接近
8.接近
ふう、今日の塾も終わった。時間は午後7時。陽も短くなってきたな、外は少し暗い。
一の通う塾は駅に程近く、頭の良い学生が県内、県外を問わず集うことで有名だ。一は鞄を持ち外へ出た。そのまま徒歩で帰る者や、迎えを待つ者が玄関でたまっている。一は母に電話をして迎えに来てくれるよう頼んだ。
「もしもし、母さん?今塾が終わったので迎えにきてください。…はい、いつもの場所で待っています。それでは。」
いつもの場所とは駅の停車スペースのことだ。塾の前では混んでしまうためそこにいつも迎えにきてもらっている。駅から一の家までは車で20分程だ。一は駅へと歩いていく。ふと、背後から声をかけられた。
「あのー、すいません。あなたはこの辺りの学生さんですか?」
振り向くとそこには同い年くらいの子が2人いた。声をかけてきたのは黒ふちの眼鏡をかけた男の方だ。その後ろからもう1人の女が一を覗き込んでいる。髪が長く左目が隠れている。
「はい、そうですけど…どうかしたんですか?」
「いやー、僕たち最近この辺に引っ越してきてね。ついこの間そこの塾に入ったんですよ。県外から来たもんだから土地勘が分からなくてですね。塾の帰りに買い物を頼まれたんですけど、この辺にスーパーはありますか?」
「ああ、そうなんですか。それは大変だ。見たところ同い年くらいだね。敬語じゃなくて大丈夫だよ。教えてあげるね。ええと、そこの信号をね─。」
一は笑顔で答え、親切に道を教えてあげた。一は他人と接するとき相手が良い気分になるようにと行動する性格だ 。それは相手との距離を縮めるためでもあり、延いてはその性格や弱みをつかむためでもある。そして、人は知らず知らずの内に一に支配されているのだ。
「…で、見えてくるのがスーパーだよ。」
「いやあ!助かる!ありがとう!あ、僕の名前は影山人成。漢字は成人を逆に書けば人成だ。うしろの子は妹の影山玲亜。」
そう言って人成は一の右手を両手で掴んだ。玲亜は黙ったまま後ろで頭をペコリと下げた。
「人成くんと玲亜さんね。格好良い名前だね。僕の名前は神山 一。神様の神に、山、それから漢数字の一と書くよ。」
「神山 一…おお、なんだか神々しいなあ!あ!玲亜も神山くんに握手しておけ!」
一は人成の後ろにいる玲亜を見て、笑顔で手を差しのべた。玲亜はゆっくりと一の前に出て握手をした。数秒経つと玲亜は手を話し、そそくさと人成の後ろに戻った。
「ごめんねえ。妹は人見知りなもんでね。」
「いやいや全然構わないよ。それにしても塾の帰りに買い物なんて大変だね。お母さんやお父さんはどうしてるんだい?」
「 両親は共働きでね。今は二人とも海外に行ってて、代わりに僕らはこっちに住んでる叔母の所へ越してきたんだ。もちろん叔母さんも働いているから車は出せないだろ?ってことで僕たちがおつかいを頼まれてる訳さ。」
「そうか。つまらない質問をしてごめんね。」
「全然大丈夫だよ。あの、これも何かの縁だ。せっかくだからもう少し話をしないかい?あ、でも神山くんは帰り足か。」
「僕はさっき電話でそこの駅に迎えを来てくれるよう頼んだんだ。あと15、6分くらいでくると思うからそれくらいなら大丈夫かな…何ならうちの車でスーパーと君たちの家まで送っていくけど?」
「いやいや、そこまでしてもらうのは悪いよ!その時間で充分さ。」
一は二人と一緒に駅へと歩き出した。喋り出したのは人成だった。
「そう言えばさあ、神山くんは中学はどこなんだい?ほら、この辺の中学は3つあるだろう?僕たちは瀧田西中学に転校してきたんだ。」
「僕は鴻賀東中学だよ。」
「へえ、3校の中で一番人数が多いところかあ。初対面の僕が言うのもなんだけど神山くんは頭が良さそうな雰囲気がするから成績もトップなのかな?」
「ははは、まさか。人成くんの想像に任せるよ。」
「そうかい、じゃあ学年で10番以内にいるということを勝手に思い込んでおくことにするね。やっぱり頭の良い神山くんはニュースとかよく見たりするのかな?」
人成は一の顔を横から覗き込む。嫌な顔ひとつせず正面を向いて一は話を続ける。
「そうだね。大体は観てるよ。朝食の時にテレビで観たり、携帯のネットニュースを読んだりね。でも、何でそんなことを聞くんだい?」
一は自分の横顔を見る人成へ視線を移した。今度は人成が正面を向き、一呼吸置いて口を開いた。
