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木陰の美神

作者: サカエ

 静かな初秋の山間に、若い娘たちの笑いさざめく声が響いた。濃い緑の間をただよう澄んだ空気に似つかわしくない、浮かれてふわふわした声音。

 トウワは画帳から顔をあげ、額にかかった金色の前髪をかき上げて眉をひそめた。一瞬幻聴かと思ったが、すぐに思い当たる。ほかの村にやや先駆けて、奥の村ではもうすぐ祭りがある。娘たちは、祭りの衣裳を飾る石を買い求めに来たのだ。

 奥の村から、トウワの店とも呼べないほったて小屋のある峠までは、娘の足ではずいぶんかかるだろうに、若い娘というものは自分を飾ることには本当に貪欲だと、トウワは苦笑する。街の娘も村の娘も、こういうところは変わらない。

 王都ミライアにいたころ、トウワはよくしゃべる娘たちが苦手で仕方なかったが、山にひっこんでからは甲高いはしゃぎ声にも嫌悪感がなくなった。「娘」というものの絶対数が少ないから、これもまた風物だと思うような余裕ができたのである。

 そんなことを山裾の街ジューバラから品物を運んでくる友人に言ったら、「若いくせに(じじい)じみたことを」と笑われたものだった。

(爺じみた性格じゃなかったら、こんな山奥にいやしないよ)

 友人に返した返事をもう一度回想して、トウワはペンを置き画帳を閉じた。一応店らしき体裁になっている隣室に顔を出すと、三人の若い娘たちが目をきょろきょろさせながら、峠道から入ってきたところだった。

「飾り石かい?」

 声をかけるトウワに、全員が小刻みにうなずき返す。まだ子供のような娘たちだ。祭りで石を身につけるのは、今年が初めてだろう。

 この山岳地方一帯の風習で、結婚を許される歳になった娘たちは、祭りのときに石の装飾品を身につけることになっている。幼いうちは花や羽で髪と衣裳を飾るのだ。

 石の飾りを身に付けた娘になら、男は求婚していいことになっている。祭りの前に、男が石を贈ることもある。

 祭りは山の恵みに感謝を捧げる名目で行われるが、男女がつがうための大切な機会でもあるらしい。新参のよそものであるトウワはどこの村の祭りにも出たことがないので、祭りの盛り上がりは想像するしかないが、村の娘たちにとっては一生を決めることもあり得る催しであるわけだ。熱心にもなるだろう。

「もう四、五日したらジューバラから商人がくる。新しい飾り石も入るよ」

 トウワは親切心から言った。なにも今、昨年の売れ残りを買わなくともいい。

「しってる。きのう小刀をここで買った村人が言っていたから」

 三人の中で一番見た目のおとなしい濃い茶の髪の娘が、はきはきと答えた。ほかの二人は、恥じらっているのかうつむきかげんだ。

「しってたのなら、なぜ今日来たんだい?」

「もっと年上の女の子たちが、わたしたちは古いのでなくっちゃ買っちゃだめって言うんだもの」

 なるほど、牽制か。トウワは納得した。女が自分より若い女に厳しいのは、王都でも山村でもおなじということだ。

「去年の売れ残りがいやなら自分でつくればとかって言うしね。丸く磨くしかできないわ」

「ただ丸く磨くだけの石なんて、恥ずかしくてつけられない。売れ残りのほうがましよ」

恥じらっていた娘たちも口々に愚痴りだした。

「丸く磨くだけでも、色合わせだとか飾り紐だとか工夫すればきれいになると思うんだけど……やり方がよくわからないし」

 濃い茶の髪の娘も、困ったように言う。   

 三人娘の不満を聞きながら、トウワは飾り石を品台に並べる。年間を通して求められる品ではないので、狭い店ゆえ、普段はしまっておくのだ。

 ジューバラの友人から農具や暮らしの道具などを仕入れる際、ついでにもってきてもらう飾り石は、それ自体ジューバラの街での売れ残りだ。今ここに出す品々は、街で売れ残りさらにここでも売れ残ったあわれな品で、石色の組み合わせが派手すぎてけばけばしいもの、逆に地味すぎて目立たないもの、細工が単純すぎてちゃちなもの、そんなものばかりだ。

