26 繰り返す。逃れられない負の連鎖
「まだ、ここからだぜ! 空霊術、疾!」
ゼノの体を風の結界が覆う。
脚力を強化した彼は、モノクロの森奥に佇む闇導師を目掛けて駆けた。
長年待ちわびた待望の瞬間。先日の失敗を糧に、ゼノは心を落ち着かせるよう自分自身へ言い聞かせていた。再び怒りに飲み込まれては、ここで決着を着けることなど到底叶わない。今度こそ、戦いを終わらせるために。
「補霊術、阿修羅!」
ゼノの大剣へ青白い光が宿る。アッシュが後方から仕掛けた霊撃強化の術だ。
「ムダなことを!」
八本の足を大きく広げた闇導師。すると、それぞれの先端へ霊力球が発生。
「失せろ! 愚か者!」
矢継ぎ早に放たれる霊力球の連撃。しかし、ゼノはそれらをはっきりと捉えていた。
しゃがみ、跳び、身を逸らし、打ち払う。その口元に余裕の笑みすら浮かべて。
的を外した霊力球は木々を打ち払い、土砂を巻き上げ地面を抉る。凄まじい威力を秘めてはいるが、当たらなければ何の意味も無い。
大剣を握るゼノの手にも力がこもる。
闇導師への怒り、憎しみ、敵意。内包する負の感情全てが注がれる。それ以上に彼の胸を満たすのはティアの姿。彼女が受けた言葉にできない程の屈辱と苦しみを目の前の敵へぶつけるために。
「そんなもんかよっ!」
闇導師の腹部を狙い、横凪に深紅の軌跡が描かれる。
「くっ!」
肩胛骨に沿って生えた蜘蛛の脚。右半身の四本を使い、その一撃を辛うじて受け止めたものの、僅かに体勢を崩す闇導師。
ゼノはその隙を見逃さない。彼の左手は既に印を組み上げている。
「光の攻霊術! 惑星砕!」
「闇の攻霊術! 虚無!」
ゼノの手から生まれたのは光。対して、闇導師が左半身の四本脚から生み出したのは対を成す闇だった。
全てを飲み込む闇属性の上位霊術が展開。闇導師の脚を中心に黒い影が広がり、ゼノの放った光の霊術を打ち消していた。
「我が輩に霊術は効かんよ」
ゼノの攻撃を受け止めた右半身の四本脚。それぞれの先端に霊力の青白い光が灯り、ゼノを目掛けて突き出された。
「くっ!」
咄嗟のバック・ステップ。四本の脚は、先程までゼノが立っていた場所を一瞬の内に深々と刺し貫いていた。
「麒麟駆!」
闇導師が硬直したタイミングを狙い、アッシュの放った地を這う霊力刃が襲う。
モノクロの地表を深く切り裂き、飛ぶような勢いで迫ったそれが腰へ命中。闇導師は再び体勢を崩した。
「くたばれ! カス導師!」
再び、真紅の霊力刃が放たれる。
横一線に振り抜かれたそれが闇導師の胸元を直撃。周囲の木々をも薙ぎ倒し、敵の体を凄まじい勢いで森の奥へと吹き飛ばしていた。
「ゼノさん、やりましたね!」
満面の笑みで駆け寄ってくるアッシュ。
「バカ野郎、まだ終わってねーよ! あれぐらいで始末できるほど甘くねー」
それを裏付けるように、モノクロの茂みの奥で不気味に立ち上がる人影。
「おめーはここにいろ! 林の中じゃ動きづれーんだ!」
大剣を手に駆けるゼノ。それを迎え撃とうと、闇導師の八本の脚へ再び霊力球が灯る。
「ワンパターンなんだよ! てめーは!」
ゼノを目掛けて一斉に放たれる攻撃。
「守霊術! 壁!」
眼前へドア程の霊力壁を展開。全てを弾き、物ともせずに突き進む。
目の前に迫った宿敵の姿。それを逃さぬように狙いを定め、切っ先を繰り出す。
「失せろ!」
獲物を狙う一撃必殺の鋭い突き。それが狙い違わず闇導師の胸元を貫いた。
扱うのは幅広の大剣だ。貫いた途端、その一撃が肩から腹部までを一気に引き裂く。
ゼノの悲願はついに成就された。
安堵の息を漏らしたその時、止めを刺した宿敵の体が煙のように消え失せる。
「ちっ!」
焦ったゼノは、再び周囲を警戒した。
導師クラスとはいえ、相手は霊術のエキスパート。消え失せた姿を目にして、ゼノは改めて思い知らされた。
「造霊術……傀儡か!?」
彼には扱えないが、自身の複製人形を造り出す術があることを思い出したのだ。人形とはいえ、それを遠隔操作することで簡単な攻撃を行わせることも可能なはずだった。
その時だ。茂みから飛び出た人影。その勢いで眼前の戦士へ体当たりを仕掛けると、地面へ思い切り押し倒した。
その両手を踏み付け、八本の脚で眼下に横たわる少年の胸元へ狙いを定める。
「アッシュ!?」
ゼノは思わず叫び声を上げていた。
茂みへ飛び込んだ彼と入れ替わるように、闇導師も移動していたのだ。
