10 天の声。ピンチの後には、またピンチ
胸元へ突き付けられたクレア愛用の短剣。それを前に、どうしていいのか分からない。
必死に中年男の口調を真似てはいるが、たかだか小一時間前に出会った人物。すぐにボロが出るに決まっている。
もうどうにでもなれ。やけになり、がっくりとうなだれたその時、天から降り注いだのは救いの神からの一声だった。
『造霊術の賢者、ラナークだ。今は霊界から通信している。カミラ導師の不正は全て暴いた。ギャモン賢者を陥れた件を含め、協力者だったゲインズ導師から全て聞いた。大人しく降伏したまえ。君はもう、袋のネズミだ』
クレアと若造の動きが止まった。この窮地で、しかもこの短時間の間にボスがやってくれたんだ。
「不正? しかもギャモン賢者を陥れるって何のことだ?……魔人ゼロの力を持った人間を捕らえるだけだろ?」
あからさまに取り乱す若造。どうやらカミラさんがしてきた全てを知っているわけではないようだ。
「カイルさん。落ち着いてください。これは私たちを混乱させる罠です」
揺るがぬ意思で、通信の全てを否定するように叫ぶクレア。こいつはどこまで知っているんだろうか。
「ボスが嘘をつくと思うか? 二人とも、カミラさんに騙されてるんだよ! あの人は霊界王になるっていう目的のために、俺たちを利用しようとしてるんだ!」
「そうですか。あなた、カズヤさんだったんですね……」
鋭い目付きで睨んでくるクレア。ここまでくれば変化の力は必要ない。元の姿を取り戻すと、若造が慌てて声を上げた。
「クレア。どういうことなんだ!? こんなの聞いてないぞ! 本当にカミラ導師の独断なら問題行動だ。俺の経歴に傷が付いたら、どうしてくれるんだ!?」
「カイルさん。落ち着いてください。霊界王からの書状を見ましたよね?」
「それが本物っていう証拠は?」
久城の言葉に目を見開くクレア。
「サヤカの言う通りだ。ゲインズ導師も掴まった。証拠は揃ってるってことだ。もう、あんたたちは逃げられねぇ!」
語気を荒げて言い放つと、うろたえた若造は扉のロックを解除した。
「カイルさん!?」
「冗談じゃない! さぁ、これで満足だろ? たとえ何かあったとしても、僕は無関係だと霊界へ証言してくれ!」
訴えるようにドアを押し開ける。
「アッシュとアスティに差を付けられないように地上への視察を懇願したんだ。不正に手を貸すなんて、まっぴら御免なんだよ!」
「カイルさん。扉を閉じてください! 私たちは騙されているんです!」
「うるさいっ!」
叫び、取り乱した若造は、その手に長剣を具現化させた。
「俺は彼等の言葉を信じる。抵抗するようなら、今度は君の身柄を拘束するだけだ!」
狂ったように吠えた若造が、クレアへ立ち向かってゆく。
その場を久城に任せ、隔離室へ駆け込んだ。
☆☆☆
全員の拘束を解き、セレナさんの手から霊撃輪を受け取った。ようやく力を取り戻し、胸を撫で下ろす。
廊下へ戻ると、若造に組み敷かれ、悔しそうにもがくクレアの姿が。
彼女の両手を後ろに縛り上げていた時だ。突然に鳴り響いた館内放送。
『セレナ導師。至急、司令室までお戻りください! 緊急事態です!』
こんな時になんだというんだろうか。
若造とクレアの対応に困った俺は、その場をアスティへ任せることにした。
隔離室のある通路を抜けた先には、気を失った朝霧が。久城に介抱を頼み、ロビーでセレナさんと別れた。
「どうするつもりなんだ?」
不思議そうに声を上げるセイギ。俺はアッシュとタイちゃんへ視線を移した。
「転移室に向かったカミラさんを捕まえる。あの部隊長さんが、しっかり仕事をしてくれてたらいいんだけどな……」
クレアのように、あの人を信じ込んでいないとも限らない。力を取り戻した今、負ける気はしないが、激しい戦いになるのは目に見えている。
ロビーから二階へ上がり、奥を目指して進んでいく。さっきここを通った時は、死刑を宣告された囚人のような気持ちだったが、今は違う。自由を取り戻すために奮起する革命軍のリーダーのようだ。
その異変にはすぐに気付いた。転移室を目指す俺たちの前に、床へ倒れる人影が。よく見ればそれは部隊長の美少年だ。
「ジェイク部隊長!」