 そんな売れ残りの中のひとつを手に取り、トウワは自嘲の笑みを浮かべた。

 戯れに、トウワ自身がつくってみたもの。木陰石というありふれた石だが、細工も磨きも細やかにほどこした。しかし華やかさに乏しく、見事に売れ残ってしまった。

(これでも、王都では女服の仕立師をやっていたのにな)

 子供の頃、奉公に出された先が仕立店だった。望んでついた職ではなく、向いてもいなかった。廃業にして正解だ。トウワは捨てるつもりで、自作の飾り石を服のかくしにしまった。

「あっ。それ買いたかったのに」

 背後から聞こえた声におどろいてふりかえった。三人娘がすぐうしろに来ていて、トウワの手元をのぞきこんでいた。

「えっ、サーラってばあんなのがいいの?」

 サーラというのが、濃い茶の髪の娘であるらしい。

「あれがいいの。……どうしてしまうの? 売り物ではないの?」

「いや……」

 トウワは裾着のかくしから自作の飾り石を取り出した。鼓動が少しはやくなった。

「これがいい」

 ほかの品物には目もくれず、サーラはきっぱりと言った。

 早々に買う品が決まったサーラは、迷っているあとの二人から離れて、鎌だの鋤だのを興味なさげにながめていたが、狭い店の中を見るのも飽きたのか、ぶらぶらと小屋の外に出て行った。残った娘二人は、派手なほうの売れ残りを手に取りながら、顔を見合わせた。

「サーラの好みってわからない」

「あれは好みでえらんだわけじゃないと思うわよ」

 二人の会話に、トウワはなんとなく聞き耳を立てた。

「サーラはほら……親がどっちも、よそものだから。目立っちゃいけないって、サーラの死んだお母さん、よく言っていたのよ。村の人より目立ったら悪く言われるからって。だからいつもいちばん地味なのをえらぶのよ」

「そんなの気にしなければいいのに」

「ユマは気にしなくても意地悪な子もいるわ」

「そういう意味じゃないわよ。いくら派手にしても、サーラじゃ目立つわけないわ!」

 いえてるわ!と言いながら、輝く光の束のような金色の髪を持つ娘たちは、笑った。

 女はやっぱり嫌いだなと、トウワはあらためて思った。



「仕立屋はやめたのに、なぜ服の絵をかく?」

「うっっっわ!」

 突然頭上に降ってきた声におどろき、トウワは画帳を地面にとり落としてしまった。挟んでいた紙が草の上に散らばる。ジューバラの商人デイジルは、「おどかしたか。荷車の音でとっくに気付いてると思ったが」と言いながら、紙を拾うのを手伝った。

「荷車の音? 気付かなかったよ」

「おまえは本当に鈍いな。武人になってたら三日で死んでたな」

「三日ももたないよ、たぶん……」

「山暮らしも向いとらんだろうに。街の顔をしてるぞ、おまえは」

「街の顔はしてるけど、商人の顔はしてないんだ。競争の激しい街では、店もすぐ潰す」

 デイジルは拾い上げた何枚かの服の絵に目を落とした。

「たしかに商人向きではないな。こういう服を仕立屋に頼む女はいない。これは小間使いの服だろう? 小間使いなら、服は自分か身内が縫う」

「わかってるよ。もうおれは仕立屋じゃないんだから、これは仕事じゃない」

「趣味で小間使いの服をかくのか?」

「わるいかよ」

「趣味で小間使いの服を縫うのか?」

「布地が手に入らないから縫わないよ」

「手に入ったら縫うのか?」

「ほっといてくれー」

 画帳を自室に置きに行ってから、トウワは商品を降ろすためにデイジルの荷車に向かった。馬は怖いので近寄らないようにしながら、いくつかの木箱を降ろす。

 中のものがじゃらりと音を立てる木箱を手にしたとき、ああこれは飾り石だなとわかった。奥の村の、先日の三人娘よりもっと年長の娘たちが今日にでも買い求めに来るだろうから、これは早々に品台に並べなくてはならない。

