16 言葉無く。同じ痛みを持つ二人
体を仰向けに捻り、大空を仰ぐように腰掛けたクレア。全てをやり切り活力を失った顔には玉の汗が輝いていた。
カミラの願いを叶えることはできなかったが、無念を晴らすことはできただろうと安堵の息を吐く。
脳裏を過ぎるのは戻らぬ日々の光景。優しさと厳しさを兼ね備え、意地悪な部分もありながら人一倍寂しがりだったカミラの姿を思い出していた。
互いの心の隙間を埋め合うように常に二人で行動する様は姉妹のようだと有名で。しかし、昼の顔とは裏腹に、夜な夜な一人で涙を流していたこともある。男性との写真を愛おしそうに眺め、その名をつぶやく彼女を何度も目にしていた。
なぜ彼女が霊界王という地位にこだわっていたのかクレアは知らない。しかし、その力になることだけが唯一の恩返しだと信じ、精力的に尽くしてきたのだった。
カミラの夢がついえるということ。それはまるで、自分の夢までもが終わってしまったような虚無感に襲われていた。
「あれはなに?」
彼方へ目を向けていたクレア。すると、地上から天へ向かって伸び上がる光線のような青白い光を捉えた。
咄嗟に通信機のスイッチを押し、アジトのオペレーターと連絡を取る。返ってきたのは信じられない言葉だった。
『報告地点には悪魔五体の霊力反応。ですが先程、突然に消滅しました』
「消滅? どういうことですか?」
思わず怪訝そうな顔をするクレア。彼女の視線を遮るように、呆然とした顔でゆっくりと歩みを進める人影があった。
「レイカさん……」
それ以上にかける言葉が見つからず、クレアは彼女の姿を目で追った。
カミラを失ったクレアと、風見を失ったレイカ。二人は今、それぞれに同じ痛みを抱えているに違いない。
「シュン……ごめん。助けられなくてごめん……あなたは変わってしまった。どこで選択を間違えたの……」
倒れたシュンの側へ膝を突き、レイカは声を押し殺して涙した。
「レイカさんが謝ることじゃないわ。シュン先輩を止めるには、この方法しかなかったんですよ。きっと……」
クレアは声のした方向を見る。そこには、こめかみを押さえて顔をしかめたミナの姿が。
「大丈夫?」
後に続くアスティが、その背中へ向かって心配そうに声を掛けた。
「さっきまで収まっていたのに、また頭痛が始まったわ……シーナがずっと呼んでいるのよ。シュン先輩の次は、この問題を片付けないとダメみたいね」
「ちょっとあんたたち! メイガのこと忘れてんじゃないの?」
視線を向けた四人。そこには、遺体となったカミラの背中へ腰掛ける蛾の悪魔。
すると、ミナは苛立ちを露わにした。
「あら? あなた、まだいたの? てっきり消滅したものだとばかり」
「なにそれ!? メイガが中位悪魔だってこと分かってる? さっきは油断しただけ。あんな攻撃、効かないんだから」
「そう。だったら、もっと強力なやつを味わわせてあげるわ。B-QUEEN、解放!」
直後、ミナの足下へ黒い瘴気が渦巻いた。それは螺旋を描いて頭上へ上り、彼女の後頭部へ大きな蕾を形作った。
瘴気の蕾が弾ければ霊力は更に増幅されるはずだった。しかしミナの期待に反して、その変化は起こらなかった。それどころか、彼女の周囲に渦巻いていた瘴気は風に吹かれたように消え失せてしまったのだ。
「どういうこと!?」
驚き取り乱すミナの眼前で、景色が陽炎を起こしたように歪んだ。
ガラスの割れるような澄んだ音を響かせ、巨大な黒豹と化したシーナが現れた。
信じられないことに、神格を解放した巨体は力なく横たわり、その体へ各々の武器を突き立てる三体の悪魔。それぞれ、山羊、鷹、ワニの顔を持っている。
「シーナ!? まさか……」
ミナがつぶやくと、黒豹の体は瘴気と化して砂のように朽ち果てた。それは、彼女へ課せられた従属の解放と、B-QUEENの力の消滅を意味していた。
蛾の悪魔は楽しそうに笑う。
「あれれ? カマキリのレーダはやられちゃったの? 仕方ないなぁ……でも、四人もいれば十分だよね〜」
顔の輪郭から飛び出した赤く大きな双眼。それがミナたちを見回した。
「風見ちゃんを片付けてくれて手間が省けちゃった。シーナも消えたし、あんたたちを仕留めれば完了だね」
悪魔の笑い声が不気味に響く。
「これはさすがにお手上げかな……」
