15 理想郷。儚い夢と消え果てる
押しつぶされるように倒れたタイガ。
その背を踏み付け、バッタ顔の悪魔は気味の悪い笑い声を漏らした。足下の彼へ止めを刺そうと、再び右足が持ち上がる。なんとそこにはタイガの頭部が。
「やめろ! バカ野郎があっ!」
アッシュの叫びは届かない。距離が離れすぎているのだ。霊撃も霊術も届かないその場所を目掛け、必死に走り出す。
「キシャアァァァ!」
奇声と共に降ろされる悪魔の右足に、アッシュが全てをあきらめたその時だ。横手から電光石火のごとく割り込む赤い影。
「ゲガアァッ!」
胸元へ強烈な跳び蹴りを受け、バッタ顔の悪魔は背中を丸めて吹き飛んだ。それと入れ替わるように、タイガの側へ青白い翼を纏ったセイギが着地する。
「ザコが粋がるな。私が相手だ」
素早く身構えたセイギ。その左手首に填まった通信機から音声が漏れる。
『タイガ負傷。SOULが40まで低下。すぐに手当をしないと危険です!』
ゆっくりと身を起こすバッタ悪魔。それを見ながらセイギは焦りを感じていた。
『中で待機しているサヤカを向かわせるわ! 誰か、タイガを裏口まで運べる?』
セレナの声に応答する余裕もない。
「神崎。早く戻って来い……」
この戦いの行方を左右するであろう存在。彼の帰還を願ってつぶやいた。
★★★
セイギの願いなど聞こえるはずもないが、一刻も早くこの空間を抜け出そうと、ゼノとジェイクの戦いは続いていた。
それはまさに狂戦士と呼ぶに相応しい、荒々しく暴力的な戦いだった。
たった二人の戦士に、十倍の数で襲いかかる悪魔たちが圧倒されていた。
「ヒャッハッ! カスは消え失せろ!」
大剣が描く深紅の軌跡。馬の顔をした男性悪魔の体はあっさりと分断された。
★★★
「毒鱗粉!」
ミナとアスティの頭上へ浮かんでいた蛾の女性悪魔。彼女の羽ばたきに合わせて、黄色い粉が二人へ降り注ぐ。
「痛い! なんなのこれ!?」
「目が……」
鱗粉を受け、二人の目を激痛が襲う。視界を奪われたばかりか喉までやられ、彼等は激しく咳き込んだ。
「ちょっと静かにしててね」
直後、二人の体へ纏わり付く大量の銀糸。それは瞬く間に繭を形作り、彼等の全身を包み隠してしまった。
地面へ転がる二つの繭。そこへ着地しながら、蛾の悪魔は楽しそうに笑う。
「面白いショーが始まってるんだから。メイガ、あれ見たいの」
その先では、風見とクレアの戦いが繰り広げられていた。
どす黒い瘴気を纏った風見。その背へ具現化した八頭の大蛇が牙を剥く。
「くっ!」
接近戦では不利と見て、バック・ステップで慌てて距離を取るクレア。刃を交えながら、敵の分析を同時に行っていた。
大蛇は近接武器と同様の具現型。放出系の攻撃と違い、伸ばせる範囲はせいぜい数メートルが限度のはずだった。距離を詰められなければ恐れる相手ではない。
刀を手に追撃へ踏み込んでくる風見を見据え、クレアの左手が印を組む。
「炎の攻霊術! 業火!」
即座に炎の中位霊術を発現。威力を高めるために効果範囲を絞り、バスケットボール大にまで圧縮する。
「ていっ!」
小さな太陽を思わせる灼熱の火球が解き放たれ、風見を目掛けて飛ぶ。
それを見た彼は咄嗟に、右半身へ意識を集中させた。肩から腰にかけて具現化していた四頭の大蛇が火球へ伸びる。
轟音と共に紅蓮の炎が爆ぜる。クレアの狙い通りなら、それが風見の全身を燃え上がらせるはずだ。熱と痛みにもがく彼へ一撃を叩き込めば勝負は決する。
しかし、炎の中から飛び出したのは不適な笑みを浮かべた風見。クレアは驚きに目を見開いた。
なんと風見は四頭の大蛇を犠牲にして、火球の攻撃を凌いだのだ。
「あうぅっ!」
風見の刀から繰り出された横凪の一閃。重い一撃に、短剣で受け止めたクレアの体がわずかに揺らいだ。
それを逃さず、左半身へ残された四頭の大蛇が彼女を狙って牙を剥く。
後方へ飛びすさるクレア。その体を包んだのは風の結界。
「螺旋円舞!」
体勢を立て直した彼女の体が鮮やかに宙を舞う。二本の短剣を逆手に構え、独楽のごとく激しく回転。
