謎が解けるはなし
利用できる時間に制限のある神殿内の浴場で、気忙しい入浴をすませたあと。
うたかたと別れ、あてがわれた部屋へと戻った私は、少なからず憂鬱な気分でマルドゥクと向き合った。
「まずは、『これ』のことから説明しましょうか」
右手の人差指と中指。
揃えた二本の指で左手首の内側を二度叩く。
それが、正式な認可を受けて販売されているVRギアに設定されたプログラムランチャーの起動動作、その標準だ。
「とは言っても、何をどう説明したものか……」
起動したプログラムランチャーはまず、空中に幾つかのアイコンを表示する。その数は使用者が登録した機能の数によって変わるが、私の場合は『四つ』だ。
『ブラウザ』に『メッセンジャー』、『カメラ』あたりは大抵のプレイヤーが登録しているだろう。それに加えて、レギオンメンバーだけが利用できる情報領域への『ショートカット』。――これで全て。
本来であれば、何かしらのゲームにログインした時点でここに五つ目の『メニュー』が追加されることになっているのだが。石室で目覚めた直後確認したときと変わらず、あるべきものはそこになく、私たちに『ログアウト』という選択肢は依然として与えられていない。
そしてこれからも、与えられることはないのだろう。
「さっきは何をしてたんだい?」
「神官長に事情を訊かれてた時? あの時は――」
プログラムランチャーそのものについての説明は、私にとってそれが『あって当然』のものすぎて、逆に難しい。
間の抜けた事に、そもそも馬鹿正直に『プログラムランチャーが何であるか』を説明する必要が無いことに気が付いたのは、当のマルドゥクにそれとない助け舟を出されてからのことだった。
別に、試験勉強をしているわけではないのだから。エンドユーザーは基本的に、何をどうすればどういう結果が得られるか、それだけを知っていれば問題ないの。
「私が殺したマレビト、名前が『シノニム』だって言ってたでしょう? だから、それがどういう意味なのか調べてたのよ。暇潰しにね」
二つある寝台のうち、窓際に置かれた方を自分のものと勝手に決めて腰を下ろした私の隣。ぴったりと体を寄せてきたマルドゥクにもわかりやすいよう気持ち腕を持ち上げて、展開したプログラムランチャー上に表示された『ブラウザ』のアイコンへと手を伸ばす。
本当は、手を使うまでもなく操作することもできるし、私の場合その方が格段に早いのだが。電脳技術そのものに馴染みのないマルドゥクには、この方がわかりやすいだろうと配慮してのことだ。
指先が『ブラウザ』のアイコンに触れた瞬間、ノータイムで展開する表示領域上に開かれたのは、私が初期画面として登録してある統合領域のトップページ。その中心にぽつんと置かれている検索窓に、私はわざわざ喚び出した仮想鍵盤を使い、極東語――マルドゥクにとっては馴染みのない異世界言語――で『シノニム』と打ち込んだ。
リアルタイムで検索結果が表示される領域上には、私がキーワードを打ち込み終わる前から、『シノニム』という言葉の意味がわかりやくす強調表示される。
現実世界で私が死んでいるというのなら、着けていたVRギアはとうに外されて、電源も落とされているだろうに。通信状況はいたっていつもと変わりなく良好だ。――空恐ろしいほどに。
「それでわかるんだ?」
「そう」
統合領域の検索窓にキーワードを入力すれば、その意味がわかる。
質問をすれば、その答えが返ってくる。
そんな、私たちにとっては当然のインフラを、見ていて面白いほど興味深そうに見つめている。
電脳初心者であることとは関係なく、極東語を知らないマルドゥクにもわかりやすいよう、私は表示領域上の文字列を指先で一部なぞりながら読み上げた。
「『シノニム』の意味は『同義語』だって、ここに書いてある。もちろん、これは『私たちの世界での意味』だけど」
「『辞書』みたいなもの?」
「そういう例え方をするなら、いっそ『図書館』の方が近いと思う。世界中のありとあらゆる情報が収められた『図書館』があって、それを私たちはこの『窓』を通して自由に利用することができるの」
「へぇ……」
ついでになったが、マルドゥクに表示領域上の情報が筒抜けになっているとわかった時から気になっていたことを確かめるため。私は仮想鍵盤つきの『ブラウザ』領域を、マルドゥクの正面へと移動させる。
プログラムランチャーを含むVRギアに由来する機能の全ては、基本的にギア装着者以外の使用を想定していない――というか、システム上使用できるはずがない――のだが。表示領域の展開数や範囲には、それが可能な程度の余裕があった。
「ちょっとこれ、触ってみてくれない? あなたにも操作できるかどうか知りたいの」
「できると思うよ? これが元々、君たちの世界にあったものなら」
やけに自信あり気なマルドゥクの言うとおり、その手はすんなり仮想鍵盤に触れ、表示領域上の検索窓に意味のない文字列を入力した。
「どういうこと?」
「まず前提として、こんなものはこの世界にない。それはわかるよね?」
「うん」
「だから、この『プログラムランチャー』は元々、フォルトゥーナが君たちマレビトのためにこの世界の技術で再現したものだったんだと思うよ」
「でも私、もうフォルトゥーナのマレビトじゃないでしょう?」
「そうだけど。君がいま着けてる《因果の指輪》を作るとき、僕はフォルトゥーナの《因果の指輪》に入ってた魔術式をほとんどそのまま複製したから。多分、その中に『プログラムランチャー』を再現するためのものが含まれてたんじゃないかな」
「複製って……中身は確認しなかったの?」
「時間がなかったからね。下手にいじって妙な不具合が出ても困るし。今日の夜、君が寝たあとにでも確認しようと思ってたんだよ」
「ふぅん……」
つまり。私が着けている《因果の指輪》は、外殻をマルドゥクが作りなおしたというだけで、実のところ『ほぼ《因果の指輪》』だったというわけだ。
VRギアが《因果の指輪》に置き換わったのだと思えば、それ自体は割合すんなりと納得することができた。
既に電源を落とされているはずの『VRギアの機能』が変わらず使えていると言われるより、今ここにある『《因果の指輪》で再現された機能』だと言われた方が受け入れやすいのは、当然のことだろう。
それとは別に、どうやってオンライン環境を維持しているのかが気にならなくもなかったが。『オンライン』という概念をマルドゥクにどう説明すればいいのか、プログラムランチャーの説明にさえ手間取った私には見当もつかなかったので。その確認は、ひとまず諦めることにした。
「そういうことなら、私もう寝るわ」
「……まだ早いんじゃない?」
「魔術式の確認をするんでしょう? 私がさっさと寝た方が好都合なんじゃないの」
「そんなの、一時間もかからないよ」
「だから?」
「寝るにはまだ早くない?」
夜更かしをするよう唆すなんて、高位魔族を自称しているくせに随分とかわいらしい悪行だ……と。マルドゥクの言葉を微笑ましく思えたのは、ほんの一瞬。
「もしかして、魔族って寝ないの?」
「うん」
「――おやすみ」
事実上の完徹宣言を受けて。私はさっさと、めくり上げた薄っぺらい毛布の下へと潜り込む。
「その反応ちょっと酷くない?」
眠らない魔族になんて、付き合ってられるか。
(謎が解けるはなし)




