12 我慢しろ。下着が見えても気にすんな
「さてと……」
アジトの裏口へ顔を覗かせたゼノは、背後に続くミナを気遣った。
胸元を押さえた彼女の呼吸は荒く、眉根を寄せて苦しみを物語っている。
これから死闘を始める彼等とは対照的に、夏を謳歌せよと言わんばかりに灼熱の太陽が照りつける。ゼノはそれを鬱陶しそうに睨み上げ、舌打ちを漏らした。
「ジェイクって言ったか。あの部隊長どもと合流するぞ」
握りしめた左手。その人差し指と中指を突き立て、指先を天へと向ける。
「霊界漂う数多の精霊よ。空の創主に変わって命ず。我に力を与えたまへ」
精霊召喚言へ応じ、指先へ青白い光が灯る。
「空霊術、疾!」
ゼノの体を風の結界が包み込み、高速移動を可能にする。
「この状態でおめーに触れれば結界を分け与えられるんだが、できれば霊力は温存してーんだ。ちょっと我慢しろよ」
そう言うと、隣に立っていたミナの肩を抱き寄せ、彼女の膝裏へもう一方の腕を滑り込ませた。お姫様だっこだ。
小さな悲鳴を漏らしたミナの体が軽々と持ち上げられ、その頬が途端に赤く染まる。
「ちょっと! なにするのよ!?」
「だから、我慢しろって言っただろーが」
「恥ずかしいから降ろしてよ! 急にこんなことするなんて信じられない!」
先程までの苦しみはどこへやら、突然のことに慌て、足をばたつかせるミナ。
中身は別人とは言え、意中の相手からの思わぬ行動。嬉しさと気恥ずかしさの入り交じった感情が胸を満たしていた。
ゼノはその姿を見て口元を緩める。
「おめー、ティアに似てるよ。リアクションなんてそっくりだ。行くぜ」
「ちょっと待って! 下着……」
制服のスカート丈は膝上。抱き上げられた今は下着が丸見えだ。しかし、ゼノの首へしがみついていなければ振り落とされかねない。
「んなもん気にすんな。時間がねーんだ」
「気にするわよ!」
抗議の声を無視して、ゼノは駆け出す。
★★★
その頃、風見とカミラは光栄高校グラウンドの片隅へ足を踏み入れていた。
静まり返った校庭。夏休みとはいえ、いつもならば練習に勤しむサッカー部員たちがいるはずだった。しかし、事前に仕掛けておいた霊光結界により、今は一般人の人影はない。
この場所を選んだのは他でもない風見だ。数日前に、影井朱が仕込んだ魔法陣。その影響もあり、この敷地内には未だ濃密な霊力が残存している。それを利用して、エデンとシーナの自然治癒力を向上させようという狙いがあったのだ。
風見の視線の先には、憔悴した顔で芝生に座り込むレイカの姿。何をするでもなく、ただぼんやりとグラウンドを見つめている。
彼女が身につけているのは、オフホワイトのシフォンチュニックに、イエローのクロップドパンツ。そしてブルーのハイカットスニーカー。全て昨日の内にミナが立て替えて購入した物だ。
病院での戦いの後から、ミナの祖母の家ですっかり世話になってしまい、肩身の狭い思いをしているレイカ。しかし、彼等から目を離せないという思いに縛られ離れることもできずにいた。
彼女の膝上にはエデンが寝そべり、隣には人型を維持したシーナが立っている。
「遅かったね。何があったの?」
風見に気付いて顔を向けたレイカは、カミラの姿を見て怪訝そうな顔をする。
「随分と風変わりなお仲間たちだこと」
カミラは三人の姿を見回して、いぶかしげに顔をしかめた。
その姿を目にして、黒豹のシーナは牙を剥きだして威嚇する。
「そいつ、霊界の導師だろう? そんなヤツを連れてきてどういうつもりだい? 狂戦士を連れてくるんだとばかり……」
「まぁまぁ。そう目くじらを立てないで。カミラさんも今日から僕たちの仲間さ」
笑みを浮かべた風見は、カミラを窺った。
「一働きというのはこのことだよ。エデンとシーナを霊術で治療してやって欲しい。あなたなら朝飯前でしょう?」
「確かに簡単なことだけど、本気なの? 相手は上位悪魔と魔人でしょ?」
「本気だとも。彼等の協力無くして、この窮地を脱することはできないからね」
当然の事のようにさらりと言いのける風見に、不安を隠せないカミラ。
「ここで終わりたいというなら、あなただけでどうぞ。その代わり、二人の治療だけはやり遂げてもらうけれどね」
風見の背に四頭の大蛇が具現化。その目が、威嚇するようにカミラを見ている。
「分かったわ! やればいいんでしょ!」
「始めから素直に従って欲しいな。回りくどいのは嫌いなんだ」
