01 お願いは、それを奥まで突き刺して
「君が持っている、大きくて太いモノ。それを、奥深くまで突き刺して欲しいの」
「え!?」
思考は完全に停止した。
我らが光栄高校のマドンナ、桐島玲華。男子たちの憧れであるその人の口から、そんな言葉が飛び出すなんて。
なにがどうしてこうなった。俺は、数分前までのことを必死に思い返していた。
☆☆☆
校舎の屋上だけを狙い撃つような初夏の夕日。それが世界を紅く染め上げ、圧倒的で幻想的な風景をこの目に見せ付けてくる。
そんな光景の中でも確固たる自我を保ち、強烈な存在感を示す人影があった。
フェンスへ指を絡め、街を見下ろす後ろ姿。肩まで伸びる艶やかな黒髪と、均整の取れた体付き。いつも目で追っているあの人だ。
「桐島先輩……」
振り返った彼女と目が合うと、いつもの明るい笑みを返してくれた。
同級生、下級生も分け隔て無く気さくに接し、周囲へ向けられる朗らかな笑顔。それが人気の決め手なんだ。
大きくクリッとした、子猫のような目。すっと通った鼻筋の下で、桜色をした柔らかそうな唇が笑みを形作っている。天使か女神を思わせる微笑みに魅入られてしまう。
「神崎和也くん、だよね?」
鈴を転がしたような、澄んだ甘い声がした。
「どうして俺の名前を?」
直接、話をしたこともないのに。まさかマドンナが俺を知っているなんて。
「当然だよ。君のこと、ずっと見てたから」
後ろ手に組み、ゆっくりと近付いてくる。立ち振る舞いにも華があり、先輩が近付くにつれて甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「見てた? まさか……冗談っスよね?」
高鳴る動悸を必死に押さえ込む。でも、その蓋をこじ開けるように、眼前へ迫った先輩は綺麗な瞳で上目がちに見つめてくるんだ。
これは反則だ。しかも後ろ手に組んでいるせいで、二つの大きな膨らみが半袖のブラウス越しに迫ってくるんですが。
女性に対して極度の人見知りをしてしまう俺。クラスの女子でさえまともに話をしたことがないのに、この状況はなんだ。
顔が熱い。今の俺はきっと、茹でダコのように赤い顔をしているに違いない。
「冗談だと思う? あのね、あのね。実は、君を呼んだのはお願いがあったからなんだ」
「お願い、ですか?」
思わず声が上ずってしまう。
「そうなの。実はね……」
言葉を選びながら速い瞬きを繰り返し、潤んだ目を向けてくる桐島先輩。その唇から紡がれるお願いとは何だ。
「君が持っている、大きくて太いモノ。それを、奥深くまで突き刺して欲しいの……」
「え!?」
そして現在に至るというわけだ。
心臓は早鐘を打ち続けている。押さえきれない高揚感と共に、妙な期待が膨らんでゆく。
「奥深くまで突き刺して……あの怪物の、心臓の奥深くまで……」
茜色に染まった世界はまるで、先輩が作り出した異世界のようだった。校庭を指差した先輩の動きへ合わせるように、都会のビルを思わせる巨大な影がそびえ立つ。
「なんなんだよ……」
太陽を喰らおうとするような邪悪な巨影。だが、そのシルエットには見覚えがある。それは恐竜の王者と言われたあの生物に酷似している。しかし、背には蝙蝠のような翼まで見える。到底、同じ存在だとは思えない。
「怪物……」
まさに桐島先輩の言葉がピッタリだ。こんな田舎学校の校庭へ、巨大な怪物が現れた。これじゃまるで怪獣映画だ。
呆然と影を眺めていたら、耳元で再び澄んだ声が聞こえてきた。
「うん、うん。怪物でしょ? 君ならきっと、あいつを倒せると思うんだ。その剣を操って」
「は? 剣って……」
桐島先輩へ視線を戻すと、いつの間にか俺たちの間へ一降りの大剣が浮かんでいた。
象牙色をした、石から削り出したように無骨で荒々しい作り。簡素で飾り気もないが、近付いただけで斬り裂かれそうな猛々しい力強さを放っている。
剣に精通していない俺でも、これが並の品でないことは容易に想像がついた。
「なんスか、これ!? それに、あの怪物」
何が起こっているのか分からない。
「君は、この剣の名前を知ってるはずだよ。ううん。君は知らなくても、君の魂は、この名をきっと知っている……」
