35 滅咆吼
「我が輩に勝つ気でいるとは。愚かな」
闇導師が左手の人差し指と中指を伸ばす。そうして印を組むと、風見が苦痛に呻いた。
「シュン。どうしたの!?」
床に片膝をついた彼へ、大蛇に上半身を封じられたままのレイカが声を上げていた。
「忘れたか? おまえは我が輩の支配下にある。闇蜂はまだまだ試作段階か……相手を完全に制御できなければ意味が無いな」
「だからこそ、あなたを倒して自由を取り戻す……理想郷に、王は二人もいらない……」
胸を押さえた風見が、苦しそうに喘ぐ。
「約束しただろう? 地上はおまえに譲ってやると。今からでも遅くはない。その魔人と共に我が輩の下へ来るがいい。おまえが求める“輪廻”の力も譲ろう……どうだ?」
「残念だけれど、僕はあなたを完全には信用できない……消えてくれ……」
苦痛に喘ぐ風見を、エデンが心配そうな顔つきで見つめている。
「ねぇ。あいつがパパを虐めてるの?」
「うん……あの人のせいなんだ……」
すると、幼子とは思えない程の鋭い眼光が闇導師の姿を捉えた。
「許さない!」
地を蹴り、瞬く間に闇導師へ迫る。
★★★
その頃、もう一つの魔空間で繰り広げられていた死闘も佳境を迎えていた。
「アッシュっ!」
クレアの眼前で、巨大熊の平手を受けたアッシュ。その体が軽々と吹っ飛び、モノクロの壁へ激突した。
声も無く床へ横倒しになると、こぼれ落ちた剣が床へぶつかり、乾いた音を立てた。
「アスティ。セイギさん……」
この絶望的な光景に、クレアは救いを求めるように仲間の名をつぶやいた。
二段変身の限界を迎えたセイギは、それが解けると同時にヒーロー・スーツと翼を失った。直後、巨大熊に押さえられると、右半身の霊体を噛み砕かれ戦闘不能に陥ったのだ。
その様に、怒ったアスティが飛び出した。
温厚な彼が叫ぶ様を初めて目にしたクレア。その彼女の前で、巨大な霊力球の返り討ちに遭ってしまったアスティ。体から黒煙をくゆらせ、意識を失った彼はその場へ崩れた。
そして今、最後の砦だったはずのアッシュまでもが倒されてしまった。満足に動くことができるのはクレアだけだった。
込み上げる恐怖を押し殺し、双剣を構えた彼女は熊の姿を見つめた。
女性だからという理由で、守られたり後方へ置かれることに嫌気を感じていた。霊能戦士となったその時から既に覚悟はできていた。戦士として生き、戦士として散ることに。
「最後まで足掻いてみせます! まだ、やらなければならないことがあるんですから!」
そして、少女と熊の一騎打ちが始まる。
★★★
「闇導師め。どこに行きやがった?」
霊力壁を解除したゼノは、宿敵の姿を求めて周囲を見回した。
あの霊術は霊魔大戦の際にも目にしていた。闇導師が編み出し、彼だけが扱うことのできる複合攻霊術、四混。
彼の視界へ、倒れる黒豹が飛び込んだ。咄嗟に逃げたとはいえ、至近距離であの霊術を受けては、満足に戦うことはできないだろう。
続け様に、床へ倒れる三体の魔人たちを捕らえていた。主である闇導師の術に巻き込まれた彼等は哀れとしか言えないが、効果対象から外すこともできなかった程、闇導師が焦っていたという証拠だった。
「まずは、奴等を片付けるのが先か」
「手を貸しましょうか?」
大剣を構えたゼノへ、ミナが並ぶ。すると彼は、そちらを見ることはせず苦笑を漏らす。
「悪りぃな。おめーの呪縛を解いてくれとカズヤがうるせーんだが、闇導師を始末しねーと俺の怒りが収まらねーんだわ」
「別に構わないわ。この多重展開の力、まだまだ必要だもの……」
二人の眼前で、意識を取り戻した三体の魔人たちがゆっくりと立ち上がる。
「レイカを狙うのは止めろ。俺だけじゃねー。カズヤがおめーを全力で止めにかかるぞ」
「やれるものならね。私の手は既に血で染まっているの。一人や二人、どうってことないわ。カズヤを振り向かせることが出来ないとしても、私の居場所を奪った彼女を許せない」
「ただの八つ当たりだろーが。誰と誰がくっ付くかなんて分かるはずもねー。闇導師を倒したら、おめーの呪縛は必ず解いてやる!」
ゼノが三体の魔人へ踏み出したその時。先程、姿を消した女性魔人が戦いの地へ舞い戻ったのだ。一人の女性を伴って。
「なんなの、あれ……」
その異様な光景にミナは呆然とする。
連れられてきた女性は、犬のように四つん這いで歩みを進めた。首輪から鎖が伸び、それを女性魔人が握っている。
