絶望
3.絶望
いつものように両親と朝食を終え、支度をした空は学校へ向かった。道中、昨日の一や優希たちの行動について改めて考えてみたがやはりその真意は分からなかった。学校に着いて席に座り読書をしていると一と優希が教室に入ってきた。空の身体は少し強張ったが昨日ほどではない。それ以上に二人への疑惑が空の心に広がる。荷物を置いた一と優希が空の席へやってきた。
「おはよう。空君、昨日はありがとうね。」
「あの…ケガは大丈夫?顔とか特に酷い感じがするよ。」
「これは君がいなくなったあと健二に殴られてできたんだ。なに、数日もすれば治るさ。それより、君はいつも本を読んでいるけどどんなのを読むの?」
一くんに昨日のような僕を束縛する雰囲気は感じられなかった。むしろ素直に友達になろうとしているニュアンスすら感じる。だけど、まだ信用しない。
空は取り敢えず話を合わせることにした。一は普段他の人と接するように空と話している。一は優希も話に混ざるよう促して三人で雑談をした。
「…失礼かもしれないけど優希くんも普通に喋るんだね。」
「ああ、まあな。俺はあまり自分から話すタイプじゃないからな。」
優希は落ち着いて優しく話す。虐めを受ける空にとって優希は機械のようにしか見えていなかった。一に指示され無表情に殴る姿は恐ろしい。しかしその姿と今の優しげな姿を比べると、空は優しい彼が本来の姿なのではないかと感じていた。担任が教室へとやってきたため二人とも席へ戻った。
その後も授業が終わり休み時間のたびに二人は空へ話しかけた。空自身も少し気を張ってはいるものの二人と徐々に打ち解けていることもまた事実である。二人の今までのことを許すという考えも空の中で少しずつ芽生え始めていた。
3時限目が終了したときの休み時間。また雑談を三人でしていると、一がポケットから何かを取り出した。
「空君、これ食べるかい?」
一が見せたのはFRESKのケースだ。休み時間にポケットから取り出し、食べている人は多い。
「いや、僕は大丈夫だよ。」
「そうか。…あれ?ちょうど3粒だけだったか。三人で分けよう。その方がキリも良い。」
一は空と優希に白いタブレットを一粒ずつ渡す。
「ありがとう、一。」
優希はすぐに口へ放り込む。一も口に入れて噛んでいた。
「どうしたの?…食べないのかい?まさか、嫌がらせか何かと勘違いしているの?」
「あ、いや…違うよ。何というか、こういうの今まであまり無くて嬉しいというか…。」
「そうかい。空君には当たり前のことが新鮮に感じるんだね。…今まで本当に悪かったよ。さ、遠慮なく食べてくれ。」
僕はタブレットを口に入れて噛んだ。ほんのりとした甘さと強い爽快感が口のなかに広がるが、少し苦い気もする。
「…これちょっと苦いね。」
「そうかな?優希はどうだった?」
「いや、そこまで苦味は感じてない。」
「あ、もしかして君はあまりこういうのは食べないのかな?確かにそれだと変な感じはするかもね。念のため水道で水を飲んでた方が良いよ。」
「うん、そうさせてもらうよ。」
空は席を外した。水を飲み、落ち着かせる。そして4時限目のチャイムが鳴ったので教室へ戻った。
僕が授業中にお腹が空くなんて珍しい。これも虐めへのプレッシャーが軽くなったからなのかな。けっこう、喉も渇いている。今日の給食の時間は担任は職員室にいるから自由にグループをくんで食べれる。お昼の給食は一くんと優希くんと一緒に食べたいなあ。
空がそんなことを思っているとチャイムが鳴り、給食の時間となった。用意されるご飯と味噌汁におかず、そして牛乳。一と空と優希の三人で机をあわせお昼を食べていた。空は空腹のせいかいつもより凄い勢いで食べていた。
「空君、けっこう食べるんだね。」
