23 カス魔王。てめーはさっさと消え失せろ
「終わったな……」
力尽きる寸前の怪物。背中を丸めるように膝を付き、手を伸ばせば届く高さへ、うつむくエデンの姿が見える。
それを見つめるゼノとセイギの側へ、笑顔のミナが駆け寄ってきた。疲労困憊の霊能戦士たちも集う中、アッシュが口を開く。
「カミラ導師?」
エデンに取り込まれていた悪魔たちの部位が瘴気と化して消滅。同様に吐き出された彼女が地面へ横たわっていた。
それに気付いたミナは、バツの悪そうな顔をしてうつむいてしまう。
「ガキ魔人に取り込まれたのか。それじゃ見つからねーよな。でも、生きてるのか?」
いぶかしげに眉をひそめるゼノ。
「カミラがここにいるってことは、風見とレイカはどこだ?」
ゼノがつぶやいたその時、うなだれていたエデンが不意に顔を起こした。恨みがましい瞳がゼノを鋭く射貫く。
「おのれゼロ……一度ならず二度までも……この体を完全に支配できれば、復活まで後一歩だったものを……」
その声は既にエデンのものではない。地の底から響くような、低いくぐもった声。
「カス魔王。何度出てこようが、その度に殺してやるよ! つっても、今度こそ終わりだな。宝玉は破壊した。てめーの肉体は滅んだ」
大剣の切っ先を向けて笑うゼノ。
霊魔大戦後に宝玉を封印したのは、それ以外に方法がなかったからだ。今ここにはゼノと斬魔剣という強大な力がある。それが、宝玉の消滅を可能にしたのだ。
「あきらめるものか……我こそは世界の王……世界は我が手に……」
「鬱陶しいんだよ、てめーは! 俺の人生と運命を、好き勝手に弄びやがって!」
ゼノが掲げた左手へ霊力が収束してゆく。
「最後に一つだけ聞きたいことがある。俺の母親はどこにいる?」
その問いに、笑いを漏らすエデン。
「未だ母の姿を追っていたとは滑稽な。私から伝えることは何も無い。この戦いの果てに、見える真実もあるだろう……」
「あぁ、そうかよ。だったら、てめーなんぞに用はねー。さっさと失せろ!」
霊力球が発現する瞬間、モノクロの世界がガラスの割れるような音を立てて半壊。同時に、一同の足下へ巨大な魔法陣が展開した。
「四混霊術、怨鎖」
空間へ不気味な声が響き、見えない力がゼノたちの自由を奪っていた。
「愚かな者どもよ、ご苦労だったな。よもや、このような機会が巡ってこようとは……」
「てめぇ……」
左手を掲げたまま硬直するゼノ。そこに現れたのはローブを纏った一人の男。闇導師だ。
しかし、ローブから覗く下半身は巨大な毒蜘蛛の胴体と化している。まるで、毒蜘蛛の背に乗っているかのように。
「強大な霊力の正体が、まさかおまえだったとはな、バルザンドス……残された力を振り絞り、駆け付けた甲斐があった」
「ゴライアス、貴様か……よくやった。すぐにこの魔人を回復させよ」
闇導師は忍び寄るように八本の脚を動かし、ゆっくりとエデンへ近付く。
「ふしゅしゅしゅ……断る」
「なんだと?」
「三十年で脳まで朽ちたか、愚かなバルザンドス。忘れたとは言わせんぞ? 我が輩が受けた屈辱を! 貴様に復讐する機会を長年待っていたのだよ」
そう言ってゼノへ視線を向けた。
「あの戦いに紛れ貴様の抹殺を狙っていたが、霊能戦士ごときに封印されるとは馬鹿者め! だが、お陰でおまえの洗脳から抜け出せたわけだがな……未だ呪縛から逃れられずに、貴様を盲信している戦神と女王。滑稽だな」
「私を抹殺? ナターシャ……か?」
「汚らわしい。貴様がその名を口にするな! 絶対に許さんぞ!」
闇導師の全身へ満ちる怒り。それを間近に感じながら、無言で取り巻く一同は困惑の表情を浮かべていた。
「ナターシャ?」
ゼノも釣られるようにつぶやく。
「我が輩は愚かだった。なぜ、貴様を崇拝していたのか……その知識と人格に憧れもした。不老長寿という誘惑が、研究を極めたいという本能を揺さぶり、愛を霞ませた……」
ローブ越しにも、闇導師の体が怒りに震える様がはっきりと見て取れる。
「それがまさか、あのような結果を生むとは。だが、そんな昔のことはもういい。大人しく、我が血肉となるがいい」
「ひっ!」
蜘蛛の脚を器用に操り、ローブを脱ぎ捨てた闇導師。すると、その姿を目にしたミナが思わず息を飲んだ。
彼の体は、左肩から先が根こそぎ失われていた。先日の戦いで放たれたゼノの滅咆吼。それによって受けた傷だ。
下半身も同様に失われ、腰から下は毒蜘蛛の胴体と化している。
