仕事はつらいよ
飛び交う商売根性逞しい大声、時折駆け抜ける間に香る個性豊かな香辛料や料理、朝日を浴びてチカチカと眩しく輝きその存在を視界にとらえる煌めく装飾品、上げればきりがない。
ケディスは、朝日を浴び始めて間もないホルバーグ大通りを駆けていた。
一体なぜ日で一番込み合うかつ、日で一番危険な時間帯に私は放り込まれているのだろうか、、
そんな疑問というか愚痴と言うか、兎に角どんよりとした言葉がケディスの頭をゆっくりよぎっていく。
しかし、そんな言葉を今現在ケディスがココにいる原因になど言えるはずもない。
(あ、想像するだけで怖気が、、)
そんなわけで、やっぱりケディスは大通りを駆けていた。
(とにかく、仕事しなきゃ!仕事!)
(だってファシフィールが怖すぎる)
この仕事に就いてから、妙に気を取り直すのが早くなった気がするケディスである。
さて、まずは上司からの仰せの用事を全て完遂せねばなるまい、と漸く仕事モードに入ったケディスは、不審にならないようにそっと辺りを見渡して、こくりと一度小さく頷いた。
ケディスは頷いてすぐに側の路地に身を滑り込ませる。
たっ、たっ、とほとんどしないに近い自分の足音の軽さに、今日は順調に行けそうだと思いながらも、ケディスは即座に頭を今朝、、というかざっと一時間程前の上司の言葉を想い返していた。
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『____、いいか、エルスティオリー。』
早朝の静けさに包まれた執務室の執務机前で、ケディスは表情固く上司の言葉を待っていた。
ごくりと緊張に喉が鳴りそうになる。
『お前は今日、通常業務の始まる四時間前__つまりは今から一時間後だが、、それより私のいまから指示する地区のとある路地裏に行ってきてもらう。』
『とある、、?』
ケディスの思わずと言った様子で漏らした言葉に、上司がギロリと視線を向けた。
ケディスはひくりと顔をひきつらせながらも、何とか口を噤むことに思考がいたる。
(、、仰っている、、仰っている、、『俺の説明の合間だ、余計な事を喋るな』と、、!!)
そうこうケディスが思っている間にも、彼女の上司はケディスへの視線の鋭さを和らげることをしない。
その鋭さに、人知れずケディスの口から、ひぃ、と蚊の鳴くような悲鳴が聞こえてくる。
(だからおっかないんですってばぁ、、)
内心号泣しながら、現実では滝のような汗が留まることを知らない。ケディスはあと少しで本当に泣き出してしまいそうだった。
そんなケディスの内心と現状を見透かしてか、ケディスの目に膜が張りそうなのを見てか、ファシフィールは深ーーく溜息を一つ溢し、再び口を開く。
『、、まぁいい。』
『さて、そこで貴女にやってもらう仕事だが、、、まぁ、、あれだ。』
『あれ、、とは?、、あっ、!すみませ、、』
やっばい睨まれる怒られる減俸されるぅううう!!
今度こそケディスが本当に涙目になった。
来るぞ来るぞ、、きっと来るぅううううう!!!!とかなんとかケディスが直立不動の姿勢でガタガタしていると、唐突に聞こえたのは上司の視線ではなく、溜息だった。
『へ、??』
(あれ、睨まれないの、、?)
『はぁーー、、、もういい。』
『え』
『もう睨まん。』
『は、はぁ、、』
『ただ、貴女が私のことをどう思っているかは良ーーく分かった。』
『へっっ!!!いやっ!コレはですねぇ、、その、、、てへ?』
ケディスが頬を緩ませた次の瞬間。ぎろり、と久しぶりの上司のきつい視線がケディスに刺さる。
『、、、もういいとは言ったが、私はそんな頭の軽そうな口をきいていいとは言ってないんだが?』
『申し訳ありませんでしたっ!!』
(あぁぁああああ刺さってるよ!刺さってるよぅ!!ファシフィール上級佐官の冷たい視線が刺さってるぅううううううぅぅううううううううううううううううう!!!!!)
