31 どこにいる? きっと助けてみせるから
カズヤは尻餅をついたまま、四人の姿が消えた空間をぼんやりと見つめていた。
「みんな……」
体を起こすと、ポケットからこぼれた何かが微かな音を立てた。それは霊撃輪。
拾い上げた彼の脳裏を過ぎるのはレイカの顔。その無事だけをただひたすらに願った。
「絶対に見付けてみせる!」
立ち上がり、決意を胸に駆けだした。
★★★
魔空間へ引きずり込まれた四人の前には、モノクロへ変貌した廊下が。彼等の前方へ佇んでいたのは、ヒグマの顔を持つ上位悪魔。
「ヒグマのベアル……序列一位の大物だよ」
アスティが震える声でつぶやいた。
「上等だってんだ。こっちは、力が有り余って仕方なかった所だしな!」
剣を構えるアッシュだが、それが強がりだということは誰にも分かりきっていた。
そんな二人の後方で、クレアは隣に立つセイギの様子を窺った。
「体調は大丈夫ですか? A-MINの使用後は、体力を著しく消耗するとか……」
「問題ない。自分の体を追い込むのは慣れている。ヒーローが弱音を吐けるか?」
クレアは小さな笑いを漏らした。
「なんだか、すっかり丸くなりましたね」
「これでも、身の程はわきまえているつもりだ。リーダーである神崎の指示に従い、レイカを救出する。ただそれだけだ……」
「はい。頑張りましょうね!」
微笑んだクレアが双剣を手に身構えると、背中を丸めたヒグマの口元は困惑に歪んだ。
「んあ? 一人足りない。俺、怒られる」
呑気な口調と裏腹に、全身を包む闘気は圧倒的。限界突破を使用したカズヤでさえ怯んだ悪魔を相手に、死闘が始まろうとしている。
★★★
「さぁ、着いたよ。入って」
扉を開けた風見は、レイカの背中をそっと押しながら室内へ誘った。
デクスと機材が規則的に配置されたその様は、さながらパソコン・スクールのようだ。だが、そこにいるのは受講生などではなく、白衣を纏った二十名ほどの医師たち。
「悪霊を憑依させ、周期型として意識を乗っ取っているそうだよ。昼は総合病院の医師や薬剤師。夜は研究員という二つの顔がある」
警戒するように部屋を見回すレイカ。
「この奥だ」
風見はその手を取り、デスクの間に設けられた通路の一つを抜けた。そのまま、奥にある扉の前でパスコードを入力。
「よし!」
解除を確認し、邪悪な笑みを浮かべる風見。
これまで通過した解除コード。それはレイカを餌に、郷田から聞き出したものだった。
扉の先へ進んだ二人の前には、更に想像もしていなかった空間が広がっていた。
壁際には二人の身長を超える筒型のガラス容器。中は緑色の液体に満たされ、人影のようなものが覗いている。それが、奥まで一直線に続いているのだ。
「これは失敗作か? それとも……」
風見は一つ一つを確認するように見回しながら、レイカの手を引いてゆく。
「シュン。出口に向かってたんじゃないの!? ここ。なんだか気持ち悪いわ……」
お化け屋敷を進むように、奇異の眼差しで部屋を眺めるレイカ。ここから逃げ出したい気持ちで一杯だったが、風見の手は力強く、振り解けそうになかった。
それは部屋の最奥にあった。同じ筒型の容器が一本、中央に立てられている。大型の機械がそれを取り囲み、向かい合うように一人の男性が立っている。
「やぁ。ドクター」
風見の声に、白衣の男が振り返った。
「えっ!? 悪魔!?」
男性を見たレイカは驚きに足を止め、その場に硬直してしまう。
それはチンパンジー顔の悪魔、バジーム。彼は、突然の来訪者に怪訝そうな顔をする。
「風見君。どうやってここへ?」
「郷田さんから教えて貰ってね。侵入者たちの件は聞いていますよね? 彼女を、ここで保護するように頼まれたので」
「侵入者? ふむ。ベアルがいるので問題はないでしょう。念には念を入れて、この子だけでも輸送しますかね」
バジームは背後の筒を心配そうに振り返る。不意に視線を戻すと、レイカの頭からつま先までを観察するように眺め降ろした。
「ふむ。新しい適合者ですか。見たところ、適合率はかなり高そうだ。ただ、意識を保ったまま連れてきたのはいただけない。私の手を煩わせないでくれたまえ」
「適合者!? どういうこと!?」
自らの体を抱きすくめたレイカが、信じられない言葉にたまらず後ずさった。
彼女の目には二人の姿が、見るもおぞましい怪物のように映っていた。捕まれば後はない。死刑宣告をされた囚人のような気持ちで、慌てて背後を振り返る。