 木箱を店に運び蓋をとると、確かにそれは飾り石であったが、いつもの格安品がごちゃごちゃと詰まったその上に、安物が包まれているとは思えない見事な刺繍の絹袋があった。中身を取り出し息を飲む。

「おい、デイジル。これは間違いだろ? 貴石だぞ。こんな店には貴族も富豪もこないぞ!」

「ん? ああ……。うん。すまないな。間違いだ。そう、ちょっとした勢いで」

「は? ちょっとした勢いで貴石をおれに仕入れさせようと? わけがわからない」

「おまえに仕入れさせようとしたわけじゃないさ……。その箱に放り込んだのを忘れてただけだ」

 いつもきっぱりした態度のデイジルが、気弱な視線を床にさまよわせている。

「貴石を放り込んで忘れる? 見たところ赤灼夜石と透砂波石の金台細工だ。いくらすると思ってるんだ」

「三万七千二百ザリカ。貴族や富豪向けってほどの値じゃないさ。ちょっと羽振りのいいふりしたい田舎商人が、美しい村娘に求婚するために見栄張って買う程度の値だろう」

 ずいぶんと具体的な例だ。なるほど、そんなことがあったのか。

「……どこの村の娘?」

「中の村」

「……どうなったんだ?」

「受け取ってもらえなかったからここにあるんだ。俺より一足先に大粒の朱咲華石を贈った奴がいたらしくて。彼女は王都にいるそいつの求婚を受けるんだろうよ」

「朱咲華石! へー……。こんな山奥にいても玉の輿に乗れるんだな」

「こんな山奥にいても、噂が王都に届くほどの美人だったんだ……」

 トウワはうなだれる友人の肩をなぐさめるようにぽんぽんたたいた。



 玉の輿の噂は、奥の村にも届いているようだった。新着の飾り石を買いにやってきた奥の村の娘たちは、ため息まじりに「あたしも朱咲華石がほしい」とつぶやいている。「朱咲華石の飾りはこの飾りの何倍の値かしら」「千倍くらいじゃない?」などという会話に、トウワは心の中で「十万倍」と答えた。

 かつて自分も、朱咲華石などの高級貴石を身に付けた女客を間近に見てきたわけだが、「王都の屋敷街で見る朱咲華石の華やかさ」と、「山奥の村で見る木陰石の可憐さ」は、魅力で言ったら変わらないと思う。トウワ個人の好みで言ったら、断然木陰石だ。

 しかしこの好みは街で通用する好みではない。派手な品にばかりそそられている村娘たちの様子を見ると、山村で通用する好みでもないことが判った。つまり、趣味嗜好を封じないかぎり、自分は職人であるにしろ商人であるにしろ、どこにも通用しないのだ。

 ただひとり、木陰石に手をのばしてくれた娘がいたけれど……。

 彼女もまた、好みを封じられた環境にいるわけだ。木陰石が好きなわけではなかった。

(サーラとか言ったっけ?)

「サーラは祭りに出ないみたい」

 自分の考えに呼応するような村娘の声に、トウワは一瞬ぎょっとなった。だがもちろん、娘はトウワの心の声に返事をしたわけではない。娘どうしでしゃべっているだけである。

「やっぱり、お父さんの具合が?」

「おとといからまた悪くなって。持ち直しそうだったのにね」

「風灯病だったっけ」

「風灯病よ。風灯病じゃあね、ぶりかえしたら……ね。この先どうするのかしら、サーラ」

「誰か求婚すればいいんだわ」

「求婚すればね。でもまだ十四よ。小柄だし、きれいなほうでもないし……」

「それによそものだしね」

「かわいそうだわ。祭りも、楽しみにしてたのよ。買ってきた飾り石を毎日うっとりながめてたわ。なんかしみったれた飾りだったけど、サーラはすごく気に入ってて」

 風灯病か。風灯病は、治る確率は半分と言われているが、再発の場合はほぼ絶望的だ。サーラは母親も死んでいるとほかの娘が言っていた。両親がよそものであるなら、この地に血縁者はいないのかもしれない。このあたりは血縁のつながりが大きくものをいうから、きっと心細い思いをしているだろう……。