桐島先輩の瞳へ吸い込まれそうになる。見つめられた途端、心を覗かれ丸裸にされたような感覚があった。
そうして俺は、桐島先輩と一つになったような錯覚の世界へ引きずり込まれていた。
それは、懐かしさを感じさせる田園風景。だが、辺りは花火大会のような喧噪に包まれ、数え切れない人だかりと騒音が満ちている。
武器を手に、純白の洋風鎧を纏った人たちが異形の集団と戦っている。相手は、さっき見た巨大な怪物とはまた別の何かだ。
それは二本足で直立歩行する奇妙な怪物。動物や昆虫の頭部を持ちながら、体は人間という奇妙な外見。鍛え抜かれた筋肉質の体は、陰部を薄汚れた布切れで隠しただけという姿だ。女型の怪物もいるようだが、こちらは胸を完全にさらけ出している。
俺はその戦いを後方から眺め、勝利をもたらす切り札を呼び起こそうと身構えた。
両拳を軽く握り、顔の前でバツの字に交差させた。腰をわずかに落とし、両足へ体重を乗せて踏ん張る。
「神の左手。悪魔の右手。覇王の両目を抱きし魔竜。深淵漂う力を結び、闇を滅する刃と成さん」
口が勝手に言葉を刻む。映画でも見せられているような現実離れした感覚だ。
だが、目の前に現れた一降りの大剣を目にした途端、桐島先輩への答えとなるひとつの言葉が思い浮かんだ。
そうして意識は再び引き戻された。眼前には憧れの先輩が満面の笑みを浮かべている。もう、この幸福に満たされたまま、死んでもいいと素直に思ってしまう。
でも、胸の奥底から溢れ出してくる暴力的な感情があることに気付いてしまった。それは強い憎しみと殺意。あの怪物たちへ向けられた、とても深くて強い負の感情。
奴等を滅ぼさなければならないという強烈な破壊衝動が、俺を突き動かそうとする。
「斬魔剣……」
「そうそう! 名前を呼んであげて……」
期待に満ちた声が胸を満たしてゆく。
「斬魔剣、エクスブラッド」
その瞬間、世界は確かに覚醒した。
どこからともなく声が響く。それはまるで、天から降り注いだ神の啓示のように。
剣を取れ。
吠えろ。駆けろ。研ぎ澄ませ。
全てを切り裂き、力を示せ。
闇を滅する至高の剣。
その存在を知らしめろ。
謎の声は力となって、全てを破壊した。
「世界が……覚醒する……」
夕日も、校舎も、怪物も、全てが粉々に弾け飛び、上下も分からない暗闇に先輩と二人。
脳はパンク状態だ。桐島先輩がいるだけでも驚きなのに、巨大な怪物に、斬魔剣なんていう謎の剣まで。恐ろしくリアルな夢だ。
先輩の目は、俺をじっと見据えている。
「神崎君。ここからが始まりだよ……“俺たち”の力があれば、きっとあいつを倒せる。限界を超えた力を見せて……」
その言葉で、ついに正気を取り戻した。
「俺たち? おまえは、誰なんだ!?」
すると、桐島先輩の整った顔が、見た事もない歪んだ笑みを形作った。
「つい、地が出たか。俺は対になる存在……存在価値を求めるおまえを救うために現れた」
「存在価値って……」
確かに、常日頃から思っていたことだ。
自分が特別だなんて大それた考えはないけれど、生きる目的や存在価値が欲しい。平凡という殻をぶち破りたい。
時々、不安に襲われるんだ。俺には存在価値がなく、ごくごく自然に女と恋に落ち、子供を作り、人間という生物を地球へ繋ぎ止めるための駒に過ぎないんじゃないだろうかと。
「存在価値を求めたからこそ、力を受け入れ、戦うことを選んだんでしょ? だからこそ、こうして会いに来ることが出来た」
桐島先輩の手が、俺の頬を包み込む。
力。確かに俺はそれを求め、“具現者”という異能を受け入れた。
だけどそれは、こんな俺のことを必要だと言ってくれたからだ。俺を頼ってくれる人たちと一緒に、大きなことを成し遂げたいと心の底から望んだからだ。
「これからよろしくね」
「ふざけんな。先輩の姿を使って、そんな言葉をほざくんじゃねぇよ!」
握りしめた右拳を桐島先輩の腹部へ当てた。
直後、肩から指先へと撫でられるような感覚が伝う。霊力と呼ぶ具現者の力の源が、拳へ収束してゆく。
後は一声発するだけで、霊力を圧縮した光の球を放つことが出来る。
「これでもくらえ!」
目の前の何かへ向かい、喉がはち切れんばかりに叫んでいた。