第十二章 窮地
森石章太郎は天翔学園高等部の保健教師の中里満智子と腕を組んで街を歩いていた。
「うわ、中里先生じゃん」
塾の帰りらしい高等部の生徒達が二人に気づき、囁き合っている。森石は彼等を知らないし、中里は操られているので気づく事はない。
(何だ、あいつら?)
それでもジッとこちらを見ている若者がいるのを視界に入れた森石は怖い顔をして彼等を睨んだ。生徒達はギョッとしてその場から駆け去った。
「中里先生、いつもと違って可愛かったな」
一人が言うと、
「あ、それ、俺も思った。いつもは男前な格好をして飲み歩いているんだけどな。とうとう彼氏ができたって事?」
もう一人がニヤニヤして返す。
「にしてもさ、あの男、ヤクザか何かじゃねえの? 目つき悪いし、凄い顔でこっちを睨んだし」
「中里先生、そういう連中を一番嫌っていたし、時々喧嘩もしていたような……」
妙な取り合わせに生徒達は首を傾げた。
(どこで飯にしようか)
森石は中里の目の焦点が微妙にずれているのに気づく事なく、周囲の店を見ていた。
(どうしようもなく女にだらしがない奴なんだな、あいつは)
自分も然程差がない人間だと自覚していないチャーリーがビルの屋上から観察していた。
かすみと治子と留美子は警戒しながら高等部付近まで来ていた。横山照光を操っていたのが数学教師の蒲生千紘だとわかったので、探りを入れに来たのだ。三人はチャーリーが現れるのではないかと考えていたが、門の前まで来ても姿を見せないので、少しだけ拍子抜けしていた。
「あいつは現れてくれない方がやり易いけど、少しでもぶちのめしてやりたかったな」
治子が楕円形の黒縁眼鏡をクイッと上げて言うと、
「私もです」
留美子は鼻息を荒くした。かすみは二人の言葉に苦笑いし、
「とにかく今は、蒲生先生を問い詰める事を考えましょう」
「そうね」
治子と留美子は大きく頷いた。三人は門をくぐり、高等部の敷地に足を踏み入れた。
「え?」
その途端、衝撃波のようなものが身体を通り抜ける感覚がした。
「何、今の?」
かすみ達は顔を見合わせた。
「あれ?」
かすみは違和感を覚えた。
「どうして私達、ここに来たんでしたっけ?」
首を傾げて治子に尋ねる。治子も首を傾げ、
「おかしいわ。私もわからないの。何をしに来たんだっけ?」
そう言って留美子を見た。留美子は肩を竦めて、
「お二人がわからないのに私がわかる訳ないですよ」
三人はえも言われぬ不思議な体験をしたので、しばらく考え込んでしまった。
(ものすごく大事な事だったような気がするのに、全然思い出せない……。どういう事なの?)
かすみはもどかしくて歯嚙みした。
「とにかく、帰りましょう。長居しても仕方がないわ」
治子が言った。かすみと留美子は黙って頷き、三人は高等部の敷地を出て行った。
かすみ達が引き返したのを知り、窓からそっと見ていた千紘は仰天していた。そして、怖々と理事長の椅子に座っている小藤弘を見た。小藤は不敵な笑みを浮かべて、千紘を見ていた。
「言った通りだったろう? あいつらの記憶はリセットされた。お前の正体を知る者はいなくなったよ」
小藤の想像を絶する異能の力を知り、千紘は身体が震えるのを止められなかった。
「後はあの馬鹿者が森石を仕留められるかだが、そう簡単にはいきそうにないな」
小藤の妙な言い回しに千紘は眉をひそめた。
(ボスには奴の事が見えているのか? 私の能力では、道明寺が意気消沈しているくらいしか感じられないが……)
千紘は背中に冷たい汗を掻いていた。寒気がし、剥ぎ取られたブラを付け直した。
「どうした?」
わかっているはずなのに、小藤はフッと笑って千紘を見る。千紘は顔を引きつらせて、
「ちょっと寒くなったので……」
小藤は椅子から立ち上がり、千紘を後ろから抱きしめた。
「こうすれば、温かくなるよ」
「あ……」
右手が千紘の右乳房をブラを押しのけて揉みしだいた。左の耳朶を軽く噛んだ小藤は、左手で千紘のパンティの中に手を突っ込んだ。
「ああ……」
千紘は朦朧としていくのを感じた。
(これも、ボスの力……?)
