29 いつか夢見た、その先へ
「カズヤ! 待たせたなっ!」
アッシュは、クロスボウを構えた鹿顔悪魔に剣を突き立て、声の限りに叫んだ。
「大事なときに協力できずすみません」
槍を手にしたアスティが駆け寄って来ると同時に、ゼノは思念を送る。
(ボロが出る。限界突破を維持して代われ。左手の痛みは押さえてやれねーが我慢しろ)
カズヤの意識は強引に引き戻さた。それと同時に襲ってきた痛みに顔をしかめてしまう。
「左手をやられたの?」
「あぁ。でも、それは後回しだ……」
カズヤはアスティへ耳打ちする。状況が飲み込めず困惑する彼へ向かい、頼む、とだけ言い残し背中を叩いた。
「氷の攻霊術。細氷!」
アスティは言われた通り、氷の下位霊術を周囲へ拡散。威力を絞った氷霧が辺りに漂う中、右手で剣を握ったカズヤが辺りを伺う。
「イレイズ・キャノン!」
振り抜いた剣先から飛ぶ霊力刃。その一閃が、霧の中に浮かぶ悪魔の影を捉えた。
「ぎえぇっ!」
背中を丸めて後ずさる悪魔。カズヤは腹部で剣を固定し、その地点へ駆ける。
確かな手応えと共に刃が敵の胸元へ突き刺さった。浮かび上がったのは、カメレオンの顔をした男性悪魔。
「ようやくスッキリしたぜ」
絶命した悪魔が瘴気となって崩れ去る。
ゼノを苦しめていた見えない敵の正体がこれ。景色へ溶け込む特殊能力だったのだ。
「カズヤ君。左手を治療するよ」
「まだだ。反撃開始と行こうぜ」
そんなカズヤへ、苦笑を浮かべるアスティ。
「反撃というか、力の有り余った彼の一人舞台で終わりそうだけどね……」
二人の視線の先には、豪快に剣を振り回して敵を薙ぐアッシュの姿があった。
★★★
全身へ瘴気をみなぎらせる郷田へ向かい、拳を構えたセイギが飛び掛かる。
距離は三メートル程。セイギの接近より郷田が身構える方が早い。彼は眼前に迫るセイギへ向かい両手を突き出した。
「補霊術。影縛!」
だが、クレアも仕掛けていた。郷田の影から数本の黒い腕が伸び、彼の体へ纏わり付く。
「ふんっ!」
しかし、体を捻って黒い腕を振り払い、セイギ目掛けて右腕を一文字に凪いだ。
巻き起こる黒い衝撃波。風を切る荒々しい音と共にセイギの胸を強打した。
その光景に、クレアも驚きを隠せない。
「まさか振り払われるなんて……」
彼女の導き出した答えは一つ。敵の戦闘力は同等かそれ以上ということ。
「クレア。君は手を出すな……」
セイギは床に手をつき立ち上がると、眼前で不敵に笑う郷田を見据えた。
「でも……」
「あいつだけは私が倒す!」
セイギの目に映っているのは、いつか見た思い出したくもない光景。
気付けばいつも守られていた。気弱で根暗な性格が災いしたのか、小学校低学年の頃からからかわれ、イジメの標的にされていた。
ランドセルや靴を隠される。机に落書きされる。そんなことは日常茶飯事で。数人のクラスメイトに囲まれヤジを飛ばされた時も、それを目にした一つ上の姉は、臆すること無く立ち向かっていった。
「あの勇ましい姿は、誇りであり憧れだった」
拳を震わせたセイギが再び走る。
幼少の彼はテレビやマンガで見るヒーローに憬れていた。今の自分が嫌いで、いつか自分もあんな風になれたらと、変わりたいと切実に願っていた。
そして、姉が中学に進学した直後にそれは起こった。彼女の体を蝕む病が見つかり、通院生活が始まったのだ。
彼を守ってくれた勇ましい姿は、急に萎んで頼りなく映った。今度は自分が、彼女を守る番なのだと確信していた。
「郷田あぁっ!」
確かな手応えと共に力強い正拳突きが郷田の胸を打つ。しかし、その上体がわずかに揺らいだだけで倒れはしない。
「どうした? 殴り合いなら負けないんじゃなかったのか?」
目一杯の皮肉を込めた郷田の右拳。それを腹部に受けたセイギは背中を丸めて後ずさる。
続け様に襲った左拳がヘルメットを直撃。彼は大きくバランスを崩した。
「失せろ。このガキがっ!」
郷田の右手が再び宙を凪ぎ、衝撃波を受けた赤いヒーローは大きく吹き飛んだ。
意識が飛びかけた彼の中へ再び、空手を習い始めたあの日の姿が浮かんだ。
空手を始めた理由は単純。変わりたい。強くなりたい。姉を安心させたいという一心。
中学に入った頃には彼をいじめる者はいなくなったが、その心には、見えることの無い深い傷が残されていた。
他人を信じられず、壁を作り孤立する日々。自分の力だけが全てだったが、それでも構わないと思っていたあの頃。
高校へ進学し、具現者としてスカウトされた時、自分の力はこのためのものだったのだと確信していた。
