10 飲んだくれ。俺を静かに寝かせろよ
「オッス、カズ!」
机にうつぶせていると、不意に背中を叩かれた。顔を上げなくても誰かは分かる。
「要するに、朝から無視ってわけか……」
勝手に納得してくれたので放っておこう。朝から啓吾の相手をする元気はない。
だが、耳元で怪しげな気配がする。
「起きなさい。起きなさい。私のかわいい、かずや。もう朝ですよ。今日はとても大切な日。かずやが初めてお城に行く日だったでしょ。この日のために、おまえを勇敢な……」
そこで思わず吹き出した。
「気色悪い裏声を出すんじゃねぇ! しかもネタ古いだろ! なにか? 俺の一時限目は、仲間と一緒にバラモス退治か!?」
「じゃあ俺は、遊び人に立候補します」
「いるか! 酒場で、飲んだくれてろ!」
啓吾は、一本を取ったとでも言いたげに勝ち誇った顔で微笑んでいる。すると前の席が空いているのをいいことに、イスの背もたれを抱いてまたがった。
「飲んだくれの話を聞いてよ。朝のコミュニケーションに出向いたんだからさぁ」
「そんなサービス、頼んでねぇ」
「まぁまぁ、そう言わないで。桐島先輩の生写真あげるから機嫌直して」
そのキーワードに、エサを貰う愛犬のように咄嗟に顔を上げてしまった。
「啓吾様、いつもすまないねぇ……」
我ながら単純だ。差し出されたそれは、彼女の登校風景を収めたものだ。友人と談笑して歩く可憐で華やかな笑顔。
よくよく考えると、これは盗撮のような気がするんだが。とりあえず、全ての責任は啓吾にあるということにしよう。
朝霧の顔も綺麗だが、先輩は別格だ。思わず俺までニンマリとしてしまう。
自宅パソコンの新たな壁紙となるそれをワイシャツの胸ポケットへ大事に収めると、不意にあることが頭を過ぎった。
「新聞部の部室で調べ物って出来るのか?」
「どういうこと?」
「啓吾の情報網がどれほどかと思ってさ」
気分を害したのか露骨に顔をしかめている。それを見て、内心ほくそ笑む。
「なめてもらっちゃ困るよ。部費で買ったパソコンもあるし、大きな事件なんかは全部スクラップして保管してるんだよ」
「なるほど。じゃあ、斬王丸って名前の刀、知らねぇか?」
「斬王丸?」
メガネの奥の視線が宙を向く。
「聞き覚えはないけど、なんとか丸っていう刀の名前を最近聞いたような……」
「じゃあ、いいや」
どうやら見込みはなさそうだ。ホーム・ルームが始まるまでの貴重な時間を睡眠に当てることにしよう。
「なに? その素っ気ない扱いは?」
寂しそうな啓吾のつぶやき。だが、それを無視して再び机に突っ伏した。
「ちぇっ! いいよ! 悠が朝練から戻ってくるのを待つから……」
不機嫌そうな声が遠ざかってゆく。
☆☆☆
授業も頭に入らないまま放課後を迎え、夢来屋へと足を運んだ。
貰った合鍵で店の裏口へ入り込む。エレベーターへ続く白塗りの廊下へ出ると、そこには見慣れた人影が。
「やっと来たわね」
「セレナさん。どうしたんスか?」
「昨日の戦い、全て見せてもらったわ」
「え? どうやって!?」
驚く俺を横目に、歩き始める。
「カメラ搭載の霊眼という、小型の飛行物体を使ったのよ」
「そんなもんがあるんスか?」
「まぁね。で、ボスと私の判断はこう」
その言葉に体が硬直し、足が止まってしまった。そうすることで、セレナさんの言葉も止まるわけじゃないのに。
クビという文字が頭を過ぎる。ようやく始まったばかりだが、命令も聞かず、秒殺されるような厄介者は不要だろう。
「カズ君は今日の活動は中止。メディカル・ルームで精密検査を受けてもらうわ」
「は!?」
呆気に取られた顔が余程おかしかったのか、セレナさんが吹き出した。
「なんて顔してるの?」
「いや。てっきりクビになるんだと……」
「判断材料が足りないし、昨日から体調がおかしかったでしょう。今日は大人しく従ってもらうわよ。まずは会議室ね。そうそう。命令違反のペナルティとして、マイナス査定は覚悟しておいてね」
立ち止まっていた俺を引っ張るように、セレナさんが腕を絡めてくる。
待て。肘に当たる、大きく柔らかいこの感触……まさか、そこにいらっしゃるのは爆様ですか!?