ティアの顔がゼノの頭を過ぎる。またしても同じ過ちを繰り返してしまうのか。逃れられない負の連鎖が心を強く縛り付けていた。
「ふしゅしゅしゅ……勝負あり、だな」
「くそっ! ふざけやがって!」
怒りと悔しさに震えるゼノ。それを眺めて闇導師は鋏角を揺らして笑う。
「剣を置け。おまえと話がしたい」
「てめーと話すことなんて何もねーんだよ!」
「ならば、この男の命と引き換えに我が輩を討ってみるか? あの時はできなかったが、今度はどうだ?」
「ゼノさん、俺のことは見捨ててください! これでも覚悟はできてんだ!」
「黙れ、小僧!」
蜘蛛の脚の一本へ灯る霊力の光。闇導師はそれをアッシュの左肩へ突き刺した。
「ぐあぁぁぁっ!!」
「止めろ! 剣は捨てる……」
覚悟を決めたゼノは、斬魔剣を放り投げた。霊力を具現化したその剣もまた、見た目に似合わず物音一つ立てはしない。
「感心、感心。実は、一つ提案がある。我が輩も、この戦いで配下と魔人を失った。奇しくもバルザンドスをこの手で葬り、悲願の一つを成就した。残るは戦神と女王の駆逐……」
「何が言いてーんだ?」
「我が輩に手を貸せ。元々、それが狙いで風見とかいう小僧を取り込んだのだ。小僧の扱い方を間違えはしたがな」
「どうして、てめーがあいつらを狙うんだ? 仲間じゃねーのか!?」
「仲間? そんな感情はとうに捨てた。我が輩の過去を知る者を全て消す。戦う理由は最早それだけだ……おまえたちへ協力する代わりに恩赦を要求する」
「恩赦だと?」
不信感を露わにするゼノ。
「そうだ。戦神と女王以外に用はない。二人を始末した後は、暗黒界で生きる権利を請求する。造霊術の賢者を通して、霊界へ掛け合ってはくれまいか?」
「ゼノさん! 騙されないでください! こいつは今、ここで倒すべきですよ!」
「おまえは黙っていろ!」
アスティの左肩を貫いていた脚が更に深く地面を抉った。
押し殺した呻きを耳にしながら、ゼノは闇導師を鋭く睨んだ。
「ゴライアス。どうやらてめーは、交渉する相手を間違えたみてーだな。俺が、てめーに協力すると思うのか?」
ティアだけではない。この体を通して、カズヤの怒りや苦しみまでもがゼノへしっかりと伝わっていた。
カミラ、クレア、レイカを始め、これまでの戦いで失われていった数々の人々の顔が浮かんでは消えてゆく。彼等への想いを踏みにじることなど到底できなかった。
「ふしゅしゅしゅ……残念だよ、ゼロ。どうやらおまえには絶望が必要らしい……おまえに相応しい玩具を用意した。我が輩からの贈り物を受け取るがいい」
印を組んだ闇導師の右手が持ち上がる。
「造霊術、闇法陣」
ゼノと闇導師の間へ割り込むように、地面へ二つの魔法陣が浮かび上がった。
それは先日、病院の地下で試作魔人を召喚した物と同一の魔法陣。すると、それが青白い輝きを放ち、人影を呼び出した。
その人物を目にしたゼノとアッシュは、言葉を失い呆然とするしかなかった。
「どういうことだ?」
眠ったように瞳を閉じて直立する二人。彼等を見て、驚愕に目を見開くゼノ。
そして、闇導師は肩を揺らして笑う。
「その小僧は昨日、ベアルが偶然見付けてな。我が輩が持たせた闇蜂で隷属させたのだ。こんな所で役立つとはな……」
魔法陣の一つに現れたリョウを見据え、ゼノは苦々しく舌打ちを漏らした。だが、それよりも彼の注意を引いたのは、もう一つの魔法陣へ現れた人物だ。
何かの間違いだと。目の前の光景を信じられず、彼の心はそれを激しく拒絶していた。
「ふしゅしゅしゅ……意外か? よく考えて見ろ。我々がどうやっておまえたちの根城を掴んだと思う? 郷田を追ったとでも思ったか? 馬鹿者め!」
「そいつに何をしやがった!?」
「我が輩が大人しく返すわけがなかろう。その女は既に生きる屍。自我が崩壊したその体には、上位悪魔が寄生しているのだ」
そう。魔法陣から現れたのは、信じられないことにティアだったのだ。
闇導師の真っ赤な複眼は、召喚された彼女へ向けられている。
「定期的に闇蜂の瘴気を与えなければ延命は不可能。本来なら昨日の間に連れ戻す手はずが、闇蜂を持たせた隊は全滅。我が輩が力を裂いて、召喚術で呼び戻す羽目になるとは」
「てめぇ……絶対に許さねーぞ!!」
「我が輩の申し出を受け入れぬから、このような結果になったのだ! 絶望の内に命果てるがいい!」
両腕を大きく広げ、勝ち誇った闇導師は高らかに叫んだ。