30 制裁だ。言いたいことはそれだけか?
無様に尻餅をついていた郷田が、怯えの色を滲ませながら立ち上がる。
天井照明は破損。部屋に残る光源はテレビ台の間接照明のみ。その儚く柔らかな光が、セイギのシルエットを浮かび上がらせた。
その背に纏う霊力の翼。薄闇において尚、青白い光を放ち存在を知らしめる。
「極上の痛み? そんなものはいらんよ。ワシは痛みを与える側の人間だ!」
郷田が真一文字に振るった右腕。しかし、衝撃波を阻止すべくセイギがそれを掴み取る。
「貴様のこの腕がどれだけの罪を犯した? どれだけの人を傷つけた?」
掴んだ腕を、右拳で思い切り殴る。
「うぎいぃぃぃ!!」
確かな感触と鈍い音。郷田の右腕に外傷はないが、霊体の肘部は完全に破壊されていた。
「貴様が墜ちて、霊撃が有効になったのか」
「ワシに何かあれば、おまえらも無事では済まんぞ! 悪魔どもが報復に来るぞ! それに、この病院はどうなる?」
右腕を押さえ、必死にまくし立てる。
「言いたいことはそれだけか?」
セイギの右拳が淡い光を纏う。そのまま、郷田の腹部へ拳を突き上げた。
「オメガ・インパクト!」
「があぁぁぁっ!」
苦痛に顔を歪めた郷田。余りの威力に、その体が僅かに浮き上がった。
★★★
その頃、レイカを連れた風見は、目的の場所を目指して進んでいた。
欲望の権化と成り果て、人の命すらも殺めた右手。今はそこに、柔らかな温もりを伴うレイカの左手が収まっていた。
不安と恐怖にさいなまれているレイカだったが、今は黙って彼に従う以外にないのだと、あきらめにも似た気持ちで足を運ぶ。
彼女の脇腹は、足を進める度に痛みを訴えていた。しかし立ち止まりたくとも、先を急ぐ風見がそれを許さなかった。
コの字を描いて設計されているフロア。一つ目の角を折れ半ばへ進んだ所で、空港のセキュリティ・ゲートのような門に出くわした。
風見が操作盤へコードを打ち込みロックを解く。素早く通り抜け、更に奥へ進む。
「シュン。ここは一体、なんなの?」
レイカの脳裏へ江波の言葉が蘇る。知らず知らずの内、嫌悪に顔をしかめていた。
「あの男は実験って言ってた……ここで何が行われてるの? 知ってるんでしょ?」
だが、風見が振り向くことはない。
「江波だけじゃない。ここには戸埜浦邸の事件に巻き込まれた女性たちもいる。私より酷い目に遭ってる人たちが大勢いるってことよね? 彼女たちを襲う理由はなんなの?」
「知らない方がいい。ある生体実験さ」
「生体実験?……」
「そう。君を襲った江波も選ばれたんだよ。霊力と精力を兼ね備えた適合者。孔雀の悪魔がいたろう? 彼が、ミナ君と二人で神津刑務所を襲撃して連れてきたという話だよ」
「ミナと襲撃? 待って! 確かあれは、ミナに憑依した人形の悪霊が、鬼島を攫うためにやったのよね?」
含み笑いを漏らした風見の背が揺れる。
「鬼島の脱走は囮。確かに、ミナ君の目的はそちらだったけれど、本命は江波の確保。カムフラージュのために、孔雀の悪魔は囚人たちを切り刻んで身元を割り出せなくしたんだ」
風見は振り向き、レイカの顔を伺う。
「彼等の力なら刑務所を消すことも容易いけれど、騒ぎになることを避けたようだね。現在、地上の悪魔を束ねている闇導師という男は、僕たち具現者を警戒しているようだから」
「敵もこちらを把握してるのね。でも、江波はそうまでして必要だったの?」
「彼等にとってはね。でも、僕はその江波を手にかけた。知られたら一大事だろうね」
「その割には余裕が見えるけど……」
風見の一言一言がレイカの不安を煽る。しかし、それと反比例するように、彼の態度は落ち着きを取り戻していた。
「こうして目指す場所へ近づいているからさ。間もなく最後のカードが手に入る。僕の勝利を決定づけるジョーカーがそこにあるんだ」
「ジョーカー?」
興奮気味に語る彼を見つめるレイカ。その胸中には複雑な想いが渦巻いていた。
近寄りがたい存在だというのに、なぜか放っておけない。うっかり目を離せば、二度と手の届かない場所へ消えてしまいそうで。
彼女の脳裏へ、彼と共に戦ってきた時間が走馬燈のように過ぎる。その力と知恵に幾度となく助けられてきた。そんな存在を、ここで簡単に見捨てて良いのだろうかと。
それは、彼女の中にくすぶる恋心の残滓か。はたまた仲間を思う優しさ故か。
風見の中には、美咲という絶対永遠の存在が住み着いている。どうあがいても適わぬ恋だとレイカにも分かっている。噛み合うことのない歯車と知りながら心を偽れず、苦悩と葛藤を抱えてきたのだ。