「何だか今日はやけにお腹が空いちゃってね…。」
「良ければ僕の牛乳を上げるよ。あまり好きじゃないんだ。」
「そうなの?ちょうど喉も渇いていたんだ。それじゃあ頂くよ。」
牛乳を一気に飲み干し、自分の給食も食べ終えてしまった。空自身も不思議なほど今日はよく食べると感じていた。しかし、異変は突然に起きた。
(うう…何だか急に吐き気がしてきた。食べ過ぎたのかな。でも、何故か喉が渇いてまだ何か食べたいとも思う。)
「ごめん、ちょっとトイレに行ってくるよ…。」
「ああ、待ってよ空君。僕、アレルギーのせいでエビがダメなんだ。悪いけどこのエビフライ食べてからにしてくれないかな?」
空は自分でも驚く勢いでエビフライを手で掴んで貪った。
「喉も乾くよね?ちょうど今日は休みが一人いて牛乳が余ってるから持ってくるよ。」
一は持ってきた牛乳を空へ手渡す。すぐにまた空は飲み干した。だが、またしても吐き気が押し寄せる。
(…駄目だ。これ以上は我慢できない。次に口を開けたら大変なことになる。トイレに行かなきゃ。)
今度は無言で席を立つ空を一が教室の真ん中辺りで引き止める。
「ねえ、待ってよ。まだ食事の最中じゃないか。給食なんてあと少しで終わるよ。」
空は手で口をおさえ必死に止めようとする。
「急にどうしたんだい?どこか痛いのかい?…もしかしてここかな?」
空の胃の辺りにぐりぐりと拳を押しあてる。その表情はあの歪んだ笑顔だった。それを見た空の身体は一気に強張り震え始めた。口からは唾液が流れ出てきた。いつの間にか周りがざわつき始めて、空と一を囲むような状態になっていた。空は必死に目で助けを訴えたが周囲の人間は手を差し伸べるどころか、これから何が始まるんだろうという好奇の眼差しを空に向ける。空は優希の方も見た。しかし、そこにはいつもの無表情な優希がいた。
もう限界だった。
「うおえええええええああああああああ、ぅうううああああああああええええええええ…げぇぇえええええ、ガハッ、がぁ、はぁ…ハアハア…うぼおあああああああああえええええええ…」
何が何だか分からなかった。頭がぐるぐるとしていた。むせかえるような胃液が鼻と口をついて止まることなく溢れ出る。聞こえるのは冷やかな周りの声と僕の嗚咽だけだ。
今日、口にしたものが全て出る。人の体内からこれだけ出るのだろうかというほどの量が空の口と鼻から流れていた。教室の真ん中に広がる吐瀉物の海。目からは涙が溢れ、今にも意識が飛んでしまいそうだった。
恐らく10分ほどの出来事であったのかもしれないが空にとって永遠とも思える時間が終わった。気分を害してトイレに行く者もいれば、笑う者もいるし、写真をとる者もいた。空は茫然とその場にしゃがみこんでいた。空へ拳を当てていた一は嘔吐を浴びることはなく佇んでいた。
「…ねえ、空君。保健室へ行こうか…?」
「ひっ…嫌だ。大…丈夫だよ。」
「…認めない。来るんだ。」
一は空の腕を掴み強引に立たせて肩を貸した。震えの止まらない空。
「君達さ、喜ぶのは構わないけど…それの処理たのんだよ。良いもの見せてやったんだからさあ。」
教室に冷たい空気が走る。ざわついていた教室は一気に静かになった。
「おい、優希も来い。…それじゃあね。」
そう言って一と優希は空を連れて教室を出ていった。
保健室のドアを開けて中に入る三人。先生には一がすぐに説明した。
「すいません、空君が気分悪くて吐いちゃったんです。少しベッドを貸してもらえませんか?」
空はベッドへ横になった。優希がカーテンを閉める。
「ねえ…どうして…なの?やっぱり一くんは僕のこと…。」
一は空の口を手で押さえつけて、耳元で囁いた。
