戯れてみるはなし
「寝てろ」
いつものことだと簡単にあしらえば、背後から伸びてきた腕がするりと首に回った。
そのまま遠慮無く体重をかけられて、私より身長の高いシスを半ば背負うような形に落ち着く。
「重いんだけど?」
「順番が来たら起こしてー……ぐぅ」
「はいはい……」
成人男性一人分の重みといっても、仮想空間でのことだ。私のアバターは小柄で非力な部類だが、それでもシスを引きずって列を進むくらいのことは難しくない。
おかしなぐずり方をされるよりは、万倍もマシ。
そう考えて、されるがままになっていると。悠長にシスのご機嫌取りをしていられないような状況が、どういうわけか突如として勃発した。
一足先に洗礼を終えたマレビトの一人が、聖堂の出口へと向かう道すがらのすれ違いざまに、着物の袂から黒塗りの針を突き出してきたのだ。
もちろん、突き出された針は裁縫に使うような可愛らしいものではない。人に向かって突き出されるような針といえば当然、暗器に分類される長大なもので。かすりでもすれば麻痺毒くらいはくらいそうだと、至極まっとうに判断しつつ。体を捻り、シスを蹴り退ける反動で自分も針の軌道上から逃れた。
「うたかたごめん」
狙ってぶつかり、緩衝材として使ったうたかたに謝れるくらいの余裕綽々。追いすがるよう迫る追撃を突き出された針を持つ腕ごと圧し折る勢いで蹴り上げる。
爪先に鈍い手応え。痛みに一瞬、動きの止まった体を間髪入れずに蹴り飛ばす。
「何事ですか!」
こんなところで非常識だぞとばかり声を上げたのは、祭壇の近くにいた神官の一人だ。ちらりとその姿を視界の端に捉え、ついでに他のマレビトたちの反応もざっと確認してから、狙い通り聖堂の外へと転がり出た暗殺者紛いを追いかける。
「テンペスタ」
腰に下げた得物を抜く直前、その銘を呟くのは単なる癖で、それ自体はなんの意味もない行為だった。
真名解放とか、できれば格好良かったんだろうけど。
「あの体勢で、なんで避けられるかなー……」
不意打ちに失敗したうえ、容赦なく腕まで折られてあからさまに戦意を喪失した様子の暗器使いに油断なく肉薄して、止めを刺すべく刀を振るう。
いつもどおり、首を断ち切り即死判定を与えるはずの斬撃は、その寸前で肉厚の大剣に防がれた。
既に諦めモードの暗器使いが構えたものでは、ない。
「どういうつもり?」
私の正当な過剰防衛に待ったをかけたのは、一人の剣士だった。
それも、装備の質や服装を見る限り、明らかにマレビトではない。この世界の。
「既に戦う意思のない相手に剣を向ける。……それは、ただの殺しだ」
「私はそいつに殺されかかったんだけど?」
「この男の技量は到底、あなたに及ぶものではない」
騎士道というやつだろうか。
全く話にならない。わかりあえない。わかりあう必要もない。
「何を甘っちょろいことを」
そもそも私に武器を向けた時点で、殺されても文句は言えないだろう。
そう、内心で結論づけて。鍔迫り合った剣士の得物を、マレビトとしての恵まれた膂力に任せて弾き飛ばす。
「ぐぅっ……」
(さすがに殺すとまずいかな?)