 娘たちのおしゃべりは祭りの衣裳のことに移っていったが、トウワはサーラの面影を頭から追いやることができなくなっていた。

 サーラがトウワの作った飾り石をえらんでくれたとき、トウワはうれしかった。サーラの持つ雰囲気に、木陰石がとてもよく似合ったからだ。好きでえらんだわけではないときいても、それでもうれしかった。トウワの職人としての美意識が、出会うべきものが出会ったのだと、満足していたから。

(気に入ってくれてたんだな)

 職人としての美意識とは別の心が、じわりと暖かくなった。

(サーラの父親、回復するといいな……)

 心の中で、トウワはサーラのために静かに祈った。



 サーラの父親は死に、サーラは畑を手放して朱咲華石の美少女付きの小間使いとして、王都へついていくことに決まった。

 王都ミライアに憧れる娘は多いが、一族から離れた地で暮らす勇気のある娘もそれを許す親も、中の村では見つからなかったそうだ。それに、美少女は身分がほかの娘たちより高い地位にあったわけではない。きのうまでの友人を急に主人と仰ぐようなことは、村娘であっても自尊心が邪魔するだろう。

 その点、奥の村のサーラなら、中の村の美少女と会ったことはないし、反対する血縁者もない。隣村の娘なら、街育ちの娘をあちらで雇うより、ずっと気安い。それにサーラは働き者だ。話はトントン拍子にまとまったと、奥の村からきた客はトウワに語った。

 客が帰ってからすぐに、トウワは画帳をとりだした。いつものように、小間使いの服を描く。いつもとちがうのは、想像の中でサーラが着る服、という点だ。イメージはいくらでも湧いた。トウワは夢中になって描いた。画帳をのぞきこむ視線に気付かずに。

「ほんとの話だったんだ」

「うっっっわ!」

 サーラだった。

「中の村で会ったジューバラの商人が、峠の店の店主は小間使いの服が大好きだって」

 トウワは耳まで真っ赤になった。デイジルだな! 余計なことを。

「その話を信じて、お願いにきたの」

 サーラはかついでいた麻袋を台に置いた。紐を解くと、入っているのは織目の詰んだ丈夫そうな木綿の生地だった。

「小間使いの服が必要なんだけど、都会風じゃないといけないの。あんまりみっともなかったら、ご主人様まで笑われてしまうから。でもわたし、都会風なんてわからない。あなたは王都にいたことがあるってきいた。助けてほしいの」

 トウワはサーラの木陰石とおなじ暗緑色の瞳をまじまじと見つめた。

 夢のようだった。

 見つめすぎたのか、サーラのほうが戸惑って視線をそらす。

「そんなじっと見ないでよ……。あなたみたいなきれいな男の人、慣れてないんだから」

「作らせてくれるのかい?」

「えっ? 作ってくれるの? でも仕立て代が出せない。助言をもらえれば……」

「代金なんていらない。作らせて」

 トウワは麻袋から布地をひっぱりだした。厚みがあってしっかりした手触りの、いい生地だ。とろけるような絹地などより、トウワがずっと好きな素朴な木綿。

「染めてもいいのかな」

「でも染料のお金が」

「いらないってば。まっすぐ立って! 採寸するから」

「えっ。あ、うん」

 肩幅や袖丈を測られながら、サーラは「あなたって変わってる……」とつぶやいた。


 

 数日後、トウワは小間使いの服と一緒に、サーラに木陰石の腕飾りを贈った。サーラが買っていった首飾り型の飾り石と揃いになるよう、細工を合わせたものだった。

「揃いの腕飾りがあったのね」

「揃いになるように作ったんだ。首飾りもおれが作ったものだ」

「えっ……。そうだったの。すごく好き、あれ。大切にする。ありがとう……」

 サーラの言葉をきいているのかいないのか、トウワは仕立て上がった服をサーラに着せ、真剣な顔で細部の確認をしている。サーラは王都の高級店で、一流の仕立屋に絹の社交服を仕立ててもらったような気分になった。