至福と至高の弾力に戸惑いながら、ぎこちない動作で歩みを進めた。そして、精密検査の前に昨日の報告ということで会議室へ。室内には既に、朝霧と久城の姿があった。
なんだか顔を会わせるのが気まずい。敵に秒殺された俺も俺だが、屈辱に涙を浮かべた朝霧の顔が過ぎる。あの後、大敗の気まずさから早々に解散してしまったのだ。
「オッス、リーダー!」
オレンジ・ジュースの入ったグラス片手に、梅雨時の不快感を吹き飛ばすような久城の声。
「おう……」
見事な緩和剤を果たしてくれる奴だ。
「リーダー、元気ないぞぉ!」
「あなたが元気過ぎるのよ……」
「そうかな? テヘ!」
朝霧の素っ気ない物言いに舌を出し、肩をすくめてみせる久城。
朝霧が不機嫌な理由は、昨晩結果を出せなかったことへの苛立ちだろう。そんな空気を少しでも和ませようと言葉を探した。
「久城こそ、体調はどうだ?」
「極バリバリの絶好調だよ!」
「ちょっと、あなた」
朝霧の声に目を合わせることができず、その口元へ視線を逃がした。
「コール・ネームの意味、分かっているの? 第三者や敵に、私たちの身元が割れにくいようにという配慮なのよ」
「そうよ。カズ君」
セレナさんは朝霧の向かいへ座り、隣に座るよう促してくる。俺は久城と向かい合う形になった。
「慣れないから、なんか恥ずかしくて……」
「昨日の戦いといい、情けないわね」
朝霧のつぶやきが胸に深々と突き刺り、耐えかねて別の話題を探した。
「そういえば、オタクは?」
「集合拒否。必要な情報は後で聞きにくるからいいと言っていたわ」
「なんだよ、それ……」
セレナさんの説明に呆れていると、遅れてやってきたボスが着席した。
「昨日は大変だったな。敵の正体はセレナ君が調べているところだ。さて、現状で分かっていることをまとめたいのだが」
「任せてください」
朝霧の素早い挙手。アピールすげぇ。
「相手は悪霊に憑依された女性です。敵の動きから、下位から中位の力。ただ一つ気になる点は、相手が放つ謎の光です」
「俺たちの霊力を奪ったあの光か!?」
俺の発言は片手で遮られた。
「恐らく、何かの道具だと思います。腰の辺りから引き出すところを見ました」
「霊力を奪う魔染具なの?」
聞き慣れない言葉に思考が停止する。
「セレナさん、魔染具ってなんスか?」
「魔染具とは、持ち主の強い念が宿った所持品のこと。第三者が手にすると災いを呼ぶこともあるの。斬王丸もそうね」
そう言って、朝霧へ話の先を促した。
「昨日の戦いで女性の顔は判明したと思います。ですよね、セレナさん?」
「霊眼に映っていたから、身元を割り出すのに時間はかからないわ。彼女が灰色のスーツを身に付けていたことから、当面はグレイというコード・ネームで呼ぶわ」
グレイ。なんだかそのままだが、呼称なんてこの際どうでもいい。それよりも……
「身元を調べてどうするんスか?」
「彼女を保護するのよ。憑依している悪霊を退治すれば、一件落着というわけ」
「保護って、居場所も分からないのに?」
セレナさんの説明は意味不明だ。
「分かるわよ。服装からして彼女はOL。憑依された時点から意識が入れ替わる人と、周期的に自我を取り戻す2つのタイプがいるの。彼女は後者のようね。カズ君のお兄さんは前者のようだけれど」
「周期的に本人の意識が戻るんスか?」
「ええ。本人には、事件を起こしたという自覚や記憶はないけれどね」
「じゃあ、あの女の身元が分かり次第、急いでとっ捕まえりゃいいわけだ」
「カズ君には大事な任務があるでしょう。この件はセイギ君の担当。調査内容は伝えておくから、三人は斬王丸の件をお願いね。敵が魔染具を所持しているということは、懸賞金を上げないとね。セイギ君、喜びそう」
「懸賞金? なんのことっスか?」
金という言葉に、つい反応してしまった。