25 意味が無い。大事な人のない世界
アジトを後に、真夜中の海岸へ到着。貸し切りの砂浜で海水浴を楽しめれば最高だろうが、生憎そんなことをしている場合じゃない。
アッシュがご丁寧に持参してくれたゴムボート。それを足踏みのポンプで膨らませてゆく様を黙って見つめていた。ボートが完成したところで、アッシュが空霊術を展開。風の結界でコーティングされたボートを操り、俺たちは三日月島を目指す。
海岸を出て十五分ほど。目指す島が次第に近付いてきた。
一日あれば一周できてしまう小さな島。上空から見ると三日月の形をしていることから、その名が付けられたのだという。
現在、島の所有者はあの院長、郷田だ。研究施設という名目でいくつかの建物が見受けられるらしいが、まさかそこに悪魔が潜んでいるなど誰が考えるだろうか。
「ミナを連れてこなくて良かったのか? 置いてきぼりなんて知ったら怒られるぜ……」
砂浜へゴムボートを引き上げていたアッシュから不意に声が上がった。
「これ以上、みんなを危険に晒せねぇよ……まぁ、格好付けても実際は怖いんだけどな。アッシュがいてくれて良かったよ」
闇導師を倒して、二人で絶対にここへ戻る。
「正直、レイカ先輩のいない世界なんて何の意味も無いんだ……今の俺を動かしてるのは、闇導師への怒りと責任感だけだ……」
レイカ先輩、クレア、カミラさん。そしてカイル。闇導師と決着を着けるということは、彼等の弔いも兼ねている。絶対に負けられない。この恨みの力だけが俺を動かす源だ。
「大事な人のいなくなった世界か……」
唇を噛むアッシュ。カミラさんを慕い憧れていたのは本音だろう。クレアをも失った悲しみを乗り越え、こうして付いてきてくれたことは素直にありがたかった。
でも、クレアを失って辛いのは俺も同じだ。結び付きを持ったことで、情が入ってしまったんだろう。最後は派手に裏切られたが、きっと本意じゃなかったんだろうとも思う。
俺を裏切ったことも、結び付きを持ったことも、全てがカミラさんのためだとしたら、クレアの人生とは何だったんだろうか。
「だあぁっ! 生きる意味とか、そんなの分かるわけねぇだろ! 後から付いてくるもんじゃねぇのかよ!? 生きた証みてぇにさ!」
投げやりな調子で怒鳴るアッシュ。
「生きた証か……レイカ先輩の生きた証って何だろうな。誰の記憶からも忘れ去られて行くっていうのに……」
突然、アッシュに腕を掴まれた。
「忘れ去られるのは誰だって同じだろ? いつかはその日が来るんだ。だからこそ、おまえだけは忘れんな! レイカはおまえの中で生きてんだ! だから、絶対に死ぬな!」
「死なねぇよ。負ける気がしねぇ」
微笑み返しながら、アッシュの肩を力強く叩き返した。
☆☆☆
俺たちは言葉も少なく、島の中心へ向かって進んでいた。辺りには鬱蒼とした林が広がり、足下には大きめの岩も残る。だが、研究所へ至る道だけは軽く整備されていたのがせめてもの救いだった。
「けど、闇導師と悪魔王の言ってたナターシャか? 結局、分からないことだらけだよな。あの二人の間にも確執があったんだな……」
隣を歩いていたアッシュが、足下の雑草を踏み分けながらつぶやいた。
「多分、ボスなら何か知ってると思うんだ。戦いが終わったら聞いてみるよ」
実際、ゼノもそのことを気にしていた。何か引っ掛かるものがあるらしい。
戦いが終わったら。その言葉を口にしながら、その先のことが頭を過ぎった。
体を持たないゼノはどうなるんだろうか。この状態が一生続くとでもいうのか。はたまた、幻獣王ならそれを解く方法を持っているのかもしれない。
(カズヤ。今はそんなこと気にしてる場合じゃねーだろ。後で考りゃいいんだ)
(後でって、一番重要だろ? ティアさんと、霊界へ戻るんじゃねぇのかよ?)