 服を見るトウワの顔が、まるで「本物」みたいだから。

 トウワの真面目なまなざしの力強さに、サーラの胸の奥に今まで感じたことのない、甘い渦がひろがった。

 きれいな顔立ちの、華奢なトウワ。

 でも誰より真剣な、仕事をする男の顔をしている。

「わたし、あなたのこと忘れないと思う」

「おれもきっと、君のことを忘れないよ」

「……なぜ?」

「君はきれいだから。おれの眼には、誰よりもきれいに映るから」

「な、なに言ってるのよ! わたしなんて地味だし、全然きれいじゃないわ!」

 突然の慣れない褒め言葉に、サーラは照れてじっとしていられなくなり、ばたばた手を動かした。

「動かないで。タックに待ち針刺すから」

「きれいなんかじゃ……」

「君はきれいだよ」



 二年ほど、月日が流れた。

「アイシャが里帰りしてる」

 いつものように、トウワと荷車から木箱を降ろしながら、唐突にデイジルが言った。

「アイシャって?」

「朱咲華石」

「ああ」

 では、サーラも一緒にきているのかな。

 トウワはそわそわしだした。二年も経てば、服もだいぶ擦り切れてきただろう。成長期の娘なのだから、寸法もきつくなっているに違いない。サーラは服をとても気に入ってくれたから、この機会にまた自分に仕立てを頼みにこないだろうか。

 来てほしい。

 いや、きっと来る。

 トウワには妙な自信があった。仕立屋をしていたころにこの自信があったなら、今もまだ王都で働いていただろう。サーラではなく、豪商に嫁いだアイシャのほうが、仕立てを頼みにきていたかもしれない。しかしトウワはそんな可能性になんの執着もなかった。

 サーラはどんなふうに成長しただろう。小枝のような体はしなやかなままだろうか。きびきびした立ち居振る舞いは、都会風に洗練され無駄がなくなっただろうか。大きな花は咲かせないでほしい。咲かせるならば、木の葉の影に隠れるような、小さな白い花……。

「トウワ。おいトウワ。きいてんのかこら! 客だぞ」

 デイジルの声に我に返る。

 店の戸口に目をやると、心に描いた小さな白い花の蕾。



「仕立てを頼みにきたの」

 サーラは、頬を紅潮させ瞳をきらきらさせている華奢な美青年の顔をまっすぐに見られなかった。

 王都にいる日々、トウワのことを思い出さない日はなかった。何度手紙を書こうとして破り捨ててきただろう。

 こんなに生気に満ちた表情を向けてくれるなら、ためらわずに手紙を書けばよかった。

 でも――。

 王都できいた「仕立師トウワ」の噂。高級店の有名仕立師だった彼は、たかが小間使いの自分などが気安くしていい人間ではなかったのだ……。

「あなたの作ってくれた服、とても評判がよかった」

「それはよかった」

「休みをもらった日につけてた飾り石もほめられたわ。不思議ね。ここでは地味だとか娘らしくないとか散々だったのに。服はみんながほめてくれたけど、石をほめてくれた人は、詩人だとか音楽家だとか、一風変わった人が多かった。王都には変わった人もいるのね」

