノと毒蜘蛛を煽る。
「光の攻霊術! 惑星砕!」
ゼノはすかさず霊術を解き放つ。弾ける閃光。爆発の威力に毒蜘蛛の顔は弾かれ、上体が大きく仰け反った。
「空霊術、翔!」
それと同時に、風の結界を纏ったゼノは大きく跳躍していた。毒蜘蛛の体を強く踏み付け、敵の頭上へ蹴り上がる。
複眼を潰されたことで、毒蜘蛛は霊術を展開することができなくなっていた。最早、その時点で勝敗は決していたのだ。
今の闇導師を動かすのは勝利への執念。だが、執念の強さならゼノも負けていない。闇導師への積年の恨みが彼に更なる力を与える。
「くたばれ! カス導師!!」
「ほざけ! 出来損ないの魔人があっ!」
振り下ろされる斬魔剣。迎え撃つは太く大きな毒蜘蛛の脚と、五つの霊力球。
獲物を狙う竜の爪と化したゼノの一閃。竜の咆吼のような轟音を轟かせたそれが、蜘蛛の脚を容易く切り飛ばし、向かい来る五つの霊力球すら消し去った。
「ティアの恨みだ……」
ゼノは落下と共に、剣の先端を毒蜘蛛の脳天へ深々と突き刺した。闇導師の声にならない絶叫が空間を揺さぶる。
「そしてこれは、失われた全ての命へ」
毒蜘蛛の頭を踏み付け、引き抜いた斬魔剣で複眼と鋏角を切り裂いた。
激痛に叫び、悶絶し、瘴気を撒き散らしながら巨体を激しく揺さぶる毒蜘蛛。だが、ゼノの恨みが晴れることはない。
「リョウ、カイル、カミラ、クレア……」
命を落とした者たちを呼びながら、毒蜘蛛の複眼へ順に剣を突き立て、深く鋭く抉る。
「最後に、レイカ……」
残った最後の目を斬魔剣が貫いた。
「てめーの死で、全員に償え!」
直後、毒蜘蛛はその姿を維持することが不可能となった。空気の抜けた風船のようにみるみる萎み、上半身だけの闇導師の姿へ戻る。
同時に魔空間が消滅。辺りは色彩と、戦闘前の鬱蒼とした森の姿を取り戻した。
「惨めな姿だな……」
ゼノは足下に転がる闇導師の体を蹴り飛ばし、仰向けになった敵の顔を覗き込む。八つの複眼と鋏角を失い、瘴気の流れるその顔に、蜘蛛の面影は微塵も無い。
「死神と深淵が冥府で待ってるぜ」
大剣を振り上げるゼノ。その脳裏に二体の四混沌の姿が蘇っていた。
カラスの顔を持ち、空中戦を得意とした死神セレベス。そして、鮫の顔を持ち、地中までも泳いで戦った深淵カルカリス。ここで闇導師を葬れば、残すは戦神のみ。
「たとえ我が輩の体が朽ちようと、この怨念で世界を混沌に陥れてみせる……」
闇導師の手にはいつの間にか、砕かれた水晶球が握られていた。
「この水晶が何か分かるか? あの研究所で培養している闇蜂どもの檻を開ける鍵だ……この地上を闇蜂で覆い尽くしてやるわ……」
「なるほど。そう言うことかよ」
対してゼノは落ち着き払った顔で、余裕の笑みすら浮かべていた。
「残念だったな。大事な研究所から昇る黒煙が見えるか? セレナに頼んで、工作部隊を派遣しておいた。今頃、全部消し炭だろーぜ」
「おのれ! おのれ! おのれぇぇぇ!」
それは彼にとって、万が一の切り札だった。予想を超える展開に怒りと恨みを込め、狂ったように絶叫する闇導師。
「魔人と悪魔王の力はどうした!? 我が輩が、こんなところで死ぬはずがない!」
「見苦しいんだよ、てめーは。もう終わりだ。素直に現実を受け入れろ」
尚も叫ぶ闇導師へ向かい、斬魔剣エクスブラッドを振るうゼノ。その一撃が敵の上半身を真っ二つに分断していた。
長かった戦いの終わりに、大きく息を吐くゼノ。彼等の勝利を称えるように、薄闇に包まれていた空は夜明けを迎えようとしていた。