生気のない濁った瞳と荒れた肌。満足な食事も採っていないのか、骨と皮だけのように痩せ細った体。ミナは目を背けたくなるほどの悲壮感に包まれていた。
「ふざけやがって……」
隣からの凄まじい怒気に晒され、ミナは小さく悲鳴を上げた。恐る恐る視線を向けた彼女は、激しい怒りに震えるゼノを捉えた。
受け入れがたい悪夢のような現実。それを拒絶しようと猛反発を起こす彼の心。
虚像を映しているのではないかと自らの瞳すら疑い、敵の作りだした幻の可能性へ思いを巡らせる。
やり場のない怒り。後悔と苦悩。自分自身の無力さを呪い、取り戻すことの出来ないあの瞬間が脳裏を過ぎる。
どれだけ慈悲を請おうとも、救いが訪れることはない。救う者もいない。
言い表すことのできない凄まじい怒りが、思考と行動を支配した。それはまさに、狂戦士という言葉を体現した、怒り狂う一匹の獣。
声にならない叫びと共に、女性魔人を目掛けて魔獣が駆けた。
立ちはだかるのは三体の男性魔人。彼等の手から同時に攻霊術が放たれた。
火球が魔獣の右肩を焼き、吹雪がその左膝を凍り付かせた。そして、三体目の魔人が電撃を繰り出そうという刹那、雄叫びと共に振るわれた大剣が、その体を両断していた。
試作魔人の力では魔獣の進撃を食い止めることは叶わない。
ミナが連続で放った霊力弾が魔人二体の顔面を急襲。深手には至らないまでも、視界を遮るには充分だった。次の瞬間には、魔獣の振るった大剣が二体の胴を分断していた。
魔獣は、凍り付いた自らの膝へ炎の攻霊術を浴びせ無理矢理に解凍。そして、血走った瞳を女性魔人へ向け、雄叫びと共に駆ける。
女性魔人は、霊術では効果が薄いと悟ったか、腰元から短剣を引き抜いた。
魔獣と魔人の瞳が交錯。獲物を襲う竜の爪と化し、赤い軌跡と共に唸りを上げて襲う大剣。その一降りを見極め、蜂の一刺しのように的確に急所を狙う短剣。
勝負は一瞬。肩から脇までを切り裂かれた女性魔人の半身が床へ落ち、首を斬り付けられた魔獣も苦しげに呻いた。
「ホワイト・シュート!」
ミナは癒やしの力を込めた霊力弾をゼノの首へ打ち込む。だが、近付くことはできない。迂闊に近付けば、見境無く攻撃されそうで。
ゼノは連れてこられた女性を見下ろし、その首輪を無理矢理に引き千切った。
ぐったりとした彼女を、いたわるように抱きしめたその時だ。魔空間へ響く破砕音。風見とレイカ、そして小さな魔人、エデンが転がり込んできた。
「ふしゅしゅしゅ……そんな不完全な魔人では、我が輩に勝つことなどできるはずもない」
再び魔空間へ足を踏み入れた闇導師は、ゼノの姿を見付けて楽しそうに笑う。
「おやおや。気に入って貰えたようだな。ボロクズ同然だが、君に返そう」
言葉も無く立ち上がったゼノ。右手の大剣を水平に構え、剣先は闇導師を狙う。
深紅の刃へ力が収束。それは黒い球体となって刃を包み、急速に大きさを増してゆく。まさにブラック・ホールのごとく、空間内に満ちた瘴気を取り込み、急速に膨張してゆく。
球体はゼノの体すらも覆い隠すが勢いは止まらない。その場にいた誰もが、球体の内包する凄まじいエネルギーに焦りを覚えていた。
制御不能の爆弾が一同の眼前に置かれ、破裂の瞬間を待ちわびていた。
「なんてこった……」
黒豹は傷ついた体を引きずりながら、恐怖に立ち尽くすミナの背後へ立った。
「ここは引くよ」
言いながら、風見に捕らわれたままのレイカを名残惜しそうに見つめる。
「ちょっと。まだ終わってないわ!」
「よく見てみな。狂戦士の力が暴走してるんだ。死にたいのかい?」
黒豹はミナを咥え、残された力を振り絞るように魔空間を駆けた。すると、それに触発されたように、闇導師と風見も動く。
闇導師は印を組み方陣を展開。そこから現れたのはヒグマのベアルだ。
風見も、レイカの自由を奪ったまま、倒れたエデンを慌てて揺り起こした。
漆黒の球体。その奥から、狂ったように叫ぶゼノの咆吼が轟いた。直後、炸裂する滅咆吼。解き放たれた爆発的なエネルギーは魔空間を決壊させ、そこにある全てを飲み込んだ。
全ての存在を、全ての記憶を抹消するように。溢れだした力が洗い、押し流してゆく。
とてつもない力の奔流を受け、運命の歯車は更に歪められてゆく。それが導く終着点は果たしてどこなのか。それを知る者はいない。
<Episode3 END>