27 終わらせる。心の闇を打ち砕き
ゼノは耐えがたい怒りに拳を震わせ、直立したままのティアを見つめていた。
闇導師の言葉が真実ならば、ティアに寄生した上位悪魔を消滅させれば、彼女も命を失う。究極の選択が重くのし掛かっていた。
闇導師は、踏み付けたアスティの左肩から蜘蛛の脚を引き抜く。すると、懐から放たれた二匹の闇蜂が、ティアとリョウの首筋へ。
「ふしゅしゅしゅ……我が輩が得たものと同じ力を二人へ与えよう。更なる力と引き換えに、人格は完全に崩壊する」
「くそっ! やめろってんだよ!!」
両手を踏み付けられ霊術を封じられたアッシュ。だが、迂闊にも闇導師は、彼の下半身へ警戒を怠っていたのだ。
「麒麟駆!」
つま先へ霊撃を乗せ、オーバーヘッド・キックのように足を振り上げるアッシュ。
「があっ!」
青白い光をまとった右足が闇導師の腰を蹴る。背中を仰け反らせた敵は大きくよろめいたが、蜘蛛の脚を操り、すかさず体を支えた。
アッシュは素早く身を起こし、ゼノも好機を逃さず斬魔剣を拾い上げる。
その直後、闇蜂から、魔人と悪魔王の力を注入された二人。充血したように真っ赤な瞳が、ゼノを射貫くように見据えていた。
リョウは堕天の翼を纏い、ティアの手には瘴気で作られた漆黒の大弓が。だが、ゼノの牽制により、二人は動けない。
茂みの中へ逃げ込んでいたアッシュは、敵を迂回してゼノの側へ姿を現していた。
「おめー、その気になれば、もっと早く逃げ出せたんじゃねーのか!?」
「すんません! 何か有益な情報を引き出せればと思ったんですけど……」
代償として、彼は左腕の自由を失った。治癒の霊術を施せば回復するだろうが、眼前の相手がそんな時間を与えてくれるはずがない。
「どうすりゃいいんだ……」
苦い顔で呻くゼノ。答えは分かっているのだが、実行に大きなためらいを感じていた。
(変われ! できないなら俺がやる!)
カズヤからの思念が脳内へ響く。
(簡単に言うんじゃねー。あいつを殺すってことだぞ。相手がレイカだったら、おめーに斬れるのか!?)
闇導師への怒りと苛立ちを、思念に込めるゼノ。八つ当たりだと分かっているものの、そうすることでしか平静を保てなかったのだ。
(レイカ先輩は死んだ。だからこそ、おまえの痛みも分かる。俺ならできる! この戦いを終わらせるんだろ? 俺たちがやるんだ!)
ゼノの迷いを打ち砕くように、一言一言が見えない刃となって響く。打ち振るわれた刃は心の闇を払い、光を投げ込む。
「覚悟を決めるしかねーのか……」
大剣を手にゼノが駆ける。狙いを定めたのは、漆黒の翼を纏ったリョウだ。
奇襲を仕掛けようと印を組んだその時だ。その左手を目掛けて何かが襲った。
「くっ!」
咄嗟に腕を降ろしたゼノ。すると、その胸元を一本の矢がかすめ過ぎた。
視線の先には、弓を構えたティアの姿。
「神眼は健在ってか……」
印を組んだ彼の手を正確に狙っていた。驚くほどの精度は彼が知っている当時のまま。悪魔が寄生していると言うが、身体能力は本人を基礎としているのだろう。
直後、頭上に殺気を感じたゼノ。慌てて飛び退くと、七本の刃が降り注いでいた。
「うぜーんだよっ!!」
振り抜いた大剣でそれらを弾く。舌打ちと共に、背後のアッシュへ声を張り上げた。
「援護しろ! 俺だけじゃムリだ!」
そうして再びリョウへと駆けるゼノ。その彼を敵の一斉攻撃が狙う。
闇導師とティアが放ったのは、一抱えもある炎の霊術球。威力を高めるために効果範囲を絞ったものだ。加えて、上空からは再び七本の刃が降り注ぐ。
「守霊術、円!」
「光の攻霊術、金剛砕!」
ゼノの全身をドーム状の霊力壁が包むと同時に、アッシュが後方から霊術を発現。二つの霊術球を巻き込んで爆発を引き起こした。
ゼノを頭上から襲う七本の刃。そして横手からは爆炎。それら全てを霊力壁が受け流す。
幸いなことに、爆炎の影響で闇導師とティアの視界は塞がれた。ここが好機と、ゼノは斬魔剣を水平に構えた。
数メートル先へ立つリョウ。その胸へ飛び込むように前方へ体重を乗せる。だが、命まで取ろうとは思っていない。動けなくなるまで痛めつけ、闇導師を滅ぼすことができれば正気を取り戻すはずだと踏んでいた。
その時、リョウの右手が持ち上がった。それは、ゼノが最も警戒していた技。
「させるかよっ!」
突進をあきらめ霊力刃を放とうと身構えたゼノ。だが、その体は直後に硬直する。
「なんだ!?」
気付いた時には既に手遅れ。足下には、見覚えのある魔法陣が展開していた。