「終わったな……ティア。おめーの恨みも少しは晴らせたか?」
倒れたまま動かない彼女を、悲しげに見つめるゼノ。言い表すことのできない深い悲しみと大きな虚脱感が彼の心を支配していた。
「ついに勝ったのね? これで、戦いもなくなるのよね?」
明るくなってきた空を見上げるゼノに、安堵の笑みを浮かべたミナが並んだ。
闇導師も滅び、地上に残る悪魔は全滅した。悪魔王ジュラマ・ガザードの脅威も去った今、この町の怪現象も収まっていくに違いない。
ミナは右手で即座に印を組み上げた。
「守霊術、女神の息吹!」
その体を起点に、青白い光が大地を覆うように周囲へ拡散。側に立つゼノだけでなく、倒れたままのアッシュとアスティへも治癒霊術が行き渡ってゆく。
「クレアの力、見事に使いこなしてるな」
「ええ。頭の中で念じただけで体が勝手に動くのよ……まるで、彼女が生きていて、力を貸してくれているみたい……」
その光は、四人の心の傷までも癒やしているようだった。体の芯から温かくなり、穏やかな気持ちになってゆく。それはまるで、クレアが女神の化身となって彼等を包んでいるかのようだった。
「俺の役目も終わりだ。カズヤの傷を引き受けて、少し休ませてもらうぜ」
斬魔剣が大気へ解けるように霧散し、ゼノとカズヤは意識を交代した。突然に呼び戻されたカズヤも対応に困り、隣に立つミナの顔を見て苦笑を漏らす。
「ゼノ。やっぱり最後はやってくれたな、ありがとう……それにミナも。おまえがいなかったら勝てなかった」
「そんなことないわ。神崎なら、きっと勝つって信じてた……」
不意に口を付いて出た本心。慌てふためき、頬を染めてうつむくミナ。
「私ね、一つ気付いたことがあるの……」
「なにを?」
「私が追いかけていたのは、あなたじゃなかったんだってこと……あなたの中にいた狂戦士でもない……二人が共有した、第三のカズヤなんだって……」
「第三の俺!?」
カズヤの問いかけに黙って頷いた。
「そう。限界突破の狂戦士。私が憧れていたのは彼だったのね。きっと……」
そこまで言って、カズヤの瞳を正面から真っ直ぐに見つめ返すミナ。
「だから、改めて言うわ。私は本当のあなたをもっと知りたい! 私なら、神崎の心の傷を分かってあげられる! 癒やしてあげられる! だから!」
カズヤは顔を背け、慌てて背を向ける。
「ごめん。今は、そういうこと何も考えられなくて……やっと戦いが終わったんだ。今はそれだけで充分だって」
つぶやくカズヤのワイシャツが引かれ、背中へミナの温もりが宿った。
「どうして私じゃダメなの? ねぇ、どうして!? 答えてよ……」
カズヤは改めてレイカの存在の大きさを実感していた。戦いが終わった今、それをまざまざと痛感し、彼の心と体は抜け殻のようになっていたのだ。
大事な人のいない世界。彼はそこに己の存在価値と理由を見出せないまま佇んでいた。
と、その時。カズヤとミナの頭上へ霊眼が飛来。通信機が強制的に連絡を受け取った。
『やった! ようやく捕まった!』
それは、カズヤを担当している男性オペレーターの鬼気迫る声だった。
「どうしたんスか?」
気の抜けた返事をするカズヤへ、耳を疑う報告がもたらされた。
『緊急事態です! 直ちに夢来屋へ戻ってください! 海岸前にカルトさんが車を回してくれていますから!』
「ちょ! 緊急事態ってなんスか!?」
突然のことに、二人は戸惑いの表情を浮かべるだけだった。