「…そうだよ、やっぱり僕は君への虐めは止めないよ。それとここでこんなことを聞くんじゃない。そこにいる先生にバレたら勿体ないよ。…まあ、バレたときはそれでも良いけど。君を痛めつけるだけさ。…また、放課後に来るよ。楽しみだね。」
一は手を離し、カーテンの外へ出た。優希と空だけの空間となった。外で一が優希を呼んでいる。
「…すまなかった。」
優希は空に一言だけ言って、保健室をあとにした。
廊下に出た、一と優希。取り敢えず教室に戻ろうと歩いていく。
「ああ、そうだ。あの三人にも連絡しておこう。上手くいったってね。」
「…一、まさかお前が空にあげた白いタブレットが原因なのか。」
「…ふふふ、そうだよ。あの薬ほんとはもっと苦いらしいんだけど、FRESKと一緒に砕いて甘くしたりして固めて同じサイズに作り替えたんだ。けっこう大変だったよ。まさか、あんなに効くなんて。あはははは。」
「あれをやるためにわざわざ友達になろうなんて言い出したのか?」
「ああ。昨日も言ったがその方が面白いだろう?一度、信頼させておいてそこから一気に突き落とす快感。たまらないねえ。どうやって飲ませるかけっこう悩んだよ。この方法が一番自然でかつ甚大なダメージを与えられると僕なりに答えをだしたんだ。…それより、何故そんなことをいちいち聞くんだ?」
「お前は狂ってる…。」
「答えになってないな。それに狂っていてけっこうだよ。…優希、君は時々僕に歯向かうような口をきくね。珍しいとも思うよ、一年の頃にあそこまで追い込んだのにさ。今、君の家族はどうなっているんだい?」
瞬間、優希は一の胸ぐらを掴み壁に押し付けた。
「おいおいおい、そんな怖い顔するなよ。どうなっているのか様子を聞いただけさ。殴りたきゃ殴ればいい、でもタダでは済まさない。」
「…くそが。…俺の家族はお前の親のせいで散々だ。だけど、悔しいがまだ生きていけるのはお前の親のお陰でもある。」
「…よく分かってるじゃない。それなら良いよ。さあ、手を離してくれるか。」
優希は力を緩め、一を開放した。
「優希、君は僕に従っているだけでいい。それをよく肝に銘じておけ。」
優希が悔しそうにするが、一は気にも留めない。二人はそのまま教室へと戻っていった。
僕は二人が出ていったあとも喉の渇きと空腹そして吐き気と戦っていた。ベッドで横になっていれば少しは楽だ。保健室の先生が気にかけて少し話してきたけど適当に受け答えをして、寝ていれば大丈夫ですとだけ言っておいた。
やっぱり、覚悟はしていたけどつらい。たぶんあの白いタブレットなのかな…。一くんの今までの事は恐らく演技で僕を陥れるための罠だと知って心が痛い。怒りすら湧かない。ただただ恐怖だけが頭をよぎる。僕が思っている以上に一くんは狡猾で恐ろしいことを改めて知った。一くんに弱点なんてあるのかな…。いや、駄目だ。まだ諦めちゃいけない。これで復讐するのに躊躇することはないと分かったじゃないか。それが得られただけでも良かった…
空は無理にではあるが自分を納得させた。今耐えることが出来ているのは光との約束を果たしたいからだった。
…たぶんみんな一くんの手の上で踊らされていたんだ。健二くん、弘毅くんと誠也くんもそうだ。だけど、あの三人は一くんに操られてた事に別に怒らないと思う。小学校の頃から一くんと一緒になって虐めているし、それを楽しんでいる。だからこれからもいつも通りに戻るはずだ。
僕が一番気になるのは優希くんだ。優希くんだけはあのとき僕に謝った。自分でも馬鹿かも知れないけれどこの事実だけは信じていたい。…優希くんはどうして一くんに従っているんだろう。優希くんは中学生になってから一くんと出会ったはずだ。柔道がとても強くて、将来も有望だっていうので有名だった。でも、ある日怪我をして柔道から離れてその頃から一くんと付き合うようになった…。もしかしてだけど、優希くんの怪我と一くんには何か関係があるのかな…。ただの考え過ぎかな…。