彼女はそのまま床に押し倒された。
森石はフレンチレストランで中里と食事をし、その後どこに行こうか迷いながら街を歩いていた。
「森石さん、こっち」
中里がある路地の前で森石を引っ張り、角を曲がった。
「え?」
ハッと見上げると、そこは所謂ラブホテル街だった。森石は一瞬硬直した。
「私とじゃ嫌? 新堂先生がいいの?」
中里が目を潤ませて尋ねる。左腕には彼女の右の柔らかいものが当たりっ放しだ。
(おいおい……)
可愛い女にはすぐにその気になる森石であるが、さすがに初めての食事でそのままラブホテルに行った事はない。
(この先生、超肉食系なのか?)
アンチサイキックの能力はあるが、それ以外は普通の人間と変わらない森石には、中里の異常さを感知する余地はなかった。
「森石さあん」
中里の吐息が耳に纏わりつく。森石の元々希薄な理性が吹っ飛んだ。
「行きましょう」
彼は中里の肩を抱くと、ズンズンと歩き出した。
「あら?」
治子が不意に立ち止まった。かすみも森石の発する尋常でない淫の気を感じていた。
「あのスケベ刑事、中里先生と一緒のようね」
潔癖症の治子は憤然として言った。留美子がびっくりして目を見開いた。
「節操がない人だとは思っていたけど、そこまでとは……」
かすみも呆れかけたが、思い直した。
「おかしくないですか、治子さん」
「え? 何が?」
治子がかすみを見る。留美子もかすみを見た。かすみは二人を交互に見ながら、
「森石さんは、中里先生を避けていたんですよ。急にそんなに進展するものでしょうか?」
「確かにそうだけど、でも二人は今……」
治子には森石と中里がどこにいるのか見えたので、顔を赤らめている。
「何かおかしいです。行ってみましょう」
言うが早いか、かすみは駆け出していた。
「ああ、待って、かすみさん!」
治子と留美子が慌てて追いかける。
(かすみさん、さっきパンケーキを二十皿食べて、ソフトクリームを三個食べたのに走れるの?)
元々運動が苦手な治子はかすみの身体能力に驚愕していた。
その森石はホテルの部屋の中でベッドに腰を下ろし、中里がシャワーを浴び終わるのを待っていた。
(俺は何をしているんだ?)
自分の行動が理解できない森石である。
「これから死ぬんだから、そんなに悩まなくてもいいんだよ、兄ちゃん」
突如としてチャーリーが現れた。森石は仰天してベッドから立ち上がり、
「貴様の仕業か!?」
スーツの下のホルスターから拳銃を取り出した。チャーリーはせせら笑って、
「そんなもので俺を殺せるつもりか? やめとけよ」
彼は森石の銃弾が力で止められないのを知っている。だからハッタリをかましているのだ。
「死ね」
そのチャーリーの頭上にホテルのロビーにあった女神像が現れて落下した。
「うお!」
チャーリーはそれを転げてかわし、
「てめえ! 邪魔するんじゃねえよ、ロイド!」
険しい顔になって周囲を見渡した。森石もその名前にハッとした。
(ロイド、だと?)
次の瞬間、森石の眼前に不意にロイドが現れた。森石はギョッとして後退った。
「邪魔はしていない。むしろ邪魔なのはお前だ、チャーリー」
ロイドはガラス玉のような目でチャーリーを見た。