あうあうと、もう零れる一歩手前の滴を必死で目に留め、ケディスは最上級謝意の姿勢をコンマ0で整える。
そんなケディスに容赦なく突き刺さる上司の視線は一向に止む気配がない。
ああ、いつまで私はこの網の上で足の先からジリジリと炙られていくような生き地獄に耐えねばならないのか、、いっそ、いっそひと思いに、、!などと若干旅立ってはいけない世界へ旅立とうとしていたケディスの意識をこの世に留めたのは、相変わらずの冷徹な上司の声だった。
『どこで覚えてきたのか知らんが、その礼式は止めろと言ったはずだが?姿が見えなくなる。』
その一言にギクッと肩を揺らし、慌てて立ち上がる。
『っ、』
『返事はいらん。』
本当に御見通しな御様子で、、とまたしても頬を引き攣らせ、首肯を一つしたケディスは思う。
『では、話を仕事に戻す。』
かさり、とファシフィールの手が机の引き出しから書類を取り出す。
『貴女に行ってもらうのは、この地区。』
ばさりと執務机の上に無造作に置かれた書類の束に、自然と視線がいった。そして、自然とその地名を口はなぞっていった。
『ホルバーグ』
『そうだ。』
上司の返事に、すっと彼に視線が戻る。
『、、ホルバーグで、私は、何をすればいいんでしょうか。』
す、と視線が静かに合わさった。相変わらずの冷めきった涼やかな瞳がケディスを真っすぐに貫く。
ごくり、と喉がさがった。
それに応えるように、ゆっくりとファシフィールの唇が引き上がった。
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「暴れ馬の捕獲、ねぇ、、」
珍しくもニヤリと悪質ながら笑みを口元に浮かべ、上司が彼女に指示したのはなんとも簡素な一言だった。
文句は言わないが、何で?とは思わずにはいられない。何度も言うようだが文句は言わないが。
なにせ、それならば軍の治安部か、生活部の仕事である。
ちなみに、治安部は軍の管轄で、生活部はお役所__というなの政治場__管轄である。治安部とはその名のとおり街や国管理の施設の治安を預かる部署である。また、生活部というのは文字通り民衆の生活の支えとなる上下水道の管理や、生活するに当たってのごたごたを取り仕切る部署である。
以上のことをもって、この件はただでは終わらないんだろうなぁ、と溜息がケディスの口から洩れる。
いやはや全くもって面倒な上司を持ったものである。そういう上司を持つ部下は得てして苦労の絶えないのが何処の世も変わらないのは誠に残念しきりだ、とはどうして思わずにはいられるだろうか。いや、いられまい。
反語、とかやっている場合ではない。
なにせ、あの面倒と書いて鬼畜と読ませる上司が指示した案件である。今度こそ恙無くやらねば本当にケディスの首か給金が吹っ飛ぶことになる。そして言わせてもらえば、残念ながらはっきり言ってどっちもさして変わらない。
要するにどっちも嫌である。
頑張れ、頑張るのよ私、、!と己に念じ、今日をやり過ごそうと今、心に決めたのはケディスだけの知るところである。
それにしても、とケディスは思う。
(この路地にいれば良い、とは言われたけど、、)
申し訳程度に辺りを見回してみるも、確認するまでもなく本当に何もない路地だ。
おそらくココは本当の意味で路地なのだろうとうかがい知れる。つまりは市場の者が商品の運搬や搬入、後は普通に通路として利用されているらしい。現に、人が辛うじて二人すれ違える程の細い路地には、ところどころ端の方に、店名が書かれた商品が入っていたであろう木箱や樽が見える。
それらを確認して、改めてケディスの眉間のしわが不可解そうに深められる。
(えっと、、コレはあまり動きまわらないほうが良いのかな、?)
一応言われたとおり路地の入口付近でじっとしてはいる。しかし、ケディスの目的は暴れ馬の捕獲。生き物相手で、尚且つ通常以上に動き回る相手相手なのだから、多少は臨機応変に動いた方が良いのでは、、という思考が頭をもたげる。
しかし、すぐにその考えを打ち消すようにぶんぶんと頭を横に振る。いやでも、とケディスは危うい思考を正そうと考える。
(落ち着け、私!)