「…うん、最近は何だか物騒な事件が多いと思わないかい?親が子供を虐待したり、殺したり、その逆もまたあるわけで何かの拍子でキレた子供が親を殺したりさ。家族間だけじゃあないね。学校では虐めを苦に命を絶つ人や友人を殺してしまう者もいる。そうなる背景には何か人間関係のもつれや歪みがある。だからそういう人たちを救ってあげるには誰かが両者に寄り添って力になってあげなくちゃあいけないと思うんだ。」
「善良な人だね、人成くんは。悩んでる人を救うにはそれが一番の理想かもしれない。でも、結局最後に道を決めるのは自分だろう?重要な場面で命を絶つか、それとも奪うか、はたまた別の手段へ移るのかを決めるのは個人の自由なんだと僕は思うね。だからそういうニュースを観ると僕はそれでいいんだと思う。命を奪い、奪われ、その繰り返しは決して無くなりはしないからむしろそれが自然なんだと考えるよ。…ただ僕は敢えて救いの手があるのだとすれば、それは」
「それは支配すること、だろう?」
一が次に話したであろうその言葉は人成の口から出てきた。ニヤニヤとする人成を横目に一は焦る様子もなく続ける。
「その通りだよ。上から誰かが強い力をかければ全てを統制できると思わないか。誰が反乱を起こそうがそれを鎮圧できる、もしくはそうなる前に危険な芽を潰しておくことが必要だけどね。歴史をたどってもそうだろう?将軍にしろ、王にしろ、様々な場面で人は人によって支配され社会を保ってきたんだ。持論だけどね。だから社会全体なんて大きな媒体だけじゃなくて、家族や友達関係みたいな小さい媒体でもこれを成り立たせれば、強引だけれど丸くおさまるんだと思うね。」
「合理的な解答だよ、神山くん。僕の通う瀧田西中の噂ではここら一帯の小、中学校で虐めが多発していると聞いた。そうなると死人がでるのも時間の問題かもしれない。ニュースで観ていたことがこの街でも起こりそうじゃないか?画面を通してじゃなく、現実でもっと近くでね。特に鴻賀東は危ないんじゃない?」
「…そんなに危険じゃないと思うけどね。そんなに虐めが多発していたら、各学校の教師が黙っていないだろう。それこそ、噂にとどまらず学校側から注意なり何なり出てくるでしょう。僕の学校には何もないけど?」
「いや、違うね。最近の虐めは結構陰湿でその渦中にいなければ知ることができないことだって多いんだぜ、神山くん。」
「へえ、そうかい。」
一は無機質な声でそう答えた。いつの間にか駅の停車スペースに着いていた。3人はそこで立ち止まり、人成は話を続ける。
「そうだよ。神山くんは学校での虐めを観ていないのかもしれない。あるいは気付いていないのかも。…いいや、君は実は虐めをする張本人であって、その事実を隠している可能性だってあるね。それこそ先ほど言ったように支配して統制して思うがままに権力を発揮してることも十分有り得る」
「ふふふ、会って10分程しか経っていない間柄だというのに随分と挑戦的だねえ。もし、そうだったらどうするっていうんだい?」
「そうだねえ、そういう場合はまず虐められてる被害者に会って事情を聞いたら神山くんに仕返しに行くかなあ。」
「ははは、そうかい。じゃあ僕からも一つ質問をしよう。君たちはいつ転校してきたんだ?」
「…今週の月曜日かな。」
「この街に来て6日目か。6日経ってスーパーの位置も分からない人が、どうして虐めに関心を持って、他校の現状を探ろうとするんだい。普通なら友達を作ったりしてこの街に慣れることが先決だと思うんだけどね。それと僕が言おうとした台詞を会って間もない人が被せるのは難しい。物騒なニュースから話し始めて、何かを知った上で虐めのことを僕から探ろうとしているんじゃないか?君たちこそ、何かを隠して、何か目的があって、僕に会うべくして会っているんじゃないのかな?まあ、これはあくまで仮の話だから空っぽなものだけどさ。」
「もちろんさ、それはこっちも同じだよ。全く空虚な話だ。でも万が一、神山くんと僕が語っていることが真実だとしたら、近々どこかで会うことになるかもね。会うのは僕じゃないかもしれないけどさ。強い人間に抑えつけられている弱い人間はどこかで」
「復讐してやるって考えてるんだろう?」
人成が口にする筈の言葉は一の口から出ていた。人成は飄々とマイペースに続ける。
「ご名答、その通りさ。」
「当たってて良かったよ。あ、ちょうど迎えが来たようだね。それじゃあまたどこかで会おうね。」
「うん、じゃあね。気を付けて帰ってね。」
人成が言葉を言い終わるのと同時に一の側に車が着いた。一は車に乗り軽く手を振り、そのまま駅を離れていった。
「それじゃ、僕達も帰ろう。」
玲亜はこくりと頷き、人成と共にその場を後にした。