開き直り、乾いた笑いのアスティ。
中位悪魔。並の霊能戦士でさえ、一体を相手に二、三人がかりであたるほどの相手だ。それが四体。この場に残された戦力では手も足も出ないことは明らかだ。
「無理だとしても、やるしかないか……」
女性三人を抱え、逃げることも叶わない。男としてのプライドだけが今の彼をかろうじて支えていた。
カミラの拘束。クレアの見張りという命令に、なぜ自分がという反発を持っていたアスティ。彼女への恋心を知りながら酷な編成をするものだと、カズヤへ敵意すら抱いていた。
だが今は違う。想いを寄せる女性を守る。そんな戦士冥利に尽きることはない。全員で無事にアジトへ戻ったその時に、今度こそ気持ちを打ち明けようと彼は心に決めていた。
★★★
ゼノたちの戦いも佳境を迎えていた。
ジェイクの放つ雷の矢が悪魔たちを足止めし、その隙を突いてゼノが一刀両断。
成り行き上の即席コンビだったが、魔人と部隊長という戦力を前に、悪魔たちは為す術もなくその数を減らしていた。
そしてゼノには、この戦いを前に立てた一つの誓いがあった。
自分の目の前で、もう誰も死なせない。
それを果たすべく、大剣を手にヒグマのベアルへ突進してゆく。
「カスはとっとと失せやがれ!」
魔人と上位悪魔の戦いが始まる。
★★★
光栄高校のグラウンドで戦う四人。悪魔たちは彼等を取り囲むように広がり、じわじわと追い詰めていた。
「僕に続いて。一点突破しかない!」
槍を構えたアスティは、山羊の女性悪魔を目掛けて突進した。
「モーブ・シュート!」
その脇を抜けてミナが飛び出した。銃口から飛び出したのは薄紫の弾丸。射出の勢いを推進力と化し、高速移動を可能にする能力。
山羊悪魔の脇をすり抜け様、ミナは敵の背を目掛け霊力弾を撃ち込む。
「ぐうっ!」
体を仰け反らせた悪魔。その胸元へ、アスティが槍を繰り出した。
「一角閃!」
霊力の淡い光を纏った切っ先。その鋭い突きが敵の胸元へ突き刺さり、アスティの頭上まで高々と跳ね上げた。
「空霊術、疾!」
その隙をついて、クレアが動いた。
レイカの手を取った二人の体を風の結界が覆う。そのまま、山羊の悪魔が立っていた場所を一気に駆け抜けた。
このまま逃げ切り仲間と合流。最早、それしか道は残されていない。
しかし、跳ね上げられた山羊悪魔が空中で華麗に後方回転。その両手から、一抱えもある霊力球を解き放ってきたのだ。
完全に不意を突かれたミナとアスティは、その攻撃に体勢を崩した。
しかし、アスティは倒れない。両足を踏ん張り、印を組んだ左手を突き出す。
「氷の攻霊術! 氷結!」
解き放たれた季節外れの猛吹雪。それが山羊悪魔の半身を瞬時に凍り付かせた。これで数分は敵の動きを足止めできる。
「クレア! 危ないっ!!」
ミナの悲鳴のような叫びに、アスティは前を走る二人へ慌てて視線を向けた。
その背を狙い、空へ飛び上がっていた鷹の男性悪魔が急降下を始めたのだ。背中に生えた雄々しい翼が風を切る。
転んでいたミナは銃口を向け、鷹の悪魔を狙った。だがその時だ。不意に伸びてきた銀の糸が彼女の腕を絡め取る。
「きゃっ! なによ、これ!?」
首、胸元、腹部、腰、太ももへと糸は這いずり、ミナの体を拘束した。
「いいところなんだから邪魔しないで」
蛾の悪魔、メイガが不敵に笑う。
「僕が絶対に助ける!」
咄嗟に駆けだしたアスティ。しかし、その足を山羊の悪魔に掴まれ、この大事な局面で敢え無く転倒してしまった。
クレアは、レイカの手を引き走り続ける。背後への警告に腕を思い切り振るって、彼女の体を投げるように遠ざけた。
そうして振り向きざまに短剣を構えると、急襲する鷹を見上げた。
「螺旋円舞!」
その身が激しい回転を生み出す刹那、死角から飛び込むワニの悪魔。その大きな口がクレアの腹部へ食らい付く。
「あぁぁぁっ!!」
悲鳴を漏らすクレア。ワニ顔の悪魔はその身を捻って激しく回転。彼女の体は風車のように急激な側転を起こした。
悪魔が口を開くと同時に、回転を続けるクレアの体が宙へ放り投げられたのだった。
「クレア!!」
それが誰の叫びだったのかは分からない。ミナ、レイカ、アスティの頭上へ高々と打ち上げられたその体を、鷹の悪魔が手にした三つ叉の矛が貫いた。