アジトのメディカル・ルームで眠り続ける彼女の姿が浮かんだ。
(そうしたいのはヤマヤマだが、そうもいかねーだろうしな。俺は死人だ。後は消滅するだけの運命さ……おっと! どうやら、お喋りは終わりだ)
「来たぞ!」
ゼノの言葉でその霊力に気付いた。俺たちを目掛け、強烈な悪意が接近していたのだ。
周囲の景色が色を失ってゆく。魔空間が発動されたに違いないが、ここまでは想定内。主導権を握られようと焦ることはない。
呼吸を整え、体の奥底を流れるゼノの霊力を探る。それをつかみ取り、自分の中へ取り込むイメージを完成させた。
「限界突破! モード、狂戦士!!」
★★★
カズヤの意識がゼノと入れ替わると同時に、体へ内包された霊力が一段と膨れ上がった。
ゼノとカズヤ。二人は一つの体を通して視界と意識を共有する。今までならば、控えた一方は相手を頭上から見下ろす形で存在していた。だが、カズヤがA-MINに覚醒したことで、両者の立ち位置がついに対等となったのだ。
「なんだか妙な感覚だな……」
苦笑するゼノの前方へ、ついにその存在が姿を現した。漆黒のローブに身を包んだ蜘蛛顔の悪魔。闇導師ゴライアスが。
「ふしゅしゅしゅ……待ちかねたぞ」
中空へ漂っていた姿が音も無く着地。フードを脱ぎ、そこから覗いた真っ赤な複眼が二人を捉えた。
「あの娘はいないのか? まぁ良い。おまえたちを始末した後で迎えに行こう」
「始末されんのは、てめーだろーが!」
薄ら笑いを浮かべたゼノは、顔の前で両手を交差させ、腰を落として身構える。
「神の左手。悪魔の右手。覇王の両目を抱きし魔竜。深淵漂う力を結び、闇を滅する刃と成さん」
詠唱が完了し、腰の位置へ握り拳ほどの黒い球体、門が出現した。
「ふしゅしゅしゅ。斬魔剣、か……」
釣られるように、闇導師もローブから両手を突き出し、それを背後へ払った。
造霊術士であることを示す緑の長衣に、ベージュのズボンとブラウンのブーツ。それはラナークやセレナと同じ物。
ほっそりとした体躯はお世辞にも格闘向きとはいえない。すると、マントから飛び出した黒いものが。無数の闇蜂だ。
「それがどうした? 俺たちを刺したところで意味ねーだろ?」
魔人の力を持つゼノと霊能戦士のアッシュ。彼等に対して何の効果もないことは明らかだ。
「ふしゅしゅしゅ……愚か者め。この貴重な力をおまえたちになど使うものか。これは我が輩のもの」
取り巻くように飛んでいた蜂が闇導師へ取り付き、その体へ一斉に毒針を突き立てた。
直後、闇導師から放たれていた霊力が一段と濃密に変化していくのを二人は感じていた。同時に、ほっそりとした体がボディ・ビルダーのように、筋肉質の引き締まった肉体へ変化していた。
「なんなんだよ! この力は?」
「あいつ、闇蜂から力を吸収してやがる」
うろたえるアッシュへ応えるように、ゼノが苦々しい顔でつぶやいた。
「ふしゅしゅしゅ。愚か者ども。ただの闇蜂と思うなよ? この蜂が取り込んだものが何か分かるか? 昨日、エデンの体から採取した悪魔王の力だ……」
闇導師が、瀕死のエデンへローブをかぶせたことを思い出したゼノ。あの中には闇蜂の大群が仕込まれていたのだ。
「あれだけウダウダ言ってた割に、最後はカス魔王の力に頼るしかねーのか!?」
門へ右腕を突き入れたゼノは、大剣、斬魔剣エクスブラッドを引き出した。
「要は勝てば良いだけのこと! バルザンドスの力を取り込み、我が輩は至高の存在になるのだ!」
どこまで行っても悪魔王の影を払うことができない現実に、ゼノの中にも言いしれぬ苛立ちが生まれていた。
断ち切ることの出来ない因果。ゼノの体へ受け継がれたバルザンドスの遺伝子。互いに死して尚、その呪縛から解き放たれることは叶わないのだ。
「至高どころか死亡させてやるよ! 幻獣王、力を貸してくれ! この、ろくでもねー戦いを終わらせるために!」
全ての想いを大剣へ注ぎ、それを構えたゼノ。それを追うように、アッシュもまた具現化した長剣を構えた。
「消え去れ! カス導師!」
ゼノが横凪に振り抜いた大剣。そこから深紅の霊力刃が飛んだ。
「むんっ!」
巨大竜が繰り出す強烈な爪を思わせる一凪。それを目にした闇導師は咄嗟に神格を解放。背中から生えた八本の蜘蛛の脚で眼前を覆うと、霊力刃を真っ向から受け止めたのだ。
堪えきれずに弾き飛ばされるその体。霊力刃は周囲の木々をもまとめて薙ぎ払い、闇導師の体はモノクロの森の中へ吸い込まれるように消えて行った。
「すげぇ……」
呆気に取られるアッシュの眼前で、ドミノ倒しのように薙ぎ倒されてゆく木々。
二人の視線の先には多量の切り株が残され、モノクロの空が顔を覗かせていた。
そこに飛び上がった一つの影。霊力刃の衝撃から逃れた闇導師だ。
「どういうことだ? この程度か?」
自らの体を眺め困惑する闇導師。
確かに内包する力は格段に上昇した。しかし、その力は自分が想像していた所へは到底及ばないものだった。
地面へ着地すると、蜘蛛の鋏角を揺らして不適に笑った。
「ふしゅしゅしゅ。焦ることは無いか……まだ、体に馴染んでいないだけのこと。力の確認も兼ね、愚かなおまえたちをじわじわとなぶり殺してやろう」
蜘蛛の顔を持つ闇導師。真っ赤に染まった複眼が怪しく輝いた。