しかし、同時に右腕を襲う激痛。
「どこへ行くんだい?」
風見の背から具現化した大蛇の一頭が、彼女の二の腕に食らいついていた。
「離してっ!」
だが、もがけばもがくほど、その牙が彼女の腕に食い込み、更なる激痛が駆け抜ける。
「お嬢さん。恐れることはありません。意識さえ飛んでしまえば、後は快楽の虜。あなたなら、優秀な子供を授かることができますよ」
「え? 子供!?」
迫るバジームを目に、レイカの中でここまでの情報が一つに繋げられてゆく。
意識を奪われた女性たちと江波の存在。彼女たちは妊娠を目的に、同じ適合者と呼ばれる男に襲われている。そして、風見の言う生体実験。それは、赤子という新たな生命が必要なのではないかと。
いつの間に手にしたのか、バジームの手には一本の注射器が握られていた。
「風見君。ちょっと押さえていてくれますか? 薬を打ち込みますから」
「いいですよ……」
「ぐうっ!?」
次の瞬間にそれは起こった。意外にも、苦悶の声を漏らしたのはバジームだ。
レイカには何が起こったのか分からなかった。腕に食い込む大蛇の牙が離れたと思った矢先、眼前に立つバジームの腹部から純白の刀身が飛び出していたのだ。
そして、バジームを背後から襲う大蛇。両腕、両足、首筋へと牙を突き立てる。
「風見君。どういうつもりですか!?」
「どうもこうもないよ。僕の狙いはただ一つさ。今すぐにこの装置を解除して“魔人”を覚醒させるんだ」
「我々の研究を盗むつもりか!?」
「黙れ。言われた通りにするんだ」
風見が威嚇するように歯噛みすると、それとリンクするように大蛇の噛み付きが強さを増した。激痛に唸るバジーム。
「B-QUEEN。解放……」
風見の体から黒い気体、瘴気が揺らめいた。それはとぐろを巻く蛇のように、螺旋を描いて彼の体を取り巻いた。
「さぁ。このまま噛み殺されたいか?」
口元を押さえ、涙を堪えたレイカが数歩後ずさる。もはや目の前にいるのは自分が知っている人物ではない。遙か遠く、手の届かない所へ行ってしまったのだ。
「分かりました。覚醒させますから……」
腹部には刃、体中を大蛇に噛み付かれたバジームが操作盤へ手を伸ばした。そこに設置されたキーボードを操作する。
「拘束を解き、起動スイッチで覚醒させるそうだね? 妙なマネをしたら、君を消すよ?」
「分かっています……」
話をしながらもバジームの両手はせわしなく動いた。キーボードの上部へ置かれたモニターには拘束解除のメッセージ。
「どうぞ。後はここにあるボタンを押せば覚醒が始まります」
風見はバジームの体を突き飛ばし、機材の前に立った。待望の瞬間を前に、その体は喜びに打ち震えていた。
「ついに手に入れた……この力があれば、闇導師にも勝てる!」
カズヤに共闘を断られたのは彼の想定内だった。本命はこれの入手。
風見が震える指先を伸ばした時だった。
「どういうつもりかね。風見君?」
声が響くと同時に、フロアがモノクロの世界へ塗り替えられてゆく。
慌ててボタンを押した風見だったが、既に魔空間の中。擬似的に再現された空間で何をしようと、現実へ干渉させることはできない。
息を飲み背後を振り返った彼が見たのは、黒いローブを纏った一人の男性悪魔。
フードを目深に被り、顔を窺うことはできないが、体を覆う禍々しく強烈な霊力。それが肌を刺すように風見とレイカを威圧する。
「どういうつもりか、と聞いている。耳が付いていないのか? 愚か者め」
「どうして、おまえがここに?」
最高の好機の後に訪れた最大の危機。あまりの恐怖に動けない風見。
「質問に質問で返す奴がいるか? つくづく愚かな奴だ。馬鹿者め!」
男が放った野球ボール大の霊力球。風見は即座に大蛇を引き寄せ、チンパンジー顔の悪魔、バジームを盾代わりにしていた。
直後、霊力球はその体を無残に消し飛ばしただけでなく、強烈な爆風を生んだ。煽られた風見の体が背後の機材へ激突した。
「おまえのようなコソ泥は用済みだ。さっさと死んでしまえ。馬鹿者」
ローブの隙間から両腕を上げる男。印を組んだその両手へ、凄まじい力が収束してゆく。
レイカも爆風の煽りで倒れていたが、それを目にして無我夢中で動いていた。風見を庇い、両者の間へ割り込んだのだ。
「シュンを殺さないで!!」
「炎の攻霊術。獄炎!!」
解き放たれた炎の上位霊術。全てを焼き尽くす地獄の業火は、一抱えもある火球へ圧縮。それが、両腕を広げたレイカを狙う。