「四混霊術、怨嗟」
炎が消えた先で、印を組んだ闇導師が肩を揺らして笑っていた。
「アッシュ!」
叫ぶゼノの耳に届いたのは、吹きすさぶ風の音。目の前に立つリョウの狙いは、最初からアッシュだったのだ。
「くそっ!」
最早、絶望的だった。動きを封じられてはどうすることもできない。
やり切れない思いで吐き捨てるゼノへ、闇導師がゆっくりと歩み寄る。
「ふしゅしゅしゅ……詰みだな。最後は愛する女の一撃で、あの世へ送ってやろう……それにしても皮肉なものだ。愛する女の裏切り……我が輩と同じ運命を辿るとはな」
「ケッ! てめーなんぞと一緒にするんじゃねーよ! 吐き気がすんぜ!」
「おまえの力を失うのは惜しいが、殺せと本能が命じるのだよ。バルザンドスと、あの女の血が流れていると思うとな……」
「どういうことだ?」
「お喋りはここまでだ。我が輩にはまだ、やるべきことが残っている」
闇導師が背を向けて歩き出すと同時に、弓を手にしたティアが身構えた。
耳の後ろまで弦を張ると同時に瘴気の矢がつがえられ、ゼノの胸元を狙う。
「くそっ! このまま終われるかよ!」
ティアの真っ赤な瞳を見つめ返すゼノ。その体に残るであろう僅かな自我を呼び起こすように。訴えかけるように。
その時だった。ゼノの右手側でモノクロ空間の一部が澄んだ音を立てて崩壊。飛び込んでくる人影があった。
そして、独楽のごとき激しい旋回を繰り返す渦が続いた。そこから繰り出される霊力弾が三人を強襲する。
印を組む闇導師の右手。ティアの弓。リョウの右手。神眼と恐れられたティアをも上回るとてつもない精度。だがそれは、武器に与えられた補正能力があってこそのものだった。
「螺旋円舞」
霊力の花弁が舞い、髪を振り乱した少女が荒い息を吐く。同時に、槍を手にした少年がリョウの背後へ迫っていた。
「一角閃!」
すくい上げるように突き出した穂先が、漆黒の翼ごとリョウの腹部を貫いた。そのまま、彼の体を頭上へ跳ね上げる。
体の自由を取り戻したゼノとアッシュも、既に攻撃体勢に入っていた。
大剣を手に、ティアへ駆けるゼノ。同時に、アッシュも腰を落として身構えた。
「麒麟駆!」
力なく落下してきたリョウの体へ、地を這う霊力刃が追撃した。
彼が纏う堕天の翼は砕け散り、衝撃に弾かれた体は激しく地面を転がった。
対して、ゼノの一撃は迷いを帯びたものだった。唸りを上げる真紅の軌跡は描かれず、頼りない斬撃はティアの持つ大弓に容易く受け止められてしまったのだった。
迷いとためらいが、剣を、覚悟を鈍らせる。無双の強さを奪い去る。
視界の端で、アッシュたちの繰り出す双霊術の電撃がリョウの体を直撃。二人の戦士はそのままの勢いで、闇導師へ向かっていく。
自らの心の弱さに気付き、ゼノは身動きができなくなってしまった。
閉じこもり冷え切っていた心へ温もりを投げかけてくれた唯一の大事な存在。そんな彼女を斬ることなどできなかった。
カズヤの言葉に覚悟を決めたはずだった。だが、いざその瞬間を迎えた途端、覚悟は嘘のように消え失せていた。
「俺は……俺は……」
震える剣。それが弓を通してティアの腕にも伝わってゆく。だが、その気持ちまでも相手へ届けることはできない。
「こういう役目は、私だけで充分よ」
直後、ゼノの視界へ割り込むように、右後方から腕が伸びた。装飾銃を手にした、見覚えのある色白の腕が。
打ち出された霊力弾。銃口で威力を増幅されていたそれは、ソフトボールほどの大きさとなってティアの胸を的確に打ち抜いていた。
慌てて振り返ったゼノは、悲痛な表情で涙を浮かべるミナを捉えた。
驚き、怒り、戸惑い。言い表すことのできないいくつもの感情が渦巻いた。そして沸き上がる憤怒と殺意、そして絶望。
「言ったでしょう。剣になるって……」
叫び、狂いだしそうになるゼノ。真っ白になったその意識へ飛び込んだのは、体を共有するもう一人の人物だ。
体を取り戻したカズヤは、急速に萎んでゆくゼノの意識を感じていた。同時に、涙を流すミナの姿に顔をしかめ、やり切れない思いで唇を噛みしめた。
視線を逸らした先で見たのは、体を起こそうと地面へ後ろ手を突くティアの姿。咄嗟に、握っていた斬魔剣を彼女の胸へ突き立てた。
驚くほど滑らかにその体を貫いた巨大な刃先。無骨で荒々しい作りとは裏腹に、凄まじい切れ味を秘めていた。
「ミナ。おまえは苦しまなくていい。俺が全部、引き受けるから。だから、もう泣くな」
無言で横たわるティアの骸を見つめ、カズヤは決意を秘めてつぶやいた。