あれこれ考えている内に空は睡魔に襲われて眠った。
放課後、空が目を覚ました。やはり喉はまだ渇き、空腹も続いている。しかし何かを口にすれば猛烈な吐き気に襲われることも分かっていた。そう思っているとカーテンを開けて一と優希が入ってきた。一にはいつもの支配する雰囲気が漂っている。
「空君、体調はどうだい?」
「やっぱり…まだ、少し悪いかな…。」
「へえ…そうか。でも、僕はここから君を引きずり出すよ。」
一はカーテンから出た。向こうから声が聞こえる。
「先生、空君だいぶ体調は良くなったみたいですよ。ベッドを貸してくれてありがとうございました。念のため帰りは空君に付き添って行きます。ああ、心配は入りませんよ。優希くんもいますし二人で介抱します。」
カーテンを開けて堂々と一は空の側に行く。
「さあ、帰ろうか。」
「…うん。」
空は怯えながらもベッドから出る。いや、出ざるを得ない状況を一が造ったのだ。廊下に出て歩き出す三人。空の荷物は優希が持ってきてくれていた。そのまま帰るはずもなく、校舎裏の倉庫へとやって来た。中へ入るとお馴染みの三人がいた。
「ああ、来た来た。」
と弘毅。
「よー、空ぁ。お前教室で盛大にぶちまけたんだってなあ。アッハッハ、とんでもねえなあ。」
大声で健二が笑う。
「一に言われた通りバケツに水用意しておいたぜ。」
誠也が言った。おそらく三人で持ってきたであろう水の入ったバケツが6個置いてあった。
空は一に突き飛ばされ倒れ込む。閉めた扉を背に優希が立ち、空を囲むように五人が見下ろす。
「さて、空君。大体察しはつくと思うけど君は今とてつもなく喉が渇いているはずだ。そこで、ここにある水を全て飲んでもらう。安心してよ、キレイなバケツを使ってるからさ。」
歪んだ笑顔で一は言う。バケツは1つにつき8リットルは入ってそうだ。空の戸惑いとは裏腹に喉がからからでバケツへと手が伸びる。水面へと顔をつけ、空は猛烈に飲み始めた。急激に喉が潤される。
「あはははは、おいおいマジかよw 半端じゃない勢いだなあ!写真撮っておこー。」
「すごいね、これは。LINEの実況にも力が入るよ。」
面白がる誠也と弘毅。この二人がいつも拡散源だ。空が喉を潤し腹を満たしたのも束の間、案の定ひどい吐き気に襲われる。
「ふ、ぐふっ、うぉぉぉあああええええええええ…。」
びちゃびちゃと音を立てて水が床に吐き戻された。
「汚ねえなー…吐き出してんじゃねえよ。俺の靴にもかかっちまうだろうがよおおおおおおお!!」
そう言うと健二は空の腹に蹴りをいれた。
「ぐはぁ!あは…うぐうう…。」
息が苦しくなりうずくまる空。
「健二、空君を蹴って楽しませてくれるのはありがたいが吐いてしまうのは仕方がない。許してやれよ。」
「くはっ!薬を盛った奴がよく言うぜ。まあ良いや、吐くのはオーケーだ。でも、俺はお前への暴力は止めない。一滴でもかかったら殴る。かからなくても蹴るけどな。あははははは!」
「お前も十分、怖いぜー。無慈悲だなあw」
誠也が健二をおちょくる。健二はうずくまる空の首を掴みバケツに頭を突っ込ませる。
「おい、空ぁ。早くもう半分を飲めよ!まだ1杯目だぜぇ?」
「健二、今日も派手に攻めるなあ!あ、ちょっと待て、写真を撮って実況する。」
「弘毅が写真とるなら俺は動画撮ろうっと。」
空は朦朧としていた。1杯目の水を飲み干してまた吐いた。飲んでは嘔吐の繰り返し、そして胴体への暴行も続いた。4杯目に差し掛かった。
「おら!飲めよ!!こっから後半戦だぜえ!…あれ?おい、空。飲めよ。」
「う…ぐっ…うあああ…。」
