18 止めどなく溢れて消える言葉たち
アスティと向かい合う形でクレアの側へしゃがみ込むミナ。それを確認して、クレアは満足そうに微笑んだ。
「ミナさん……私の左手を取って、印を組ませてください……」
「クレア。まさか……」
アスティは驚きに目を見開き、想いを寄せる少女の顔を慌てて覗き込んだ。
「最後のわがまま……許してください……」
「でも、そんなことをしたら……」
「私にできる最後のことだから……」
アスティは彼女の右手を両手で包み込み、涙を流して訴える。
「後悔したくないから、今、ここで伝えるよ……僕は、君のことがずっと好きだった……」
「知ってましたよ。そんなこと……ありがとうございます……こんな私を好きになってくれて……でも、アスティの真っ直ぐさは私には眩しすぎました……私は汚れ過ぎたんです……あなたには相応しくありませんから……」
彼は慌てて首を横へ振る。
「君は汚れてなんていない! 君を今まで見てきた僕が言うんだから間違いないよ!」
「やっぱり優しいですね……アスティといると、癒やしの霊術と同じで、あったかくて穏やかな気持ちになれるんです……」
クレアの目元にも涙が伝い落ちた。
「ごめんなさい……残された時間は少ないんです……ミナさんへこれを渡さないと……」
「分かったよ。君がそう決めたのなら、もう止めないから……」
言葉にしきれない気持ちが止めどなく溢れては消えてゆく。アスティは、黙って彼女の手を握ることしかできなかった。
二人の話を聞いていたミナは、既に彼女の左手へ印を形作っていた。それを確認したクレアの口元が詠唱を刻む。
「補霊術、融魂……」
伸ばされた人差し指と中指。その先端へピンポン玉ほどの赤い光が灯った。
「もっと体を近づけてください……」
クレアに言われるまま、ミナは前屈みの姿勢を取った。するとクレアの指先が彼女の胸元へ伸び、二つの膨らみへ挟まれるように心臓部を付いた。
直後、その指先を通じてミナは急激に力が流れ込んでくるのを感じていた。多重展開を越える霊力が全身へみなぎる。
「クレア。これは!?」
「禁術の一つだよ。自分の命と引き換えに、相手へ力を受け渡すんだ……術の効果は四十九日間。その間だけ、君はクレアの力を手にするんだよ……」
アスティの言葉に、ミナは慌ててクレアへ視線を落とした。
「なんてことするのよ!? 命と引き換えだなんて、そんなこと許さないわ! 一緒に帰って、バカズヤへ謝りなさいよ!」
涙と共に絞り出された言葉に、クレアは力なく微笑んだ。
「私の代わりにカズヤさんを守ってあげてください……でも、ミナさんって以外と胸が大きいんですね……」
「こんな時に、なに言ってるのよ!?」
「えへへ。死ぬのは怖くないんです……もうすぐ、姉さんに会えるから……」
「そうだね。きっと会えるよ……」
アスティの言葉を受け、満足そうに歯を見せて微笑むクレア。そうしてゆっくりと瞳を閉じてゆく。
「少しだけ、眠らせてください……」
二人はその姿を黙って見守った。
★★★
一進一退の攻防を続けるゼノとベアル。互いに攻め手を欠き膠着状態が続く。
「うがあぁぁぁぁ!」
その時、六メートルを越えるヒグマの巨体が吠え、手にした戦鎚を投げ捨てた。
それがモノクロのアスファルトを打ち砕いて倒れると同時に、両手の爪が一瞬にして二メートル程も伸び上がる。
「まだ、そんな技を隠してやがったのか」
凶器と化した両腕を振るう悪魔。薄ら笑いを浮かべるゼノを連撃が襲った。
しかし、所詮は扱う獲物が変わっただけ。相手の動きをよく見ていれば、彼にとって避けることは容易だった。
大剣で受け流しながら右へ左へ。戦鎚より攻撃速度は増しているものの、一撃に対する衝撃は確実に軽減していた。
ここが好機とゼノは反撃を試みる。
振り下ろされたベアルの右腕。それを避けながら、印を組んだ左手を突き出していた。
「氷の攻霊術! 絶対零度!」
発現された上位霊術。地獄の炎すら凍て付かせようという猛吹雪が吹き荒れた。それがベアルの右手とアスファルトを同化させるように氷付けにしていた。
「ヒャッハッ!」
楽しげに笑い、ゼノは凍った腕を一気に駆け上がる。
そこを狙ってベアルが霊力球を吐き出すも、それも計算の内。
「守霊術、壁!」