「すこしはね。多くはないよ。布を見せて」

 サーラは、黒い毛織物でできた袋の中から、丁寧にくるまれた布包みをとりだした。トウワが急いた手つきで包みを開く。そして「えーっ」と失望の声をあげた。

「どうして絹地?」

「仕立ててほしいのは、わたしの服じゃないの。アイシャ様の夜会用の長裾服」

「そんなものはミライアの仕立屋に頼んでくれよ。豪商の妻なら、仕立て代なんかいくらだって出せるだろ」

「いくらだって出すから、作ってほしいの」

「ことわる。絹地の服なんか作れない」

「うそばっかり。屋敷街の仕立店、『花の庭』の主任仕立師だった人が?」

「……」

 トウワは唇を真一文字に引き結んでいる。これに関しては何ひとつ言わないぞという、決意の表れのように。

「おねがい。間に合わないの。アイシャ様は、貴族の主催する大きな夜会に、旦那様とご一緒に出なければならないの。でも、近頃アイシャ様はすっかり自信をなくされていて、社交嫌いになってしまった。王都には自分より美しい女などいくらだっている、田舎者の自分にはなんの価値もないだなんて。そんなことないのに。旦那様は、アイシャ様の素直で朗らかな人柄こそを愛してらっしゃるのに。なのに、意地悪なご婦人がたが、野暮ったいだとか垢抜けないだとか、山育ちは王都の社交界に顔を出すなとか、悪口を言うの。仕立店の待合室ではとくにひどいの! 上から下まで眺めまわして、装いにけちをつけて……。アイシャ様は仕立師を家に呼ぶのも嫌がるようになってしまった。調度品の趣味から何から全部、ほかのご婦人がたと比べられるような気がしてしまうからって」

「ふん。王都の金持ち女なんて、みんなそんなもんだよ。嫌なら離縁して村に戻ればいいんだ。美人で気立てもいいなら、良縁は山にいたって転がってるだろ」

 サーラはトウワをひとにらみして、続けた。

「塞いでいるアイシャ様を心配して、旦那様は里帰りを提案してくださった。夜会服の新調はあきらめて……。わたし、あきらめる必要はないって思いついた。あなたがいるもの」

「絹の服は縫わない」

「おねがいよ……」

「縫いたくない。嫌いなんだ」

「おねがい。わたし、アイシャ様に自信と笑顔を取り戻してほしいの」

「だったら山に帰ってくれば」

「アイシャ様は旦那様を愛しているの! お金持ちだとか、そんなことは抜きに」

 サーラはだんだん涙声になってきた。トウワはなんだか自分がひどい悪人になったような気がしてきて、黙ってしまった。サーラはしばらくしくしく泣いていたが、やがてあきらめて袋を手に立ち去った。

 サーラの出て行った戸口をしばらく無言で眺めていたトウワに、隅で様子を見ていたデイジルが言った。

「つくってやれよ」

「……なんでおまえが言うんだよ? アイシャが離縁して戻ってきたほうがうれしいだろ」

 デイジルは首を振った。

「アイシャにはしあわせになってもらいたい」

「サーラといいおまえといい、なんでアイシャアイシャって」

「そういう子なんだよ。美人なだけじゃない。おまえの思うような女が、女の全部じゃない。俺からも頼むよ。高慢ちきな王都の女がうらやむようなやつ、仕立ててくれよ。おまえ実はすごい仕立師なんだろ? 道具や材料が足りないなら、俺がジューバラから……」

「すごくなんかない」

 トウワは深いため息をついて、どさりと椅子に腰をおろした。

「小器用だっただけだ。上流階級の服になんて全然興味がなかったから、何から何まで師匠の言うとおりにやってただけだ。それが気に入られて主任になんて話になったけど、師匠が死んだらどうしたらいいかさっぱりわからなくなった。なのに評判だけが先走って、指名客は殺到するし店からは重たい期待をかけられる。だから逃げ出したんだよ、おれは」

 トウワは品台に置いてあった画帳を手に取り、ぱらぱらとめくった。

「長椅子にふんぞり返って、噂話ばかりしてる脂粉くさい女が大嫌いだった。絹の裾をずるずる引きずってる女なんかより、彼女たちのまわりをちょこちょこ動き回ってる木綿の服の小間使いたちのほうが、ずっとかわいいしきれいだと思ってたよ。金持ち女についてくる小間使いたちを見るのは楽しかったな。彼女たちの服を見て、おれだったらこう仕立てるのにああ仕立てるのにって考えて。でも小間使いたちは服を仕立屋に出す金なんか持ってない。金持ち女たちは、小間使いの服に金を出すなら一ザリカでも高い貴石を買うさ。ギラギラに着飾った自分に、擦り切れてほつれた服を着た小間使いがついてくることに、なんのうしろめたさもないんだ」