「目から涙流そうが、苦しもうが関係ないね!早く飲めよ!」
「待て、健二。空君も大変なんだろう。おそらく意識が飛びそうなんだよ。そんなときは嫌でも起こしてやる…おい、優希。お前がやれ。」
優希は黙って空に近付いた。健二と交代して空の頭を片手で掴み持ち上げる。刹那、優希は空にだけ聞こえるように囁いた。
「すまない…耐えてくれ。」
そう言うと同時に空の頭を一気に水の中へ入れ抑えつけた。
僕は必死にもがいた。このままでは死んでしまう!息が出来ない!そう思ったら優希くんが僕の頭を引き上げた。
「かはぁ!…はぁはぁ。」
「やっぱり目が覚めたね。人間、死を意識すると嫌でも生にしがみつくものだね。優希、続けさせろ。」
僕は必死に水を飲んだ。もちろん、頭は押さえつけられている。そして吐く。優希くんの拳が腹にめり込む。骨は折れないけど、健二くんよりも重い。周りは嘲笑う。そしてまた飲む、吐く。ペースが落ちてくる。飲む。吐く。飲む。吐く。飲む。吐く。飲む。吐く。飲む。吐く。飲む。吐く。飲む。吐く。飲む。吐く…。
最後の6杯目。空はもう意識を保っているのがやっとだった。遠退きそうな意識の中、何度もあの紙に書かれた連絡先を思い出した。連絡を入れたい衝動にも駆られたが何とか踏みとどまっていた。ここで連絡をすれば復讐が台無しになることを空は分かっていた。
「さて、最後だよ。空君。今までよく耐えたね。少し意識も遠退いているはずだ。だけど頑張ってくれ、最後は僕がやる。」
「おw 遂にお出ましだな、一!」
「これは面白くなるぞ!実況の既読数も伸びている!」
「はっ!既読数なんて下らねえなあ。一のは精神的にくるからある意味一番怖いぜ。最後だし俺たちはただ黙って見てりゃいいんだよー。」
優希は一と変わり、扉の前に戻った。一は空に語りかける。
「さあ、ここからが正念場だよ空君。君は今意識がうつろいでいると思う。そこで、また目を覚ましてもらうとしよう。大丈夫、君はただ水面を見ていれば良い。これを早く飲めば解放する時間も早くなる。ゆっくりで良いから水面を見つめてくれ・・・。」
空が意識も絶え絶えの中、バケツの水面をゆっくりと覗き込む。それを見た一は静かに足を上げて空の頭にそっと乗せた。
「それじゃあ…頑張って。」
瞬間、空は頭を踏みつけられた。水中へと溺れる。優希の時の比ではなかった。空が苦しむ姿を笑いながら見つめ、ギリギリまで追い詰める。
「あははははははははははははははは。まだまだ、まだだよ空君。君なら出来るよ。…はい、解放。」
「ぷはあ!かはっ!がはっ…ああ…ぐうああ…。」
すぐさま一はしゃがんで空の顔を両手で抑えて言った。
「僕の眼を見て、空君。ほら!よく生還できたね!やったね、まだ生きているよ。さあ今度は飲もうよ!飲めば解放されるんだよ!もう終わるんだ。君さえ飲めばね!」
しかし、空はもう飲めなかった。正確には喉は依然として渇いているが飲む力は残されていなかった。
「・・・そっか、それじゃあ仕方ないな。」
茫然とする空を横目に一は倉庫に置いてあった手動のポンプを持ってきた。
「これ、何だか分かるかい。そう、ガソリンとか入れるのに使うポンプだ。あ!少し目に光が戻ってきたねえ!涙も溢れてきた。恐いんだよね?今からやることも想像つくよね?うんうん、その表情そそるよ…。」
一はポンプの先を空の口へ無理矢理押し込み右手で顎を掴んだ。衰弱している空には抵抗できるはずもなかった。
「もう一方をバケツに入れてと…。よし、あとは左手でここを鼓動を刻むように動かすだけだ。早いのと、遅いのどっちが良い?…うんうん、返事が返せないから両方やるね。頑張って君なら出来るよ。」
