17 また一人。それは安堵と後悔と
ミナ、レイカ、アスティ。言葉を失った三人の前へ、クレアの体が背中から地面へ激突。
「クレア……」
震える声を絞り出したアスティ。彼の眼前で、鷹の悪魔が放った無情なる追撃の霊力球が彼女の体を打った。
「クレアぁぁっ!」
足を掴む山羊悪魔の肩へ槍を突き刺し、アスティはそれを強引に振り解く。しかし、走り出した彼を銀糸が絡め取る。
「行かせないよ。っていうか、あんたも同じようになっちゃうんだけどね」
下卑た笑みを浮かべる蛾の悪魔。アスティと同じように拘束されたミナは、苛立ちを露わにしていた。
多重展開の力があれば、悪魔たちと互角の戦いができると考えていた。シーナが負けてしまったことは全くの想定外だったのだ。
悔しさに唇を噛む彼女の眼前で、ワニの顔をした男性悪魔が粗い息を吐いた。
「俺のデス・ロールにかかればこんなもんだ。次はどいつだ?」
「ラガルト。君の動作は相変わらずがさつだな。遺体が損傷してしまうよ」
地上へ降り立った鷹の悪魔。倒れるクレアを物のように踏み付け、腹部へ刺さっていた矛を勢いよく抜き取った。
「さて、次は僕の番だよ。美しい獲物を最上のおもてなしで料理しようか」
いつの間に狙いを付けたのか、鷹の悪魔は素早いモーションで矛を放った。
「かはっ!」
息を吐き出し、右胸と腹部を貫かれたその背が大きく丸まった。
「レイカさん!?」
ミナが悲鳴のような叫びを上げた。悪魔の投げた矛は、恐怖で棒立ちになっていた彼女の腹部を瞬時に貫いていた。
背中の翼をはためかせ、飛び上がる鷹の悪魔。両足は人の物ではなく、まさしく鳥のそれだ。その爪へ霊力の淡い光が灯ると、急降下と共にレイカを狙う。
「ティア・ダイブ!」
「レイカさん! 逃げてぇっ!!」
涙を浮かべ、恐怖と混乱で固まるレイカ。悪魔の爪がその腕と腹部へ食い込み、旋回と共に彼女の体を勢いよく放った。
山羊、鷹、ワニの悪魔三体が同時に霊力球を吐き出す。それが寸分違わずに、宙を舞うレイカを直撃。声を上げることもなく、その体が地面へ激突する。
「君たち、割り込みは止してくれ」
「それは俺のセリフだ。先に割り込んだのはトゥグリル、おまえの方だろう」
言い争う鷹とワニを余所に、ミナとアスティは呆然としながらレイカを見た。その体は風見の側へ落ちたまま、身じろぎ一つしない。
「レイカさん?」
「きゃははは! これで二人目。あの子も、風見ちゃんの側で死ぬなら本望でしょ」
ミナは目の前のことが信じられず、別世界の出来事のように感じていた。
カミラ。クレア。そしてレイカ。目の前で大事な人たちの命が次々と失われてゆく中、どうすることもできない空しさと絶望感。全てが夢だと思いたかった。
そして決定的な汚点はレイカを助けられなかったこと。安堵と後悔の相反する想いが彼女の胸中に渦巻いていた。
「神崎……なにをグズグズしてるのよ! 早く来なさいよ。バカズヤっ!」
★★★
ミナ悲痛な叫びが空を切る中、ゼノの大剣がベアルの腕へ斬撃を見舞った。
「うがあぁぁっ!」
それを物ともせずに戦鎚を振るうベアル。横へ飛び退いたゼノだったが、強烈な風圧に煽られ体勢を崩した。
それを逃さず、巨大熊の体当たりがゼノの体を後方へ弾き飛ばす。
「がっ!」
咄嗟に後方へ宙返りし、逆立ちをするように左腕を使った反動で着地。しかし、目の前へ再び迫るベアルの巨体。
「土の攻霊術! 天貫!」
突如、ベアルの足下が隆起。天へ向かってつらら状の突起物が突き出した。
それが敵の下半身へ次々と突き刺さったが、巨大熊は物ともしない。それらを蹴散らしながら尚も前進してきた。
「なんてタフな野郎だ……序列一位ってのもダテじゃねーんだな」
口元へ笑みを浮かべながら、ゼノはサイド・ステップで敵との距離を取る。
★★★
「さてっと、次はどっちかな〜?」
蛾の悪魔は、銀糸に絡め取られたままのミナとアスティを交互に見た。
周囲を他の三体に取り囲まれ、もはや誰が見ても絶望的なのは明らかだ。
「闇蜂を持ってきてるんじゃなかった? 霊能戦士の男は始末するとして、そっちの女は生かしておいたら?」
氷付けから解放された山羊悪魔の言葉に、蛾の悪魔は舌打ちを漏らした。
「パラキートが持って行っちゃったんだよ〜。一匹貰っておけばよかったなぁ……」