すると闇導師は、蜘蛛の脚にかかったローブをエデンの体へ覆い被せた。
「ゴライアス……貴様……」
悪魔王の苦悶の声が響く。しかし、ローブに隠され、何が起こっているのかはゼノたちには分からない。
「戦神と女王を始末するために編み出した術だが、おまえが最初の実験台だ」
右手で印を組み続ける闇導師。すると、八本の脚を中心にして、瘴気で作られた蜘蛛の巣が展開した。
「ゴライアス。精々、つかの間の美酒を味わうがいい……貴様など、ゼロに始末されるのがオチだろうがな」
エデンへ被されていた漆黒のローブが舞い、何重にも張り巡らされた蜘蛛の巣は巨大な球体を作り上げた。
一同の頭上へ高々と浮かび上がったそれは、まるで日食を迎えた太陽のようだ。
「闇導師! てめー、俺の獲物を横取りするつもりか!? ふざけんな!」
ゼノの怒声が響く中、闇導師は上空へ浮かんだ球体を見上げる。
「さらばだ、バルザンドス。我が輩の悲願は成就される。最高の気分だ」
「マッテ! タスケテ!!」
黒い球体から漏れたのはエデンの声だ。
「四混霊術、創天瓦解!」
闇導師の叫びと共に、漆黒の球体内へ生まれた荒ぶる力の奔流。
それが怪物を容易く飲み込み、耐えきれなくなった球体は直視できない程のまばゆい閃光と共に大爆発を引き起こした。
衝撃波がモノクロ空間を全壊させ、全てを洗い流すように熱風が駆け抜ける。
凄まじい衝撃に、地震が起きたように大気が激しく震えた。しかし、動きを封じられた一同は逃げることができない。
焼けるような熱風に襲われ、瞳と口を閉じることだけが唯一の防衛手段だった。
そうして破壊の嵐が去った後には、穏やかな夏の青空が悠然と広がっていた。
「闇導師の奴、ジュラマ・ガザードとエデンを消滅させやがった……」
体は依然として硬直したまま、指先一つ動かすことも敵わない。これだけの術を維持しながら攻霊術を発動した闇導師。その底知れぬ力に焦りを覚えるゼノ。
エデンの存在を物語るように、地面にはひび割れた宝玉だけがひっそりと残されていた。それを見付けた闇導師は、忌々しそうに蜘蛛の脚で踏み付ける。立て続けに蹴飛ばされた宝玉は、転がりながら粉々に砕け散った。
満足げに頷いた闇導師は、真っ赤な複眼をゼノへと向ける。
「さて。次は貴様だ……」
直径六メートルはあろうかという毒蜘蛛の胴体。その上から一同を見渡し、闇導師は蜘蛛の鋏角を揺らして笑った。
緩慢な動作で足を進め、ゼノ、セイギ、ミナへ近付くと、巨大な足を器用に折り畳み、前傾姿勢でゼノの顔を覗く。
「ふしゅしゅしゅ……ゼロ、なにやら面白い者を連れているな……」
蜘蛛の顔が素早くミナを捕らえ、彼女の口から恐怖の息が漏れた。
「融魂か? 多重展開に続き、興味深い進化を遂げたものだ。是非、実験体として解析してみたいものだな……」
「そいつに触るな! 許さねーぞ!」
「どう許さないんだ? 今の貴様は立っているだけの人形だろうが。馬鹿者め」
人差し指と中指を伸ばし、印を組んだままの右手。その指がミナの頬へ触れた。
「私に触らないで……」
恐怖に震えるミナの喉元を通り過ぎ、ワイシャツの上を滑りながら豊かに膨らんだ乳房をなぞる。そのままみぞおちを通り過ぎ、下腹部で指先が止まった。
「最高傑作となるはずだった魔人も奪われてしまったからな。ゼロを始末し、おまえを母体に新たな魔人を作るか。あの娘のように壊れなければ良いがな」
「手を離しなさいよ……この変態!」
恐怖で支配された声に力はない。
「ゼロを始末してやりたいのはヤマヤマだが、我が輩の霊力も直に尽きるか……怨鎖の術が解ければ、返り討ちは必至」
印を組み続ける闇導師の右手。そこに宿る青白い光は徐々に力を失っていた。
蜘蛛の脚を伸ばして身を起こし、歯噛みするゼノの姿を悠々と見下ろす。
「明日になれば体も再生する。ゼロ、貴様との決着は三日月島だ! 最高の持て成しを楽しみにしているがいい……」
「くそっ! 待ちやがれ!!」
宿敵を前に足掻くゼノ。しかし、霊術に押さえ込まれた体は全く動かない。
ローブを拾った闇導師の足下へ魔法陣が出現。それに飲み込まれるように、彼の体は足下から地中へ潜り込んでいった。
「待て!」
叫びも空しく、辺りは静けさを取り戻した。
こうして悪魔の軍勢は壊滅。辛くも勝利を収めたゼノたちだったが、セレナの口から、風見とレイカ、そしてクレアの死を告げられることになるのだった。