彼女が不意に浮かべたのはカズヤの顔。
「私は、どうしたらいいの?」
そのつぶやきは足音にかき消された。
★★★
「それにしても、あの双霊術は凄かったな」
「だろ!? 苦労したぜ、上位双霊術の習得。戻りが遅くなったのはそれが原因だけどな」
アッシュは得意げな顔でカズヤを見た。
霊能戦士二人の活躍で、残る悪魔も一網打尽。魔空間を後に仲間たちを追っていた。
負傷したカズヤの左手も、アスティの癒やしの霊術で既に完治している。
「ラナーク賢者とカミラ導師が口添えしてくれなかったら、まだ霊界にいたはずだよ」
余程過酷な訓練だったのか、苦い顔でつぶやくアスティを見て、カズヤが声を上げる。
「ボスとカミラさんが?」
「うん。補霊術の賢者、ギャモン様が突然に倒れてね。呼び出された二人が、僕らの帰還を頼んでくださったんだ」
「そうだったのか……」
「あそこにいるの、タイガじゃないのか?」
アッシュ指差したのは開かれた一つの扉。それを押さえて立っているのは確かにタイガだ。しかし、カズヤはその隣にいる女性を目にして驚きの声を上げていた。
「あれ? なんでここに?」
「あなたは、この間の……」
先日、カズヤが助けた車椅子の女性だ。
「セイギが助けたいと言っていた相手だ」
「え? え?」
タイガの言葉に間抜けな声を上げるカズヤ。
「まーくんの知り合いだったんですね。それならそうと言ってくれれば……」
「まーくん……って、セイギ!?」
病院で会った短髪の物静かな青年。彼がセイギだなどと誰が想像しただろう。
「やっぱりあれは、まーくんですよね。声をかけてるのに、違う。人違いだ。私はそんな名前ではない。の一点張り」
微妙に似ているモノマネをしながら、不満げに頬を膨らませている。
「いくら隠しても、構えの型と背中を見れば分かります。でも、あんな生き生きとしたまーくんを見たのは初めてかも」
嬉しそうに微笑む彼女の横顔を見ながら、カズヤも胸を撫で下ろした。これで目的の一つを達成したのだ。
「カズ。話の途中で悪いが、すぐに中へ入って二人の話を聞いてくれ」
タイガのただならぬ気配を察したカズヤは、神妙な面持ちで室内へ。
中にはセイギとクレアが。死亡した江波と、一枚のブラウスを見せられ絶句するカズヤ。
「桐島先輩……」
ボタンの千切れたブラウスを手に、悲痛な面持ちを浮かべるカズヤ。そこへヒーロー・スーツ姿のセイギが声を掛けた。
「院長の郷田について話がある」
セイギの一撃で失神した郷田。浄霊を行うために封印の腕輪を填め、電気コードで手足を縛り上げたのだという。
「B-QUEEN? それが、A-MINに対抗するための力だっていうのか?」
「郷田は、風見が名付けたと言っていた。おそらく奴にも同じ力があると見て間違いない」
セイギはおもむろにカズヤの腕を取り、その手のひらへある物を託した。
「これは……霊撃輪」
「恐らくレイカのものだ。私は神崎のお陰で大切な人を救えた。今度は私が力になる番だ」
「セイギ。ありがとう……」
「今は一刻を争うんだろ? 急ごうぜ」
アッシュは、クレアとの再会を喜びながらも、次の戦いへ切り替えている。
「ちょっと待ってくれ」
不意に声を上げたタイガを、一同は不思議そうに見つめる。
「見ての通り、怪我を負って戦力外だ。彼女を連れて避難しようと思う。それでさっき気付いたが、サヤカに貰った羽衣はあるか?」
「あれ? なくなってる……」
ズボンのポケットをまさぐったカズヤは、間抜けな声を上げた。
「やっぱり無いか。多分、サヤカから霊力の供給が途切れたために消滅したんだ」
「それって、サヤカに何かあったってことじゃ……具現化が解除されるってことは、眠るか、気を失うか、もしくは……」
死亡したか。最悪のケースを想像し、カズヤは口元を引きつらせた。
「俺はここを出てアジトと連絡を取ってみる。何か分かるだろう」
だが、その原因が、カミラの仕掛けた夢幻の術のせいだなど想像も及ばないだろうが。
タイガへ医療チームへの連絡を頼むカズヤ。郷田の浄霊と、車椅子の女性の記憶を書き換える必要があったからだ。
二人に別れを告げ、一同が更に奥へと進んだその時。カズヤの頭へゼノの思念が届く。
(おい! そこで止まれ!)
それと合わせるように、前を走っていたアッシュがカズヤを後方へ突き飛ばす。
「ここは任せろ! おまえは先に行けっ!」
カズヤの目の前で、セイギ、アッシュ、アスティ、クレアの姿が忽然と消失。
なんとそこには、悪魔の仕掛けた魔空間が展開されていたのだった。