攻撃が飛来する方向へ、ドア程の大きさを持つ霊力壁を展開。わずかな衝撃に体が揺れたがまったく影響は無かった。
慌てた敵は激しく暴れ、アスファルトの一部ごと凍り付いた右腕を引き抜く。だが、ゼノは大剣をベアルの右肩へ突き刺すと同時に大きく跳躍していた。
敵の背後を取り、横凪の一撃を繰り出そうと大剣を引き寄せたその時だった。
突如、ベアルの背から突起物が飛び出した。それはさながら巨大な針鼠。
「がっ!?」
槍の穂先を思わせる極太針の一本がゼノの左腕を貫通した。さすがの彼も、咄嗟のことに反応が追い付かなかったのだ。
大剣で即座に針を切断。地面へ着地すると同時に慌てて距離を取った。
「くそっ!」
腕に残った針は瘴気と化して霧散。疼くような痛みと動かなくなってしまった左腕に顔をしかめるゼノ。しかし、腕一本で済んだのは不幸中の幸いだろう。
「あのカス熊、こんな技まで隠してやがったのかよ……頭にきやがる!」
ベアルは振り向きざまに霊力球を吐き出す。それ自体が既にゼノの全身を覆う程の凄まじい大きさだ。
慌てて横へ飛び退くゼノ。左腕を封じられては霊術が使えない。病院での戦いを思い出し、苛立ちに顔をしかめた。
「だが、今日は俺だけじゃねー」
ゼノの半身をかすめ、巨大な霊力球は彼の後方で炸裂した。モノクロの畑から大量の土砂が舞い上がる。それと同時にベアルの背後を取る人影。
「大鳴神!!」
繰り出された雷の矢がベアルを急襲。
そこには、残された悪魔を一掃して駆け付けたジェイクの姿があった。
だが、その攻撃も背中の針を打ち砕く程度。傷を負わせるには至らない。
ベアルは右腕の氷を噛み砕き、再び両手の爪を身構える。
「ジェイク! こっちに来やがれ!」
ゼノは振り下ろされる爪を巧みに避け、彼を目掛けて地を駆ける。そうして彼と入れ替わるように体が交錯。
ベアルは執拗にゼノを狙っていた。まるでジェイクなどいないかのように。それほどまでに彼の存在は脅威なのだ。
ゼノがその攻撃を凌いでいる間に、ジェイクは印を結び霊術を仕掛ける。
「光の攻霊術! 金剛砕!」
球型に圧縮された光の中位霊術がゼノとベアルの側へ着弾。しかし、それが発動することは無く、二度、三度と放たれた霊術球が次々と地面へ落ちる。
「ぐばあっ!」
五度目の着弾と同時に、ジェイクを忌々しそうに睨んだベアル。その口から大型の霊力球が吐き出された。
反応の遅れたジェイクは、その攻撃をまともに受けて大きく吹き飛んだ。
「くそっ!」
慌てたゼノは大剣を地面へ突き刺し、残された右手で咄嗟に印を組んだ。その眼前で、ベアルが再び腕を振り上げる。
「光の攻霊術! 金剛砕!」
ジェイクのお陰で下準備は整っていた。彼が放っていたのは、補霊術でコーティングされ地雷と化した攻霊術。先程、交差した際にゼノが指示した作戦だった。
ゼノが発動させた爆発が起点となり、周囲へ埋め込まれていた霊術球が誘爆。
「ぐおぉぉぉぉ!!」
ベアルの足下が一気に弾け、大きなクレーターの中で巨体は無様に転倒した。
「油断した……」
後ろ手を付いて上半身を起こしたベアル。恥辱に染まった顔へ深いシワを刻み、歯を剥きだしてゼノを睨んだ。だが、その顔も一瞬で恐怖に彩られてゆく。
ベアルが目にしたもの。それはゼノの姿などではなく巨大な黒の球体。つい先日、命を奪われかけたそれだった。
「があっ!」
慌てふためき、なりふり構わず逃げ出そうと足掻くベアル。その時、球体の向こうから最後を告げる死神の声が響いた。
「幻獣王、滅咆吼!」
解き放たれた黒い球体。それを押し返そうとベアルは両腕を突き出した。
だが、丸太を束ねたようなその両腕も、球体は容易く飲み込み消滅させる。
「ああああぁぁぁぁぁ!!」
球体が通過した後には、瘴気を漏らすヒグマの下半身だけが残されていた。
「終わったな……」
ゼノのつぶやきと同時に魔空間が崩壊。ジェイクと共に現実世界へ転送された。
倒れたジェイクを助け起こしたゼノ。だが次の瞬間、二人の顔が困惑へ変わる。
「おめーも感じるか?」
「もちろんだとも」
「どうしてあいつの霊力を感じるんだ? 一体、何が起こってやがる……」
「その前に、おまえの傷を癒やそう」
ジェイクが癒やしの霊術を発動していた時だった。二人の目に飛び込んできたのは、風の結界を纏って駆け寄るミナ。その姿に、ゼノは胸騒ぎを覚えていた。