四頭の大蛇は一瞬の内に切断され、宙を舞いながら霧散した。苦痛に顔を歪めた風見の後方へ華麗に着地するクレア。
「雷の攻霊術! 紫電!」
しゃがみ込んだまま、振り向きざまに解き放つ電撃。動きを鈍らせた所を再び攻撃しようという算段だ。
すると、風見の手から何かが飛んだ。クレアの放った霊術はそれと衝突し、二人の中間地点で電撃が爆ぜた。
「刀!?」
そこに刺さっていたのは風見が操る純白の刀、神剣・天叢雲剣だった。咄嗟に投げたそれを身代わりにしたのだ。直後、刀は形を失い風見の霊撃輪へ取り込まれた。
相手の戦術に焦りを覚えたクレアは地面を転がり、距離を取りながら警戒を強める。
「こういう戦い方もあると言うことさ。良い勉強になるだろう?」
振り向いたクレアが見たのは、悠々とした面持ちで笑みを浮かべる風見の姿。その光景に恐怖すら感じていた。
風見の右手へ再び刀が具現化。背中には八頭の大蛇までもが再生していた。
「クレア君。君のMINDもそれほど余裕があるわけじゃないんだろう? さっきの電撃も確か下位霊術だよね? 本来なら、もっと威力の高い術を選ぶはずだ」
見透かされ焦りを覚えるクレア。
「MINDに余裕がないのはあなたも同じはず! 心理的に追い込もうとしてもムダですから」
「あいにく、B-QUEENの力を手にしてからというもの、すこぶる調子が良いんだ。MINDの限界値も上昇するようだね」
八頭の大蛇が大きく口を開け、鋭い牙を剥き出しにした。
「せめて、苦しまないように一撃で終わらせてあげよう。あの世で、大好きなカミラさんに会えることを願っているよ」
その言葉に全身から怒りを滲ませ、奥歯を噛みしめるクレア。
風見の眼前に伸びた大蛇たちは一つへ融合するように顔を寄せ合った。その口内へ霊力の光が収束してゆく。
すると大蛇の頭越しに、あざけた笑みを浮かべる風見の顔が覗いた。
「そうだった。カミラさんはマルス、マルスとうわごとのように言っていたから、君が入り込む余地はないか……残念」
「バカにしないで!!」
短剣を構えたクレアを大蛇が狙う。
「天照! 大蛇八式!」
「補霊術! 影縛!」
風見が攻撃を繰り出すより、クレアの詠唱速度が勝った。風見の影から複数の黒い腕が伸び、彼の体と八頭の大蛇を絡め取ったのだ。
「きゃあぁぁぁっ!」
ねじ曲げられた大蛇の首。吐き出された青白い砲撃が、離れた位置で見物を決め込んでいた蛾の女悪魔を直撃した。
クレアの狙い通りだった。郷田との戦いで、闇蜂の力を取り込んだ者の戦闘力がほぼ互角であると確信していた。相手が同格ならば、影縛の術は有効だ。
その術を維持したまま風の結界を展開するクレア。同時展開は体と霊力に多大な負担を強いる行為だが、ここで力尽きても構わないとすら思っていた。
何があっても風見を倒す。今の彼女にはそれしかなかった。それしか見えていなかった。
二つの刃に生まれる電撃。そのまま風見へ向かって跳躍と回転を仕掛けた。
荒々しい電撃を放つ巨大な独楽。それが、黒い腕を払いのけようと藻掻く風見へ凄まじい速度で迫った。
「くそおぉぉぉっ!」
切り刻まれた八本の大蛇が弾け飛ぶ。そうして剥き出しになった風見の胸元を、連撃が怒濤のごとく斬り付けた。
迸る紫電が、目の前の悪魔を焼き尽くさんと体の隅々へ這い回った。それはさながら体へ巻き付く大蛇のごとく。風見の体が、自らの大蛇の力に飲み込まれたかのようだった。
「がっ……そんな……」
力なく後ずさる風見。右手から刀がこぼれ落ち、よろけた体が仰向けに倒れた。
理想郷を夢見て悪意に身を染めた少年。その彼にも最後の瞬間が訪れたのだ。
その頭上を通過した独楽が、しゃがみ込むように地面へ着地した。
「螺旋円舞、轟雷!」
満身創痍のクレア。立ち上がることも叶わず地面へ四つん這いに崩れた。
「カミラさん。見てくれましたか? 敵は討ちましたよ……」
カミラの遺体へ向け微笑むクレア。その側に倒れる蛾の悪魔の足下で、アスティとミナを包んでいた繭がゆっくりと崩れ始めていた。