進まないはなし
幾重にも重なり合って広がる城壁が、ほころぶ薔薇の花弁のようであることから。
城の主であり、アルメリア公国を治める公主でもあるファルス皇国の公爵シルフィーネ・F・アルメリアによって公式に『薔薇城』と名付けられたその城は、公国の首都――公都ロズウェル――を二分する大河トゥーリアの広大な中洲にそびえるよう建っていた。
そうと知らなければ、巨大な建造物など現実世界で見慣れているはずのマレビトがそれ一つで『独立した都市』と間抜けな勘違いをしてしまえる程度には、馬鹿げた規模の城郭だ。内部の広さもそれ相応。だからこそ案内役の神官ニキに、《調和せし神々》と総称される神々の神殿が、城内に神の数だけ独立して存在すると聞かされても、それほど驚きはしなかった。
同じ理由で、ひとまずの目的地である『最寄りの神殿』へと辿り着くまでに相当な距離を歩かされたことについても、『まぁ、仕方がないよね』程度の感慨。
「こちらの聖堂では闘争を司る神マルスの洗礼を授かることができます。
また、併設された闘技場では明日から六日の間、午後から有志による模擬戦闘が披露されるので、よろしければご観覧ください」
いい加減、くぐった城門の数を数えるのも億劫になってきた頃。ようやく辿り着いた『一つ目の神殿』周辺には、ちらほらと他のマレビトの姿も見て取ることができた。
各々好き勝手にメイキングしたアバターの造形や、持ち込んだ装備品の異物感に加えて、支援妖精とセットで必ず『男女ペア』であり、かつ案内役の神官を連れている。――それだけの特徴があれば、現地人とマレビトを見分けるのはそれほど難しいことではない。
「中へどうぞ」
大きく開け放たれた両開きの扉から、聖堂だと紹介された建物へ入ると。その中は、おおむね一般的な宗教施設と齟齬のない構造をしていた。
折り目正しく並ぶ長椅子。奥には祭壇。脇に演台。偶像崇拝も特に禁止されてはいないらしく、神マルスを模したものと思しき男の像が聖堂内の最も目立つ場所――入り口正面祭壇奥――に屹立している。演台は神に背を向けることがないよう脇に寄る形だ。並べられた長椅子は当然、神の像の方を向いている。
祭壇へと向かう中央の通路には、マレビトの列ができていた。
先頭のマレビトに対して何やら――おそらく、略式の儀式的なことを――行っているのが、洗礼を授ける資格を持ったマルスの神官なのだろう。
「申し訳ございませんが、お並びになってお待ち下さい」
どうやらたった一人の神官がマレビト全員に対して洗礼を授けているらしく。それなら『仕方がない』と誰もが大人しく順番を待っているあたり、私たちと同じタイミングで目覚めたマレビトは、大半が同じ地域の生まれなのだろう。
国家という枠組みが意味消失して久しい現代でも『国民性』という言葉が死語扱いされることがないのは、人の人格形成に環境ほどわかりやすく影響するものが他にないからだ。
まぁ、それはそれとして。
「今日中に全部の神殿を回るの?」
洗礼を受ける必要はないのだろうが、私たちに付き添う形で列に並んでいる。神官ニキに尋ねると、間髪入れずに「はい」と明瞭な答えが返ってきた。
うたかたとのやりとりを話半分に聞いている間にも思ったことだが、神官ニキは質問に対する反応が異様に早い。それが優秀さの裏返しなのか、単にAIの人格形成が未熟なのかは判断に困るところだが。個人的には、どうか前者であってほしいところだ。
「それだと、今日は神殿巡りで一日潰れる?」
「そのようになります。大変申し訳ありません」
「いや。単なる確認であって、別に謝ってほしわけじゃないから」
とりあえず知りたいことを訊くだけ訊いて、後始末はうたかたに投げる。
何しろ人見知りする性質なもので。初対面の相手とは、たとえNPCだろうと長話できるような技能に持ち合わせがないのだ。
人見知りというか、単に社交性に乏しいだけとも言えるが。
(今日中にマルドゥクと『本契約』できるかな……?)
ある程度の時間と人目につかない場所さえあれば、多少のリスクを冒してでも本契約を済ませてしまう意義はあると思うのだが。さすがにこうもぴったり張り付かれたうえ、きっちりと予定を決められてしまっていてはどうしようもない。
なにも無駄足を踏まされているというわけではなく、どれも必要な手続きだというのだから、尚更だ。
「なに?」
ちらりと向けた視線に気付いて小首を傾げたマルドゥクに、「なんでもない」と唇の動きだけで囁いて。前に立つうたかたの動きに追従する形で、ほんの数歩前へと進む。
この進行速度だと、私たちに順番が回ってくるまでもう少しかかりそうだ。
神官による洗礼がほんの数秒で終わるようなものなら、そもそもマレビトが列を成すまでもなかっただろうし。
「ねぇ、お嬢」
退屈しのぎにあれやこれやと思案していると。今度は、私とマルドゥクの後ろに並んでいるシスから声がかかる。
「なに?」
「あきた」
いつものやつだった。
(進まないはなし)
『公主』をググると『皇帝の娘』って出ますけど、ここでは『公国の主(王様)』くらいの意味で使ってます。
ただ、シルフィーネ様はファルス皇国現皇帝の妹君で、先代皇帝(建国帝)の娘なので『皇帝の娘』としての『公主』にも当てはまります(理論武装)。
ちなみに。
多分どっかで出ますけど、この世界の大陸は既に統一済みで、ファルス皇国以外には今のところアルメリア公国のように『建国帝の直系の娘息子に与えられた領地としての国』しかありません。アルメリアはシルフィーネ様の母方のファミリーネームで、他の兄弟姉妹も大陸のあっちこっちで『新生公国』の公主をしています。建国帝ことファルス皇国先代皇帝様は「嫁婿? そんなもん自分で探せ」って感じの人なので、皇子はもちろん皇女であろうと政略結婚は特にさせませんでした。