「合流したら? パラキートは、こいつらのアジトを攻撃するチームでしょ?」
「それも面白そうだね。よし! じゃあ次は、そこの男の子で決定だね!」
蛾の悪魔がアスティを指差したその時。
「なんだ?」
ワニの悪魔が見上げる空。すると乗用車ほどもある大きな黒い塊が、一同の側へ土煙を上げて落下した。
黒い物の正体は瘴気。その塊は不気味に脈動し、巨大な心臓を連想させた。
「なんだか気味が悪い物体だね……」
矛を手にした鷹の悪魔が近付いてゆくと、黒い塊から声が漏れた。
「苦しい……苦しいよ……助けて」
その声に反応したのはミナだ。
「まさか……エデンなの!?」
「パパ……ママ……助けて……」
ミナの声に応えるように、黒い塊から少年の上半身が飛び出した。胸元には、ソフトボール程もある虹色の宝玉が埋め込まれ、不気味な輝きを放っている。
「パパ? ママ?」
少年が捉えたのは、横たわったままの二人の姿。動かなくなったそれを見て、苦しんでいた顔は怒りに満ち溢れた。
「パパとママをいじめたのは誰だ!!」
「エデン! ここにいる悪魔たちよ!」
「ちょっと! 勝手なこと言わないで!」
ミナの言葉を遮る蛾の悪魔。しかし、少年の目は既に悪魔たちを目標に据えていた。
「絶対に許さないっ!!」
黒い塊から瘴気の触手が伸び、瞬く間に四体の悪魔を捕らえた。ミナとアスティを捉えていた銀糸までもが綺麗に切断されている。
そして次の瞬間、悲鳴を上げる間もなく、瘴気の塊の中へ引きずり込まれた悪魔たち。今までの戦いが嘘だったように、辺りは一瞬にして静まり返った。
「どうなってるの……」
ミナは狐につままれたような顔で、瘴気の塊と化したエデンを見つめる。
驚愕の表情をしたアスティは、少年の胸元で光る宝玉へ釘付けになっていた。
「あれって、まさか……」
その時だった。少年は苦痛に顔を歪め、再び呻いた。獣の唸りにも似た、地の底から響くような低くおぞましい声で。
「うぅぅぅぅ……ウガアァァァァ!!」
黒い塊から瘴気が溢れだし、突風のような衝撃波が巻き起こった。
「エデン!? どうしたの!?」
腕で顔を守り必死に目をこらすミナ。
「モット……モットダ……タリナイ」
それは最早、少年の声ではない。再び、黒い塊から複数の触手が伸びた。
「危ないっ!」
咄嗟に風の霊術を身に纏い、アスティはミナの手を引いてそれを避けた。
二人を取り逃しながらも、触手は風見、レイカ、クレア、そしてカミラの体を絡め取る。
「待て!」
アスティは無我夢中で飛び出した。この緊急事態の中で、彼女を選んだことを責められる者などいないだろう。
「クレアを離せ!」
渾身の力で振り下ろした槍が瘴気の触手を見事に切断。彼女を守ることには成功したが、他の三人は瘴気の塊へ飲み込まれてしまった。
「そんな……」
力なくその場にへたり込むミナ。
「モット……モット……」
瘴気の塊へ、コウモリの羽にも似た大きな翼が生えた。その大きさに似合わず軽々と浮かび上がると、次の獲物を求めるように素早く飛び去ってゆく。
徐々に小さくなってゆくそれを見つめていたミナは、呼び声に振り向いた。
「来て! クレアが呼んでるんだ!」
慌てて駆け寄ると、そこでは既にアスティが癒やしの霊術を展開していた。
クレアの手が力なく持ち上がり、腹部へ置かれたアスティの手を握った。
「ありがとう。でも、もう無理ですから……力は残しておいてください……」
「無理とか言わないでよ……絶対に、絶対に僕が助けるから!」
力なく微笑み、駆け付けたミナへ視線を向けるクレア。
「みんな無事だったんですね? レイカさんはいますか?」
込み上げる悲しみを抑え、ミナは涙と共に精一杯の笑顔を作った。
「ええ。クレアのお陰で先に逃げられたわ。すぐに合流しましょう」
「良かった……カズヤさんにせめてもの罪滅ぼしができました……あの人をとても傷つけてしまいましたから……」
「しっかりしなさいよ! あなたの口から直接、謝ればいいでしょう?」
「そうしたいのはヤマヤマですけど、もう限界みたいです……ミナさん。渡したい物があるんです……受け取ってください……」
「渡したい物? なんのこと?」
ミナは、クレアの顔を覗きながらしゃがみ込んだ。