05 裏切りだ。俺が凶悪犯罪者?
目の前で薄ら笑いを浮かべているカミラさん。その目的が分からない。それに、どうしてここにクレアまで。
たまらずに彼女へ視線を向けるが、俺を捕らえた美男子と同じように、無表情でこちらを見つめているだけだ。
俺の視線に気付いたカミラさんが、しなだれるようにクレアの体へ手を回す。その手が彼女の腹部をそっとなでた。
「ボウヤがたっぷり出してくれたお陰で、最後のサンプルも充分手に入ったわ。結果はシロ。まぁ、それもそうよね……あなたは至って普通の高校生。力の根源は、憑依しているあの男。始まりの魔人ゼロ」
「サンプル……どういうことだよ?」
振り絞るように出した声が震える。
カミラさんは赤紫の唇へ手を伸ばし、生々しい音を響かせながら棒付きキャンディを引き抜いた。
「本当は私が襲っても良かったのよ。でも簡単に終わったんじゃつまらないじゃない? この子とゲームを楽しんでたの。期限内にあなたを堕とせ、ってね……」
「なんのためにそんなことを……」
「ボウヤの力の根源が知りたかったの。霊能戦士を越える驚異的な力。その仕組みが分かれば、究極の霊能戦士を生み出せる、ってね」
「究極の霊能戦士?」
「そうよ。それだけの功績を挙げれば、次期、霊界王の座は確実」
「ふざけんな! 自分の功績のために、クレアの体まで使ったっていうのか!? クレアの意思は、気持ちは無視かよ!?」
怒声に、妖艶なカミラさんの顔が見る間に醜悪なものへ変わった。
「この子に意思なんて必要ないわ。私の意のままに動くだけ。可愛い操り人形」
信じられない。二人と出会って一ヶ月程度だが、全てが仕組まれていたのか。
「クレア! 何とか言えよ!」
あの笑顔、あの言葉、あの温もりも、それら全てが偽りだったなんて。
「カミラ導師の言った通りです。全ては、カズヤさんから体液を入手するため」
一切の感情も表さないその顔に、俺の心はへし折られた。何が本当なのか。
横手から呑気に口笛が鳴り響く。
「っかぁ〜。羨ましい話だねぇ……あの体を堪能したってか? 俺も是非!」
からかうように声を上げた無精髭の中年男。その脇腹へ、長身女が素早く肘を打ち込んだ。男の口から短い呻きが。
「サリファ。ちったぁ加減しろ……」
「相変わらず下品な発言をするからです」
サリファと呼ばれた長身女は呆れたように息を吐き出した。
苦痛に顔を歪めた中年男。それを哀れむように見つめる若い男。
「グレンさん。空気を読んでください」
「っせぇ! カイル。若造が生意気なこと言うんじゃねぇ!」
八つ当たりで頭を叩かれた若造。短い悲鳴が上がると同時に、カミラさんの咳払いが廊下へ響いた。
「あなたたち、少し静かになさいな。とにかく、これで目的は達成したわ。ボウヤを転移室まで連れて行って」
「転移室ってなんだよ!?」
抵抗しようにも両手は使えない。美男子に背中を押され、逃げられない。
「カミラ導師! 何の騒ぎですか!?」
廊下の奥から現れたのはセレナさんだ。もはや、この人だけが最後の希望だ。
「どうしてここに霊能戦士が? 到着はまだ先のはず……それに、そこにいるのは部隊長のジェイクですよね!?」
視線は俺の背後に注がれている。
「あらかじめ呼んでおいた先陣よ。このために待機させていたってわけ。あなたはボウヤの持つ特異な力に気付きながらも、ろくに調べもせず放置。監督不行届もいいところだわ。彼に憑依していたものは何だと思う? ゼロよ。魔人ゼロ」
その言葉に、セレナさんの顔が見る間に血の気を失ってゆく。
「ですが……」
「なに? 確かに今までを見る限り、私たちに害を及ぼすような動きはない。でも、本心はどうなのかしら? いつ牙を剥くとも知れないのよ?」
「ゼノはそんな奴じゃねぇ! 一緒に戦ってきた俺が保証する!」
「あなたたちは甘いのよ」
カミラさんは満面の笑みで、大きく開いた胸元から一枚の紙切れを取り出した。そして、右手の人差し指と中指を伸ばし、天へ向かって突き上げる。
「補霊術。言霊」
直後、耳栓でもされたように周囲の音が小さくなった。カミラさんの仕掛けた霊術の効果だろうか。
「全員、聞こえているわね。私は補霊術の導師、カミラ。カミラ=ペイシェント」
なぜかその声だけが大きくはっきりと聞こえた。さっきの霊術は恐らく、声を遠くまで届けるための術なんだろう。