「アイシャ様はそんな人じゃない!」

 突然の大声に、トウワは飛び上がりそうになった。

 出て行ったはずのサーラが、店の戸口に軍神のように立ちはだかっていた。

 サーラはつかつかと店内に立ち入ると、品台の上に投げ出すように袋を置いた。先刻の黒い毛織物ではない、荒い麻袋だ。

「アイシャ様は、これを持たせてくれたもの。わたし用の仕立て代もね」

 麻袋からはみだしているのは、丈夫な木綿生地だった。

「窓の外から、全部きかせてもらった」

 サーラはトウワの背後の窓をちょいちょい指差した。そして、齢十六の娘とは思えない心得た笑いをにやりと浮かべた。

「アイシャ様の夜会服を頼んで、まだ時間があるようだったらわたしのも頼むつもりでいたけど。わたし、順番をまちがえたみたい」

「順番?」

 トウワはぽかんとした面持ちで聞き返した。

「まず、わたしの服を仕立ててちょうだい。最高の小間使い服をおねがい。夜会には、奥さま方について小間使いも大勢控えの間に集まる。その中で一番、粋で動きがかわいく見える小間使いの服よ」

「一番、粋で動きがかわいく……」

「そうしたら、その粋でかわいい小間使いが仕えるにふさわしい女主人が着る服を考えて。いい? 順番が大切よ。まず小間使いありきなの。女主人は小間使いの背景! 女主人は朱咲華石がよく似合う、十八歳の金髪碧眼えくぼのある笑顔がやわらかい美女よ。そして主人公である小間使いはこのわたし。歳はみずみずしい十六歳、深い森の木立のような濃い茶の髪に、瞳は思慮深く涼やかな木陰石色!」

 サーラの調子のよい口上にたまらなくなったのか、デイジルがふきだした。

「そこ! 笑わない! いい?トウワ。小間使いの身から言わせてもらえば、小間使いが輝くためには似合いの女主人が必要なの。小間使いは小間使いだけじゃ完結しないの。小間使いの服だけじゃ、小間使いの服の魅力は半減してしまうのよ! わかった?」

「半減……」

「はいっ。採寸!」

 採寸!の掛け声に、つられてトウワはぴょこんと立ち上がった。爆笑するデイジル。

 採寸を終えサーラが帰ったのち、画帳に没頭するトウワに、きいてないだろうなと思いつつ、デイジルは言わずにいられなかった。

「あの子、街の子の顔になったな」

「……」

「おまえも、あいかわらず街の顔だ」

「……」

「ものすごく似合いだ。おまえとあの子」




 仕立師トウワが王都ミライアに返り咲いたのは、豪商モーリアの妻アイシャという美神に出会ったからだと、街の人々は信じていた。

 今日も王都のご婦人がたは、美と愛と富に恵まれたアイシャに憧れて、彼女にあやかろうと一等地にあるトウワの仕立店「木陰」に群がる。

 「木陰」には不思議な決まりがあって、服を仕立てたいご婦人がたは、まず小間使いの服を店主に頼まなければならない。だから「木陰」は奥様お嬢様のみならず、小間使いたちにも人気があった。

 店の入り口すぐに、朱咲華石を身につけたアイシャの肖像画がある。ご婦人がたも小間使いたちも、この華やかな美女にうっとりした視線を向けるが、訪問者のうちごく少数、別の女性に釘付けになる者もいる。

 きびきびとした動作で接客をこなすその女性はトウワの妻で、もとはアイシャの小間使いだった。木陰石のよく似合う控えめな容姿のその人が、店主トウワの真の美神であることを知る者は、片手ほどの数しかない。



END


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[一言] Twitterでお世話になっております、太ましき猫です。 どこか手に馴染む様な洋書の表紙を開いたように、こちらの作品に伺いました。 燦々と降り注ぐ日差しを受け煌めく花畑や、花弁が零れるかの…
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