返す刀で峰打ちを……したくらいで気を失ってくれればいいのだが、それほど軟な鍛え方はしていなさそうだったので。威力度外視の手数で畳み掛け、捌ききれなくなった相手が体勢を崩すのを待って、刀の柄頭を側頭部に叩き込む。
脳を揺らされても平気なNPCは、正直言って結構な粗悪品だ。
「あなたの技量も、私には到底及ばなかったみたいね?」
幸いにして、と言うべきか。まともに膝をついた剣士にそっと――「次に剣を向けたら殺す」と――周囲のギャラリーに聞こえない程度の小声で、ストレートな脅しをかけてから。改めて、地べたに座り込んだまま逃げもしなかった暗器使いに向き直る。
「前にも言ったと思うけど……」
「なになに?」
「アバター変えても、直前にあれだけにやついてたらバレバレだから」
「うわちゃー」
今度こそ何の障害もなく斬り落とした暗器使いの首は、地面に落ちる直前、光の粒子となって体ごと消えてなくなった。
あとには、暗器使いが身に着けていたものと思しき《因果の指輪》だけが残される。
「マスター!」
今頃聖堂から出てきて、飛びつくよう《指輪》を拾った少女は暗器使いの支援妖精だろうか。
暗器使いと似たようなデザインの現代和服に身を包む黒髪の少女は、私のことを憎しみの篭った目で睨みつけながら器用にじりじりと後退り、ある程度離れたところで身を翻すと、城門めがけて走り去っていった。
「お待ち下さい!!」
その後を追うのは当然、二人に付き添っていた神官だろう。
「今の、タユ?」
準備運動にもならなかったと、刀を納めて聖堂に戻ると。すっかり目も覚めた様子のシスが、まず声をかけてきた。
「そうみたい」
本人に確認こそしなかったが、このタイミングとあのニヤつき方はまず間違いないだろう。
シスの護衛として聖堂に残っていたうたかたが、私の答えを聞いてこれみよがし呆れまじりの息を吐いた。
「あの男も懲りませんね」
同じレギオンに所属する仲間。主に情報収集を担当していて、プレイヤースキルはさほど高くもないくせ、新しいゲームを始める度に挨拶PKを仕掛けてくる変わり者。――それが、ついさっきまんまと【AnotherWorld】における私の『初PK被害者』になりおおせた暗器使いの正体だ。
つまり、殺したところで何の問題もない相手だったというわけ。
当人はそのうちけろりとした顔で戻ってくるだろうし、暇が出来次第、レギオンメンバーで共有している情報領域にこの世界における『死と復活』についての報告を、きっちり上げてもくれるだろう。
PKの被害者と加害者の間に、自動で金銭やアイテムのやり取りが発生するようなシステムが存在するのか、しないのか。PKの被害者、あるいは加害者となることによってどんなデメリットとメリットが発生するのか。その検証というのが、タユが謳う一応の建前だが。その実、単に私に殺されるのを楽しんでいるだけだろう。
本人曰く、MOBや他のプレイヤーに殺されるのと私に殺されるのとでは、得られる快感に天と地ほども違いがあるらしいから。
「ところで――」
閑話休題。
一つ、気になったことを確認しておこうと――表向き、私の支援妖精ということになっている――マルドゥクに対して口を開きかけたところで、タイミング悪く横手から声をかけられる。
「皆様。大変申し訳ありませんが、少々お時間を頂けますでしょうか」
声をかけてきたのは私たちの付き添い神官である女性で、彼女の横にはもう一人、初対面の男性神官が立っていた。
ちらりと視線で指示を求めてきたうたかたに、渉外はそっちの仕事だと、私は無言で一歩下がる。
「えぇ、構いませんよ」
「ありがとうございます」
逆に一歩前へ出たうたかたの了承を受け、神官ニキは相変わらずの馬鹿丁寧さで頭を下げた。
「では、こちらへ」
どうやら聖堂ではできない話があるらしく、神官ニキの隣にいたもう一人の男性神官が、案内役として先頭に立つ。
「お説教かな」
「お説教でしょ」
こそりと耳元で囁いてきたシスには、希望的観測混じりにそう返したが。聖堂の中にいる――マレビトの付き添いではない――神官たちは、誰も彼もがそれなりに武術の心得がありそうな体つきと身のこなしをしていたので。何かあってもおかしくはなさそうだと、内心では考えている。
あるいは、何かあった方が面白そうだ……と。
腰に下げた刀の柄へと手を置きながら。私は足手纏にしかならないとわかりきっている似非虚弱を、護衛係の後ろに押し込めた。
(戯れてみるはなし)