「私は霊界王の特命を受け、書状を預かっているわ。ラナーク=レイモンド及び、セレナ=スターレックの権限を一時凍結。この施設の管理権限は私へ移行される」
「そんな……」
突然のことに言葉を失うセレナさん。
「逆らおうなんて気は起こさないことね。補霊術の全戦士を投入して、ここを制圧しなければならなくなるから。今後は、私とジェイクの指示に従って貰うわよ」
カミラさんが指を打ち鳴らすと同時に、耳を覆っていた違和感が消え失せた。
「というわけ。サリファ、セレナを拘束して。ついでに、彼女が持っている転移装置の起動ネックレスも没収」
急展開に固まっているセレナさんの両腕へ長身女が手錠をかけた。恐らく俺と同じ物だろう。そしてセレナさんの長衣へ手をかけ、襟元の留め具を三つほど取り外した。
爆様の見事な谷間が覗き、長身女はそこに見えたネックレスを取り払った。
「代わりにこれをあげるわね」
カミラさんの手には俺の霊撃輪が握られていた。それを、セレナさんの胸の谷間へ挟むように押し込んだ。
「で、ラナークさんはどこかしら?」
「今日は午後から久々の休暇なんです。今頃は霊界へ戻られています」
「あらそう。尚更、好都合ね。カイル。あんたは転移装置を見張って。ラナークが戻ったら、その場で拘束しなさい。サリファはそのまま、セレナを隔離室へ」
隔離室。このメディカル・ルームに設けられた重病人を運ぶ部屋だ。セレナさんをそこへ閉じ込めるつもりなのか。
「セレナさん!?」
呼び声に、訴えるような視線で応じる。
「カズ君。下手な犠牲は出したくないの。今は素直に応じるしかないわ……」
若造に連れられ、二人の姿が次第に遠ざかってゆく。それに合わせて中年男も動いた。背後でドアの開く音が。
「カミラさん。今はこんなことで、もめてる場合じゃないっスよ!? 俺を拘束したいなら、闇導師や風見の件が片付いてからにしてください!」
振り向いたカミラさんは、鋭い目付きでこちらを睨んでいた。キャンディを噛み砕く荒々しい音が響く。
「ボウヤ。悠長なことを言ってられないの。霊王殿が落とされれば全てが終わるのよ。この際、ゼロでも構わない。霊界へ来て、戦神を蹴散らしてもらうわ」
「は!? 地上はどうなるんスか!?」
「そんなのは二の次。霊王殿は地上と霊界を結ぶ重要拠点。それに霊界王が住まわれている場所。そこを守らずして、どこを守るっていうわけ?」
カミラさんの細い指先が、俺の顎をゆっくりとなぞっていく。
「ボウヤは、イヤでも私に従うことになるわ。私だって、本当はこんなことしたくなかったんだけど……」
直後、俺の横を大きな白い影が通り過ぎた。よく見ればそれはベッド。寝かされているのは間違いなくティアさんだ。
「どこに連れて行くんスか!?」
「霊界よ。連れ帰れば最高の治療を施すことができるわ。ボウヤが同行を拒めば霊界で安眠していただくことになるわね」
「人質ってことかよ!?」
目の前のカミラさんこそが本当の悪魔なんじゃないかと思えてくる。だが、ゼノと思念を交わせない今、あいつの本心を知ることもできない。闇導師を追うのか、それともティアさんを助けるのか。
でも、ゼノには悪いが、俺にも都合がある。風見との決着。桐島先輩と朝霧を救うという大事な目的が。
どうしたらいい。俺の選択が一人の女性の命を左右することになるなんて。
「戦神の戦力はどれだけなんスか?」
「詳細は不明だ。霊王殿と下方の街を取り囲んでいることから考えて、少なくとも三百以上は間違いあるまい」
背後から美少年の透き通った声。
三百。片手間に往復できるような数じゃない。それを追い払っている間に、地上はどうなってしまうんだろうか。
「無理だ。地上を見捨てるなんてできない」
カミラさんは赤紫の口端をもたげる。
「あらあら。言ったわよね? イヤでも従うことになるって。ボウヤに選択する権利なんて無いの」
悪魔の双眸が俺の背後へ向けられる。
「ジェイク。ボウヤを転移室へ運んで。直ちに霊界へ帰還するわ。霊界王へ報告後、戦神の討伐部隊を編成。グレンとクレアはここの指令室を制圧しなさい。サリファとカイルもここへ待機させるわ」
突き飛ばされるように背中を押され、凶悪犯に仕立て上げられた気分だ。ゼノの存在はそれほどまでに大きな罪だというんだろうか。納得がいかない。
ゼノ。おまえは今、何を思ってどんな顔をしてるんだ。こんな仕打ちって、あんまりだと思わないか。