風見の態度に憤慨したカミラは、腕組みをしたままレイカたちへ歩み寄る。
「そうそう。治療はエデンから頼むよ。もう時間がないから早急にね」
その言葉に、シーナが過敏に反応した。
「風見。あんたも気付いてるんだろう? マズイことになりそうだね……」
「そうだね。彼が間に合うかどうか。そこが大きな分かれ目になるかな……」
駅の方角を見上げながら、風見は苦い顔でつぶやいた。
★★★
「あそこだな……」
風の結界を纏い疾走するゼノ。光栄高校まであと半分という地点で、ジェイクたち三人の姿を見付けたのだった。
「待って! 降りるわ」
その腕の中で強引に体を伸ばし、ミナは風の結界から飛び出した。
術を解いたゼノが慌てて立ち止まる。
「別に見られたっていいだろーが」
「良くないわよ! 恥ずかしい思いをするのは私なの!」
「見せつけてやりゃあいいんだよ」
「誰に!? 何のために!?」
憤慨し、頬を大きく膨らませるミナを目にして、ゼノは再び吹き出した。
「ホントにおもしれーやつだな。ったく、カズヤも見る目がねーよな?」
ゼノの手がミナの頭へ置かれると、その顔は一層赤みを増し、黙り込んでしまった。
「カズヤ君。いや、今は魔人ゼロか?」
背後からかけられた声に、ゼノは顔をしかめてジェイクを振り返った。
「おい。その名前で呼ぶんじゃねーよ。てめーから真っ先に叩き切るぜ」
「では、何と呼べばいいだろうか」
「てめーらが勝手に付けたアダ名があるだろーが。狂戦士で構わねーよ」
「信じられないよ……見た目は完全にカズヤ君なのに……」
アスティは衝撃の真実に目を見開き、言葉を失っている。そんな彼を押し退けるように、クレアが歩み出てきた。
「深紅の狂戦士ゼノ……伝説の存在と会話ができるなんて……アッシュがいれば、さぞかし喜びますね」
そう言って、深々と頭を下げる。
「お願いします! どうかカミラ導師を助けてください! お願いします!」
突然のことに面食らったゼノは、困ったように頭を掻いた。
「俺にお願いされてもな……俺とカズヤの目的は、風見と黒豹だ。もし、カミラが邪魔をするようなら容赦はしねー」
「狂戦士! カミラ導師に剣を向けるようなことがあれば、自分がおまえを切る!」
「好きにすりゃいいだろーが。俺の道に立ちはだかる奴は全員、敵とみなすぜ」
ジェイクの言葉を鼻で笑い、そのままクレアへ近付き耳元でささやく。
「随分と好き勝手にやってくれたな。てめーがもう少し大人しくしてりゃあ、闇導師までスムーズに辿り着けたんだぜ」
ゼノは、顔を引きつらせたクレアの肩を叩いた。だが、次の瞬間にはその表情が一層険しいものへと変わった。
「ちっ! どーいうことだ!?」
「上位悪魔か!?」
ゼノとジェイクの目の前に突如として出現した黒く大きな影。見覚えのある姿と圧倒的な威圧感に一同へ緊張が走る。
「クマさんは、森にしかいねーんじゃなかったのかよ?」
嫌みを込めて言い放つゼノ。そこへ現れたのはヒグマの上位悪魔ベアルだ。
一拍遅れて、一同の通信機が反応。そこからセレナの声が漏れた。
『こちらへ向かっていた霊力反応が二分! そっちへ三十体ほどの反応が接近中よ!』
「もう遅せぇよ。先発のご到着だ。霊眼を遮断する力は閉じた。モニターで、俺たちを確認できんだろーが」
直後、ゼノとジェイクの体は、モノクロへ変貌した魔空間へと引きずり込まれていた。二人の目の前には、ベアルの他に二十体ほどの悪魔が立ち並んでいる。
「どうなってやがる。セレナの連絡と数が合わねーぞ!?」
「闇導師の命令。おまえと風見を殺す。他の部下、風見を狙う」
戦鎚を手にしたベアルが二人を見回す。
「ヒャッハッ! おまえに脳味噌はねーのか? 表にはまだ、霊能戦士とお嬢ちゃんがいるんだぜ!」
「おまえたち始末して、すぐに追う」
「言ってくれんじゃねーの。その言葉、そっくりそのまま返してやるよ!」
両手を広げ、目の前でバツの字に組み合わせたゼノ。そこへ殺到する二十体の悪魔。
「狂戦士! 今は目の前の敵に集中だ!」
細身の剣、レイピアを手にしたジェイクが、ゼノを守るように飛び出した。
「神の左手。悪魔の右手。覇王の両目を抱きし魔竜。深淵漂う力を結び、闇を滅する刃と成さん」
詠唱を終え、腰の位置へ握り拳ほどの黒い球体、門が出現。迷わずに右腕を突き入れたゼノは、斬魔剣エクスブラッドを引き出した。