賞金を貯め、姉に最高の治療を受けさせたい。それが自分にできる最大の恩返しだという使命を感じていた。
事実、彼の力は圧倒的だった。神崎和也という存在に出会うその時までは。
始めは取るに足らない存在だと見くびっていた。足を引っ張るだけの邪魔で弱い新米。それがいつの間にか、追い付かれるどころか追い抜かれていたという事実。強さに対するこだわりとプライドはズタズタにされていた。
しかし、神崎和也が持っていたのは力の強さだけではなかった。決して屈せず、諦めず、信念を持って突き進む心の強さ。そんな彼には自然と人が集まり、助けてあげたいという気持ちにさせる、不思議な魅力に溢れていた。
羨ましさと妬ましさがセイギの中に混在した。自分にないものを全て持っている。それが一層、彼との距離を強くした。
しかし、そんな彼を神崎和也という存在は仲間だと言ってくれたのだ。後は頼むと全てを任せてくれたのだ。
その一言が彼の心に温もりを灯した。
「そうだな……正義のヒーローは最後には勝つんだ……私は……もう一人じゃない!」
意識を取り戻したセイギの目には、真っ白な天井が広がっていた。大の字に転がされていたことに気付き、慌てて身を起こす。
目の前では、双剣を振るうクレアが、郷田へ連撃を仕掛けている真っ最中だ。
立ち上がったセイギの背中へ届いた声。
「まーくん。大丈夫、まだ飛べるよ」
その背中が大きく震えた。彼はその声に振り向くことはない。いや。振り向かずとも伝わっている。
それは、定期検診に訪れた病院の中庭を散歩していたある日の出来事。
車椅子を押し、木漏れ日の中を歩く二人。そこで目にした一羽の野鳥。何にやられたのか、体に傷を負っていた。
両手で包み込むようにそれを抱き上げた姉。その吐息と言葉が、傷付いた野鳥へ力を与えたようだった。
大丈夫、まだ飛べるよ。その言葉を受け、野鳥は再び羽を広げ、大空へ。
それを羨ましそうに見た彼女は、私もあんな風に自由になりたい、と寂しげに微笑んだ。
俺たちにもきっと翼はある。力強いセイギの言葉は、彼女の胸に深く刻み込まれた。
まだ飛べる。それは二人にとって特別な言葉になった。くじけそうになる心を奮い立たせる、見えない翼が確かにある。
いつか夢見た、その先へ。彼は今まさに、そこに立っているのだと感じていた。
「私は、まだ飛べる……」
温もりが背中を優しく包み、力強さと共に前へ押し出されてゆく感覚。何度その声に励まされただろう。彼女の存在があったからこそ、ここまで歩いて来ることができたのだ。
一歩、また一歩と郷田へ足を進める彼の背を見て、タイガは身震いした。
目の前の女性がその一言をつぶやいただけで、セイギから感じる霊力が急激に上昇してゆくのを感じていた。
「セイギもA-MINを?」
全身からほとばしる青白い光。荒ぶる力の奔流は背中に集い、二枚の大きな翼へ変わる。
それを見守っていた車椅子の女性。彼女の瞳から、清らかな涙がこぼれ落ちた。
「まーくん、凄いね。ついに、本物のヒーローになったんだね……」
郷田の放った衝撃波が、クレアを弾いた。
彼女が背中から床へ叩き付けられるのと入れ替わるように、郷田の眼前へセイギが立ちはだかったのだった。
「まだいたのか。泣いて逃げ帰ったかと思ったぞ。一人で帰れないのなら、昨日のように出口まで引きずってやろうか? どうだ?」
嘲るような笑みを浮かべ、ヘルメット越しにセイギの顔を窺う郷田。
「貴様には、私の翼を折ることはできない」
「は? 翼? 何を言っているんだ?」
「正義は悪に屈しない!」
「げはぁっ!」
繰り出された右からの強烈な正拳突き。それが郷田の腹部へめり込んだ。
顔を歪めた郷田の足下がふらついた。しかし、倒れはしない。鬼のような形相でセイギを睨み付ける。
「ほざけ、このガキがあっ!」
郷田が突き出した両手。そこから生まれた黒い衝撃波。全身を切り裂かれそうな荒々しさを秘めてセイギを襲う。
「その程度の力で、私の羽ばたきを止められると思うな!」
突き出したセイギの右手。怒声と共に霊力が弾け、衝撃波を粉砕する。
自らに跳ね返った衝撃を受け、郷田は背後の壁に激突した。
凄まじい力の奔流に調度品が砕け散り、棚が次々と倒れる。天井の照明が砕け、粉々になったガラスが舞い散った。
引きつった顔の郷田を見下ろし、セイギは右手の人差し指を突き付ける。
「郷田。墜ちた貴様に、極上の痛みを味わわせてやろう」
今、反撃ののろしが上がる。