危ない、危ない、と動く前に押しとどまった自分に胸をなでおろした。
あの上司の指示に抗うなど、自殺行為に等しいことを忘れたのか、、!!と自分を叱って、大きく深呼吸を繰り返す。
兎に角、今は仕事を全うすることだけを考えねば。
気を取り直し、辺りをそれとなく見回して警戒しつつ、さて、どうやって件の馬を捕えようかと思案する。
(縄、、で止まってくれるかな、、ニンジン、、は持ってきたけど、暴れてる最中にそんなものに気づくかなぁ、、後は、、手綱、、は、なぁ、、一番妥当だけど、、、)
うーーん、、と思わず唸る。だって、と続く思考に、顔が引きつるのを抑えられない。
(、、あの人のあの顔が、ねぇ、、)
あの時__今朝__ケディスは一応、と聞いたのだ。どうやって馬を捕えるのが良いのか、と。
『手綱でもつけるんですか?』
この一言に、それまで無表情と平坦な言葉を一気に崩して、ファシフィールは吹き出した。
まさかの上司の姿に目を白黒させるケディスをしり目に、彼はその冷たい瞳をイタズラを前にした子供のように楽しそうに細め、ニヤリとまた唇の端を釣り上げて言ったのだ。
『それも良いかもしれないな』
と、はっきり言ってその珍しすぎる光景に、ケディスの毛穴は総出で逆立った。
怖い。と、
上司の笑顔が怖いとはなかなかに愉快げな職場である。
だがそれも外野だからこその意見だ。当事者にしてみりゃあ堪ったものではない。
そういう訳で、安直に手綱、というのもなかなか恐ろしい。
素直な創造の上では、やろうとしてできないことではない。が、実際にやってみるのは遠慮したいものである。
さて、どうしたものか、、と首を捻るも、そう都合良く思いつくわけでもない。
再び、路地の壁に背中を預け、唸っていると、路地の市場とは反対方向から、子供のきゃっきゃという声が聞こえてくる。一瞬、子供だ!と逃げ腰に駆け出しそうになったが、上司の冷ややかな声音を思い出し、何とか近くの木箱を被るにとどめた。ケディスは正直言うと子供が苦手、、というか嫌いである。別に遊んでいるのを遠くで見守って和まないこともないし癒されることもある。がしかし、扱いが苦手な上に、その昔子供相手に本気でキレたこともあって、元々の苦手意識と後ろめたさも相まって苦手度が結構な所まで上り詰めてしまった次第である。
まぁ大体の所自業自得である。
きゃっきゃと言う音が去っていくのを聞いて、顔を木箱から出すと、それまでは聞こえていなかったカンッカンッ、という音がした。
(これは、、)
固い枝同士をたたき合わせる音か。と思い至って、懐かしさがこみ上げた。こちらへ来て久しく思い起こさなかった記憶が浮かんだ。
(チャンバラごっこかぁ、、なんて懐かしい響き、、)
あちらでも別に身近だったわけではないが、聞き馴染みのある言葉ではある。
(たしか、最初に聞いたのはひと昔前のドラマの再放送だったかな、、)
だいたいチャンバラと言えば昭和ぐらいで、田舎の少年たちが思い浮かぶものである。まだ女の子は洋服よりも普段着は簡略化された着物を着ていたような時代。
(ふふ、大人にダメだって言われてるのに、裏山とか廃材置き場とかでこっそり集まって遊んでいるのよね)
覚えているドラマの時代構成はあやふやだが、たしかに裏山で色々と遊んでいたように思われる。
(それで、時々林に入っていったりして、生き物を捕まえたり、、)
そこまで思い至って、ケディスは、あ、と声を漏らす。
(そうか、!その手があった!)
ふふっ、とついつい口から音が漏れる。
自然と頬が上がっていく。
「待っていなさい、暴れ馬。このケディスが捕まえてあげるわ。」
得意げなその顔は図らずも、彼女の上司と大差ない、イタズラを前にした子供のようなそれだった。