そう言うと一は左手を速く動かし始めた。急速な空気の流入により水が勢いよく空の口へ入り込む。一はすかさず顎を押さえつける右手を上へ向ける。
「んんんんんんんん!!んぼおおおあああああああああああああああああ!!」
鼻と口から許容範囲を越えた水が流れ出る。
「あはははははははははははははははははは!!!すごい!すごいよ、空君!まるで噴水みたいだ!ここで、一旦ストップ。」
バケツへ入れているホースを外へ出す。余った水がゆっくりと空に流れる。
「…はい、終わり。また早めて、入れるよー。頑張って。あと5回くらいで終わるんじゃないかな、知らないけど。ふふふふふ…。」
・・・何度繰り返されたか分からなかった。気付いたら終わっていた。床はずぶ濡れで僕もずぶ濡れだった。倒れこんでいた。起き上がると意識がはっきりとしてきた。目の前には一くんがいた。
「ああ、起きたかい空君。終わると同時に意識が飛んじゃったんだね。安心したせいかな?…まあいいや。今日も最高だったよ。ありがとう、また明日ね。」
「じゃあなー、空ぁ。」
「さようなら。LINEのみんなも楽しんでたよ。」
「写真や動画もたくさんとれたしなあ、あははは。」
優希は黙って四人のあとに続く。そして、一が口を開いた。
「ああ、そうだ!空君に言うのを忘れていたよ。制服ずぶ濡れだろうから僕があらかじめ新しいのを買って用意しておいたから着替えて帰ってくれ。あと昨日君が消したデータ。…あれ、実はPCにバックアップしててまた携帯に入れておいたよ。残念だったね。…うんうん、最後にその絶望した表情を見れて何よりだ。じゃあね。」
五人は空を置いて倉庫から出ていった。静かになった倉庫。絶望して泣きじゃくる空。
どうして?どうして僕ばかりこんな目に会うんだ!僕ばかり!
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
僕は訳がわからず発狂した。床に拳を叩きつけた。頭を掻きむしった。辺りのものを投げたり壊したりした。僕にもこんな力があったのか。何でみんなの前で出せないんだ。分からない。死にたい。今暴れてる行為に意味はない。死にたい。死にたい。消えたい。消えたい。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ。消えろ…。
・・・・・・・・・・・・・・。
でも、まだ生きなきゃ。お父さんもお母さんも悲しむ。復讐もできなくなる。光さんにも会えなくなる。僕の希望。光。復讐。やる。やり遂げる。死ねない。まだ死なない。生きなきゃ。まだ生きたい。
気付いたら僕は落ち着いていた。悔しくも一くんが置いていった制服に着替えた。濡れた制服はとりあえず持ち帰って気づかれないように捨てておこう。荷物を持って倉庫を出た。帰ろう。あと1日、たったあと1日乗り切ればいい。
帰宅した空は今日もあったことを紙に書いた。途中、胸が痛み涙が出てきたがそれでも書き続けた。奏が作った料理は今の空にはとても食べることは無理だったのでそのままにしておいた。空は奏が心配しないよう少し体調を崩したから今日は寝るとメールを入れておいた。シャワーを浴びてふと空は今日を振り返る。
正直、まだあの薬の効果はすこし残っている。半日くらいは続くみたいだ。たぶん明日にはよくなるはず。鏡に写る自分の姿はもともと細身だけど今日だけでとても衰弱したように見える。お腹もアザが出来ちゃうんだろうなあ。でも、僕は負けない。僕なりに頑張らなきゃ。一度投げ出そうとした命だ。光さんと約束したんだ。それだけが希望なんだ!
挫けそうな心を奮い立たせる空。そして、脱衣室で着替えて、部屋のベッドへ横になる。
「あと少しだけ頑張ろう。」
そう自分に言い聞かせて目を閉じた。期限まであと1日。