アッシュは床へしゃがむと、倒れた美男子の頭を抱え起こした。
周囲にカミラさんと風見の姿がない。一体なにがあったんだ。
苦しそうに呻きながら、うっすらと目を開けた美男子。だが、俺の顔を見るなり、慌てて身構えようともがいた。
「貴様。カミラ導師をどこへ!?」
「落ち着いてください! さっきまであなたが一緒にいたのは俺の偽物っスよ。二人はどこにいったんスか!?」
「偽物? どうりで能力が使えるわけだ」
俺の言葉を噛みしめるようにつぶやくと、いくらか落ち着きを取り戻した。この辺りの判断能力はさすが部隊長と言ったところか。
「不意を突かれた……ラナーク賢者の言葉に困惑した。いや。カミラ導師は私以上に取り乱していたか……」
思い出しながら言葉を続けてゆく。
「君の偽物が、導師に何事かを耳打ちしたのだ。その直後だ。背後から大蛇に襲われ、気を失ってしまった。導師を守れないとは何という失態……」
「ってことは、あなたも二人がどこへ行ったか知らないんですね?」
「カズ。出口をすぐに封鎖した方がいい」
タイちゃんの言葉に頷き返し、通信機のスイッチを入れた。
「セレナさん。聞こえますか? カミラさんと風見が逃げた。今すぐに、アジトの出口を封鎖できますか?」
『セレナです。聞こえているわ。どうやら封鎖は手遅れみたい。サリファとクレアが監視のために配置していた霊眼が、逃げ出す二人を記録していたわ……』
「くそっ!」
まさか、よりによってあの二人を逃がしてしまうなんて。どう考えても最悪の組み合わせにしか思えない。早く見つけ出さないと何をするか分からない。
これは偶然の結果だろうか。まさか、風見は最初から、カミラ導師を攫うことが目的だったんじゃないだろうか。
「風見も通信機を持ってる。発信源を探れないんスか!?」
『電源を切っているようね。繋がらなければ位置を割り出せないわ』
即座に返答したということは、セレナさんも既に試してくれていたんだろう。
「手分けをして周囲を探してみます」
『待って。それは後回しよ』
「は?」
思わず間抜けな声を上げてしまった。
『緊急事態という連絡を忘れたの? 司令室でサリファが拘束されていたし、私もカミラ導師が逃げ出した件なんだと思っていたんだけれど……』
「なんスか!? 歯切れが悪いっスね。要点だけ簡潔にお願いしますよ……」
言いしれぬ不安が過ぎった。
『この場所を目指して、三日月島の方角から悪魔が押し寄せているわ。計測機器の情報が確かならば、数はおよそ五十』
「五十!?」
病院での戦いとは比べものにならない。
『恐らく、霊魔大戦で敗走した全ての戦力をかき集めたに違いないわ。全戦力で対抗しなければ勝ち目はないわよ』
「なんでこの場所が!?」
『私の予想だけれど、恐らく原因は郷田さんね。彼の瘴気が発信器のような役割を果たしてしまっている』
「くそっ! またあいつかよ! どこまでもジャマしやがって……」
敵の数が本当に五十だとすれば、ゼノの力だけでは到底足りない。側でやり取りを聞いていた美男子へ視線を移した。
「ジェイクさん。申し訳ないっスけど、手を貸して貰いますよ。全員が協力しねぇと、このピンチは防げねぇ……」
「そのようだな。しかし、この施設の防衛に参加するのは部下たちだけだ。自分はカミラ導師を追う」
「ちょ!」
「なぜこんなことをしたのか。その真実を知りたい。それに、自分にはマルスさんとの約束がある……」
『部隊長! 私も行きます!』
館内放送から漏れたのはクレアの声だ。
『カミラ導師は私が必ず連れ戻します! 風見さんは何だか危険な気がします!』
カミラさんと風見をこのままにしておけないが、美男子とクレアを向かわせるというのも心配だ。この二人を完全に信用できない。
だが、よく考えれば、霊能戦士たちの活動限界は数時間。必ずここへ戻ってこなければならないはずだ。
「ジェイクさん。こっちからも条件を出します。クレアは完全にカミラさんの味方だ。その見張りとして、アスティを一緒に連れて行ってください」
戦力の不足は覚悟の上。アスティの抜ける穴は大きいが、ある程度の力を備え、信頼の置ける仲間としては適任だろう。
終わりの始まり。夢で見た風見の言葉が現実味を帯び、脳裏へと響いていた。